ひとりきりを超えてもうわたしすらいない

 ある日の昼下がりのことである。
 私は跪き、顔を床へと伏せていた。
 そのままの姿勢でちらりと窺った向こうには呪われる可能性を鑑みてなのだろうか、なにやらびっしりと文字が書かれた札が張り付けられた面で顔を覆った人間が数人立っていた。そして彼らと同じような札を頭部にそのまま張り付けられて椅子に座らされている木製の絡繰り人形がこれまた数体ほどがこちらを見ていた。
 そのうち一つの人形と視線が合う。不味かったかと思いすぐに目を逸らすと、そんな私の様子に気づいた人形は少女の声でけたけた笑った。
「恐る恐る見やんといて。そんなに仰々しく縮こまれると、なんやえらいいじめてしまったような気持ちになって複雑やわぁ。組織や言うてもうちらは身内なんやからそんなに気ぃ使わんでもいいのに」
 私が黙したままでいるとその人形は気にした素振りを見せずに「それにしても」と続けた。
「珍しいっちゃあ珍しい子。ここに呼ばれる子はみんなあんたの横におる子みたいに小さくなって震えるんが常やのに。気が強いんか、それとも肝が据わっとるんか。まあどちらにせよ臆さんいうんは頼もしいことやけども」
 「あんたもそう思うやろ」と人形に急に笑いかけられた私の隣の女の子は悲鳴混じりの情けない声で返事をしてさらに深く頭を垂れた。先ほどまでよりもかたかたと震えてしまっていて、横目で見ているとかわいそうになってくる。
 私たちとの温度差なんかまるきり無視して、部屋に少女の愉快な笑い声が響く。舐められているのだろう。なにが「小さく震えるのが常」だ。わざとそうさせているくせに、と私は奥歯を噛み締めた。
 隣の子がおびえるのも仕方がないくらいこの部屋には尋常ではないほどの密度で霊力が満ち満ちていた。まるで変な気を起こしたら承知しないとでもいうように。そっちの方面はてんでだめな私ですらこれだけの圧力をひしひしと感じるのだから、もっと適正のある人間ならそれはそれは恐ろしいと思うことだろう。
「そんなに絡むな。底が知れるぞ」
 少女の姦しい笑い声を割ったのはしわがれた老人の一声だった。
「力のない者を弄んで楽しむとは……。いつまで経ってもまるで品というものを学ばんな。そんなことだからその席次から昇格できんままなのだ」
 車椅子の老人は呆れたと言わんばかりに溜め息をついた。言い方が癇に障ったらしく少女の人形はすかさず反論した。
「あらあら、自分のことは棚に上げてよう言うわ。この間一人戦死したからここまで上がってこれたくせに。おめでたいことやねぇ」
 誰が聞いてもあからさまな挑発に今度は老人のほうが我慢できなかったのか、青筋を立てて声を荒げた。
「俺を侮辱する気か。俺よりも下位のお前が」
「祝ってあげただけやないの。その席番、また空白にしたくないなら黙っとき」
「おやめください、お二人とも」
 一触即発の雰囲気になったそのとき、若い女がストップをかけた。この場にいる人間のうちたった一人の女性だった。
「御方がお話しになります。何卒、そこまでにしていただきますように」
 彼女はそう言うと自身の耳にその長い黒髪をかけた。面に貼られた札がひらひらと揺れる。まだ年若い紅一点にああそうか、と私は理解した。おそらく彼女が先日の歌仙兼定の主なのだろう。
 歌仙兼定の主の女性が発した一言によって、この場はおかしなくらいしんと静まり返り、空気が張り詰めた。呼び出された側の私たちだけでなく呼び出した側の人間たちも緊張しているようだった。そうした空気がしばらくの間続き、やがてカタカタと、先程まで一番上座にあったじっと項垂れていた人形が動き始めた。
 まるで現在進行形で誰かの魂が乗り移っているかのように徐々に動きを滑らかにしていくその絡繰りに間違いなく誰もが目を奪われていた。
 「アー、アー、あー」と、人形が声を発する度にノイズのかかっていた音が段々人間らしさを得ていく。そうして何度か喉を鳴らした後、
「――長らく待たせてしまってすまないね。調整に手間取ってしまった。よくぞ集まってくれた、我が同胞たち」
 そこから聞こえてきたのは、この場に最もそぐわないであろう穏やかな声だった。
「そんなに怖がらないでくれるかい。彼女の言う通り、何も君たちを取って食おうなんて思ってないさ。是非とも引き受けて欲しいお願いがあって呼んだだけだよ」
 彼は私たちに顔を上げるように言うと、申し訳なさそうに謝った。
「君たちが怖がるのも尤もだろう。本当ならこうして依代を通してではなくてちゃんと自分の身で話すべきなんだろうけれど、僕は本部の人間だからね。簡単にそちらへは行けないんだ。どうか許して欲しい」
 時間が惜しいと言って、彼はさっそく本題を切り出した。
「君たちは、たしか審神者だったね」
 私はその質問に「はい」と返事をした。そんな私に慌てたように隣の少女も続けて「そうです」と肯定する。
「そんな君たちにもう一度審神者に戻ってもらおうと思っている」
 目の前から落ち着いた笑い声が聞こえた。敵地へ潜り込むことはそれ即ち死地に赴くということだ。人形はそんな任務内容をまるでなんてことは無いように言い放った。
「事の詳細は後日伝えさせるよ。伝え終わったらすぐに出立してほしい。ああ、もちろん君たちが了承してくれたらの話だよ。それで、どうかな?」
 「引き受けてくれるかい?」その言葉に私たちはイエス以外に返答のしようがなかった。




 呼び出されてから数日後、思っていたよりもずっと早くに計画の詳細は届いた。
 簡単に言えば間諜だ。私たちが元審神者であることを利用し戦場で行方不明になって命からがら帰ってきたとでもしておけばいいと思ったのだろうか。
 役立たずの烙印を押され前線から遠ざけられたあの日からずっと、こんな穀潰しいつか切り捨てられるだろうと考えてはいた。でも、まさかこんな風に放り出されるなんて思ってもみなかった。こんな、まるで、捨て駒みたいに。いいや、みたいにじゃない。これは確実に捨て駒だ。ダメで元々。私たちのような戦えもしない下っ端が処理されたところで戦力としては全く腹は痛まないし、計画が上手くいって潜り込めれば情報が手に入って万々歳。おおかたそんなところだろうか。
 と、まあそういうわけで、私はここを去ることになった。
 荷造りはあっという間に終わってしまった。それになんだか悲しみを覚える。着の身着の儘飛び込んだようなものだったから元々持ち物は少なかったけれど、それでもここに慣れるまで何ヶ月もかかったというのに。
「行くの?」
 少ない荷物を担いでいると突然声をかけられた。ふとそちらを向けば軒下に座り込んでこっちに手を振る見知った紅い彼がいた。
「お久しぶりです。加州さん」
「久しぶり。風の噂で聞いたよ、間諜だって? 初めての任務にしてはなかなか難しいのを引き受けたんだね。自信あるの?」
「あんな状況じゃ断れませんよ。まぁ、嘘は得意なほうなのでなるようになれって感じです」
「呑気だなぁ」
 「あ、そうだ」と何かを思い出したように彼は呟いて私に手を出すように求めた。何をされるんだろうかと若干警戒しながら右手をそっと差し出すと、その上にちょこんと小さな折り鶴が乗せられた。
「……なんですか、これ」
「危ない危ない。鶴丸からあんたにもし会ったら渡すように頼まれてたんだった。御守り、だってさ」
「……ありがとう、ございます」
「また変なのに好かれたね。あんたとまだ話してないって言ってうるさかったんだよ。なに? なんかあった?」
「いえ、別に何も」
「まぁ、また帰ってきたときにでも気が向いたら聞いてやってよ」
「わかりました。よろしくお伝えください」
「うん。それじゃあ渡す物も渡せたし、俺はこれで。時間取らせてごめん」
「いえ、わざわざありがとうございました」
「俺も数日後に任務だからさ、お互い生きてたらまたね」
「そうですか。……さようなら」




 別れを終えて歩き出すと門の前で一緒に行くことになった女の子が見えた。彼女もこちらに気づいたようで、振られた手に振り返して合流する。
「では、これからこちらの機械であなたがたを戦場へと飛ばします。政府に保護され次第任務開始となります。よろしいですね」
 先日と同じく面を被ったままやってきた歌仙兼定の主はそう言って何度か機械のボタンを押した。すると先ほどまで黙ったままだった門が光を放ちながらゆっくりと開いていく。
 彼女は機械が順調に働いたことを確認すると私たちに向き直って手を伸ばし、手に持っていた簪を髪に差し込んだ。
「これは餞別です。ご武運を」
 私たち二人は礼を言ってから門に一歩踏み出した。あまりの眩しさに目を閉じるとすぐに土臭い匂いが鼻腔を擽った。驚いて目を開くと、そこには懐かしい光景が広がっていた。すでに背後にあったはずの門は跡形もなく消え去っており、もうどこにも澱みは見当たらなかった。

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