何度目かの誕生日


 ぱちり、と目を開く。さっきまで確かにあったあの懐かしいガラクタだらけの家や、毎日のように通った町の診療所はもうない。
 見慣れたここが船の自室であると認識し、夢から現実に戻ってきたのだとわかるとゆっくりと体を起こした。
 久しぶりに昔の夢を見た気がした。まだ、もう少し寝ていたかったと思うのは夢のせいか体の不調だろうか。とりあえずは水分を取るか。投げ捨てられたように床にくたばっていたシャツを拾い上げて羽織ると部屋を出た。
 今日は少し冷える。次に行くなら夏よりの春島なんかがありがたいんだが、そんなことを考えながら歩いていると不寝番だったシャチが部屋に戻るのかこちらへと向かってきていた。おれに気づいたようでシャチはパッと顔を上げたかと思えば「キャプテ〜ン!」と、寝起きには少しキツい声音でおれを呼びながら駆け寄ってきた。

「おはようございます! 今起きたばっかっすか?」

 異様にテンションが高く感じるのは徹夜明けだからだろう。「あぁ」と返すと「じゃあおれが一番乗りだな」と顎に手を当てながらニヤッと歯を見せた。

「何がだ」
「おれ、キャプテンがドライって言っててもなんだかんだ仲間思いなところ、本当に好きなんで。推してるんで」
「は」
「じゃ! 引き継ぎも済ませてあるんで、ちっと寝てきますわ〜」

 満足げな笑み。一体何だ。立ち去るシャチを二度見していると視線に気づいたのか奴はぐるりと振り向いた。そして気持ちが悪ィほどの笑みを浮かべ、両手でおそらくハートマークのようなものを作るとこちらへと押し出すような動きをした。一瞬の間。シャチは何事もなかったかのように鼻歌を口ずさみながら消えていった。
 まァクルー達が『仲間』という感覚以外にもシャチの言うように『推している』というモノを持っていることは何となく理解はしているし、嬉しくないわけがない。時々度が過ぎることもあるが、だが一体何をあらたまって……寝起きの頭で取っ散らかった思考をまとめようとしていると食堂からクリオネ達がゾロゾロと出てきた。

「あっ! キャプテン」
「せんちょーおはよ〜!」
「あぁ。飯食ってたのか」
「はい、今日はユメさん作のおにぎりっす」

 そうか、今日はあいつが当番だったか。ユメが朝食を作る日はほとんどがおにぎりと味噌汁。プラスして、食糧庫に物があれば何種類かフルーツがカットされてボウルに盛られている。野郎がそれをやるとただのカットフルーツの寄せ集めだが、ユメは違った。そういった美的センスが備わっているのだろう。
 いつだったか、滅多に使われることのなかったガラスのボウルを引っ張り出したかと思えばそこにバランスよく盛り付けて配膳した。栄養源としてだけではなく目で楽しむものへと変化させたのだ。食は五感で楽しむものだという、おれ達海賊が普段意識しないものをわざわざ言葉にするでもなく、強要するわけでもなくぶち込んできた。本人もたぶん深くは考えていない。そしてそれは盛り付けだけじゃない。ユメはそういう女だ。
 だが、これだけの人数が出てきたということは量も減っていて盛り付けもクソもねェだろう。とりあえず食おう。寝起きでそんなに食欲があるわけでもないがおにぎりなら調整しやすい。適当につまんでベポとこの先の航路について話でもするかと食堂に入ろうとするも、クリオネ達は立ち止まったままでおれを見ていた。「どうした」と声をかけるとそれぞれ顔を見合わせた後、意を決したかのように握りこぶしに力を込め「じゃあおれから!」と声が上がった。

「おれ、キャプテンの医療技術、本当にスゲェって思ってて、まだまだこれからも勉強させてもらいます!」
「おれも! マニュアルとかカルテとかも本当に見やすくって、船長の繊細さっていうか、きっと『作業』じゃなくって全部誰かのためなんだなって思うと本当に……推せます!」
「うわぁめっちゃわかる。おれ、キャプテンが麦わらと海峡のジンベエを助けたとき、何かよくわかんないけどやっぱり一生ついていくって思って泣いた」

 おれに言うだけ言って今度は勝手に盛り上がり始めた。今日は何だ。こいつらまさか何かよくねェことでも隠してるのか。おれの機嫌を取っているんだろうか。シャチにしたってそうだ。本心からなら悪いがそう邪推してしまうほど、やたらとおれを持ち上げてくる理由はなんだ。

「じゃ! まだフルーツもいっぱい残ってますよ!」

 今日はフルーツがある日か。ひとまず思考を飯へと持っていくことにした。とにもかくにも体に何か入れてからでないと始まらない。
 当番だったということは中にまだユメがいるかと思ったが、丁度全員出払ったところのようで食堂はおれ一人にだった。蓋を開けるとおにぎりもまだまだ残っていた。
 あいつが握ると一般的な心臓……握りこぶしよりもでかい。よく見る三角形ではなく心……いや、すこしいびつな卵形だ。
 そのまま少し離れたところにあったボウルへと視線を向けた。言っていたとおり残っている、というよりはほぼ手つかずのようにも見えて覗き込むといつもと違って大半が飾り切りされたものだった。昔何かで見たことがある。うさぎだ。さらによく見ると鳥に見えるものや花を模したカットも施されている。
 少しの間、思考が停止していた。ただ目の前にあるフルーツと向き合っていた。ぎゅる、と腹から音がして「さっさと食うか」とひとり呟いた。なんだあいつ、こんな細かい作業……普段なら面倒だからとやりそうにないが、逆に意味のわからねェスイッチが入ってひたすらカットしてた、なんてこともあり得る。
 とりあえず棚からコップを取り出し水を入れて一気に飲み干す。さらに追加で水を入れてテーブルへと置いた。
 お椀にネギの味噌汁を少なめに入れ、おにぎりを2個取り皿に乗せた。それをテーブルに置き、おれは再びフルーツの前に立った。そして思ったことは果たしてこれを食べていいのだろうか、ということだった。
 いや、もしおれが食べてはならないものだとして、それをここに置くなということになるし、そもそもおれの船でおれが何を食おうと自由だ。

「なんだってこんな……」

 考えることに疲れて、視線が合ったままのうさぎりんごをはじめ、小さなボウルいっぱいにユメの作品をぶち込んで、冷蔵庫からヨーグルトを取り出してかける。こうすればもう飾り切りもクソもねェ。そう思ったが本物とは違ったうさぎのシュッとした耳が、かけたヨーグルトから突き出ていた。おれは味噌汁よりも先にそのうさぎりんごを口へと放り入れた。



 その後時間差で食堂に来た奴らにも「いつも一緒にいるからマヒしてるけど、キャプテンの足長いのマジでヤバいっすよね。本当にモデルみたい」「キャプテンのメスさばき思い出すだけで夜通し酒飲めます」「おれ、実は船長の『ROOM』って言う時の構えとか声が好きなんすよねェ」「気づいてないかもですけど、ユメさんと一緒にいる時のあの柔らかい表情、いい顔してますよ」といった、誉めてるんだか、なんなら告白にも似たような言葉の数々を浴び続けた。
 それは昼前までに顔を合わせたユメ以外の全員からだった。答えが出ないどころか謎は深まるばかりだ。やはりあいつら、何かやらかしたのではないか。
 ただ、もしそれをぼかすためなのだとしたら、稚拙すぎるというか雑というか……そこでふとあのフルーツ達が、パッとおれの脳内に浮かび上がった。アレもこの今日のこそばゆい発言の数々と何か関係があるのだろうか。おれの足はそのままユメの部屋へと向かっていた。



 何度か部屋のドアをノックしたが反応がない。ユメがおれの気配やノックの音に気づかないほど熟睡しているとは考えにくい。
 この部屋のドアは建て付けが悪く、どれだけそっと開けようともギィっと不気味な音を立てる。その耳障りな音と一緒に「えっ」と声がした。反応がない、つまりこの部屋にはいないと思っていた主、ユメが部屋にいたのだ。
 床に座ってベッドに向かって突っ伏していたようで、思い切り頭を上げ上半身を起こしたのが見えた。

「あれ、ロー?」
「寝てたのか」

 おれの心の中に突沸のごとく湧き上がったのはユメが寝ていたという驚きよりも、起こしてしまったことへの罪悪感だった。
 まだまどろみの中にいるであろうユメに「起こしちまって悪いな」と声をかければ「えっと、今来た?」と首をかしげた。寝起きのぽやっとした姿は久々な気がする。
 例えば一夜を共にして、寝ている姿は見せても気づけばこいつは起きている。なんなら筋トレをしている。日課の昼寝も、この船に乗った当初こそ起き抜けにぼんやりとしていることもあったが、しばらく見ていない。そういう術を身に付けたのだろう。細かい睡眠を何度か取るこいつの睡眠メカニズムはよくわからないが、今は珍しく寝ぼけている可能性もある。
 おれはベッドを背にユメの隣に座った。「たった今だ」と答えてからユメの顔にかかっていた髪をそっと耳にかけてやった。

「気づかなかった……熟睡しちゃってたみたい」

 そう言ってユメはベッドに肘をかけたままおれの方へと顔を向ける。「ローだからかな」と目尻をへにゃっと下げて笑うもんだから「そうでないと困る」と頬を撫でた。
 本当に、ユメに対してこんな感情を抱くようになるなんて思ってなかった。と、毎回思っているし、時々見せる安心しきったような表情におれもつられているんだろう。何てことのない瞬間が、信じられないほど愛おしいと思うようになった。

「何か用事?」
「あァ。今日のフルーツはずいぶん手が込んでたな」
「フルーツ……?」

 寝起きの頭で必死におれの言葉を理解しようとしているように見えた。視線をぐりっと上に向けて口をムッと尖らせた。
 なんだその顔は。おそらく伏せて寝ていたせいかいつもより紅潮している頬。おまけにまだ浅い眠りにいるかのような物言い。押し倒してしまうには十分だったが思いとどまった。
 まだ真っ昼間だ。毎日こいつの寝起きを観察したいと思ってしまった一方で、毎度これではおれもいくら体力があっても足らないのでは、という考えに至ったところで「あっ」とユメが声を上げた。

「あのね、ちょっと聞いてほしいんだけど」
「何だ」

 あのフルーツやあいつらの発言も、この「聞いてほしいこと」に繋がるのだろうか。おれは一体何が語られるのだろうかと、その艶やかな口元を凝視していた。

「私ね、ローがさっきみたいに優しく触れてくれるのが好きなの」

 顔を傾けて微笑む。やはり今日は何かがおかしい。おれはまだ夢の中にいるのでは、と思った。寝ぼけているにしたって、ユメがこんなに素直な思いを口にすることはほぼない。本音を言うにしたってどこか遠回りだったり、やけくそ気味だったりするのに、目の前のユメはそう言っておれにもたれかかってきた。

「それだけじゃない。ルフィを助けた時、やっぱり私の直感は間違ってなかったって思った。それがルフィだったからってわけじゃなくって、人の命を救おうとするあの姿が、ずっと焼き付いてる。言葉にすると陳腐になっちゃうんだけど、カッコいいなって。まぁ結局何が言いたいかというと、やっぱりローのこと好きなんだなって」

 そこまで言うと、恥ずかしさからか顔をおれの胸にうずめた。ついさっき真っ昼間だと言ったがそんなものは関係ないなと頭の片隅で思った。そもそも夢かもしれないのなら、別に抱きつぶしたって構わないだろう。
 ユメの背に手を回して「今日は本当におかしな日だ」ともらすと「そりゃ今日はみんなでローの好きなところを直接本人に……って、あ」と、まるでいつのもユメに戻ったかのような少し低いトーンの「あ」が部屋に響いて消えた。
 聞き逃さなかった。おれの胸元で固まっているユメをそのまましっかりと抱きしめる。これで逃げられないだろう。

「今日はみんなで何だって?」
「えーと。何て?」
「おれが聞いてるんだが」

 すぐに長く深いため息がおれの胸に向かって放たれた。「どうせ気づかないだろうし、もういいわよね」とまるで自分自身に言い聞かせるように呟いている。完全に覚醒したせいか、おそらくうっかり発言をしたからか、もういつものユメだ。ユメはおれの腕の中でそのままの体勢でぽそぽそと話し始めた。

「絶対忘れてると思うけど、今日、10月6日」
「……6日」

 そうか、おれの誕生日か。つまり派手に騒がしく祝わなくていいと言い続けた結果、プレゼントや宴ではなく『おれの好きなところを言う』という落としどころへたどり着いたのだろう。朝からの一連のアレはそういうことだと思うとすべて納得がいく。

「まさか寝てたのも演技か?」

 こいつのことだ、もしかしたらあり得るのではと思ったがここでようやく頭を上げて「あ〜、それは本当。でもフルーツのこと聞かれて、とっさに寝ぼけてることにしたら言いやすいかなって思って……ちょっとやりすぎたと思ってる」と恥ずかしそうに、さらに頬を赤らめながら白状した。

「お前らが揃いも揃っておれを持ち上げるもんだから、何かやらかしたか、夢でも見てるもんだと思った」
「まぁ、やっぱりそうなっちゃうわよね」

 んふふっ、と小さく吹き出すように笑った。実行した際の反応は予想できていたようだ。だが種を明かされた今となっては全員の言葉のすべてが、あらためておれの心に染み入るようにじわじわと広がっていく。まったく、本当にこいつらは――

「しょうがねェから、今から全員に言い返しに行くか」
「言い返すって、好きなところってこと?」 
「ほかに何がある」
「それ、きっとみんな喜ぶわ」
「お前はどうだ」

 ユメは他人事のように微笑んでいる。その全員に自分も入っていると思っていないのだろうか。そのままユメを押し倒して耳元で「優しく触れられんのが好きなんだったな」とわざと荒い息づかいでさっきのユメの発言を復唱した。すると面白いほどビクッと体を震わせたのがわかった。
 夢じゃないんだとしても、たまにはいいだろう。明日というものは当たり前には存在しない。この誕生日というイベントも、小さな奇跡が積み重なったものだ。
 高ぶる気持ちを吐き出すように「自分でも知らねェ新しい感情を、新鮮に感じたり面白いと思うようになったのはお前のおかげだ」と告げると「それは私がどうとかじゃなくって、ロー自身が変わったからじゃない?」と返ってきた。
 ほら、そうやって。お前がそう思ってなくとも、お前のふとした言動は誰かの何かを動かす。心にスッと入り込んでくる。おれ以外の奴らだってそう思っているだろう。だから、おれが変われたのだとしたらそれはユメがいたからだ。
 
「わかってねェな」
「何が?」
「まぁ、おれがわかってりゃいいな」

 教えろと合わんばかりにムスッと膨らませたユメの頬に、そしてそのまま耳たぶ、首筋へと柔く唇を寄せた。ユメは嬉しそうに微笑むとおれの首に腕を回して続きをねだった。



 すやすやとおれの隣で眠るユメ。またいつか……コラさんと再会した時にはおれはまず、こいつの話をするんだろうな。

「おれの直感も間違ってなかった」

 これまでの小さな奇跡のひとつひとつに感謝するように、小窓から差し込む光に照らされて透けるようなユメの髪をそっと撫でた。

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