「やぁ、ご苦労さま」
 発せられた言葉を私たちは床に跪いて聞いていた。正面から相変わらずの視線を感じる。それを煩わしく鬱陶しく思いながらも私は大人しく下を向いていた。耳元で揺れる簪の飾りがこそばゆい。隣の少女が震えている。
「生きて帰ってきてくれて嬉しいよ、我が同胞。頭を上げてほしい」
 中央に座った人形がカタカタとぎこちない音を立てた。依代の向こうで声の主が笑ったのがわかった。その微笑みで場の空気が少しだけ柔らかくなる。
「戦場で彷徨っていたのでしょう? 可哀想に……。ゆっくり体を癒してくださいね」
「君たちには部屋を与えよう。戦場について、所感でいいから教えてほしい」
 張り詰めた雰囲気が緩むと、人形たちが次々労いの言葉と今後のことについて口に出し始めた。ああでもないこうでもないと人形たちによって私たち二人の処遇がトントン拍子で決まっていく。
 そうしてしばらくの間話し込んでいた人形たちはやっと満足したのかこの場で唯一生身の人間に「じゃあ僕らはこれで。あとは大丈夫だろう?」と声をかけた。話しかけられた男は静かに頷いたが、不満げに口を開いた。
「やることはわかってるさ。わかっているとも。でも、君たち本当に、俺一人に押し付けようとしてないかい」
「まさか。きちんとわかっておる。儂らは全員共犯者。じゃが、それもこれも世のため人のためであることには間違いなかろう」
「……本当に、いいんだな」
「構わないよ」
 中央の人形ははっきりと断言すると「頼んだからね」と改めて念を押していきなり糸が切れたかのように椅子にもたれかかった。他の人形たちもそれに倣うかのように次々と項垂れていく。
 男はその様子に深く溜息を吐いて、それから戸口の前に立ちじっと静観に徹していた薬研藤四郎を呼んだ。
「俺たち大人には責任がある。これは前々からわかっていたことだが……」
 彼はおもむろに話し始めた。
「子どもが生まれてからさらにそう思うようになった。呪われちゃ堪らないから名前は伏せるがね、可愛い子だよ。ずっとずっといつまでも綺麗なものだけを見て幸せに生きていって欲しいと思った。だから、どうか許してほしい」
 言い訳をするかのように彼は言葉を並べていく。そして最後を謝罪の言葉で締め括ると「頼む」と掠れた声で薬研藤四郎に言った。彼が頷いて私たちの前に立った。その花のかんばせで微笑んで、その細腕を持ち上げて――
「え、」
 そう発したのは隣の少女だった。それとほぼ同時に液体が勢いよく噴き出すような音とともにゴトリと重たい何かが床に落ちた音がした。簪の飾りが擦れ合いシャラリと鳴った。私のではなかった。
 私はそちらを見なかった。それは隣で何が起こったのかわかっていたからであり、こうなることを初めから知っていたからだった。彼女の震えは止まった。言えることはそれだけだ。薬研藤四郎はそんな私の様子を一瞥して、ただ「そのほうがいい」とだけ言った。
「じゃあ俺はもう戻るぞ、大将。こっちはいいんだろう」
「……ああ、その子は大丈夫だ」
 男が力なく頷くと薬研藤四郎は「じゃあな。おつかれさん」と笑って大人しく跪いたままの私の頭を軽く撫でていった。彼の白い脚に鮮やかな赤がよく映えていた。
「……君もご苦労だった。もう戻っていい。外に迎えが来ているはずだ」
「わかりました」
 私は簪を頭から抜いた。すとんと重力に従って肩に髪が落ちる。
「これを。おそらく発信機の類かと思います。盗聴機能はなさそうでしたが念の為然るべき部署に回してください」
「……わかった。そこに置いておいてくれ」
 私は静かに立ち上がった。早くここから去ってくれ、とそう思っているのがありありと伝わってきたからだ。
 床に転がるついさっきまでは少女だったものを見ないように気をつけて部屋から出ようとしたとき、彼はぽつりと零した。
「君は……どうしてそんなに平然としていられるんだ。長く一緒にいたんだろう。普通なら愛着が湧くものじゃないのか? それなのに……」
 私は努めて平然と言葉を口にのせた。
「仕事、ですから」
 彼はけして怯えてはいなかった。けれども心底恐ろしいと感じている目をして、まるで異物を見るかのようにして私を見つめていた。突き刺さるその視線が痛くて逃れるように外へ踏み出した。
 扉が閉まる瞬間彼が呟いた「化け物め」という言葉がやけに刺さって仕方がなかった。




「お疲れ様です。お待たせしてすみません」
 部屋の前で立ったまま窓の外を眺めていた山姥切長義に声をかけると彼は何も言わずに歩き出した。いつも通りだ。何も問題ない。彼の様子に一つも疑念を抱くことなく私は後ろをついていく。
 仕事は終わった。だから私も帰らないと。あの不自由な小さな牢獄に。自室に近づけば近づくだけ自由がどんどん遠のいていく。
 私たちはただただ黙って長い廊下を歩く。そうしながら、私はついこの間までの出来事を思い出していた。後悔の海に溺れる彼のことを。愛しさに耐えられなかった彼のことを。懐かしさを欲した彼のことを。約束に縛られる彼のことを。そして、未だ過去に苛まれ続ける彼のことを。
「入れ」
 短く促されるまま部屋へと歩を進めた。ドアが無愛想に閉められたのを確認して、部屋の真ん中に敷れた状態で放置されていた煎餅布団へと倒れこんだ。
「…………使命を、忘れるな」
 脳裏にぽつりぽつりと浮かんでくる彼らとの日々を、私は一つの瞬きで全て跡形もなく消し去った。ゆっくり息を吐き、目を閉じる。
 さようなら、可哀想なものたち。生きていてもいなくても、きっともう会うことはないだろう。
 どうか、許してほしい。化け物と呼んだあの男もきっとこんな気持ちだったんだろうな、と自分の感情を私はどこか他人事のように考えた。

苗字名前の話

2021/07/20

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