「名前が来てくれてホント助かった〜」
 お礼にここは奢るから、と耳元でこっそりとそう言って笑みをこぼした友人に私も笑顔を返した。
「いいよこれくらい。人数アンバランスだもんね」
「そうなの。でも急だし誰も捕まらなくってさぁ。マジで感謝しかない」
「あはは、そんな大袈裟な」
 そんなことを二人でこそこそと小声で喋っていると、テーブルにやっと飲み物が運ばれてきた。待ってましたといわんばかりに目の前の男の子がジョッキを掴み持ち上げる。「それじゃあ乾杯!」という元気のいい音頭とともにそれぞれの杯を手に取る。私もそれに倣うようにして目の前のグラスを持ち、みんなの飲み物にカチンと合わせた。
「それにしてもさぁ」
「ん?」
 幹事らしい男の子が挨拶している最中に隣の彼女は「頼んだ側が言うことじゃないとは思うんだけど」とだけ前置きしてひそひそ話を続けた。
「彼氏、よかったわけ? 怒ってなかった? 彼女がこういう合コン行くの嫌がる人多いじゃん」
「あー……いや、べつに」
「ならよかった。そういうの許せるタイプなんだ」
「まあ数合わせだし、本気で探しにいくわけじゃないから……」
「へぇー、名前の彼氏ってたしか歳上だったよね。なんかそれ大人の余裕って感じがする」
 歳上の彼氏がいる生活というのを想像したらしい友人は「いいないいな〜」と一人悶えながらカシオレに口をつけた。
「大人の余裕ねぇ……」
 そんな感じじゃなかったけどなぁ、と誰にも聞こえないようにぼそりと呟いて私も同じようにグラスの中身を喉に流し込んだ。


 合コンの数合わせとして急遽駆り出されることになったから今日ちょっと出かけてくる。そう伝えた時の一虎くんの表情はまるで今から隕石でも降ってくるのかと思ってしまうほど深刻なものだった。
「寒かったら暖房つけていいよ。入浴剤買ってあるからもし使いたかったら棚から出して。ご飯は向こうで食べるから私が帰ってくるの待ってなくていいからね。好きなように過ごしてて」
 靴を履きながら伝えないといけないことだけ一通り伝えていざ出発しようとすると腰がグイッと引っ張られた。
「なに?」
「…………聞いてねぇんだけど」
「私だって今日突然言われたんだよ」
「だったらそんなの断りゃいいじゃん」
「困ってるみたいだったから断れなかったの」
 ごめんね、とその腕を腰から引き剥がす。
「幹事の子、私に彼氏いるって知ってるよ。ほんとに数合わせで行くだけだよ」
 数が合わなくてあぶれる人が出てきてしまわないためだけに呼ばれたただの調整人員なので美味しいご飯を食べてちょっと喋って帰ってくるだけだ。そんなにお酒を飲むつもりもないし遅くまでふらつく予定もない。
 伝えると一虎くんは少し黙った。これはいける感じかなと思っていたらパチッと力強い目と視線が合った。
「…………脱いで」
「え、ちょっ」
「お願い」
「待っ、離し」
「オイコラ脱げって」
 私の制止の声なんか聞こえない様子で一虎くんはスカートの端をぐいっと引っ張った。
「わかった! わかったから! 一旦落ち着こう! ねっ!」
 腰のあたりを抑えたままとりあえず宥めてみるけれどどうやら逆効果のようで一虎くんは私が何か言うたびにどんどんぶすくれていった。
「ふーん。名前はオレの言うこと聞いてくれねぇんだ。じゃあもういいよ」
 もしこれがベルドで留めるタイプのスカートだったら今ごろきっと苦しくて苦しくて仕方がなかっただろう。腰周りがゴムのスカートでよかった。と思った瞬間、布がずり落ちる感覚がして慌てて腰の辺りを押さえて座り込んだ。
「いや全然よくなかった! むしろ何がいいの!? 待って待って! お願い! ちゃんと話をしよう!」
「話? なんの? この期に及んでまだ言い訳したいの? したいならしてもいいけどオレはオレで勝手にするよ」
「もう! だから脱がそうとしないでってば!」
「付き合ってるんだからオレにはオマエのことに文句言う権利があんだよ」
「暴論!」
 床と足でがっちりとガードされたスカートはもうどうにもできないと悟ったのか、今度はターゲットを変更してシャツに手をかけてきたので私は必死にその手を上からバシバシと叩いて抵抗を試みる。
「一虎くん! 遅刻する!」
「もうほっときゃいいじゃんそんなの」
「引き受けた手前、はい無理ですってドタキャンするわけにはいかないでしょ!」
 数少ない友人の一人が困っているのだから助けてあげたいと思ってしまうのはしかたないんじゃないだろうか。そりゃ一虎くんの気持ちもわかるけど……。
「一虎くんだってこの前飲み会行ったじゃん」
「それは…………そう」
「付き合いだからって言ってたよね? だから私もうるさく言わなかったよね?」
「……うん」
「私もただのお付き合いだよ。友だちが幹事やってて困ってるからちょっと手伝うだけ」
 本当にそれ以外に他意はない。数少ない友人にめずらしく頼まれたから力になってあげたいと思った。ただそれだけだ。
「私が好きなのは一虎くんだけだよ」
「それは知ってる」
「でしょう? なのに他の人に目移りなんかするわけないよ」
「…………友だちの頼みなぁ……」
「そう! 私の数少ないお友だちの頼み!」
 一虎くんの手を取って「ね、今回だけは許してほしいな〜」とゆらゆら揺らす。何かを悩むようにしばらくの間唸っていた彼は、目を閉じてハァと溜め息を吐くと「いいよ」と言った。
「いい歳していつまでもごちゃごちゃごねるのもカッコ悪ぃし」
「ありがとう」
「その代わりさ、お願いがあるんだけど……」
「うん。なに?」
 一虎くんは「まず一個目は……」と指を立てた。


 そんな約一時間前のやり取りを思い出して私は自然と笑みが漏れてしまった。それを見逃すことなく「あっ、さっき彼氏のこと考えたでしょ〜」と少し酔いがまわり始めた友人が茶々を入れてくるのを笑って流す。
「幸せそうでなによりだよ、ほんと。名前、最近なんか雰囲気が柔らかくなったもんね」
「そうかなぁ」
「絶対そう! めちゃくちゃよく笑うようになったし、明るくなったっていうか話しかけやすくなった感じ? 前なんかはさぁ、すぐにこんな顔してたじゃん」
 友人は「今から名前のまねやるから」と言うと、にこにこ笑ってからスンっと真顔に戻ってみせた。自分でやりながらその場面を思い出したのかけらけらと笑う。
「そんなことしてない……」
「してたしてた! マジで完璧すぎる愛想笑いしてたから!」
「してない……」
「人当たりはいいのになんか怖い子って思われてたってば絶対! なのに彼氏できてからは丸くなっちゃってさ〜! 恋は人を変えるってホントだよねぇ」
「恥ずかしいからやめてって、もう。水飲みなよ」
「あーあ、私も彼氏欲しいなぁ」
「だから合コン開いたんでしょ」
 参加するにあたって一虎くんから提示された条件は三つ。まず一つ目に携帯の電源を入れておくこと。二つ目に二次会には行かないこと。そして最後に、帰る前に連絡を入れること。たったそれだけだった。
 男の子と絶対話すなとかお酒を飲むなとか言われるんじゃないかと身構えていた私はたったそれだけなんだと正直拍子抜けしてしまった。一虎くんもそれなりに社会を経験してきているからか、さすがに飲み会でそういう条件は厳しいと思ったらしい。
「…………まぁ、一虎くんは私にはもったいないくらいの人だよ」
「いつか絶対会わせてよね!」
「うん」
 そう返事をしながら、もしも会う機会があればきっとびっくりするんじゃないかなと思った。ペットショップで働いていて、そのうえ私がかわいいかわいいと言うせいか、おそらく彼女の脳内イメージとしては優しくておっとりとした男性像が出来上がっているはずだ。それがまさか首元にいかついタトゥーを入れた長髪の男だなんて夢にも思うまい。
 驚く友人と若干人見知りを発揮してよそいきの表情を浮かべる一虎くんのツーショットを思い浮かべてくすくす笑っていると違う席から移ってきた男の子が「こんばんは。楽しんでる?」と声をかけてきた。
「もうめちゃくちゃ楽しい!」
 さっきまで私の彼氏の話しかしてなかったくせに友人は目の前の男の子に目を輝かせてグラスを軽く持ち上げた。冗談めかしていたが今回こそ彼氏をゲットしたいというのはどうやら本当だったらしい。
 邪魔するのもアレだったので私は軽く挨拶だけして後はご飯でも食べていようと少し距離をとった。数合わせ要員としてはこの場にいるということ以外にとくにやることはないので友人がその人と楽しく会話しているのを横目に枝豆をもぐもぐ口に含んでいると突然声をかけられる。
「あっ、はい」
 顔を上げればぱちりと向かいの席に座った男性と目が合う。どこかで見覚えがあるなぁ、なんてそんなことを思ったその時、彼が「俺のこと覚えてない?」と自分の名前を口に出す。それを聞いて私は目を見開いた。
「市村くんって……」
「あ、思い出した? めちゃくちゃ目合ってるのに気づいた素振りねぇから忘れられてるかもってすごい焦ったわ」
「いや、その、ごめん。すごい変わってたから全然気がつかなくて」
「あははっ、冗談だよ。俺もほんとに苗字なのかちょっと自信なかったし」
 爽やかにそうやって笑った彼は「なんか頼む?」とメニューを差し出した。
「こういう場全然慣れてないし友だちはどんどん女の子に喋りに行くしで一人取り残されてたからさ、知り合いがいてよかった」
「ほんとにひさしぶりだね」
「高校ぶりだよな」
「うん」
 市村くんは私の高校時代の彼氏。つまり世間でよくいうところの元カレというやつだった。

凍て星はまだ

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