「千冬くん、一虎くんって毎日ちゃんと働いてますか?」
「松野さんな」
「あー……。えっと、まあまあ、かな」
「オイ千冬、余計なこと言うなよ」
「ていうか敬語付けなくていいよ。喋りにくくない? たぶんそんなに歳も変わらねえし」
「全然喋りにくくねえよ。なあ?」
「あっ、じゃあ千冬くんも私のこと名前でいいですよ」
「は? 何言ってんの名前。ダメだよそんなの。……呼ぶんじゃねえぞ千冬。名前が許してもオレが絶対許さねえから」
「じゃあそうしようかな」
「そうすんなっつってんだろうが!」
 一虎くんはテーブルの天板を叩き急に大声を出して叫んだ。耳がキンキンする。
「もう一虎くんうるさいよ。今私千冬くんと喋ってるんだから」
「千冬くんじゃねえだろ。松野さん」
「千冬くん」
「松野さん」
「千冬くんだってば」
 本人がそう呼んでと言ったのだから千冬くんで全く問題ないのにも関わらず、一虎くんはそれがどうにも気に入らないようで先ほどから何度も私たちの会話に茶々を入れては無視されてブツブツと文句を口にしていた。
 彼はこのままだと話が平行線をたどり続けてしまい自分の望む方向に私をもっていけないと思ったらしくあからさまにアプローチを変更してすりすりと擦り寄ってきた。
「ねえオレ名前が千冬のこと千冬くんって呼ぶのヤダ。オレのことだけくん付けで呼んで」
「ちょっ、やめっ」
「お願い名前、千冬のことは松野さんって呼んでよ」
「ねえ苦しい重い鬱陶しい!」
 ぐっと千冬くんから距離をとるように引き寄せられたかと思えば、回された腕がぎゅうぎゅうお腹に食い込み始める。肋骨が……。
 恥ずかしいのと暑いのと苦しいのとでじたばた脱出を試みるも背中から覆い被さるように体重が載せられている状態では重くてとても身動きがとれそうになかった。ぬいぐるみか何かかなんだろうか、私は。
「いつもこんな感じ……?」
 若干引いた目で千冬くんがこちらを見つめてきたのでぶんぶん首を横に振る。さっき仲直りしたばかりだからちょっとテンションが上がってるだけだと思うんだけど。
 現在進行形で羽交い締めもどきをされていてもなお、そんな彼のことをかわいいなと思ってしまうので私はもうだいぶ末期だろう。でもここは二人きりの空間ではない。そういうところの常識は持ち合わせているつもりなので私は心を鬼にして一虎くんを見上げた。彼はそれに気がつくとにこりとして「どしたの?」と微笑んだ。かわいい。いやいや待って。心を鬼にしないとダメなんだから。
「もうほんと暑いし苦しい。なにより人前でこんなの恥ずかしいからやめて。離れて」
「は?」
「だから、」
「名前まさかオレのこと恥ずかしいって思ってんの? 思ってねえよな。どっからどう見たってどこの誰に出しても恥ずかしくないいい男だろうが」
 「それはマジでない。マジでねえよそれは」と真顔の千冬くんが即座に返事をした。それに対して「うるせえんだよオマエは!」と一虎くんがギャアギャア噛み付く。一刀両断されてるしここで私が千冬くん側についたらなんだかかわいそうだったので「そういう意味で言ってないよ。一虎くんはちゃんとかっこいいよ」ととりあえずフォローしておいた。
「でも時と場合を考えてほしいなっていう気持ち」
「……なんでも許すっつったくせに」
「ごめんね。私だけならちゃんとゆるすよ。でも人に迷惑をかける場合はべつ。容赦なくパーで殴ります」
 千冬くんが私たちのやり取りを聞いて溜め息をついた。
「……名前ちゃん、この人のどこが好きなの?」
「全部だよな」
「一虎君は黙っててください」
 全部に決まってんだろうが、と思い出したかのように一虎くんが再度突っかかり始めたので、千冬くんが買ってきてくれたお惣菜パックの中から唐揚げを一つ箸で摘んで口の中に放り込んであげる。意外と大きかったのか「ありがと」と言うとすぐに静かになってもぐもぐ食べ始めた。そんな一虎くんを指さして千冬くんのほうを向く。
「こういうところ」
「…………」
「名前、次」
「はいはい」
 あー、と口を開けた一虎くんに促されてもう一つ唐揚げを摘んだ。そうして言われるがまま餌付けみたいな行為を繰り返していると、どんどん千冬くんの眉間の皺が深くなっていく。
「なんだかかわいく思っちゃうんですよね」
「…………」
「猫みたいじゃないですか?」
「………………そんな平和なモンじゃねえだろ……」
「平和なモンだよ。オレ名前には優しいし」
 千冬くんは一虎くんのほうを一瞥してから何か言いたげに私に視線を移した。なんか深刻そうな表情で、今にも両手を合わせてご愁傷さまですとか言い出しそうだ。じっと見つめあっていると一虎くんが私の肩の上に顎を乗せるのをやめてふいにこちらを覗き込んだ。
「な、なに?」
「オレのだもんなー」
 目を細めて低く呟き首元に顔を寄せた次の瞬間、鈍い痛みが走る。「いったあ!」え、噛まれた……? 突然のことに頭が真っ白になってしまい思わず握りしめた拳のまま反射的に腕を振るった。
「だからTPOわきまえてってば!」
「痛ってえ! オマエついさっきパーって言ってただろうが!」
「自業自得だろ……」
 それから私は千冬くんと場所を変わってもらい絶対に一虎くんに近づかなかった。彼はしばらくつまらなさそうにしていたが胸のつかえがおりたのかなんなのか少し経ったら何もかも忘れたようにケロッとしていて千冬くんに絡むことも無くお惣菜をひたすら食べるマシーンと化していた。私が振り回されてへとへとになっただけだ。なんだったんだよもう……。
 ちなみにこれはその後の話だが、一虎くんの猛抗議により結局私は千冬くんと松野さんの間をとって彼のことを千冬さんと呼ぶことになった。

マーマレードをはらんだ瞳

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