「それから、ほどなくして彼女は死んだ」
 死。その穏やかな声色からは想像もできないほど重たい言葉を彼はぽつりと呟いた。
「……そう、でしたか」
 その言葉の響きに慣れていないわけではない。
 既にばれてしまっているか、もしくはばらされてしまっているのかもしれないけれど、私だってかつては審神者の端くれだったのだ。いかに戦場から離れたところで指揮を執るとはいえ、この情勢では本丸だってもはや戦場と何ら変わりはないことも、結界を破られてしまえばあまりに容易く殺されてしまうことも知っていたし、実際に私も片手で数えられないくらい"そう"なってしまった人たちのことを聞いていた。
「人の命は風に煽られる灯火のように儚く呆気ないものだとわかっていた。俺はこの長い年月の間でそれを学んでいたからな。俺とは流れる時間が違うものだと」
 伏せられた睫毛がその瞳に静かに影をさす。
「ただ、受け入れがたかった。齢も齢だったからな。まだ年端もいかない少女が死ぬとは考えていなかった。戦時であるというのに、俺の考えが甘かった」
 彼は落ち着いた表情のまま淡々と自分がどのような過ちを犯したのか、そしていかに甘い考えを持っていたかを話していく。時折私の相槌が挟まって会話は至極平穏な様子を保ちながら進んでいた。
 なのに何故だろう。部屋の雰囲気と反対に、私の身体は苦しくなるくらい緊張していた。まるで戦場に放り出されたように、身近に潜む危険に身体が備えようとしているように。
「主が亡くなってすぐに後任がやってきた。彼女が慕っていた審神者だった。たしか自分の本丸と両立させると言っていたな」
「本丸の両立ですか……?」
「難しいことだが不可能ではないだろう。政府から咎められることもなかった」
 「それにしても恐ろしいものだ」と瞳を閉じるその姿はさすが天下五剣としか言い表せないほどの気品を感じた。堕ちてもなおその輝きが失われることはないらしい。
「人とはなんと醜いものかと思ったものよ。そして俺は自らの甘さに辟易とした。全ては俺が招いたことだった」
「……どういうことでしょう」
 私は自分が怪訝そうな顔つきになったことを自覚していた。何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。意図が浮かび上がってこない。
「主は宴の後から突然起き上がれなくなった」
「だからそれはどうして……」
「病だ。昨日まで元気だった人間がたった一夜で床に伏せった。自分のことだから自ずとわかったのだろうな。主は昔から聡い子どもだった。部屋に俺を呼んで自分の代わりは幾らでもいるのだからいなくなったとしても気にしないで欲しいと言った。そして俺たちには代わりがいないのだからどうか折れないでくれと願った」
 だが、と彼は続ける。表しようのない不安と緊張で身体が強ばっていく。
 何かが、おかしくなっていく。
「後釜の審神者はそれはそれは酷いやつであってな。あやつのせいで皆が折れていった。面々がほとんどいなくなった頃に俺はようやく気がついたのだ。主が慕っていたあれは表向きで、内心では主のことを憎らしく思っていたことに。いや、初めのうちは本当に親しく思っていたのかもしれないが、人の心とはわからないものだな。何かの拍子に豹変する。あれは俺の主に呪を盛ったのだ。疑惑をもってすぐに少しばかり脅してやれば吐かせるのは簡単だった。俺が欲しかったのだと、そう言っていた。若くしてすぐに俺を手に入れ、自分よりも上の位へと昇格した彼女が妬ましかったとも言っていたな」
 主が死んだのは自分のせいだと、彼がそう話した理由を私は得心した。
 彼は自分の価値をよく理解している。その存在に拠る羨望も嫉妬もよく知っている。だけれども彼はそれらの程度を軽くみていて、自分の主に限ってそんなことないだろうといった甘さがあって、それが主を殺した原因だということだろう。誕生日に彼女の先達を宴に招待したのも彼ということだったし。
「なによりも痛かったのは主の健気さよ。幼い娘が自身の死を感じ取り、自分の代わりは幾らでもいると言ったのだ。それが何よりも辛かった。ああ、いたわしい。可哀想に。代わりなどいるわけがない。自分たちにはお前しかいなかったというのに……」
「じゃああなたはその人と仲間のためにここに?」
「主は死ぬべきではなかった。あの男の無茶な采配に散っていった仲間もまた折れるべき運命ではなかった。であるならば取り戻そうとするのは当然のことだ。そう思わないか」
 その問いかけに私は首を傾げてみせた。
「さあどうでしょう。私にとっての当たり前とあなたにとっての当たり前は違いますから」
「俺は帰りたいのだ、あの頃の本丸に。あの幸せだった頃の生活に」
 何かが少しずつずれていく。
 彼はもう私の話なんかきっと聞いちゃいないだろう。それでも私は会話の体裁を保たなければならないというある種の責任感のようなものから相槌を打った。
「そうですね。わかりますよ。私ももしも帰れるのなら帰りたい場所がありますから」
 三日月さんは私の言葉に何度も頷いた。そうだろうと頷いて――
「今度こそ俺が幸せにしてやろうな」
 そうやって言って笑った。
「え?」
 この男は、今なんと言った?
 何かとんでもないことがその口から零れたような気がしてはっと視線をあげる。瞬間、背筋に悪寒が走った。
 今までずっと俯いてただ頷ずくばかりだった彼がこちらを向いていた。翁の面のように美しく弧を描いた瞳と目が合った。
 駄目だと脳内で警鐘が鳴る。逃げなければ。ここから今すぐ逃げなければ。そうではないと。そうではないと、
 彼の腕がすっとこちらに伸びた。決して良いことではないとわかっているはずなのに、私はただそれをスローモーションのように眺めていた。
 まばたきを忘れ、息が止まって、それで――
「待った待った! 身内の殺し合いは無しって決まりじゃなかったか?」
 飛び込んできた声で止まっていた時間が再び流れ出した。
 三日月さんの手は私の顔のすぐ横にあった。その元を辿っていくと、真っ白な鞘が軌道をそらすように彼の腕に当てられていた。
 もし、もしも、軌道が逸らされていなかったら……。最悪の事態が起こったことは間違いないだろう。それを想像して頬に汗が一筋流れた。
「まあその様子じゃ殺し合いなんてものじゃなくてもっと一方的なやり方になりそうだが」
 この場の雰囲気にそぐわず、陽気に口笛を吹いて鶴丸国永は鞘を腰に納めた。
「それにしても、いやぁ驚いた。三日月がどこかへ行っちまったと上が騒いでたもんだから探しにきてみれば新入りにちょっかい出してるなんてな」
 蜂蜜色がちらりとこちらを一瞥する。
「きみがいなくなったせいで上は俺の監督責任やらなんやらを問おうとしてるんだぜ。とばっちりを喰らうのはごめんだ。さっさと帰ろう」
 文句を言いながら鶴丸国永が三日月宗近の腕を掴む。三日月さんは不服そうに唇を尖らせた。
「流石の俺でもさっきのは痛かったぞ、鶴よ」
「そりゃあ思いきりぶん殴ったんだ。少々痛がってくれなきゃ俺の面子が丸潰れってもんだぜ。ほら早く。きみの愛しの彼女も待ってる」
 なかなか動かない三日月さんに業を煮やしたのか、鶴丸国永は部屋の戸までずるずる彼を引きずっていく。私に手を出そうとした彼はさっきまでとは打って変わって幸せそうな表情を浮かべている。その豹変ぶりにドン引きしていた私に鶴丸国永が笑った。
「迷惑かけて悪かった。もしきみに感謝の気持ちがあるならあいつに礼を言っておいたほうがいいぜ」
 去っていく二人の姿が見えなくなるまで放心していた私ははっと我に返って、襲われかけた時に床に落として割ってしまった湯呑みの欠片を拾い上げ始めた。
 ああ、可哀想に。私に度胸がないばかりに申し訳ないことをしてしまった。
 しゃがみこんだまま大小様々な大きさになってしまった欠片に向かって懺悔していると、今度は頭上から声が聞こえた。いったいお次はなんなんだと、そのままの姿勢で顔を上げればすぐ傍で加州清光が私を見下ろしていた。情けないことにどうやらさっきの出来事のせいで感覚が鈍くなっているらしい。普段なら気づいていたはずの接近にも気がつけなくなっているようだ。
「大丈夫じゃなさそうだね」
 そんな私の様子に清光は溜息をついて隣に腰を下ろした。鋭利な指先で私を傷つけないように配慮しているのか頬を腕で拭われる。
「すごい汗だよ。顔も真っ青だし、ほら指も震えてる」
「…………殺されるかと、思った」
「あっそ。そんなんじゃまだまだ前線は無理だね。よかったじゃん。生きてて」
 呑気な調子の声で撫でられていると段々気持ちが落ち着いてきて、私はぽつりぽつり言葉を発する。 「鶴丸さんが入ってきて」
「うんうん。連れていってくれた?」
「うん……」
「よかった」
「…………あの、鶴丸さんを呼んでくれて、ありがとうございました」
「いいよ。逆にごめんね、早く行けなくって。危ないなって思ってはいたんだけど、俺がいたってきっと勝てないからさ」
 「一緒に拾ってあげる」と、彼は指でちまちまと欠片をちりとりの上に乗せ始めた。その鋭い指先が欠片を拾い上げるたびに擦れて綺麗な音をたてる。
「怖がらなくていいよ。たぶん向こう数週間くらいはちょっとやそっとじゃ出てこられないだろうから」
「……罰、ですか」
 私の相槌を彼は鼻で笑った。
「まさか、あれを人間如きが管理できると思ってる? せいぜい足止めくらいだよ、できたとしても。あの人が本気で外に出ようと思ったら誰であっても止められない。あの人の枷になれるのはあの人の主だけだよ」
「三日月さんは主さんのこと忘れてしまったんでしょうか。あんなにも懐かしそうに語っていたのに私のことを彼女と見間違えたみたいな様子で……」
「それはわかんないけどさぁ、あの人は俺たちとは決定的に違うからね。俺たちはどうにかしたい何かがあってそのためにここにいるけど、あの人にはそれがない。言いたいこと、あんたにわかるかなぁ」
 つまりね、と彼は続ける。
「夢をみてるんだよ。相手が誰だとか自分がどうしたいとかそんなのじゃなくて、幸せだったある瞬間がただ変わらないまま永遠に続けばいいって願って、その願いをひたすら叶え続けているだけ。良くも悪くもならないただの"あの日"を再現し続けて、懐かしく思えたらそれでいいんだよ、きっと。俺はそんなのごめんだけどさ」
 彼は私の様子に、心配しなくていいと笑う。
「絶対に数週間は出てこないから。賭けたっていいよ。でもまあ、あの人の部屋に近づくのはやめておいたほうがいいかもね。毎日が宴で、きっと楽しいだろうけどさ」
 彼はふと自身の記憶に残る懐かしい何かを思い起こしたようだった。懐かしむように目を細める。
 三日月宗近が部屋から出てこない理由について、あるいはその可能性について思い当ってしまった私は弾かれたように加州清光の方を向いた。彼はそんな私の様子を面白がってけらけら笑った。
「用意された役で毎日毎日同じ台詞ばかりのごっこ遊びなんてやりたくないでしょ」

三日月宗近の話

2021/04/23

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