人間の逆襲


夢主視点/人間の逆襲

 ハロウィンの時期はバタバタと過ごすことが多く、一度もパーティーをしたことはなかった。そもそも、ハロウィンパーティーとは何をするものなのだろう。失礼ながら仮装してはしゃぐイベントという印象が強すぎて、私には縁遠いものとして脳にインプットされ、ほかの情報を調べる気も起きないほどにハロウィンへの関心は低かった。
 それが去年、職場の同僚が私に可愛らしくラッピングしたお菓子を差し入れてくれたことから進展した。ありがたいことにハロウィンの由来を詳しく説明してくれたのだ。
 ケルト族の信仰、ローマのお祭り、キリスト教が混ざりあって生まれたもので、お盆と同じように死者の霊が戻って来る期間。そしてそこに紛れている悪霊から身を守るための変装や仮装と、追い払うためのお菓子たち。今では宗教的な要素は薄れて、楽しむものに変化したらしい。
 興味がないとはいえ、トリック・オア・トリートという言葉と、本来は収穫祭らしいことは知っていた。けれどこうして詳細を知った今なら少しだけパーティーっぽいことをして、その言葉を使ってもいいのかも、使ってみたいな、という思いが生まれた。
 しかし実行するには問題があった。ローくんは毎日忙しそうにしている。私も疲れ気味。そんな中、わざわざ時間を割くほどのイベントでもない。すぐにクリスマスもあるからという理由を付け加え、開催を見送った。
 そして今年。今年こそローくんの負担にならないように勝手に準備し、勝手に開催しようと決めた。しかも決めたのは前日になってからだ。色々な偶然が重なり連休になった私は、まずあのカボチャの飾り、ジャックオーランタンを自作することにした。売り物、完成品を買ってもよかったけれど、せっかくなので質感にこだわりたかったし、何よりあれだけ街中でカボチャを見ていたのでカボチャ料理が食べたかったというのも大きい。ただ、当日にカボチャ料理を出すのは諦めた。調理したものを隠しておくことはほぼ不可能だったので、大きなカボチャをもらったという設定で前日から食べる方向にした。
 煮物、コロッケ、サラダ、プリン、ケーキ。こんなに料理したのは本当に久々だ。飾りつけのほとんどは百円均一で揃え、ハロウィンらしさ満載の焼き菓子はポップアップストアなどで購入。それならランタンも買えばよかったのではとツッコミを入れられそうだけれど、とにかく私はカボチャ料理が食べたかったのだ。
 前夜祭はシークレット開催。飾りつけもない部屋の中で、私だけがこのカボチャを育ててくれた農家の人に感謝しながら料理というハロウィンを楽しんでいる状態だ。ローくんは「うまい」と言って食べてくれたし、たくさんもらったのだという理由で納得していた。
 ハロウィンのハの字も出なかったことに、これならうまくいくぞと心の中で密かにガッツポーズを決めた。ハロウィン当日の朝、早起きをして飾り付けをし、こっそりベッドに戻る。そして何も知らずに起きたローくんに「トリック・オア・トリート」と言うプラン。そう、お菓子を持っていないローくんに、お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞ! と仕掛けるのだ。何言ってんだ、と言ってくるであろうローくんを飾り付けした部屋へ案内し、ローくん用のお化けおにぎりや私用のお化けパン、サラダ、お菓子を食べて久々にのんびり過ごすというサプライズハロウィンをするのが最終目標。
 問題は、どうやってローくんを起こさずに自分だけが早く起きるかと、いうことだった。いつもアラームより早く目が覚めるので、その時に勢いで起きるのだという気合いだけが頼りだった。

 当日。私は無事アラームより早く目覚め、ローくんを起こさぬように布団から抜け出すというミッションをクリアしていた。しかし。起きることを意識しすぎて夜中に何度も覚醒し、時間を確認することを繰り返したので、常に眠気が襲ってくる状況で、頭はぼんやりとしている。本当によく起きられたと思う。
 気を取り直そう。まずは今日のパーティーの主役、くり抜いておいたカボチャをテーブルのセンターに置くべく棚からそっと取り出した。ふあぁ、と大きなあくびが出る。そこで私はうっかり手を滑らせてしまった。ドコン! と鈍く大きな音が部屋に響く。しまった。私の心臓は早鐘を打つ。ローくんが起きてしまったら、このせっかくのサプライズは失敗だ。仮に夜の時点で突っ込まれていたとしても、世間ではそうだね、と押し切ればよかった。けれどこうして準備段階を見られてしまったら言い訳のしようもない。最悪の事態なのだ。
「ひゃぁ〜、ローくん、起きてないよね……寝てるよね?」
 ついつい小声で呟く。チラッと寝室の様子を確認するとクッションを抱えたままぐっすりと寝ているであろうローくんの姿。うん、大丈夫そうだ。テーブルにさらっとした黒のクロスをかけて、オレンジのつやを放つジャックオーランタンをセッティング。たったこれだけで一気にハロウィン感が出た。これはいい感じだ。続けて百均で購入したバルーンに空気を入れ、壁に貼り付けていく。
「急がなきゃなぁ」
 早起きしたからとはいえ、のんびりはしていられない。先ほどのように物音を立てたら起きてしまうかもしれない。ころんとした小ぶりのカボチャやキャンドルもバランスよく並べ、ファンシーにデコられているカゴいっぱいに普段では食べないようなお菓子をたくさん盛る。そして私はそーっとベッドに戻るのだ。
 ローくん、喜んでくれるだろうか。私が勝手に準備して美味しいもの食べる会を開くくらいなら迷惑じゃないよね。仕事で疲れているだろうから、いっぱい食べて元気になってくれたらいいな。


「……ユメ、風邪引くぞ。ほら、あっち」
 耳元でローくんの声がした。何だろう。私は横になっていて、突然目の前に現れたローくんは吸血鬼風のマントを羽織っているように見える。体をゆさゆさと揺さぶられて、ゆっくりと体を起こすとローくんは二ッと歯を見せて笑いながら顔を私の首元に寄せてきた。あれ? そんなに犬歯、尖ってたっけ。本当に吸血鬼みたい。もしかして、血を吸おうとしているのだろうか。そう思って反射的に目を閉じたところでパッと場面が切り替わった。目の前にはぼんやりと人の影があった。寝癖をぴょこんと立てた、パジャマ姿の大好きな人。
「おい、ユメ」
「あー、ローくんだー!」
 そりゃそうだ、ローくん決まっている。吸血鬼のような姿はハロウィンが私に見せた幻覚だろう。
 学生のころもお互い勉強で忙しかったけれど、どうにか無理にでも二人で会う時間を確保していたのだな、としみじみ思う。社会人になってからはすっかり会う頻度が減ってしまって、あまりにも時間が合わずこうして一緒に住むことにしたのだ。だから、ローくんがいるのだ。
「おい、ベッドに行くぞ」
「うん……一緒に寝るぅ」
 ローくんの体温がぬくぬくしていて気持ちがいい。それにしても、さっきのローくんカッコよかったなぁ。いつものローくんがカッコよくない、なんてことは決してないのだけれど、もし一緒に仮装をするとしたら……ローくんは吸血鬼かぁ。見てみたいなと思っていると、見上げたそこには見慣れた寝室の天井があった。そしてすぐにローくんの顔がカットインした。体に感じるローくんの重み。幻覚のローくんみたいに二ッと不敵な笑みを浮かべながら、私の上に跨がっている。すーっと、意識が冴えてきた。あれ、どうして私はベッドにいるのだろう。絶賛ハロウィンの準備中だったはずなのだけれど。
「ローくん? あれ? 私」
「お前が悪ィんだからな」
「私さっきまであっちで準備してて……って、もう見ちゃった!?」
「あァ。ハロウィンらしいことがしたかったんなら、素直にそう言え」
「その、言うほどでもないかなぁ〜って。ローくん、疲れてるだろうし」
「昨日の料理もそういうことなんだろ」
「あ……うん。ランタンはいくらでも売ってたけど、おっきいリアルカボチャを使いたかったんだ」
「変なところ律儀だからなお前」
 確かに、風邪を引くぞと声をかけてくれた気がしたし、抱っこしてくれたようなことをぼんやりと覚えている。そうか。睡魔に負けてバレてしまったのか。
 ミッションは失敗。気分が沈みそうになったけれど、なんだか目の前のローくんの機嫌は良さそうだ。ただ「カボチャ料理はしばらくごめんだ」とおでこを指でパチンと弾かれた。さすがに多すぎたか。「えへへ」と笑いはしたものの、カボチャ料理を食べたい欲に勝手にローくんを巻き込んだ愚かさと、巻き込まれたのにも関わらず、私を見下ろしながら楽しそうにしている彼氏という存在に耐えられなくなって、素早く近くにあったクッションを取り顔を隠した。しかし、それはすぐに取り払われてしまった。
 再度「えへへ」とごまかそうとしたけれど、朝からこんなにカッコいいローくんを浴びてしまってはなすすべもない。あらためて私はローくんが大好きなんだなぁと認識する。そして素直にこれまでの経緯を説明することにした。
「一度でいいからトリック・オア・トリート! って言ってみたかったんだよね。こっそり準備しておいて、起きたてのローくんに」
「つまり起きたばかりで丸腰のおれに、菓子をよこせ、さもなくばイタズラするぞって言うつもりだったんだな」
「あっ、あれ? バレてる?」
「一体どんなイタズラをするつもりだったんだ?」
 焦った拍子に顔にかかった前髪の束を、ローくんがそっと払いのけた。ローくんの触れた部分がポッとあたたかくなって、一緒にいるという幸せを実感する。そして意を決して「おでこに肉って書こうと思ったの。油性ペンで」と、今日の最大の目標を打ち明けた。
 ローくんの表情は一瞬で真顔になり、「へェ」とだけ返ってきた。あ、怒らせてしまっただろうか。いや、これは怒っているというより呆れているほうに近い。ほとんど感情が乗っていないヘェだ。でもまだ実行していないし、もうできないイタズラだ。未遂だもん。
 とりあえず、だなんて言ったらそれこそ怒るかもしれないけれど「ごめん」とだけ口にすると、ゆっくりと目を細めたローさんに「ガキみてェなイタズラだな」と追撃された。
「え、じゃあ逆に大人なイタズラって何!?」
 思わず聞き返してしまった。もっと高度なイタズラをしろということなら具体例を挙げてもらいたい。洋服から靴下まで全部裏返しておくとか? その場合、イタズラというよりも仕掛けておく、といった感じだから少し違うかな。本場のイタズラは生卵を投げるらしい。実際にするとしたらパイ投げだろうか。渡したおにぎりに大量のワサビを仕込む、血のりを用意しておいてびっくりさせる……寝起きのせいかあまりいいアイディアは浮かばない。
 必死に考えていると真上から「トリック・オア・トリート」という、私が使おうと思っていたあの言葉が降ってきた。ピッと固まってしまった。心臓が大きく動く。やられた……カウンターだ。ローくんってば、本当に悪そうな顔をしている。
「えっと、ハッピーハロウィン。お菓子ないので……イタズラ、してください?」
 そう、今の私もお菓子を持っていない。つまりイタズラされるということになるのだ。どんな大人なイタズラを披露してくれるのだろうかと思っていると、ローくんはやたら色っぽさをまとったような視線でこちらを見下ろしながら、私の唇をぐるりと一周、ゆっくりと指でなぞった。
 ぞわぞわと、忘れていた感覚が全身を駆け巡った。大人ってその、そちらの……デスカ。私は再び手を伸ばして近くにあるはずのクッションを探し、素早く顔を隠した。保護した。大人の認識の相違にどう対応したらいいかわからなくなった。いくら同棲しているとはいえ、ハロウィンの朝にそんな心の準備、していない。あっけなくそのクッションは手の届かない遥か彼方へと飛んでいった。そうだ、カゴにたくさんお菓子を用意してあるじゃないか。「あっ、あっちにはいっぱいお菓子、あるけど!」と言ったけれど、ローくんが動く気配がない。私はローくんから視線をそらせないまま、手探りで掛け布団を掴んで顔を覆った。
「おい、そこの布団お化け。イタズラされたくなかったら布団もろとも全部脱ぐんだな」
「えっ、全部脱ぐってどういう」
「パジャマも下着も全部だ」
「あの……それって脱がなくてもイタズラされるし、脱いでもされるよね」
 そっと布団をずらしてローくんの様子をうかがう。自分で脱がないなら脱がすぞとでも言いたそうな顔と手の構えをしている。本来イタズラするのはお化け側のはずだ。結局、びっくりドッキリさせられているのは私のほうだ。
「いつも私が嬉しいばっかりでさ、たまにはローくんにびっくりっていうか、楽しんでほしかったんだけどね」
「ありがたく楽しませてもらおうか」
「あ〜、うん……あの……お手柔らかに、お願いします」
 ローくんが楽しいと言ってくれるのなら、感じてくれるのなら、この失敗したこの作戦にも意味は生まれたと思う。さすがに自分で脱ぐのは恥ずかしすぎてできなかったけれど、お互いに忙しくてもちゃんと愛があるのだと、愛されているのだ実感できて……やっぱり、私が一番嬉しい思いをしてしまった気がする。

 すっかり朝食と呼ぶには遅い時間になってしまったけれど、おにぎり達と一緒に申し訳なく出した残りのカボチャ料理も、美味しいと食べてくれる寝癖がついたままのローくん。もぐもぐと頬張る姿を眺めながら今日何度目かの幸せを噛みしめていると、存在感のあるジャックオーランタンと目が合った。
 自分で作っておいてなんだけれど、やけに腹が立つ顔をしている。まるで「サプライズ失敗してやんの」と言われているようだった。けれど、こんな日だってあるよと言い返して、いつかもっとローくんをびっくり、ドッキリさせてやるのだと心に誓った。

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