有栖川有栖 | ナノ
愛すれば

真昼間、花見をしようとアリスが提案した。
季節外れに何をいってるんだ? 掲げた疑問を俺はそのまま口にする。アリスは眉根を寄せて、「風情のないヤツ」罵った。風情も何も。この真夏。花見をするに値する絢爛豪華な桜でも咲いているというのか。

酔っていたんだと思う。
もらい物のボトルを開けると、アリスは感激したように目を輝かせた。これは、いける。酒の肴が欲しい。何か面白い話を出せ。笑いながら、わがままを並べ立てる彼の横で、俺は適当に相槌を打ちながら、ちびちびグラスのアルコールを舐めた。大学が夏休みに入る間、教授をはじめとする大学関係者はさぞかし暇を持て余していると思われているが、実のところ、夏休みだからこその仕事も発生する訳で、世間の思う程決して暇ではないのだ。そんなことをつらつら語ってやった気がする。アリスは聞いているのかいないのか。
「ほんまに綺麗な琥珀色やな」
左手にグラスを傾けてひとりごちた。やはり、聞いていなかったか。俺は嘆息して、癖のない彼の髪を掻きまぜた。気持ちよさそうに目を細める。まるで、人慣れした猫だ。
「何か話せって言ったのはお前だろ。俺の話より酒かよ」
「こんなうまい酒飲んだ事ない」
昼に飲むからだろう。うまさもひとしおと言う訳だ。
「そりゃよかった」
「お前も忙しい忙しい言うわりには、よう俺の事呼び出すやないか」
気鋭の若手作家も結構忙しいねんで。
ようやく新作の短編小説が脱稿したという彼は、心持、弛緩しきった表情をみせつけている。プレッシャーと孤独な作業からの解放が、思う他、彼をのびのびとした自由な気持ちにさせているらしい。ソファーで組んでいた筈の足はいつの間にか解かれ、身体はゆっくりとスプリングに落下した。
「仕事は嫌いやないけど、終わった時の解放感ったらないな。歌でも歌いたくなる」
「歌えよ」
「冗談」
「知らなかったか? この家は実は防音なんだぜ。ちなみに俺は耳栓を持っている」
「失礼なやっちゃなぁ。ほんま」
「自由を満喫してる若手作家先生が羨ましくてね」
アリスの様に切羽詰まったスケジュールをこなしている訳ではないが、その分だらだらとやるべき事が押し寄せてくる夏は中々好きになれない。アリスは「ふぅん」と小首を傾げて俺を見ると、今度は自身の腕時計を見遣った。
「ほな、行こか」
「行く?」
「花見」
冒頭に戻る。

「お疲れ気味の火村センセにつかの間の安らぎをと思ったんやないか」
「それで花見か?」
「風流な日本人っぽいやろ」
「咲いてる花がありゃあな」
「まだ言うか」
「季節外れの桜に出会えれば感極まって涙するかもな」
「あ、それ見ものやな」
「……」
「怒るなや」
違う。怒ってなどいない。でも、どうせなら、せっかくの空いた時間を恋人の乱れる姿をベッドの上で見ていたいとも思う。だからこそ、細切れの時間を縫って、彼を呼んだのだ。癒されたい。それを言えば、彼は、「それしかないんか。お前の脳みそには」と毒づくに決まっているが。
俺には花を愛でるより、アリスをめいいっぱい可愛がっていた方がずっと有意義だ。疲れも忘れる。−と、ひとり思案していた所で、アリスは車を停めた。
「ここやここ。降りよ」
「……」
随分車が田舎道へ入って行くなと思ってはいたが、助手席のドアを開けて、はっとした。それを見て、アリスが満足そうに口の端を上げる。
「どや。真夏も花見が出来んねんで」
ずっとはるか向こうまで続く青空に、真夏の入道雲が鎮座する。油絵の一種の様にも思える空の下。背の高い向日葵が一面に群生していた。皆が面を上げている。鮮やかな黄色は強すぎる程の生命力でもって、俺を圧倒する。
「……すごいな」
「穴場やねん。ここ。森下くんが教えてくれてな。絶対火村にも見せてやろ思ってん」
「……」
「感極まって涙してもええねんで」
「……。アリス。一つ疑問が浮かんだ」
「ん?」
「今、森下くんって言ったか?」
「うん? 言うたよ……」
ちゃうよ! ちゃう! 2人きりじゃ……。あ! そう、コマチさんも一緒やったわ!! ほんまやって。何やったら次会うた時確認して! のべつまくなしに口を動かすアリスは誤解を解こうと必死になる。その様子が愛しくて、俺もつい虐めたくなるから、性格が悪い。
「別の男と行ったデートスポットに俺を案内してくれた訳か」
「デート言うな。ちゃうっていってるやろ。いい加減信じろ」
「コマチさんには口裏合わせてもらったか?」
「火村!」
一面の向日葵から視線を移すと、アリスが涙目になっていた。ああ、またやってしまった。アリスの誠実が何より好きなのに、その誠実をわざと突いて、愛情を確かめたくなる。
「悪い。冗談だ。あんまりお前が必死になるから」
「……性格悪すぎやねん。そういうとこ、嫌いや」
「俺はお前のそういうとこが好きだ」
アリスが無ず痒そうな顔で、絶句する。次の言葉は決まっていた。
「いい気分転換が出来た。サンキュ」
「……ん。森下くんとは本当に何もないから」
「知ってる。この花達が証人だろ」
沢山の真夏の目撃者が俺達を見ている。
彼らに見せつける様に、自分のものだと牽制する様に、俺はアリスに口づけた。

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