凶悪なお化け


 マンガやドラマなんかで見たことがある、目が覚めたら先に起きている彼女が台所で料理をしていて……というシチュエーション。その後ろ姿だったり、包丁の心地よいリズムだったり、漂ってくる飯の匂いなんかに、おれはこいつと結婚するのだ、と思わされるというもの。
 やはりそんなものはフィクションなのだろう。おれは数分前、ドコンという鈍い音で目を覚ました。隣で寝ていたはずのユメの姿はない。そしてエプロンではなく、パジャマ姿のままでこちら部屋の様子をうかがっているのであろうユメの姿があった。クッション越しにのぞき見ていたので、おれが起きていることには気づいていないだろう。手には二人で食べるには大きいカボチャを抱え、そろりそろりと歩いている。おれを起こした音はカボチャを落としたものだろうか。何にせよ、寝起きの頭にはなかなかインパクトのある絵面だ。
 お互いに忙しく二人そろって家にいることも少ないので、この家は駅へのアクセス重視で選んだ。だがそれなりに新しく、広くはないものの開放的な間取りで、いざという時には面倒ではあるが区切ることができる点も気に入っている。そして、寝室からも多少リビングが見える。ということで、今のユメのように何かをこそこそと行うには不向きな物件である。
「ひゃぁ〜、ローくん、起きてないよね……寝てるよね?」
 ひとりごとだろうか、ひとりごとだろう。こちらをチラリと見てからユメはおれの視界から消えた。そして再び現れる。今度はバルーンのようなものを手にしている。何かの装飾だろうか。おれの誕生日ならもうとっくに終わったはずだ。
「急がなきゃなぁ」
 どうやら急いでいるらしい。おれが寝ている間に何かしようとしているのだろう。そういえば。おれは昨晩のおかずを思い出した。大量のカボチャ料理。サラダに煮物にコロッケ。そしてプリン。大きなカボチャを職場の人にもらったのだと言っていた。せっかくもらったからダメにしないように張り切って作ったのだと。一体どれだけの量をもらったのだ。あの抱えていたカボチャから、今日もまたカボチャ料理が作り出されるのだろうか。
 ここでおれはハッとした。そういえばあのバルーンのカラーリングを見た記憶があった。小児病棟の方で飾り付けがされていたなと。今日はハロウィンだ。あいつもここ数日忙しかったはず。準備する暇もなく前日になり、そして当日の朝こうしておれの寝ている間にサプライズでもしようとしているのだろう。つまりあれはもう、ジャックオーランタンだ。中のくり抜かれたものに違いない。
 少しだけホッとした。去年は「わざわざお互い忙しい中に組み込むイベントじゃないよね〜」と言っていたが、本当はやりたかったのかもしれない。
 ところが少ししてユメの活動の気配が消えた。いくらおれを起こさないようにしていたって多少の物音はあった。それがすっかり消えたのだ。今度はおれが忍び足で隣の部屋をのぞきに行く。するとユメはソファに横たわっていた。すうすうと寝息を立てている。部屋を見渡せばハロウィンカラーのバルーンが壁に飾られていて、テーブルにもキャンドルや小さなカボチャ、カゴに盛られたお菓子があった。この状況をハロウィンパーティーと呼ばずして何と呼ぶ。
「……ユメ、風邪引くぞ。ほら、あっち」
 毛布をかけてそっとしておこうとも思ったが、せっかくの休みだ。ベッドに連れて帰ることにしたおれはユメの肩を軽く揺する。するとすぐに目を覚ましたユメは、無言のまま起き上がるとそのままおれのほうに倒れこんできた。
「おい、ユメ」
「あー、ローくんだー!」
 むくっと顔を上げると屈託のない、眩しい笑みを浮かべたユメは再びおれにもたれかかる。どうやら寝ぼけているらしい。
「おい、ベッドに行くぞ」
「うん……一緒に寝るぅ」
「こいつ……」
 しっかりと抱きついてきたユメを丁寧に抱え上げる。するとおれの胸元に猫のように顔をすりすりと寄せてきて満足げに笑みを浮かべた。やはり寝ぼけているのだろう、それにしたって……こうも甘えられてはおれも黙って見ているわけにはいかない。ベッドへ運び、ゆっくりと下ろす。組み伏せるようユメに跨がるとさすがに目を覚ましたようで、パチパチとまばたきを繰り返した。
「ローくん? あれ? 私」
「お前が悪ィんだからな」
「私さっきまであっちで準備してて……って、もう見ちゃった!?」
「あァ。ハロウィンらしいことがしたかったんなら、素直にそう言え」
「その、言うほどでもないかなぁ〜って。ローくん、疲れてるだろうし」
「昨日の料理もそういうことなんだろ」
「あ……うん。ランタンはいくらでも売ってたけど、おっきいリアルカボチャを使いたかったんだ」
「変なところ律儀だからなお前」
 まったく。口にするつもりはないが、かわいい奴だ。カボチャ料理はしばらくごめんだと告げて軽いデコピンをお見舞いする。すると「えへへ」と笑い、すぐそばにあったクッションを手に取り顔を隠した。おれはすかさずそれを取っ払うとユメはまた「えへへ」と口元をニヤニヤと歪ませた。
「一度でいいからトリック・オア・トリート! って言ってみたかったんだよね。こっそり準備しておいて、起きたてのローくんに」
「つまり起きたばかりで丸腰のおれに、菓子をよこせ、さもなくばイタズラするぞって言うつもりだったんだな」
「あっ、あれ? バレてる?」
「一体どんなイタズラをするつもりだったんだ?」
 顔にかかった前髪を横に流しながら問いかけると、視線をそらし「おでこに肉って書こうと思ったの。油性ペンで」と照れくさそうに頬を染めている。頬を染めるようなイタズラには到底思えなかった。「へェ」とだけ感情を込めずに返すと「ごめん」としょげたような表情になった。
「ガキみてェなイタズラだな」
「え、じゃあ逆に大人なイタズラって何!?」
 口を尖らせて不服そうにしているおれの彼女。聞いてきたということは実践してもいいということだろう。そうだ、今日はハロウィンだ。おれは「トリック・オア・トリート」と口にしてユメの反応を待った。
「えっと、ハッピーハロウィン。お菓子ないので……イタズラ、してください?」
 あまりにも素直すぎて思考が飛びそうになった。踏みとどまった。してくださいと言われてしない男がいるだろうか。そっとぽってりとした唇の輪郭を指でなぞったところで、大人のイタズラが何なのか気づいたらしく再びクッションで顔を隠した。おれはもう届かない所にクッションを投げる。すると「あっ、あっちにはいっぱいお菓子、あるけど!」と焦りながら、今度は掛け布団を引っ張って顔を隠した。隠しても無駄だというのに。ユメの挙動ひとつひとつにグラグラと心を揺さぶられているおれがいる。今すぐ抱きつぶしてしまいたい。まったく、この世界にはずいぶん凶悪なお化けがいるもんだ。
「おい、そこの布団お化け。イタズラされたくなかったら布団もろとも全部脱ぐんだな」
「えっ、全部脱ぐってどういう」
「パジャマも下着も全部だ」
「あの……それって脱がなくてもイタズラされるし、脱いでもされるよね」
 ちらりと布団から顔をのぞかせてぼやく。そして「いつも私が嬉しいばっかりでさ、たまにはローくんにびっくりっていうか、楽しんでほしかったんだけどね」と、すねたような顔をしつつ、じいっとおれを見上げた。普段はしない上目遣いをベッドの上でだけすることを自覚しているのだろうか。まァ、していないと思うが。
 そこでふと、おれの頭の中に今朝のユメの姿が次々と浮かんだ。大きなカボチャを抱え忍び足で歩く姿。サプライズの準備中に寝落ちてしまった丸っこい背中。寝ぼけながら目を擦る小さな手。子供じみたイタズラを照れながら告白する表情。恥じらいを見せながらも、熱を帯びたような瞳。
 そうか――おれはユメと結婚するのか。ユメ以外にはいない。いるはずもない。キッチンで漬物を刻んでいたわけでも、魚を焼いていたわけでも、味噌汁を作っていたわけでもなかったが、そんな思いがおれの胸の中に確かに灯った。実在したのだ。
「ありがたく楽しませてもらおうか」
「あ〜、うん……あの……お手柔らかに、お願いします」


 すっかり日も昇って腹が減った。眠たそうにしているユメと一緒に用意されていたおにぎりやまだ残っていたカボチャ料理を食べながら、ぼんやりとこの先の未来を考える。いつ、どうやってプロポーズするのかを想像する時間も悪くない。ロマンチックなものもいいが、それは一度派手に驚かせてからでもいいだろう。あっと驚いて、ゲラゲラと笑うユメに会いたい。
 ふとテーブルの上で不気味な笑みを浮かべているカボチャと目が合う。そいつの表情はまるで「あァ、それがいいな」と、おれの案に賛同しているようだった。

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