某日深夜。
 まだ真っ暗な部屋の中、たった一つのベッドの上ですうすうと穏やかな寝息をたてている女の顔をオレは何をするわけでもなくぼんやり眺めていた。


 苗字名前。歳は下。初めて出会ったのは夜の繁華街から少しだけ外れた場所で、ギラギラしたチンピラ崩れみたいなヤツらに絡まれているところだった。
 大声を出して汚く笑う男たちとそれに囲まれた若い女が一人。その状況は誰がみても明らかな面倒事で、巻き込まれないよう周囲の人間は視線を逸らして通り過ぎていく。暴力沙汰にはなってなかったし顔見知りでもなんでもねえし、泣き始めたら助けてやってもいいかな、むしろ早く泣かねえかなくらいに思いながら、オレもその他大勢と同じくそれを遠巻きから見ていた。
 程なくして表情を変えることなく無視をし続けていた女に業を煮やしたらしい男のうちの一人がその腕を掴んだ。
「……離してください」
 彼女は助けを求めるようにそっと周りに視線をやって救難信号を受け取ってくれる相手が誰もいないことを知るとすぐにそれを地面へと落とした。男と男の合間から女と一瞬目が合ったとき、オレは背中に氷水をぶっかけられたみたいな気分になった。その目を、その目に映る感情を、オレはよく知っていた。
「いい加減に……」
 そう呟いて女がカバンを握る手に力を込めたのと同時、オレは気がつけば彼女と男たちの間に割り込んでいた。そしてそのままの流れで名前の家に転がり込んだ。手を出すつもりも長居するつもりもなかった。ただこのままじゃダメだと思った。


 時が経つのは早いもので、あの日見ず知らずの他人同士だったオレたちはこうして一つのベッドを共有するまでになった。
 むにゃむにゃとよくわからない寝言を呟く名前の顔は穏やかで、化粧を落としたからかいつもよりもずっと幼かった。そんな幼さに全く似合わない痣が陣取っている。オレは力を込めないようにそっと指を這わせた。
 初めて出会ったあの日、もしもオレが助けに入らなかったらきっと手に持っていたカバンを思い切り男の頭にお見舞いしてやっていたんだろう。そしてその後待ち受ける結果を名前は仕方のないこととしてあっさり受け入れたはずだ。
「……ハハッ、ガキみてー」
 柔らかい肌に指の先を滑らせながらオレはあの目を思い出す。人の汚いところを知っている目。諦めを通り越した果てにある、誰にも期待していない、自分を助けられるのは自分だけだとよく理解している目。あれは、手負いの獣に酷く似ていた。
 名前はよく笑うし、小説や映画なんかでは泣いたりもする。怒った顔にも困った顔にも結構なる。もう大丈夫なんだとオレはその度に安心してきた。だけど結局、あの目はまだ残っていた。オレに傷つけられたときもボロ雑巾のようになって一人公園のベンチに佇んでいたときも未だに名前のなかに存在していた。
 名前はたぶん早く大人にならないといけなかった人間だ。誰かへの頼り方も傷つけられたときの正しい感情の表し方も何もわからないままただ必要だったから心も身体も置いてけぼりにして大人になってしまった。たまに出る子どもっぽい笑い方が似合うだけに、そう考えるとなんだかやるせない気持ちになってしまって、オレはその気分を逃がすように名前のほっぺたを指で摘んだ。するとコイツはそれに気づいたのか身動ぎして薄く目を開けた。
「……ん……かずとらくん……」
「なに」
「寝れないの……? いまなんじ……」
「知らね。けどまだ起きる時間じゃねえよ。寝てな」
「……いや、おきるよ……かずとらくんおきてるし……めざまし、かけてたかしんぱいだし……」
「いいから。寝過ごしそうだったらちゃんと起こしてやるから」
 布団を首元いっぱいまで引き上げてその上からポンポン叩くと名前はまだちゃんと開いてない目を垂れさせてふにゃふにゃの顔で子どもっぽく笑った。ややこしいことを何も考えていないときの笑い方。
「一虎くん」
「なに。まだなんかあんの? 大丈夫だって」
「ううん。ありがとう。だいすき」
 名前はおやすみと呟いてから数秒後、残されたこっちの気なんか知らずにまた呑気に眠りについた。
「……おやすみ、名前」
 溜息を吐いて、オレも再び目を閉じることにした。明日もまたこの笑い方をさせてやりてえなと、そんなことを思いながら。

青い夜のゆくえ

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