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馴れ初めが肝心である


名前の朝は遅い。

それもそのはず。最近就職した職場の労働時間がびっくりするくらい定まっていないのだ。そのため、名前はゆったりと自分のペースで起きて、準備を行い、家を出る。
名前の働き先のボスである死柄木弔からは、「必要な時に集まり、動いてくれたらいい」と言われた。そんなに緩くても大丈夫なのだろうかと不安になったが、世界を変えることが出来るほどの規模を持つ企業だ。何かしら策があるのかもしれない。また、新入社員である名前に気をつかっているのかもしれないし、試しているのかもしれない。そのため、名前はちまちまと毎日あの隠れ家のようなバーに足を運ばせるのだ。

「お疲れ様でーす」

そーっと扉を開ければ、いつも通り黒霧が「お疲れ様です」とグラスを拭いながら挨拶を返し、死柄木は顔にひっついた手の指の隙間から見える紅い瞳でこちらを一瞥するくらいだ。

「今日はどうかしたんですか?」
「えっと、犬に追いかけ回されたあと、カラスの大群に襲われ、お昼ご飯に買っていたコンビニ弁当が奪われた!!ついでに買ったばかりのアクセサリーも取られた!!」
「だからそんなにボロボロなんですね」

黒霧の言う通り、名前の姿はボロボロだ。目立った外傷はないものの、着ている服はただ引っ掛けているだけのレベルにまで成り下がっている。

「難儀なもんだな」
「あ、トム部長!」
「……その呼び方やめろ」

名前の言うトム部長とは、死柄木のことである。死柄木弔のトムを捩って付けられた。ちなみに何故部長なのかというと、最初に「トム社長」と呼んだら「違う」と返され、それならばと部長に降格したからである。反論するのも面倒になった死柄木は放っておいたが、嫌に定着してしまい絶賛大後悔中である。

「それで、そのあと何かいいことはあったか?」
「いいこと?うーん、何かあったかなあ」

何故かここに訪れる度に死柄木と黒霧は名前にこの日にあった悪いことと良いことを聞いてくる。新入りを仲間の輪に入れようとしてくれているのかな、と名前は呑気に考えているが、実際は名前の個性を見極めているだけである。知らぬが仏。知らずにいる方が名前にとっては、ある意味幸運なのかもしれない。

「何も無いのか?」
「突然言われても困るもん!
あ、そうだ!黒霧さん、烏を追い払ってくれた近所の方からお裾分けでお酒貰ったんだー!!今度一緒に飲みましょー!」
「……これ、なんなのか分かって言ってますか?」
「お酒!」
「それはそうですが。これ、ドンペリですよ」
「なぬ!?ホストとかでよく聞くアレ!?」
「しかも、その中でもこれは結構値が張るものです」
「へえ〜!!じゃあみんな集まった時飲もうよ!!」
「……勿体ないのでとっておきましょう」
「えええーーー!!ケチーーー!!」

ぶーぶーと名前は文句を垂れる。しかし、黒霧はそれを無視してお酒を棚に並べる。お裾分けで貰える代物ではないことを伝えたが、名前には全く伝わっていないようだ。このままでは何もわからぬまま彼女の喉を潤すだけのものに成り果ててしまう。それはとてももったいない。黒霧はそう判断して名前の手から離したのであった。

「ねえ、ねえ、仕事ないの?」
「まだ時は来ていない。しばらく待て」
「そう言ってここ最近ずっと何もしてないじゃん!」
「何もしてないのはお前だけで、俺は忙しいんだ」
「え!?私にも仕事回してよ!!」
「お前はまだだ」
「まだってなんだよー」

むうっと唇を尖らせる名前は、恐らく年下であろう死柄木から見てとても幼く思えた。純粋というか、警戒心がないというか、馬鹿正直というか。不運さえなければ恵まれた幸せな環境で過ごしているのだろう。そんな隙が彼女からは見え隠れしていた。

「適材適所というものですよ。貴方の役目はまだ先なので、暫くお待ちください」
「ちぇー」

あの面接の日から、落として割れたお酒の瓶たちは日に日に元に戻っていっている。それも、名前の不思議な幸運のおかげによるものだ。棚に並ぶお酒たちも以前並んでいたものと比べると、値も張るものたちばかり。黒霧は義爛の言葉の意味を徐々に実感していった。

名前はこの敵連合のアジトに来るまでの道のりの中で必ずと言っていいほど不運に見舞われている。そして、代わりに何かしら良いことを持ち帰ってくるのだ。例えば、偶然拾ったスーツケースの中身が大金だったり(名前は焦って警察に届け出ようとしたが、死柄木が止めた)、拾った猫が大富豪のペットでお礼に小切手渡されたり、何故か空からお酒が数本降ってきたというファンタジックな話さえもある。
その度に名前はボロボロになってこのアジトに現れるのだ。「黒霧さん、お酒だよ!」と言って。
彼女には「貴方のせいで棚に並べていたお酒が全てダメになった」という内容を遠回しに伝えた。その事に名前は酷く罪悪感を抱いたらしい。床にちらばった硝子の破片や床に広がる様々な色が交じった液体、強いアルコール臭に、しゅんと頭を下げて落ち込んでいた。子供のような癇癪を起こす死柄木に、口の悪い荼毘、頭のイカれたトガなどの相手をしてばかりのせいか、黒霧は名前の素直な反応に少し戸惑いを覚えた。
その日から、名前はお金やお酒を手に入れると黒霧の元に持ってくるようになったのだ。

「そういえば荼毘先輩は?」

名前は自身のお世話係として紹介された荼毘の姿を探す。お世話係ではあるが、名前は荼毘と顔を合わせた数は数回程度である。

「知るか」
「基本的に招集のかかった時以外は皆さん自由に過ごされてますから」
「そうなの?私も来なくていいの?」
「そうですね。招集の時以外でしたら」
「ええー、でもつまんないから来るね!」
「来なくていい」
「トム部長冷たーい」
「その呼び方やめろ」

もはや漫才のようなやり取りだ。しかし、死柄木も少しずつではあるが、名前に対する態度が柔らかくなっていっていることに、黒霧は気づいていた。
名前は子供がそのまま大人になったような人物だ。素直で騒がしくてバカで、誰に対しても臆することなくズケズケと距離を縮めてくるくせに、触れてほしくないことには触れてこない絶妙な距離感を保っている。それが、不思議と居心地がいいのだ。死柄木もなんだかんだで名前の存在を受け入れつつあるのだろう。

「あ、名前ちゃん!!」
「トガちゃん!!」

扉が開き、その場は一気に明るくなる。トガヒミコがアジトに現れたのだ。死柄木は舌打ちを零し、名前はトガとひしっと抱きしめ合う。それを黒霧は和やかに眺めていた。

「今日はあまり可愛くないです。血が足りないです」
「血?あー、今日は服がボロボロになっちゃったんだー!」
「でも、名前ちゃんは血がなくても可愛いです」
「いや、血は流れてるから大丈夫だよー!この体に血が流れてなかったら死んじゃうからね!」

全く噛み合う気配のない会話に、死柄木はうんざりと言わんばかりに見つめる。しかし、互いに不服そうな様子はないので、馬鹿と狂人だからこそ成り立つものなのかもしれない。

「ボロボロなのは確かです。替えの服は持ってきてないのですか?」
「それがね!!最初犬に追いかけられた時取られちゃったみたいで!!今日はついていない日の中でも特についてない!!」
「お前がついている日なんてあるのかよ」
「替えの服いつも持ってきてましたからね」
「うん!!困るのは自分だからね!!」

名前は自身の不運っぷりを自覚している。何年この不運と生きてきたと思っている。不運への対策は怠ることはなく、準備はしっかりと行っている。その中でも、名前は毎日外に出る時は服の替えを持っていく。理由は簡単、今回のようにすぐにボロボロになるからだ。

「近所で火事があった時、よく分からない原理で火の粉がこっちに降ってきたの。私は大丈夫だったんだけど着ていた服が全部燃え落ちるっていう、恥ずかしすぎる経験があってさあ…それから、服の替えは持っていくようにしてるよ!!」
「服だけって逆に器用だな」
「く…っふ…!」
「笑うなら我慢せずに素直に笑えよ、黒霧」
「わ、笑ってくれてる!!」
「何喜んでんだお前は。マゾか」

黒霧は名前に失礼かと思ってか、笑うのを耐えようとしているが声が漏れている。それを見て名前も嬉しそうにするのだから、死柄木は全く理解できなかった。

「それなら買ってくるといいじゃないですか」
「お金が…」

黒霧の提案に名前は肩を落として、小さな声で呟く。なるほど。替えの服と共に財布もとられたらしい。

「それなら、先日頂いたお酒の詫び代使ってもいいですから」
「え!?いいの!?」
「この調子だと揃えられそうなので大丈夫ですよ」
「わーい!ありがとう!黒霧さん!大好き!!」
「しかし使いすぎてはいけませんよ。またとられないように、無くさないように注意してください」
「はーい!!」

黒霧が差し出したお金を名前は喜んで受け取る。まるでお小遣いを渡す母親と子供のようなやり取りである。

「1人で大丈夫ですか?」
「大丈夫!ありがとう、トガちゃん!」

トガも名前の不運っぷりは理解しているようで、こてりと首を傾げながら心配の声をむける。その姿に名前はきゅんと胸を踊らせながら、トガを抱きしめる。
この2人は何が理由か分からないが、打ち解けるのが結構早かった。そのため、妙に仲が良く見える。

「じゃあ、いってきまーす!」
「気をつけるんですよ。階段から落ちないように」
「変な人について行っちゃいけませんからね!」
「お前ら子供にお使いを行かせる親かよ」

死柄木は呆れたように言う。黒霧はその言葉を聞いて、「しかし…」と名前が出ていった扉を指さす。そこから、どんがらがっしゃーんと派手な音と共に「ぎゃーーー!!」と可愛くない悲鳴が聞こえた。

「ほら、出て行ってすぐこれですから」
「はあ…」