スウィート・アディクション-中毒になっていた話-


 最近、週に1、2回、バイト後にファミレスへ遅めの晩ご飯を食べに行くことがある。ひとりではなく、同行者がいる。ペンギン。バ先で仲良くなった人物だ。大学は違うけれどタメで、なんならアパートも結構近くて、いつの間にかシフトがかぶった日にはご飯を食べてから途中まで一緒に帰るという流れが出来上がっていた。
 ペンギンは話が面白くて、かといって自己主張も強すぎない。私のくだらない話も嫌な顔をせず聞いてくれるし、選択している学科も食の趣味も似ていて、波長が合うなぁと思っている。

 今日は明日が休みということもあって、ファミレスではなく居酒屋に向かいだらだらと数時間居座った。その後、ふらふらとお互いのアパートとの中間地点あたりにある公園へ。ベンチに座ってコンビニで買った缶チューハイを開ける。追い酒だ。
 ぷしゅ、澄んだ空気の深夜の公園に気持ちのいい音が鳴る。月明かりだけではなくほどほどに明るい照明もあって、屋外だけれどほとんど居酒屋の延長線上にいるような気分だ。

「ねぇ、また今日のプチシューの話するけどさ、シュー生地って作るの難しいんでしょ? なんであんなに美味しく作れるの?」
「なーに? そんなに気に入った?」
「うん。中のクリームも甘すぎなくてさ」

 そう、ペンギンは時々誰かの誕生日やちょっとしたお祝いにとお手製のお菓子を差し入れてくれることがある。それがすっごく美味しくて、バ先ではパティシエと呼ばれている。
 足をプラプラさせながら今飲んでいるチューハイを一気に飲み干す。元々甘いものが大好きな私はそれも楽しみにバイトを頑張っている、まである。

「ねー、次回のお祝いの予定は?」
「ん、別にお祝いじゃなくたって言ってくれれば作るけど」

 ペンギンの白熊柄の買い物袋から次の缶を物色する。へぇ、祝い事じゃなくても作ってくれるんだ。そういうのって頼まれたら誰にでもするのかな、疲れないかな、なんてことを思いながらも手頃に酔える安いチューハイ最高! と大きい方を手に取った。

「って、飲みすぎじゃね? 今日」
「そうかなぁ」

 飲もうとして開けた500缶をすっと取り上げられてしまって、代わりに私の手にはすでに少し軽くなっている350缶がやってきた。袋にはまだ350缶があったはず、私は一気にペンギンの飲みかけを流し入れた。すると急激に、脳が甘いものが食べたいと指令を出し始めた。うん、プチシューの話をしたからだ。じゃあ自業自得かと思ったけれど、あんなに美味しいおやつを作るペンギンもちょっと悪い気がする。

「あー、無性に甘いもの食べたくなってきたなぁ……本当に作ってくれるの?」
「流石に今すぐは無理だけど。コンビニに買いに行くか?」
「うーん、ペンギンのやつがいいな」

 ちょっとしたわがままだ。話を合わせてくれることも多いけれど、私の要望は一体どこまで通るのだろうかという好奇心。酔いに任せて、少しだけ困らせてみたいなんて気持ちもあった。ペンギンは何か考えるように一度上を見上げてから、リュックの中にゴソゴソと手を入れた。

「とりあえず……これで我慢してくれ。手作りじゃないけど、おれのってことで」

 そう言って個包装のチョコレートをひとつ取り出した。ペンギンの作った物ではないけれどペンギンのリュックから出てきた私物のチョコ。一応ペンギンのチョコ、で間違ってはいない。「ありがと」と受け取り、パキッと中身を割ってから袋を開けた。ひとかけを指でつまんで口に放り入れる。じわ、と広がる甘さ。酔っ払いの脳には食べ慣れたこの甘味も、特別強く感じた。
 口内の余韻を楽しみながら、そこにお酒を流し込む。最高の時間だなぁと思っているとペンギンが少し体を倒し、にんまりとしながら私の顔を覗き込んできた。

「そういえばさ、おれ毎回記録してんだよね。いつ何を作って、みんなの感想がどうだったとか」
「へぇ。さすがペンギン、マメだね」
「今まで全部で12回、何かしら理由をつけて作ってきてる」
「へ? 理由って、みんなの誕生日とか、お祝いとかだよね」
「表向きはね」

 表向き、ということは別の理由があるということになる。人当たりがよくて、みんなからも好かれているしお菓子作りも上手い。そんな人物の秘めたる理由――実に気になる。袋に残っていたチョコを頬張りながら「表向き?」と繰り返した。

「ユメさ、覚えてる? おれがどんなの作ってきたか。まず、紅茶のパウンドケーキなんだけど」
「うん。あれはすっごく香りがよくって、おいしかったなぁ」
「次にスティックブラウニー」
「お店のみたいに濃厚で、でもくどくなくて……プチシューみたいにいくらでも食べられちゃうって思った」
「お前、本当にプチシュー好きだな」

 はは、と少しだけ照れくささを含んだような声を弾ませてから「じゃあ次、」とスマホに視線を落とす。次々にメモを見ながら過去に作ったものをあげていった。私はこれまでの美味しかった記憶を、アルコールのせいで建て付けの悪くなった引き出しから引っ張り出しては感想を述べる。そして、気がついた。7個目あたりで、ここまでペンギンが作ったものをすべて食べていたのではないかということに。
 日持ちしないものや、手作りという性質上、当日か翌日にタイミングよく出勤でなければ食べられないことも多い。誰かの誕生日祝いだとしても絶対に当日という訳ではなく、あくまでペンギンの都合で作られ、数日前後してお祝いとして、たまたまその日出勤のスタッフに振る舞われるのである。
 そして残りは5つ。比較的最近の出来事だから酔った頭でもしっかりと思い出せる。偶然、だよね。それに、お祝い事でなくても言ってくれれば作る、というさっきの言葉。急に体中が加熱されているみたいに熱くなる。

「あのさ」
「ん?」
「私、もしかしなくてもペンギンの手作りお菓子、全部食べてるよね? 残りも覚えてる。確か生チョコプリンにロールケーキ、チーズケーキ、いちごタルト……今日のプチシュー。皆勤賞?」
「あ、気づいた?」

 空に浮かんでいる三日月みたいにすっと細くなった目と弧を描いた口元。交友を深めても酔っ払いでもちゃんと保たれていた人一人分の距離がぐっと縮まった。ペンギンの手がゆっくり伸びてきて、これまでの美味しいお菓子を作り上げてきた骨張った指がふにふにと私の頬で遊ぶ。これは何だろう、ペンギンもそれなりに酔っているのかな。

「ユメって本当にうまそうに食べるじゃん? だから……好きなんだよね」

 ペンギンは少し首を傾けてから、頬の上にあった指を上唇の真ん中に移動させてちょん、と触れた。
 ずるいよ。縮め方がずるい。こんなことされたらきっと、少しでも好意があったら誰だって勘違いしてしまう。ここは真面目に考えちゃダメだと思って、「まるで告白みたいに言うじゃん?」なんて茶化してみたら、「よかった、ちゃんと伝わってて」と返ってきた。つまりこれは告白だということ、なんだろう。その余裕しかなさそうな笑みが見事に胸に突き刺さっている。

「えーっと、餌付けされてた?」
「はは、そうかもね」

 告白されているというのに、混乱していて何を喋っているか自分でもわからなくなってきた。でもひとつ、気になることがある。これ以上の致命傷を覚悟で、恐る恐る確認してみることにした。

「私のほかにもお手製お菓子、全制覇してる人っているの?」
「ユメだけに決まってるじゃん。言ってくれたら作るって、誰にでもってわけじゃない。特別」
「そっか……え、酔ってる?」
「じゃあ明日もう一回同じ話しよっか。何時に迎えに行けばいい?」

 酔っ払いの戯言かと思い問いかけるも、ペンギンはいつも以上に冷静に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。嘘をついているようには見えなかった。すぐにスマホのスケジュールアプリを開いて、私にも見えるように〈デート〉という文字を入力し始める。デート。なるほど、デートか。
 予想とは違う方向からの致命傷を受けた私は「えーと、わかんない。午後ならたぶん?」とどうにか答えた。声が震えていた。それはお酒のせいじゃない。精一杯動揺を隠したつもりだけれど、隠しきれていないだろう。その証拠に、一瞬だけれどペンギンの口元がいつになくだらしなく、くにゃっと歪んだ。私の反応を面白がっている場合にそうなることを、実は知っている。

 ポンッと電子音がして「じゃあ15時に迎えにいくから」というコメントと共に、同じ内容のメッセージが私のスマホに届いた。かわいいスタンプ付きで。ぱたり。胸の奥底の方で、ペンギンはお菓子作りが上手な気の合ういい奴だと思っていた私が力尽きた音がした。

「まァ……さすがにいきなり胃袋は重いと思ってさ、別腹からおれでいっぱいにしようかなってね」

 すっかり惚けてしまっているところに「おれ、飯も得意だけど……食べに来る? プチシューもつけようか」と聞こえてきた。
 いつの間にか人一人分のスペース、いつもの距離感に戻っていたけれど、帽子の影から覗く視線が今まで食べてきたお菓子以上に甘ったるく感じて……手遅れかもしれない。もはや中毒だ。私の心も体もペンギンの甘さで蕩けてしまっているのだと潔く認めてから、袋の中の350缶を手に取った。

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