「おはよ」
 目を開けたら一虎くんが隣に寝転んでいた。えっと、あれからお客さんとホテルに行って寝て、たしかその後夕方から一虎くんと会って飲みに行って……。それで、泊まっていってもいいよって言ったんだっけ。
 私も彼もちゃんと服を着ていた。乱れた様子は一切見られない。お互いだいぶ酔ってたはずのに手出さなかったんだ。
「……おはよう」
 まだ眠り足りなくて霞がかった頭をどうにかするために目を擦った。かすかすの呟きに彼が笑う。
「水飲む?」
「う、ん……」
「なんかまだ眠そう。もうちょっと寝る?」
「うん……」
「天気いいね」
「うん……」
「ははっ、脳死じゃん」
 今雨降ってるんだよ、って一虎くんはけらけらおもしろそうに言った。
「しかたねえなぁ」
 それからぐちゃぐちゃになった掛け布団を調えて私にかけ直し、空いたスペースにもぞもぞと入りこんだ。
「午後から天気持ち直すらしいからさ、今はもうちょい寝よ」
 ぽんぽんと一定のリズムで叩かれるのが気持ちよくて私はゆっくりとまた微睡みの中に引きずり込まれていった。


 数時間後、どちらからともなく目を覚ました私たちが出かけたのは水族館だった。「オレあんま来たことないんだよなー」一虎くんがチケットを片手にひらひらさせて言う。
「名前は? よく行ってた?」
「うん。子どものころだけどね。お母さんがよく連れてってくれた」
「へー、どんな人?」
「えっと、元気で、優しくて、いつも明るくて……」
「いいじゃん」
 今はもうぎくしゃくしちゃって長いこと連絡取ってないけどね、とはさすがに言わなかった。
 いつも明るい母が私の前で初めて泣いた日は、私の父親が家族という枠組みから外れた日。彼女は酷く取り乱していて、慰めようと近寄った私の手を叩き落とし、ただ一言ぽつりと「汚い」と呟いた。そのことを何年か経った今でもよく憶えている。あのころは自分ばかりが傷つけられたような気がしていたけど、大人になった今考えれば彼女は彼女で傷ついていたんだろう。全身全霊で愛した男に何度も浮気を繰り返された挙句何歳下かもわからないくらい若い女の元へと行ってしまった父とよく似た私に慰められるのは、彼女にとって現実を再び突きつけられるようで辛かったはずだ。まあ、自分が傷ついたからといって誰かを傷つけていい理由にはならないけど。
 もう随分連絡を取ってないお母さん。再婚相手と仲良くしてるんだろうか。私のことなんか忘れて幸せに暮らしてほしいな。
「……名前?どうした?疲れた?」
 一虎くんが私の顔を覗き込んだ。彼の言葉に笑って首を振る。
「まだ来たばっかりじゃん。大丈夫だよ」
「ならいいんだけどさ」
「はやく行こ。楽しみ」
 私が彼の手をとると、彼は顔色をひとつも変えないままその指を組み直してぎゅっと握った。な、慣れてるな……。自分からしかけたくせにとてつもなく恥ずかしくなってしまってさっきよりも少し早足ですたすたと歩き始めた私に「オマエ急ぎすぎ」と言って一虎くんがゆっくりついてくる。
「私イルカが見たいなぁ」
 鞄の中で震えるスマホに気がつかないふりをして笑った。きっと今夜のお誘いだろう。お手洗いに行ったときに確認してみたらやっぱりそうで、ふわついていた気分が一気に現実に引き戻される。見なきゃよかった。そんな気持ちとは裏腹に喜んだテンションを感じさせるメッセージを送信した。
 水族館を充分満喫して帰宅した後、私たちはさよならした。泊まってもいいか訊ねてきた彼は「いつも忙しいね」って言うだけでやっぱり何も聞いてはこなかった。
 お母さん、私身体も心も大人になったけど、やっぱり綺麗にはなれなかったよ。好きな人に好きだとも言えない意気地無しのくせに、他方では好きでもない人に愛を囁いているの。ほんとおもしろいよね。全然笑えないけど。

この心臓のはんぶんは
もうきみの色をしている

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