「美味かった」
 へし切長谷部はそう言って、静かに湯呑みを置いた。
 当然といえば当然なのだが最近ここにやってくる刀剣男士たちはみんなどこか不安定でおかしくて、その上私がお茶を煎れるのを当たり前だと思っている節がある。例えば、ついこの間命を救われる形になった紅い彼とか。彼も"私の命の恩人である"という大義名分を背負って遊びにやってくる。というか、高いお茶をせびりにやってくる。飲むだけ飲んでさっさと帰っていくかと思えば、ああでもないこうでもないと話し始め、やってきた他の刀剣男士を「お呼びじゃないんだよ」と追い返す始末。茶葉が減るばかりで全くお仕事にならないのでどうにかして欲しい。あれを上に毎月経費で落としてもらえるように頑張って言いくるめて請求しているのは誰だと思っているんだ。
「いえ、美味しかったならなによりです」
 私はにこにこ顔で返事をした。こうしてちゃんとお礼を言われると、なんだかこう、胸にじんとくるものがある。
「こちらもよかったらいかがですか?」
 私は空になった湯呑みを下げて、代わりに摘めるお菓子を差し出した。自分のために買ったものなので滅多に出さないのだが、彼には特別サービスだ。
 喜んでくれるかなと思ったのだがしかし、彼は申し訳なさそうに首を横に振っただけだった。
「悪いが結構だ」
「美味しいんですよ」
「いや、俺はここへ話をするためにやってきたんだからな」
 「誰かに話したい時くらいある」と彼は目を伏せてそう呟いた。
 それから少し沈黙が続いた。彼は言葉を選んでいるようだった。私はただ彼の様子を窺うだけだったが、暫く経って彼はぽつぽつと話し始めたので再度聞く側にまわる。
「……話の続きに戻るが、暫く経った頃に主と奥方は亡くなった。主は本丸襲撃の際に敵の流れ弾に当たり、奥方はその後を追うようにして病で息を引き取られた」
「じゃあ、へし切さんはそのお二人のためにここに?」
「長谷部でいい。……俺は、主が凶弾によって命を落としたことを口惜しく、憎らしく思っている。それは今でも変わりはない。だが、それを変えようとは思わない。歴史を再編し死を否定することは簡単だろうが、それは主の生き様を否定することと同義だ。奥方が病で亡くなられたことも人にとっては付き物の、仕方のないことだと受け入れている。しかし……」
 それは、重たい溜め息だった。
「主の娘は、それを受け入れることができなかった。まだ幼かったというのもあるだろうが……」
 私は口を挟まず、彼をじっと見ていた。それが彼が求めている私の役割だろうから。
「お前も知っていると思うが、主亡き後、刀剣男士は他の本丸に移動するか刀解かを選べる。無論、俺たちは刀解を選ぶつもりだった。……だったんだが、娘が審神者になった後すぐに時間遡行軍へ寝返ったと風の噂で聞いた」
「……」
「だから、俺は今ここにいる。主の想いに報いるため。あの娘を守るために」
 彼は自分の痛々しく変わり果てた腕に目を向けて、それでも力強く言った。迷いのない声だった。
 この場所は澱みだ。多くの後悔や怨嗟が渦巻く澱みそのもの。居ればいるだけ自分自身も汚染されていく。誇り高くあればあるほど澱みは誇りを犯し尽くし、その神性を食い散らかして地に堕とす。それはへし切長谷部も例外ではなく、すでに身体の大部分が蝕まれ変性していた。
 多少の変性であれば祓い清めることでどうにかなることもあるが……。彼の場合は、もう元には戻れまい。
「俺はどこで果ててもいい。もとより刀解されることを決めた身だ。今更鍛刀所で果てようが戦場で果てようが些細な違いに過ぎない。それならば最後まで彼女を守るだけだ」
「……それが、主さんとの約束だからですか」
「約束であり、彼が愛した彼らの愛の形だからでもあり、」
 そうして、彼はその神性を歪なまでに軋ませながらそれでも幸せそうに笑った。
「家族だからだ」






 一人で歩いていた。
 雨がしとしと降る今日は縁側に人が少ない。私はすれ違う人に時に軽く挨拶を交わしながら、話ができそうでなおかつお願いを聞いてくれそうな人を探していた。
 そうしてだいぶ彷徨いた後、不意に後ろから声をかけられた。なんだろうと思い振り返れば、声をかけてきた白い男が「ああやっぱりそうだ」と朗らかに笑った。
「……鶴丸、国永さん」
 私の声が詰まったのを驚いたせいだと勘違いしたらしい彼は「悪い悪い」と謝った。正直に言うと私は驚いたわけではないのだが、とくに訂正することなく挨拶を返す。……だって、言えない。あなたが全く変性していないから昔を思い出してしまったなんて。言ったところでどうなるわけでもないし、こんなの言われたところで困るだけだろう。
「先日はどうもありがとうございました。あれから直接お礼に伺えずすみませんでした」
「あー……、いやいや。俺は加州に頼まれただけさ。きみがそんなに気にすることじゃない。加州に礼は言ってやったんだろう?」
「はい。あの後すぐに会いまして……」
「ならそれでいいさ。あいつ喜んでただろう。妙にひねくれてるところもあるがああ見えて根はいい奴だからな。どんどん褒めてやってくれ」
 自分の主に近づく者を殺害しまくるような人をいい人と断言していいのかどうか内心ちょっと迷いながらも、とくにここで言うようなことではないよなぁと飲み込んだ私はその言葉に素直に頷いた。もちろん、彼は私の命の恩人でもあるし、感謝していることには変わりはないのだから。
「あの後は何事もなく済んだんですか?」
 私の言葉に彼は苦笑いを返してきた。
「いやぁ、絞られたかどうかっていえば絞られた。ただあいつらも俺がちゃんと三日月を連れ帰ってきて、しかも怪我人も死人も出なかったときちまったらそこまでだ。あとの変化って言っちゃあ逃亡防止のために少々三日月の監視が目に見えて強まったってくらいだな」
 もう少しで自分がその怪我人・死人の枠に数えられていたのかと思うとぞっとする。そんな私の様子を鶴丸国永は心から面白そうにからから笑って「まあ」と続けた。
「監視を強化したってなんの意味にもならんさ。そもそもの話、あいつはあの部屋から逃亡しようなんてこれっぽちも思っちゃいないんだからな。上も馬鹿なことをするもんだ。はっきり言って労力の無駄でしかないのに」
 冷たい声だった。嘲るような、それでいて可哀想だと憐れむような声色だった。
「大方閉じ込めてしまっているという事実に恐怖しているか畏怖しているんだろうが。散々自分たちの手足のように神を扱っておいたくせして今更なんだという話だけどな」
 「それで? きみはここでいったい何をしているんだ? 何かを探しているようだったから声をかけたんだが……。迷った、とかかい? 俺でよければ手伝うが」
 話すべきか否か。私の頭にその議題が浮かんだのは一瞬だった。このままいたって埒があかないことには変わりはない。そう思って私は話すことを選択し、声を潜めて彼に一歩近づいた。
「ここにいる人間のデータのようなものを探しているんですけど知っていますか」
 鶴丸国永はその言葉に「おお……」と微かにため息を吐いた。彼の笑った顔も冷たい顔も見たことがあるけどこんなにも困った顔を見たのは初めてだった。
「場所、知ってるんですね」
「知っているには知っているが……。きみはまた面倒なものを探しているなぁ。それはこんな場所にはないぞ。情報漏洩がどうたら個人情報保護がなんたらかんたら言ってな、厳重に保管されている。この情報だって一般には伏せられているんだぜ」
「でもあなたはその情報を知っている。ということは全部おわかりなんですよね」
「…………」
「教えてください。お願いします。知りたいことがあるんです」
「うーん……」
 唸りながら彼は自身の頬に手を添えた。なにやら芝居がかった動作である。
「それは仕事の一環かい? それを教えないときみの業務に何か不都合が生じる、とか?」
 先ほどの冷酷な視線はどこへ行ったのか、彼は茶目っ気のある瞳でこちらを見ていた。言いたいことがなんとなくわかったので私もそれに合わせることにする。
「はい。そうなんです。"上から命じられた"私の業務に支障が出てしまいます」
 「そうかそうか〜」と鶴丸国永はやけに深刻そうに眉間に皺を刻ませて何度も頷いた。
「上からの命令を遂行できないなんていけないことだからなあ。俺のせいにされても敵わないし、せっかく新入りが役に立ちたいと言ってるんだ。いいだろう。こっちだぜ」






 鶴丸国永は親切にも部屋の戸口の前で誰か来ないか見張っていてくれているらしい。内心で感謝をしつつ私は薄く硬い本のページをひたすらペラペラとめくっていく。
「気配はないがさすがにそろそろばれてもおかしくない時間だぜ。お目当てのものは見つかったかい」
「すみません。あともう少しだけ待ってください」
 ふと、どうしてこんなことをやっているのだろうという疑問が浮かんだ。
 どうしてこんなに一生懸命に危険かもしれないことをやっているのだろう、私は。もしばれたらとんでもないことになるのはわかっているのに。諦めるべきだ。やめるべきだ。わかっている。わかっているけど……。
 もしかするとこの殺伐とした場所に救いを見出したかったのかもしれない。或いは、ここへきて久しぶりに出会った普通に話ができる男を喜ばせてやりたかったのかもしれない。彼の境遇に感化されつまらない同情をしているのかもしれない。
『藤乃』
 あの時、へし切長谷部は大切そうにその名を呼んだ。その名前に込められた思いを理解しているかのように。
 彼はひと月前くらいからその娘に会っていないとも言っていた。こんな姿になってしまったから会うことが躊躇われてしまうとも。だから、自由に動ける私が彼女に会って話をして彼に伝えてやろうと思ったのだ。
「…………あった」
 彼の思いがどうか報われるようにと。そう願って。






「もういいのかい」
 私は頷き返した。そうか、と呟いて鶴丸国永は部屋に鍵をかけた。
「面倒なことに付き合ってくださってありがとうございました。感謝します」
「いや、いいんだ。困ったときはお互い様とかいうだろう。なによりきみは新人なんだ。知らないことがあって当たり前だし、知りたいことがあっても何もおかしくなんかない」
 「それよりもきみ……」と鶴丸国永は心配そうな表情でこちらを見やった。
「泣いているじゃないか」
 彼女は、へし切長谷部の主の娘は、すでに戦死していた。データの通りであれば、もう一年以上も前の話だった。
「目に埃でも入ったんでしょう。あの部屋あんまり掃除が行き届いていないみたいだったから」
 私は悲しむのと同時にひどく落胆していた。誇り高き彼はもうとうに壊れ果てていたのだということに。ついぞ彼の想いは報われなかったのだということに。
「………そうだな」
 鶴丸国永の提案で私たちはもうここで別れることにした。彼が去っていくのを見て私も部屋を後にする。
 あれきり、へし切長谷部には会っていない。

へし切長谷部の話

2021/06/14

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