ひかりあわせ-死ぬ気で復讐をしに行ったけれど生きて帰ってきた話-


 あぁ、帰ってきた。
 久しぶりすぎてどんな顔をして戻ればいいのかわからない。ひまわりのようなポーラータング号。今の私には眩しすぎる。停泊している港の近くを、私は何度も行き来していた。
 私が船を離れている間にキャプテンは七武海になっていた。新聞で知った時には嬉しくて、その部分だけを切り取って大事にポケットにしまった。道中で失くしてしまったけれど。
 それでも意を決して懐かしいその船へと足を踏み入れた。真っ先にキャプテンの部屋へと向かう。そっと、誰にも見つからないようにひっそりと、気配を隠して。そういうのは得意だった。だけれど、いっそのこと取り出してほしいほどに心臓の音がドクドクと響いてうるさい。
 キャプテンが部屋にいるときにはドアの小窓にはカーテンがかかっている。確認すると部屋の中は見えない。いるのだ、部屋に。すぐそこに。私はノックをしようと心に決め、思い切り息を吸った。そして、吐き出そうとした瞬間だった。
 部屋の中からガタン、と一際大きな音がした。心臓がより大きく跳ね上がった。なんだろう、今はノックをしないほうがいいのだろうか。その答えを出す前に、目の前のドアが勝手に、勢いよく開いた。
「あっ、」
 キャプテンと目が合う。久々に見るキャプテンは新聞と違ってしっかりと色がある。写真と違って瞳が揺れ動いている。この数ヶ月の間に少しずつ抜け落ちたトラファルガー・ローという存在が私の中にくっきりと蘇っていく。
 気づけば手首を掴まれていて、あまりの力強さに痛みが走った。言い方は悪いが半ば無理やり部屋へと引きずり込まれた。あぁ、怒っている。当たり前だろうけれど。怒りで床にでも投げつけられることも覚悟していたが、私の体は驚くほどスムーズにキャプテンの胸に納まった。
 一度はバラされて当然と思っていた私にとっては想定外の事態である。『過去を清算してきます。必ず戻ります』と置き手紙を残し船を出た。あの日まで、私達はこんな距離感ではなかったはずだ。歓喜のハグだとか、そういう仲間同士のスキンシップはしてきた。それとは明確に違うと感じてしまった。腰と後頭部に回されている腕に、手に、じんわりと熱を感じた。
「キャプテン?」
「一ヶ月と十八日」
 その日数は本人でも一ヶ月程度、としか把握していない、私がこの船にいなかった期間なのだと思った。何だかキャプテンらしくないと思った。声が、震えているみたいだった。すると頭を抱えられていた手がするりと離れて、解放してくれるのだと思いきや、再び腕を掴まれ、引っ張られた。抵抗する気など毛頭ないのでされるがままにしていると、今度はソファに押し付けられるように無理矢理座らされた。そしてキャプテンは自分のジーンズのポケットをまさぐると一枚の紙切れを取り出し私の前へと差し出す。しわくちゃの紙。それは私が残していったメモだった。まさか、まだ存在しているとは思っていなかった。まるでビブルカードのように、いつも持っていたのだろうか。だとしたら。
「ごめんなさい。その……私どうしても」
「それで、清算とやらは済んだのか」
「はい」
 メモはひらりと床へ落ちていった。キャプテンはソファに縫い付けるように私の体を覆い、腕を押さえつける。怒ってる? 呆れている? わからない、まだ見たことのない感情のように感じた。これは、全部私から話さないといけないのだと思った。
「嘘を、ついていました」
「どんな」
「生まれも育ちも、名前さえも、偽っていました。家族を、仲間達を殺した海賊達の元で育ちました。運良く生かされていた私は途中で逃げ出したんです。そこでキャプテンと、みんなと出会って……本当の自分でいたいと思ったんです。これからを、みんなと生きていくために。その結果、死ぬことになっても」
 絶対に成し遂げると決めていた。こんなにキャプテンの瞳を見つめ続けたのは、見つめられ続けるのは初めてのことだ。凛としたまなざしの奥深くには粛々と燃える炎があるような気がした。けれど、その燃え種が何なのかは、わからない。
 ここでようやく、私の腕から手を離したキャプテンは一度体を起こし、今度は隣に腰を沈めた。私も座り直す。キャプテンは真っ直ぐ、ソファの対面の壁に配置されている本棚を見つめながら言った。
「二週間前、近くの島で壊滅した海賊団がいたな。主にガキの売買をしていた」
「はい、そいつらが私の仇でした」
「どうして誰にも言わなかった」
「私個人の問題に巻き込むわけにはいかないですよ」
「死ぬかもしれねェのに?」
「死ぬかも、しれないからです」
 私はこの場に及んでまだ嘘をついている。そもそも、全部終わったら死ぬ気だったんです、と言ったらどうするだろうか。"過去"の清算だなんて言葉を使ったけれど本当はそうではないと言ったら失望するだろうか。死んでもあいつらをこの世から消し去りたいと、そんな醜い思念だけで生きてきたのだと知ったら――
「あの置き手紙も、嘘か」
 どくり、心臓が破裂しそうになった。必ず戻る気なんて、なかった。だって私も先に逝ってしまったみんなの所へ行くのだと、残すは幹部と船長だけになった時までは思っていた。だけれど危うく致命傷を負いそうになったところで、ベポ達の、そしてキャプテンの顔がちらついた。私はハートの海賊団へ帰りたいと思った。
「最初から死ぬ気だった」
 不思議な現象。まるで私の思考が透けているみたいにキャプテンが言葉を発する。「家族の、昔の仲間達の無念を晴らすため」「そのために、それだけのために生きてきた」と続いた。
 どうしてそれを。私がキャプテンの方を見るとキャプテンもまた、こちらへ顔を向けた。なぜあなたがそんなに悲しそうな顔をしているの。私はほぼ無意識に手をキャプテンの頬へと伸ばしていた。その私の手を、キャプテンは覆うようにして掴んだ。
「それも、能力ですか?」
「違ェよ」
「でも、キャプテンに嘘はつけませんね。ごめんなさい。私は復讐だけしか考えてませんでした。みんなと生きていくために、って思ったのは本当に最後の最後です。全部終わらせて、私も今はいない家族と、仲間の所に行くんだって、死ぬんだって思ったら……声がしたんです。キャプテンとみんなの。それから次々に顔が浮かんで、まだ死にたくないのかもしれないって。都合がよすぎですよね。でも最初からそうだったってことにしたら、こんな私でももう一度、みんなに受け入れてもらえるんじゃないかって」
「もういい」
 もういい。それはたぶん、拒絶の言葉。そうだよね、都合よくいくわけない。これから先、どうやって生きていこうかと考える間もなく私の視界は大きく動いた。体がぐわりと、それなりに弾力のあるソファに沈み込んだ。キャプテンに包まれるように抱きしめられていた。生きている人間の、あたたかさだ。一体、どうして。
「誰しも隠したいこと、嘘をつくことくらいあるだろう。そうだと知らなきゃその嘘が真実。すべてだ」
 その言葉に許された気がして涙が出そうになった。でもすぐに、これは私を許すためのものではなくて、キャプテン本人の……そんな不安が襲ってきた。私の思いを言い当てたキャプテン。嘘をつくことを肯定するキャプテン。もしかしたらこの人も、何か復讐に似た思いを抱いているのでは。
 ぎゅっと、力が強まった。抱き返していいのかわからなかった。溶けてしまいそうなほどの熱。キャプテンは私の頭の横でソファに顔を埋めるようにしていて、表情はわからない。

 しばらくの間、私はそのまま天井を眺めていた。キャプテンは変わらず、私を抱えたまま伏している。世界から音は消えて、キャプテンの鼓動だけを感じていた。ただそれだけなのに、人に愛されるってこういうことなのかもしれない、なんて思った。思い出していた。キャプテンに手を差し伸べてもらったあの日のことを。これまでの航海の記憶を。偽っていたけれど、どれも確かに私の大切な記憶だということを。
「スッキリした一方で虚しさだけが残ったような感覚もあります。でも」
 あなたとこれからを生きていけば、この感覚もいつか私の一部だと思える気がする。私にとっての特別はとっくにあなた達だったみたい。二週間前。あの船に残されていた子供達が無事に海兵に見つけてもらえたように、私はあなたに見つけてもらえたあの瞬間から――今は心からそう思う。言葉にしたら、ちゃんと信じてもらえるだろうか。伝えようか、やめておこうか。
「後悔はしてません。復讐したことも、ここへ戻ってきたことも、あなたに打ち明けたことも」
 ずっと反応のなかったキャプテンの手が静かに動いて優しく私の頭を撫でた。どう受け取ればいいか考えあぐねていると「お前が自分であいつらに言うのは勝手だが、今聞いたお前の本心を、おれは誰にも言うつもりはねェ。おれも、お前らに言ってねェことがある……この先、嘘をつくことだってあるだろう」と聞こえてきた。
「置いていかれる辛さは知っていたつもりだった。正直、お前のせいで決意が鈍りそうだった。だが、今こうして話を聞いて、やっぱりやるしかねェんだと決心がついた」
 それはどういう意味なのか聞こうと思った瞬間、私の視界には少し体を起こしたキャプテンが入ってきて視線がぶつかった。その瞳に宿した焔が眩しい。けれどどこか、寂しさが見え隠れしているようにも思えた。
「もしおれの嘘がお前の、お前達にとっての真実になった日がきたとしたら……その時おれが生きていたら、お前のことが大切だったんだと伝えたいと思う」
 つまりそれはキャプテンは私のことを、とまで考えて、もしその日が訪れなければ意味のない言葉だと理解した。すぐにかき消した。そもそも、どれが真実でどれが嘘なのだろう。もう私達は何をしても話しても、その境目が曖昧にしかならないのだと感じた。だけれどキャプテンには死んでほしくないのだと思った。視界が歪む。涙があふれてきた。何に対する涙なのかはわからなかった。こうして生きて帰ってきたことをあらためて実感して安堵しているのか、キャプテンが死に向かっていると感じて怖くなったのか。かき消したはずの思いが浮かぶ。大切なのだと言われたことが嬉しいからなのか、死んだらもう聞くことはできないという悲しさなのか。ただ、今この瞬間だけはキャプテンの言葉が真実として優しく、私を包み込んでくれていた。



 気づけば、朝になっていた。私はソファからベッドに移動していて、部屋を見渡してもキャプテンはいなかった。ならばこの部屋にい続ける意味もないと思って、みんなに会いに行こうと立ち上がった。キャプテンのことだ、私が帰ってきたことは説明してくれているだろう。お騒がせしましたと頭を下げて、その後はみんなのリアクション次第。
 すうっと大きく息を吸って長い時間をかけて吐き出した。それと同時にドアを開けようとすると「わァ!!」「押すなって!」という声がして、なだれ込むように続々とみんなが部屋へと入ってきた。お互いに数秒、動きを止めた。どうやらずっと、通路で私が出てくるのを待っていてくれたらしい。
 気恥ずかしくなって、小さな声で「ただいま、でいいのかな」と伝えると「おかえりィ!!」「いいに決まってんだろ!」「心配してたぞ!」「このおバカ!!」「会いたかったぞ!」と、とにかく多種多様なおかえりをぶつけられ、もみくちゃにされた。胸が痛い。こんなに嬉しい痛みは初めてだ。やっぱり、大好きだ。私は本当にバカだった。みんなを置いていけるはずがない。私の第三の人生はみんなと、キャプテンのために生きなければと強く思った。

「今日は宴だぞ!」
「酒、飲めるか? キャプテンは大丈夫そうだって言ってたけど」
 少し落ち着いて食堂で話をしていると宴をするのだと知らされた。私にそんな資格があるのだろうか、そう思ったところで昨晩のキャプテンの『誰しも隠したいこと、嘘をつくことくらいあるだろう。そうだと知らなきゃその嘘が真実。すべてだ』という言葉が頭をよぎった。確かにそうだ。だけれど……
「うん。ありがとう。でもその前にみんなに謝らせてほしいんだ。私、ずっと、ずっと……」
 立ち上がる。右の方から順番にみんなの顔を視界に入れる。嘘をついていたこと、勝手に死ぬ気でいなくなったこと、都合よく戻ってきたこと、でもみんなが大切だって気づけたのということ。それをずっと黙ったままでいいのだろうか。ぐっと唇に力がこもっていたことに気づいたのは、イッカクが私の背中をぽんぽんと叩いたからだった。
「そんな顔してほしいわけじゃないんだって。だって、ここに帰ってきたじゃない。無理に話す必要はないし、どうしても話したいんだとしても落ち着いたらでいい。あんたのペースでいいんだよ」
「……う゛んっ」
 ここへ帰ってきたことが答えだと言われたみたいで、許されたみたいでまた泣いてしまった。こんなに涙もろくなかったはずなのに。それでもひとつだけ絶対に、言っておきたいことがあった。名前を偽っていたこと。それだけは、新しい私で生きていく上で伝えておきたかった。
「でもひとつだけ……本名じゃないの、今までの」
「へ?」
「そうなん?」
「それはそれでコードネームみたいでクールだと思うけどな」
「確かに!」
 想像していた空気感ではなくて驚いた。みんなあっさりと、そうだったのか、と受け入れてくれた。袖で涙を拭いながら思う。コードネームか。いくら今までの私を自分で受け入れられたとしても、みんなはどうだろうかという気持ちがあった。けれど、それなら悪くないのかもしれない。私にはもったいないほどの、太陽のような優しさ。一気に気持ちが軽くなった。「で、お前はどうしたいんだ?」とペンギンに聞かれて、みんな丸ごと受け止めてくれるのだと、私は私のこの素直な気持ちを口にしていいのだと思うと勝手に言葉になっていた。
「もう過去の名前は切り捨てようと思ってた。でもみんなのおかげで、それも含めて私なんだって思える気がする。だから呼びやすい、好きなほうで呼んでほしい。私の本当の名前は――」

 もう一度この世界に生まれたような気持ちだった。それと同時に、キャプテンにはまだ本名を伝えていなかったことを思い出した。気がついたら寝てしまっていたし、起きたら姿がなかったから。それと一緒に今のこの気持ちを、昨日伝えるか迷ったことも全部、キャプテンには伝えておこうと思った。伝えたいという思いが生まれた。私はすぐに「ごめん、キャプテンにも言ってくる! どこにいるか知ってる?」と聞くとみんなは「は!? キャプテンに言ってなかったのかよ!」「早く行け!」と青ざめたような顔で私の背を押す。良くも悪くも、あっという間に食堂から追い出されてしまった。

 最初に向かったキャプテンの部屋にまだ部屋の主は戻っていなかった。
 ゆっくりと艦内を歩く。潜水艦特有の染みついた生活臭が懐かしい。すっかり抜けてしまった感覚を取り戻しながら、持ち場にいてまだ顔を合わせていない仲間に帰還の報告、そして謝罪と感謝のハグをして歩いた。
 そしてぐるりと一周した私はまたキャプテンの部屋へと戻ってきていた。まるで全員に会ってから来いと言われているみたいだと思った。
 小窓のカーテンは閉まっている。昨日とは違った心臓の跳ね上がり方をしている気がした。ノックをしようかどうか迷いながらドアノブに触れると、それだけで扉が簡単に開いてしまった。そんなはずはと思ったけれど、その原因はすぐに判明した。キャプテンが内側から開けたからだった。視線をそっと上げると、ドアの隙間からのぞくキャプテンの瞳が、静かに私を映している。
「遅かったな」
「えっと、はい……すみません」
 どうして謝っているのか自分でもわからなかった。また来ると言ったわけでもないのに。けれどキャプテンは私がまた来るとわかっていたのかもしれない。そう思っていると、昨日のようにまた雑に招かれて、ソファに座らされた。部屋の空気がピリッとしていた。何に怒っているのだろうか。凄んでいるみたいで、思わず視線をそらしてしまった。
「名前」
「なまえ?」
 もう一度「名前だ」と言ってから口元をムッと結んだキャプテン。それとほぼ同時に頬をつねられて思い出した。そうだ、キャプテンに本当の名前を伝えようと思っていたのだ。色々な思いを伝えたい気持ちが強すぎて、すっかり忘れてしまっていた。
「あの、すみません。昨日はタイミングを逃してしまって、今日もなかなかキャプテンに会えなくて最後になってしまいました」
「知ってる」
 キャプテンは呆れたような物言いで隣へと腰を沈めた。ソファの沈み方が大きく感じてちらりと様子を横目で盗み見ると、昨日隣に座ったときより近くにキャプテンがいて、けれど同じように本棚の方を見つめていた。会話の流れから推測すると、もう間接的に私の本名を知ったのだろう。再度「すみません」と言うと「昨日もういいと言ったのはおれのほうだ」と、少しちぐはぐな返答があった。「まるでふてくされてるみたいですね」と小さくこぼすと「悪いか?」と声がした。やはりふてくされているのだ。そう思うとなんだかキャプテンがかわいらしく思えてしまった。こんなキャプテン、今まで見たことがなかったから。すると、みるみるうちに私の胸の奥が騒がしくなって温度が急激に上昇したのを感じた。
 それより、全部きちんと伝えようと思ってここへ来たんだ。嘘だと思われたっていい、これから言葉にして伝えていこうと決めたからここにいるのだ。早く言えと、早くと、賑やかな鼓動が私を急かす。
「名前に関しては本当にすみません。それで、私……やっぱりキャプテンに伝えておきたいって思ったんです。全部を。ここで生きていく決意みたいな、そんな感じで」
「言ったぞ。おれはすべてを言うつもりはねェしこの先、」
「でも! 私はそんなキャプテンに救われたんです。きっと、そんなキャプテンだから救われたんです。そこにどんな経緯があっても、どんな嘘が混ざっていたとしても、それは私にとって真実なんです。この先、私が生きていくのに必要なのはこの真実だけです」
 キャプテンの言葉にかぶせるように、まくし立てるように思いの丈をぶつけた。もっと違う言い方をするつもりだったけれど、逆によかったのかもしれない。一番ストレートに、芯の部分を伝えられた気がした。
「昔は体を、今は心を。救ってくれたんです。正直、恩人補正とかあるかもしれないです。でもキャプテンは特別なんだって気づいたんです。だから特別な人の特別な言葉があれば、私は生きていける」
「急に聖人みてェな扱いになったな。おまけにお前が言うと」
 そこでキャプテンがハッとしたように止まって、黙り込んだ。生ぬるい空気が漂う。その言葉の続きがわかる。私の言葉のすべてがウソくさいのだ。元々ここで生きていて本音をぶちまけることはなかったし、当たり障りのない言葉でやってきた。当たり前だ、ずっと嘘をついていたのだから。
「私が言うと薄っぺらい、ですよね。すごくわかります」
「……悪ィ」
「いえ、自分でもそう思います。昨日の今日で何言ってんだコイツって」
 だからこそ言えるのだ。真面目に受け取ってもらえなくていい、それならそれでいいと思ったから。けれどいつか、そうやって気持ちをごまかして、自分でも本当か嘘かわからなくなってしまう日が来るのでは。そんな予感がふっと湧き出た。
「……何言ってるんでしょうね、本当に」
 用意していた真っ白な画用紙がぐちゃぐちゃに塗りつぶされた。私の本当の気持ちはどこにあるのだろう。キャプテンが特別だと思う気持ちは本当のはずなのに、こんな私を救ってくれて、どこか似ている気すらして――それすらもここで生きていくための偽りの気持ちなのではないかと思ってしまった。急に自分が自分でなくなっていく。 
「おれも、今のお前の気持ちを知る日が来たらいいと、そう思っている」
「えっと……あの、意味がよくわからないです」
「わからないなら、わからないままでいい」
「嘘でもいいです。聞かせてください」
「……結局は、生きて帰ってこなけりゃ知り得ない感情ってことだ」
 聞き流しちゃいけない気がして、このままだと私という存在もわからなくなりそうで――嘘でもいいからと食い下がった。そうして得た答え。やはり、キャプテンには死ぬ覚悟があるのだ。けれど、死を前にした瞬間に私と同じように少しでもみんなの、あわよくば私の顔が浮かんだとしたら。きっと帰ってきてくれるのでは……そんなわずかな希望がぼんやりと心に灯って、見えなくなってしまいそうな自分をどうにか取り戻した。
「じゃあ、私と答え合わせしないとですね」
「……そうだな」
 その「そうだな」だけは嘘だと思った。女の、嘘をつき続けてきた私の直感。だから「どこへ行くのかは知らないですけど、私、ずっとキャプテンのこと待ち続けます。キャプテンのその人生が私達にとっての真実になる日まで、絶対に」と、キャプテンの手を力強く掴んだ。キャプテンは少しだけ驚いたような表情で私へと視線を向けた。「死んだって、亡霊になったとしても待ってますから」と付け加えるとゆっくりと目を細めて「亡霊じゃキスもできねェな」とこぼして私をそっと抱き寄せた。キャプテンは、優しい。唇に唇が触れる。きっと嘘だと思われただろうな。本当だからと伝えるように、応えるように私はキャプテンを求めた。

 いつか本当に答え合わせをする日が訪れたとしたら、今はまだ空っぽのこの行為も真実だったのだと証明できるだろうか。来なくても、それがまた真実となって、そこにキャプテンの嘘が混ざっていたことを知っているのも私だけだ。そう思うとまた胸が熱くなった。
 何度も本当の名前を呼んでくれて、けれどそこにまだ私はいないような気がした。荒々しく抱かれる虚しさが心地よく感じて、私も歪んだものだなぁと無駄に甲高い声を上げながら考える。自分でそうだと気づくだけまだマシかもしれない。これが本当の自分なのだと諦めがついた。
 こんなキャプテンを知っているのはきっと私だけで、こんな私を知っているのもキャプテンだけだ。誰にも教えたくない。私達だけの秘密。ベッドの上で欲を吐き出し終えた裸のままで向かい合っていると、なんだか共犯者みたいだなと思って、自然と口角が上がっていた。それを声にしたつもりはなかったのに、まるで肯定するようにキャプテンは切なげに笑みを浮かべて「知らねェほうが幸せだったとか言うなよ」と呟いた。
 心に秘めた何かがあることも、死ぬ覚悟を持っていることも隠そうと思えば隠せたはずだ。
「キャプテンだって黙ってることはいくらでもできたのに話したってことは、誰かに話したかったってことですよね。だから一部になれたみたいで、嬉しいです」
 そう言うとキャプテンの目が見開かれた。少し……いや、相当ヤバい女だと思われたかもしれない。けれど、これは純粋な、まごうことなき本心だった。
「……こうなったのは、お前だからだだろう」ともう一度強く抱きしめられて、それだけで絶頂に似た快楽が私の体を駆け抜けていった。思わず「ふふ」と息を漏らしていた。
 そして肝心なことは何ひとつ知らされないままその日を迎えた。キャプテンはひとり、船を降りた。



 あれから、何日、何ヶ月たったのかはよくわからない。もともと細かいことを気にする性格ではなかったから。けれどキャプテンはもしかしたら、また正確な日数をさらっと口にするのかもしれない。
 あの日を、あの瞬間を何度も、忘れないように思い出す日々も終わる。キャプテンが麦わら達とここに、ゾウに来ているとベポから聞き、ハートの海賊団は大騒ぎになった。私ももちろん、その一人だ。キャプテンが描いた、望んだモノになったのかはわからない。けれどこれが真実。そしてはっきりと、あの日の私の言葉は嘘ではなかったと証明できる。
 帰ってきたキャプテンにおかえりと駆け寄って行くみんなを、少し離れた場所から眺めていた。本当に帰ってきたのだと噛みしめているとキャプテンが一瞬、みんなから視線を外して私の方を見た。目が合った瞬間、血液が沸騰したように、全身を勢いよく巡っていった。私もみんなと一緒に勢いに任せて抱き付けばよかったと思った。タイミングを逃した。どうして一人ぽつんと傍観しているのだと、自分で自分に突っ込んだ。ただ、思いを抑えることはできなかった。
「キャプテーン!! おかえりなさい! 大好き!!」
「は、お前……何を恥ずかしげもなくそんなでけェ声で」
「私は! キャプテンが思ってるよりもず〜っと! キャプテンのこと!」
「わかった! わかった……」
 動揺している。確実に。キャプテンはばつが悪そうに帽子をずらして顔を隠した。
 キャプテンが私に「好きだ」と言ってくれたことはあの日から、旅立つ日まで一度もなかった。当然だ。こうして生きて再会する日がこなければ伝えるつもりがないのだと言っていたのだから。けれど感じていた。キャプテンが私を大切にしてくれていることを。真実にならなかった場合に備えてずっと、伝え続けてくれていたことを。
 みんなもつられて「おれも!」「おれだって好きだぞ!」「私も!」と続く。全員がキャプテンを大好きなことは知っている。だから、あえて叫んだのだ。こうなるだろうと思って。ちょっとしたいたずらが成功したような気分になってニヤついていると、ひと際通る声で「あの日の約束、嘘じゃねェからな!」とキャプテンがこちらを向いて叫んだ。
 やけくそ、みたいだった。言ってからあまりにも恥ずかしかったのか、また帽子を深くかぶり直している。耳が心なしか赤く染まって見える。嘘ではないのだとわかる。止まっていた私の時計は規則正しく、カチカチと音を立てて動き出したのだ。
 そんな私とは対照的に、あたりは静けさに包まれた。みんなの視線が一斉に私へと向いて、今度はキャプテンへと向かう。きょろきょろと何往復かした後、「え! 約束って何!?」というツッコミが森の中に響いた。キャプテンは「何だっていいだろ!」とみんなを振り払いながら私の方へと近づいてきて、目の前で足を止めた。本当にキャプテンがいるのだと実感する間も与えられないまま腕を掴まれて、キャプテンの胸の中にすっぽりと納まった。痛みを感じる程の力がこもっている。けれどキャプテンが生きて目の前にいるという現実が、事実が、その苦しみを打ち消していた。忘れぬようにと毎日、毎晩思い出した鼓動も、息づかいもすぐそばにある。夢ではないのだ。
「これで全部、真実ですね」
「あァ。だが……あの答え合わせは後回しだ」
「……覚えていてくれたんですね」
「当たり前だ」
 この状況。もっと大騒ぎになるかと思っていたけれど予想に反して、みんな静かに私達を見守ってくれているような雰囲気だった。いつまでもつか、後でどうなるかはわからないけれど。
「おかえりなさい」
「ただいま。それと、ありがとう」
 ありがとうというキャプテンの言葉が合図だったのだろうか。再びたくさんの「おかえり!! キャプテン!!」の声がして、今度は私ごともみくちゃにされた。見守り時間が短かった。これでも長かったのかもしれない。こんなに幸せなこと、あるんだな。そう思いながら脳内でキャプテンの言葉を繰り返す。
 そのありがとうは、好きも愛しているも全部一緒になった欲張りセットみたいだなと思った。
 答え合わせの時に確認しよう。するまでもないだろうけれど、念のため。何しろ私達は本心をぼかす達人だから。

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