世界の向こう側を感じる夜


 慌ただしさが止み、安息のひとときが訪れたはずのポーラータング号。しかしその夜のしじまを破ったのはこの船の副船長であるユメだった。

「ロー! いるわよね!? ろーぉー」
「聞こえてる。そう何度も呼ぶな……何しに来たんだ」
「ペンギンが呼んでるの」

 船長であるトラファルガー・ローの部屋の扉を勢いよく開けて「あっち」と通路の方を指を指すユメ。ローは「こんな時間に一体何の騒ぎだ」と呟きながら小さくため息をつき、読んでいた本にペンを挟んで雑粗に閉じるとゆっくりと扉の方へと向かった。

「遅くにごめんなさい。でもペンギンがちょっと見てほしいって」

 ユメの発言にローは怪訝な面持ちで首をひねった。

「……何でわざわざペンギンの用事をお前が呼びに来て、おれが行かなきゃなんねェんだ」
「よくわからないけれど、エンジンの電動機の調子がどうの、って言ってたわ。みんなやっと休んだところだし、私じゃどうにも」
「ハァ、仕方ねェな」

 説明を受け渋々とエンジンルームへと歩き出したロー。その後ろ姿を見送りながらユメは内心ほっとしていた。そしてちらりと後ろに振り向きピースサインを送る。その視線の先には、柱に隠れて様子を伺っていた一人のクルーの姿があった。

「シャチ、今のうちに。私は近くに隠してあるから取ってくるわ」
「おっけー副キャプテン!」

 しきりに辺りを警戒する二人のやり取りは小声だ。ローが戻ってこない事を確認したシャチは一足先に、まるでサンタを思わせる大きな袋を抱えたまま、そろりとローの部屋へと入った。

「なんか、キャプテンのいないキャプテンの部屋に許可なく入るのってスリリングだなァ……」
「逆に堂々としてたほうがヘマしないわよ」

 その声にシャチが振り向くと、そこには巨大な白いもふもふとしたベポを思わせる物体を抱えているユメの姿があった。何かに包まれているわけでもなく、むき出しの状態でそれを持ってきたユメにシャチは目を大きく見開きながら吹き出した。

「いやでけェなオイ! ユメはさぁ、こういう時もう少し隠そうとする気を持ったほうがいいと思うぞ」
「そう?」
「よくバレずにそんなデカイもん持ち込んだな」
「ええ、隠密行動は得意分野だから」
「あ〜、まァそういやそうだったな。元バロックワークスだもんなぁ」
「だからあれは幽霊社員だったって何度言えば」

 会話をしながらもユメは手にしていた白い物体、抱き枕をローのベッドへと置き、その様子を見ていたシャチもホッとしたように胸を撫で下ろした。

「とにかく早く全部置くぞ! キャプテンがいつ戻って来るかわからねェからな!」
「ペンギンのことだからすぐに嘘だとバレてる可能性が高すぎるわよね。かといってほかに適任もいなかったし仕方がないけれど……」
「フラグを立てるな、フラグを!」

 持ち込んだ袋からシャチはあれこれと取り出す。そしてその物がローの部屋に存在してもおかしくない場所へと素早く配置していく。ペンなら机に、クッションならソファに、と。

「あ、素敵な柄の膝掛け」
「これはペンギンのチョイスだ。よく座ったまま寝ちゃうじゃん? キャプテン」
「そうね、一枚あると便利そう」

 誰がどれを用意したのか、そんな話をしながらも二人は文具や小物をさりげなく部屋に溶け込ませる。全ての物が置き終わると満足気にぐるりと部屋を見回し、向き合ってにんまりと笑みを浮かべた。

「さりげなく祝うってのはいいアイディアだな。ユメのは主張が激しいけどさ」
「どんどんお祝いが過激になってるって怒られても、これなら許してもらえるでしょ」

 ユメの言葉にシャチはうんうんと何度か大きく頷いてから「本当に怒らせてばっかりだからなぁ」と懐かしむように話し始めた。

「まだユメと会う前の……いつだかの誕生日もさ、あん時は晩飯をいつもより豪華にして色々用意したんだけど、もっと計画的に食材を使え! って怒鳴られちまったんだよなァ」
「フフッ、ローらしい。いつ何があるかわからないものね」

 この広い海……常に最悪の状況を想定しながらでなければとてもじゃないが生き残れない。ローの発言は、船長として至極当然である。
 新世界へと足を踏み入れてからは以前よりもピリッとした空気が流れているというか、気を張っているというか……そんな状況でもちょっとは喜んで欲しいのだとユメは思っていた。

「じゃ、私達は見つかる前に撤退しましょうか」
「だなー! キャプテンどんな反応するだろ」
「明日の朝が楽しみね」

 二人はニヤニヤと笑い合うと、そっとローの部屋のドアを閉める。小さく「ハッピーバースデー」と呟いて、それぞれの部屋へと戻って行った。




「……さすがにペンギンも疲れてんのか」

 ふうっと息を吐きながら、ローはエンジンルームを後にする。あいつが計器の数値を見間違えることなんて滅多にないはずなんだが……とぼんやりと考えた。
 いつもより思考が鈍く感じる頭で導き出された結論は、やはり人間には休暇が必要だということだった。次の島の状況によっては少しゆっくり過ごすか、と考えながら部屋のドアを開いた。

「……?」

 いつもの自分の部屋。しかし入った瞬間に何とも言いがたい違和感のようなものを感じ、ローは立ち止まったまま部屋をぐるりと眺める。いつもの自分の部屋のはずなのだが、よく見れば所々に見たことのない物が多数置かれており、それには決まって小さなリボンやら付箋紙、メモがついていることに気づいた。
 中でも一番目を引いたのは、白くふわふわとした質感の大きな抱き枕。何も変わらない部屋の中で一際存在感を放っていた。少し部屋を離れていた間に一体何が。近くに寄ればそれにも一枚の紙が添えられていて、ローはそのメモを手に取った。

「……あァ、そういうことか」

 今日は誕生日だったのだ。そう認識すると今目の前に広がっている、まるで妖精の仕業のような状況もすんなりと納得することができた。
 誕生日なんて、個人を識別するための情報の一つに過ぎない。そう思っていたローは毎年繰り広げられるクルー達の誕生日祝いに、それよりほかのことにその労力を使えと遠回しに伝えてきた。はっきりとは言えていなかったので伝わっていたかは微妙なところなのだが。
 ローは現在手にしているメモの文字はユメのものだと確信し、ベッドに腰を下ろすと眠い目をこすりながらそれを読み始めた。

『今日はすごくいい天気だったわね。朝ごはんの焼き魚も美味しかったし、シャチが洗濯物ひっくり返したのも久々に見たわ。それに、さっきペンギンが珍しく計器の数値を見間違えてたでしょう?』

 そのメモにはペンギンが計器の数値を見間違えたという、ついさっき起きたばかりの、エンジンルームに居なければまだ知り得ない出来事が記されていていた。つまり……全部こいつの仕組んだことだったのか、とローは呆れながら文章の続きに視線を落とす。

『私達はいつ何が起こるかわからない海賊だけれど、今日という日もこの海賊団の副船長でよかったと思うわ』

 ぎゅっとメモを握る手に力が入り、その次の行の、最後の一文を目にした瞬間、ローはベッドから立ち上がって部屋を後にしていた。



 カツカツと知った足音が聞こえた気がしたユメは、眠い目をこすりながら部屋の外の気配を伺おうとする。しかし次の瞬間にはもう「入るぞ」という声と共に、返事をする間もなく足音の正体が部屋へと入って来た。

「……ロー、もうちょっと気を使ってもらえないかしら」
「お前に使う気なんて持ってねェよ」
「まぁそうね、知ってた。わかってるけれど……」

 ユメはぼやきながら、掛け布団を払いのけて体を起こす。ローもユメの隣に腰を下ろした。
 ぎしり、とベッドが二人分の重さに耐えきれずに沈み込んだ。真っ直ぐ前を見たままのロー。特に何か話をする様子もないローにユメは大きくひとつあくびをしてから「それで」と問いかけた。

「ローがこんな時間にノックもなしに入って来るなんてどれだけ重大な用件かしら」
「…………」
「?」
「いや」
「え、うそ。まさか何もないの?」

 珍しく明後日の方向を眺めながら黙り込んでしまったロー。ユメはもそもそっと体勢を変えてローの近くに動くと、顔を覗き込んだ。

「眠れない、とか?」
「違ェよ」
「あっ、さっきの電動機の件、大丈夫だった?」

 もしかしたら部屋に戻らずにここへ来たのかもしれない。ユメはあえてその話をローに振ると、ローはガクッと肩を落として小さくため息を漏らすと、自身の顔を手で覆った。

「……本当に、お前なァ」
「……?」
「おれは疲れた。寝る」
「は?」
「うるせェ、寝ると言ったんだ」

 勢いよく頭をわしゃわしゃとかいたローは、ユメの肩に腕を回してそのままユメごとベッドへと倒れ込んだ。

「ちょっとロー! このベッド小さいんだから、寝るなら自分の部屋のほうがゆっくり」
「それじゃ意味がねェんだよ、お前が来るなら別だが」
「意味……? 何の話?」

 一体何がどうなってその結論に至ったのだろうかとユメが頭を悩ませていると、回されていた腕でぐいっと体を引き寄せられて、ユメはとっさに身構えてしまった。

「……おれが何かするかと思ったか?」
「ちが、そういうつもりじゃなくてその、つい反射的にね」
「だろうな」

 ローはそっと腕を離すと、くるり、と向きを変えてユメに背を向けた。

「そうやってお前は生きてきたんだからな」
「?」

 さっきから一体何のことなのだろうか、もうこのまま寝てしまおうか思案していると「これ」と、ローは背を向けたままポケットから一枚のメモをひらりと取り出した。

「あ……! もう見てたのね、それ」
「まだお前のしか見てねェけどな」
「え、みんなからのは? いっぱいあったでしょ?」
「お前のが一番最初に目について、読んで、そのままここ来た」

 プレゼントそれぞれについていたはずのメモ。しかしまだ自分の物しか読んでいないうえに、他の物には目もくれずここへ来たのだという。
 何だそれはとユメは思いながらも少しくすぐったいような感覚を覚え、未だに背中を向けたままのローを、少しだけ微笑みながら見つめた。

「フフっ、ローったらそんなに私に会いたかったのね」
「は? そんなはず……!」

 ユメの一言に思わず体の向きをくるりと変え反論しようとしたローだったが、その先には近くにいたユメの顔があり、二人はしっかりと向き合う形になってしまう。

「……」
「ロー?」
「……不用意におれを呼ぶな」
「どうして?」
「ユメ」

 ローは視線を逸らさないままユメの名前をそっと呼び、呼ばれたユメはしばらくそんなローを見つめていたが、どうにもこの……ローとはそんなことは起こりえないだろうが、普通ならキスの一つや二つするのではないかといった空気についに耐えられなくなり、視線をそらした。

「何よ、あんまり見ないで。恥ずかしいじゃない」
「こういうことだ、バカ。いい加減寝るぞ」
「え……どういうことよもう、勝手にして!」

 膨れっ面になり壁のほうを向いたユメを、ローは後ろからもう一度抱き寄せた。今度は何の抵抗もないのを確認すると静かに瞼を閉じた。ユメには聞こえない声で「おれも、そう思うよ」と呟きながら。



『私達はいつ何が起こるかわからない海賊だけれど、今日という日もこの海賊団の副船長でよかったと思うわ。ローが今日こうして生きていて、これからもこうして生きていくんだなって思ったし、私も生きてきて良かった。じゃあ、おやすみなさい』

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