Wake Me Up


 重たい頭に響くアラームの電子音。あぁ、起きる時間なのか、それともこれは夢だろうか。
 そうだ。結局朝方まで起きていたはずなので寝たのはほんの数時間。そもそも朝は弱くて、なのに遅刻できない日の前日に限って眠れなくて、考えれば考えるほど無駄で、消耗しきっていくだけ。それならばとお酒を開けても私の眠気は出かけたまま。素直に帰ってくる気配はなかった。
 そこで私は夜更かしの常連であるペンギンに電話をかけたのだった。この時間でもよくSNSやゲームをしていることは知った仲だし、時々深夜にくだらない通話をすることがある。そこまで思考が進んだらあとはもう、通話に付き合ってもらうだけ。
 そこから小一時間。毎度繰り広げられるあまり中身のない会話が心地よかった。窓の外へ視線を向ければ空も白んでいて、今から寝たらとてもじゃないけれど寝過ごしてしまいそう。そんな時間になってようやく眠りのお誘いがやってくるから困ったものだ。
 ペンギンの声って、なんだか妙に落ち着くんだよなぁ。そこまで思い出したところで、アラームの音がいつものものと違って、振動も伴っていることに気がついた。え、うそだ。スマートフォンの画面にはペンギンの四文字。重たいまぶたがぱっと開いて、慌てて画面をスワイプした。
「え、あっ、もしもし? どうしたの?」
「あ、よかった。起きてくれて」
「えっ」
「起こしてって言ってたからさ」
 確かに、そんなことをふわふわとした思考の中で考えていたような気がする。ペンギンとの通話の記憶は内容も薄かったせいであまりよく覚えていない。一度スマホを耳から外して時間を確認する。6時1分。私が起きたかった時間は6時だ。
「わぁ……わざわざありがとう! 助かった〜」
「うん、どういたしまして」
 電話越しでも、くたっと目尻を下げたあの笑みを浮かべているのだろうなと思った。けれどいつだったか、彼は早起きは苦手だと言っていた気がする。高校時代、文化祭や修学旅行の日に遅刻をし、大学時代も変わらずによく寝坊していたのだと。
「あれ……ペンギンって朝苦手なんじゃなかったっけ」
「はは、そうだったはずなんだけどさ……まぁ、好きな子の役に立てるなら全然苦じゃなかったよ」
 なるほど。恋するパワーはすごいんだな。なんて、のんきなことを考えている場合ではない。急いで仕事の準備をしなければ。
「お礼は何がいい? とりあえず支度して仕事行ってくるよ」
「おう、頑張れ。って、こんな電話しただけでお礼してもらえるの?」
「うん、本当に助かったからさ。思いつかないならメッセに入れておいてよ」
「そうだな……お礼はいいよなんてカッコつけようと思ったけどさ、よかったら仕事終わってから飯、付き合ってよ。それに……毎日したっていいし」
「ご飯でいいの? おっけー! じゃ、夕方に!」
 通話を終了して、急いで顔を洗いに洗面所へ向かう。ヘアバンドをつけて顔を上げて鏡の中の自分と目があったところで、私はペンギンの言葉を思い出した。好きな子の役に立てるならと彼は言っていた。
「あ、れ……」
 むくんだ顔をぐりぐりとグーでほぐす。もしかしたらずっと起きていたのかもしれないけれど、彼は私のためにわざわざ苦手な朝にモーニングコールをしてくれたということになる。
「あれれれ……?」
 どうしよう。寝不足で仕事をした後にご飯だなんて。それにちゃんと聞いていなかったけれど、毎日がどうのこうのと言っていたような。
 起こしてくれたおかげでしっかりメイクをする時間はある。あんなに大事なこと、私が寝ぼけていたらきっと覚えていないし、その可能性も込みで言ったのかもしれない。もしかしたらペンギンも寝ぼけていた可能性だってある。私の聞き間違い、勘違いかもしれない。けれど、もしも本当なら――こんなに嬉しいことはない。
 そう思ってしまったらもう、この胸の高鳴りを止められなかった。念入りに洗顔をした私は、とっておきのフェイスマスクを取り出す。今日の仕事はいつもよりも気合を入れて頑張って、きっといつもと少し違うであろうペンギンに、いつもと少し違う私で会いに行こう。



「えっと……どうしたの、その格好」
「お前こそ、いつもとメイクとか全然違うじゃん」
 いつもラフな服装が多いペンギンはカジュアルながらもジャケットを羽織っていて、私はといえば仕事終わりに急いで髪を巻き、メイクもきっちりと直してきた。顔を合わせて、向かい合いながら固まること数十秒。うん。二人ともファミレスでご飯を食べるだけの気合度ではない。やっぱり勘違いじゃないのかも。
 探り合いにも似た雰囲気で、当たり障りのない会話、今日の会社での出来事なんかをどうにか絞り出して話しているけれど、頭がパンクしそうだ。何を食べたいかなんて考えている余裕もなくて、とりあえず季節の限定メニューを注文した。
「じゃあ、おれもそれで」
 気のせいでなければ、ペンギンからも緊張感みたいなものが感じられた。同じメニューを頼むなんて珍しい。そしてご飯を食べている間も私達の口数は少なかった。


「それでさ、いや……なんつーか。おれ今朝けっこうアレなこと言った気がするんだけど」
 ご飯を食べ終えてすぐ。そのペンギンの言葉にどう返すか迷った。そうだった? なんてとぼけてしまえば今までの関係性に戻れる。引き返すなら今だった。けれど――
「あのさ、本当にありがとう。ペンギンはしんどいかもしれないけど、私、ペンギンからの電話ならこれからも起きれるような気がするんだ」
「お、おう。それってさ、やっぱりばっちり聞いてたし覚えてるってことだよね」
「……そう、です。はい」
「だよな……」
 頭を抱えてしまったペンギン。そしてそのタイミングでデザートが運ばれてくる。ずっしりと重い空気になるのだけは避けたかった。気持ちを落ち着けよう、そしてどうにかして嬉しいという気持ちを伝えなければと、デザート用のスプーンを手に取った。
「わ、私も! もし必要なら起こすよ、ペンギンのこと。ペンギンのためならできる気がするから……ひとまずそれで、どうですか!!」
 気づけばスプーンを持った手が震えていた。今の発言をするのに想像以上にパワーを使ったらしい。そもそも、今朝の発言は間違いだったんだ、なんて言われたら大爆発してしまうほどのとんでもないことを言ってしまった気がする。
 一気に血の気が引いていく。どうしようかと頭をフル回転させていると、ペンギンがパッと顔を上げた。いつもの余裕たっぷりのペンギンはそこにはいなくて、手に取ったスプーンがするりとテーブルに落ちていった。
「……え、マジで?」
「う、うん? たぶん?」
「はは、たぶんってなんだよ。それにしてもスプーンもまともに持てねェなんて。カッコ悪ィな、おれ」
「私も超緊張してる。すっごく変なこと言ってる? 言ってない?」
「なんだ、お前もか」
「そうだよ! 悪い!?」
「悪くねェよ。とりあえず、その案でよろしく頼む」
「あっ、えっと、私も起こすってやつ?」
「そ」
「わっ、わかった、頑張ってみる」
「おれも。すんげェ嬉しいわ」
 
 いつの間にかいつもどおりにスルスルと言葉が出てきて、震えも止まっていた。何より、すごく嬉しいと言って顔をくしゃくしゃにして笑ったペンギンの姿が目に焼き付いて離れない。きっとこの笑顔に出会うために生きてきたのだろう。

 こうして、お互いに寝坊できない日にはモーニングコールをするという約束だけを交わした。けれど、なんだか言葉にしていない思いも交換できたような、そんな気がする。
 これまでとは少し違う関係性を、今日ここから始める。まるで新しい私を呼び起こしてくれたような、生まれ変わったような気分。これからは朝起きるのがちょっぴり好きになれそうだ。

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