Swim-ややこしくなってしまった話おまけ 落ち着くところに落ち着いた話/ロー視点-


 もう五半荘は打っただろう。現在南三局。五連対中のおれは今回もリードを保ったままで、親番も残っていた。「ローさん、少しは手加減してよ〜」と現在ラス目のシャチに言われたが、手を抜くのは趣味ではない。このまま確実に勝利をものにしようと早めに安全牌を抱え込みベタオリしていた。
「はいロ〜ン」
「は!? マジかよスジ引っかけじゃねェか!」
「さーてお楽しみの裏ドラちゃんは〜」
 リーチが入った一巡目だった。ドラと役牌が河にほとんど切れていない状況からすると高い手が入っていてもおかしくなかった。ならば最低限一発を消そうと思ったが、鳴ける牌が出ないどころか速攻でシャチが振り込んだ。うなだれるシャチ。そんなシャチの上家で、でっけェ傷パッドを貼り付けた右手で意気揚々と裏ドラ表示牌をめくる女。
 中学に入学してペンギンとシャチとおれは全員クラスがバラけた。そしてペンギンと同じクラスになったこいつと出会った。最初こそよそ行きの顔をしていたが、まるで欠けていたピースがハマったかのようにおれらに馴染んでいった。特に、ペンギンとはそうなるべくしてなったのでは、と言えるほどの空気感だった。こいつら、高校卒業と同時に結婚すんじゃねェのかと中学生ながらに思ったほどだ。
「えっ!! ちょっと待って、暗刻どっちにも乗った! 裏六じゃん! ペンギンありがと!!」
「ふざけんなペンギン! お前がカンしなきゃ裏三で済んだものを!!」
 ペンギンがカンしたせいで余計な裏ドラが増えてシャチの持ち点は箱下に沈んでいった。一人脱落――二番手との差は縮まったものの、取るべきイスに近づいたので問題ない。オーラス、親番。テンパイノーテンでもまくられない点差はある。伏せてもおれの勝ちだ。
 シャチが「お前ら八百長だろ!」と納得できないと言わんばかりの文句を並べているが、さすがに裏ドラまでわかるはずがないのでただの言いがかりだ。シャチの読みが甘かった、ただそれだけだ。
 シャチの小言をかき消すようにガチャガチャと音を立てながら洗牌し、牌を積んでいると対面から「今日の私、一生分の運使い果たしてない!? 大丈夫!?」と、いつもより少しうわずった声がした。視線を向けると、溶けたアイスのようにだらしのない顔を浮かべていた。
 裏六ごときでそんなに喜ぶか? この歳になってあんなケガまでして。そう思ったが、そもそもこいつらは今日、中学から大学という学生時代をほぼ全部使ったクソみてェな回り道を経て付き合うことになったのだから、そう言いたくもなるかと納得した。まァ、ペンギンがいつから本気でこいつのことを好きだったかなんて今となってはどうでもいい。そもそも二人の距離感はバグっていたし、さっきも言ったが学生結婚をしてもおかしくなかった。おれの中では。
 それが高校に入りそれぞれに彼氏彼女ができてから、少しだけがっかりしたような、寂しさのようなものへと変わっていった。失望とまではいかないが、どうしてこんなに近くに、これ以上はないであろう人物がいるのにとやきもきしていた。だが、決めるのは本人達で、おれ達が口を出すのは余計なお世話でしかない。そんな二人をおれはただ眺めていた。
 まるで恋心という毒には触れないように、触れさせないように。利用している意識なんかこれっぽっちもなかっただろうが、付かず離れずを保つクラゲと小魚みてェだと思った。
 ずっと隠された恋心に気づかなかったとして、このまま大人になって、それぞれに家族が増えて、変わらずに集まってバカやって、ジジイとババアになって、こいつらがお互いに「お前と結婚しとくんだった」「あんたと結婚すればよかったなぁ」なんて冗談を交わす日が来るのだと、どこか諦めていたのだ。
「え、何泣いてんのローくん」
「ロン」
 対面と下家から同時に声がした。ゆっくりとペンギンの手牌が開かれる。おれが打った北≠ェペンギンのチートイに当たったらしい。ドラドラ、六四〇〇点。幸いにもこのペンギンの上がりは四位との点差を広げ、そしておれに連チャンをさせずに終わらせるためだけのものだったようだ。
「……あくびだ」
 もうテンパイしているとは思っていなかった。正直動揺している。放銃したことより、無意識のうちに泣いていたことの方が問題だ。おれは苦し紛れに口をくわっと開いて、ほら、と無理矢理あくびを絞り出した。
「ふぅん。それにしても、またローくんに逃げ切られちゃったね」
 いい手が入ってたんだよ、と言って開かれた対面の手牌は役満、四暗刻のイーシャンテンだった。上がられていたらこいつが文句なしのトップだった。だとしたら、二局連続の大物手を成就させたことになり、それなりに運を使ったと言ってもいい半荘だっただろう。だが、こいつらの遠回りの結果は決して運なんかではなく、失敗を繰り返して傷ついて、気づいて、自力で掴み取ったものだと胸を張ったらいい。
 適当にペンギンに送った『おれの後輩がどこから聞きつけたんだか、別れたなら告白しようだとかほざいてたぞ。あいつ、ああ見えて外面はいいしモテるからな。そうなると……お前にも女、紹介しようか』という、少し意地の悪い文章がなくたって、どうにかなっていただろう。まァ、ほんの少しだけ時間を短縮するくらいの効果はあったらいい。
 それにしたって……おあつらえ向きに雪なんかが降っていて、今までの分を取り戻す時間にすりゃいいのに、すぐにおれらを呼んでこうしていつもと何も変わらない時間を過ごす二人は本当にバカだと思うし……何より、嬉しく思う。
「じゃあダンラスのシャチは積もってたら外の雪かき決定ね! とりあえずちょっと休憩しよっか」
「よーし! じゃあ動画見ようぜ!」
 落胆の表情を浮かべ、新たな缶ビールのタブを起こすシャチ。このメンツで飲んでも水のように酒が消費されていくだけだ。「あ〜疲れた!」と腕を伸ばし大きく体をそらしてから、誰一人として、ペンギンですら座ることが許されていないベッドの上に勢いよくダイブする家主。ペンギンがタブレットを操作し始める。
「おれさ、この韓国料理の食べ歩き動画見て、みんなで行きてェなって思ってたんだよ」
「え、ちょ、うまそ」
 タブレットの画面には芸人が大げさなリアクションでソウルフードを食す姿が映し出されている。シャチがころりと表情を変えて身を乗り出した。
「行こう行こう、いつ行く?」
「あー、行くなら来年で。年内はほぼ毎日バイトなんだわ」
「毎日か〜、大変そうだな。そういや学校も休むって言ってたよな。バイトのせいだったか?」
 シャチがペンギンの肩に腕をかけ、にやつきながらわざとらしく問いかけている。バイトを増やしたのも、数日学校を休むと言ったことも、その理由はもうわかりきっている。そのやり取りに「えっ、学校はちゃんと行くって約束したじゃん!」とベッドの主の声が響く。
「行くって! 行くに決まってんじゃん!」
「だよね。じゃあ年明け、ペンギンのバイトが落ち着いたころにみんなで行こう! 私もそのうち新しいバイト探すから、その前に」
 頭を冷やすために学校を休もうとしていた件についても、おれ達がここへ来る前に話し合われていたようで安心した。そりゃ、上手くいったんなら休む理由なんてどこにもない。
 付き合うことになったと、お騒がせしましたという報告は受けたが、詳細は語られないまま麻雀を打ち始めたもんだから、本当にそうなのかと疑う気持ちもあった。だが些細な話からも、二人は落ち着くところに落ち着いたのだと感じられて、それをやけに嬉しく思うのは……たぶん、酒のせいだ。
「オッケー! おれ、筋トレして仕上げておくわ」
「ウケる、仕上げるって何〜?」
「突然の出会い、あるかもじゃん?」
「ローさんに全部持ってかれるでしょ」
「あっ、乗り気じゃなかったらいいよ? ローくんも忙しいもんね」
「え、忙しい人が徹マンする?」
 どうやら四人で食べ歩きへ行くことが決まったらしい。さも当然と言わんばかりに。それにしても、こいつらには二人きりになりたいとか、やることやるとか、そういう思考はないのだろうか。
 ――そうか。当たり前のようにあって、強制でもなく、いつでも帰ってこられるような場所はおれやシャチにとっても有効なのか。おれとシャチに恋人がいてもいなくても、自らに相手がいてもいなくても、状況に応じたほんの少しの気づかいだけでおれ達との関係を大きくは変えなかった二人は、ようやく付き合い始めたというのにこれからも、この四人が特別≠ナあると思わせてくれるのか。
「いいだろう、行ってやる。シャチ、お前覚えとけよ」
「え〜! だって本当のことじゃんか!」
 よいしょと立ち上がったペンギンが「楽しみだなァ」と呟きながら、主以外座ることを許されないベッドにクッションを抱えながら腰を下ろす。すると、今まで見たことのない、ずいぶんと幸せそうにだらしなく口元を緩ませた片割れが、のそのそと動いてペンギンの体にぴたりと身を寄せた。
 あのころ抱いた気持ちは間違いではなかった。それ以外はない。
 おれはまた大きく口を開けて、わざとらしく「んぁ」と声を出した。

「ね、それぞれ行きたい場所をあげて、順番に全部行こうよ! 一周したらまた、次の候補地で!」
「いいなそれ。場所によっては家族旅行的な感じで行ってもよさそうだし」
「それなら温泉旅行に行きたいな。私、妹連れてっていい?」
「温泉かァ……それなら近所のじーさんも連れてってやるか」
「じーさん……ガラクタ屋か。おれはコラさんだな」
「コラさん! 呼んでよ! 絶対楽しいじゃんか!」
「久しぶりにラミちゃんにも会いたいな」

 おれ達は今までもこれからも、仲間という家族なのだろう。人は生きていく限り変わり続けるし、おれ達もそうだ。それでも、ずっと大切にしたい。
 盛り上がっている三人の会話を聞きながら缶ビールのタブを引き上げる。プシュッと音を立てて、いつもなら気にも留めないその音がなんだか心地よかった。窓の向こうはもう、薄ら明るかった。
 ふと視線をベッドの方へと向ける。見ていないとでも思ったのか、ペンギンがさりげなく耳元にキスをしたであろう瞬間が飛び込んできた。シャチはタブレットを操作していて気づいていないようだ。
 おれはすぐに、すでにおれが原因で部屋中に散らばっていたぬいぐるみとクッションをかき集め、これでもかと二人に投げつけた。ジジイとババアになってもきっと……ボケ防止に時々こうして集まって、くだらない話をしながら麻雀をするのだろうという未来を思い浮かべながら。

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