『今日行っていい?』
 起きてすぐ、スマホを開いたら2時間ほど前に一虎くんからの連絡がきていた。どうやら結構寝ちゃっていたらしい。返事をどうしようか迷っているとちょっと前に脇に挟んだ体温計がピピッと鳴ってやっと測定が完了したことを報せた。数字をみてため息を一つ零し私は画面にキーボードを起動させる。
『ごめん。無理。こないで』
 そんな文面を送り終えてからちょっと冷たかったかなと思ったけど送信は取り消さない。だってこうでもしないと一虎くんはなんだかんだ理由をつけてやってこようとするから。私は一虎くんに強請られると断れないので変に交渉を始められるくらいなら可哀想ではあるけど最初からはっきり断ったほうがめんどくさいことにならずに済む気がする。
「うわっ、すぐ既読つけるじゃん」
 はっきり断ったのになんだかめんどくさい予感しかしなかったので、もう絶対夜まで見ないぞと決心して私は彼とのトークルームのタスクを切りスマホをマナーモードへ変更した。
「あー……だるい……」
 何か食べなくちゃいけないとわかってはいるけど食欲はなかった。かといって食欲が復活するかどうかといったらその気配はないし、そもそも薬だって持ってないのでべつに食べなくても平気だろうと勝手に結論づける。テーブルの上で何度も光る画面に罪悪感を感じながらも、元気になったらちゃんと説明しようと内心で謝るだけに留めて、私は目を閉じた。


 おでこに何かひんやりしたものが当たって意識が浮上した。じんわり冷たさが広がって気持ちがいい。なんだろうこれ。長くて細い指。誰かの手の平。
「…………おかあ、さん……」
「誰がオマエの母親だよ。寝惚けてんの?」
「………………ん?」
 声が低かった。あれおかしいな、お母さんはもっと……と考えたところである可能性に思い当たって私はバッと目を開いた。
「え!? なっ、なんでいるの!」
「うるさ……」
 耳を押さえ心底迷惑そうに眉をしかめた一虎くんがそこにいた。え、ほんとなんでいるの? 鍵かけてたのに。
「私来ないでってちゃんと連絡したよね?」
「うん」
「じゃあなんでいるの? え、鍵は?」
「スマホ見れば」
 顎をしゃくられたので促されるままにテーブルの上のスマホに掴んで画面をつけるとそこには一虎くんからのメッセージがいくつか残っていた。『なんでだめなの』から始まり、その『なんで攻撃』が幾度か続いたその後、『なんか怒ってる?』『オレなんかした?』が送られてきていて、ああでもないこうでもないといろんなことに対する謝罪の文章が繋がっていた。ねえ、ちょっと待ってよ。冷蔵庫のアイス食べてたの? 全然気づかなかったんだけど。
 そうして一通りの謝罪が終わり、一虎くんとのトークルームは『なんで返事してくんないの』『オレのこと嫌いになった?』の二連から少し時間が経った後、『行くから』というメッセージで締め括られていた。
「流れわかった?」
「う、うん。理解した……」
「あと、鍵はちゃんと合鍵使ったから」
「あっ、そっか。そうだよね」
「オマエさっきオレがドア壊したとかピッキングしたとか失礼なこと考えてただろ」
「……ごめん」
「そこは否定しろよ」
 一虎くんはぶすっとむくれた。もう一度ごめんねと謝るとそっぽを向きながら「許すけどさ」とだけ返ってきた。
「もしかして拗ねてる? かわいいね」
 いつか私が言われた言葉をつい口に出すと一虎くんはそれに気がついたのか恨みがましい目でじとっと見てきた。
「……オマエが悪いんだろ。体調悪いんだったら言えよ」
「だってうつしちゃったら駄目じゃん。私はまだどうにかできるけど一虎くんは職場に迷惑かかっちゃうでしょ。だから変に心配させて家に来られたら困るなって思って言わなかったの。もう手遅れだけど」
「……だからって、伝え方ってモンがあるだろ」
 初めて聞く声色だった。一虎くんはそのままぼふっとベッドに突っ伏した。ピアスの音が鳴らなくて、なんでだろうと思って見てみたら彼の耳にはいつもつけているあの鈴がなかった。
「一虎くん怒ってる……?」
「なんでそう思うの」
「私が連絡見なかったから」
「不正解。次」
「えー……私の文面が冷たかったから」
「まあたしかにそれもあるけど違う。次」
「違うの? えっと、じゃあ、私が理由を言わなかったから?」
 一虎くんは大きなため息を吐いた。
「…………もういいよ、それで」
「いいの?」
「いい」
 全然これっぽっちもいいなんて思ってないだろう様子で一虎くんは呟いた。不服そうな物言いに思わず笑みを零してしまうとその空気を感じ取ったのか彼は突っ伏したまま身を起こした私の胴体をぎゅうぎゅう締め付けた。
「風邪引くと人間って弱るんじゃねえのかよ」
「まあ、そうだねえ」
「なのになんでオマエ弱ってねえの」
「よくわかんないけど、私よりも一虎くんのほうが弱ってるからかなあ」
 手を伸ばすと一虎くんは目線だけ上げて私の手に擦り寄ってきた。あ、かわいい。
「あ、かわいい」
「うるせえな。オレにそんなこと言うのオマエくらいだよ」
「うそだあ。こーんなにかわいいのに」
「ほんとうるさいオマエ」
 早く寝ろと額を押されたので大人しく再度ベッドに寝転がると一虎くんは「なあ」と言った。
「オレのこと好き……?」
「うん? 好きだよ」
「…………あっそ」
「付き合う?」
「まだだめだって」
「強情だなあ」
 私の腰に腕をまわしてしがみついたまま「一緒に寝たい」とぼそっと零した一虎くんに、もし風邪がうつっちゃったらどうしようと躊躇っていると、彼は「ごめん。やっぱ大丈夫」と笑った。ちぐはぐな笑顔。表情としては完璧に笑っているのに、瞳の奥は不安げに揺れている。いつもは強引なくせにこういう時に限ってそういうの狡いよなあ。これじゃあ簡単に弱っていられない。そう思いながら私は「どうぞ」と少し寄って布団の端を捲った。
「いいの……?」
「うん。いいよ」
「……ごめん。名前、しんどいのに」
 一虎くんがモゾモゾとベッドへと入ってくる。いつも一緒に寝ているのになんだか今日は遠慮がちだ。微妙にあいた空間が嫌で珍しく私のほうから一虎くんの胸に頭を押し付けた。ほんとどうしちゃったんだろう。
「こういう時はごめんじゃなくてありがとうでいいんだよ」
 結局、あれだけ悩んで返信したっていうのに私たちはいつも通りくっついてしまっている。きちゃったのは一虎くんのほうなんだから、後で風邪ひいても文句言ったらだめだからね。
「オレなんにもしてあげられなくてごめん」
「ううん。仕事終わってから急いできてくれたんだよね。ちゃんと嬉しかったよ」
「……うん」
「ちょっと寝たらさ、久しぶりに一虎くんのご飯が食べたいな。作ってくれる?」
「うん……」
「風邪うつしちゃってたらごめんね」
「……そういう時こそ、ありがとうでいい」
 そっか、ならありがとう。そう小さく呟けば、彼は「どういたしまして」と私の頭を抱きしめた。
 ああやっといつも通りだ。私は一安心して息を吸った。一虎くんはどこか優しい香りがした。

きみのやさしいを咀嚼する

prev | next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -