そうだ、潮干狩りに行こう!


 つい昨日、この島一面を覆っていた赤黄色。風が吹けば耳障りのよい音を立てながら舞い散る木葉にワビサビ的な物を感じていたのに、今日は日差しが特別強い。
 現在滞在している島は秋島の秋のはずなのに。なんなら冬島では、と思う冷え込みを見せることもあるし、夏のような暑さを感じる日もある。自律神経をやられてしまいそうだ。
 珍しい夏日は無視するとして、朝食後にこの島のベース、秋の気候に合わせた料理をサンジと試作していた私。乾燥からくる障害、燥邪をケアすべくお芋を使った料理を考えていた。

「ウソップが買ってきた珍しいイモ、この島の特産品みたいだな」
「旬だって言ってたから、栄養もたっぷりだね!」

 とはいえ、基本的な調理はサンジが行う。私はちょい足しする材料をメニューに合わせて水で戻すのか、粉末にするかなどを考える係だ。

「このお酒で戻したチンピ、入れてみよう!」
「量はどうする?」
「あんまり入れると主張が激しくなっちゃうかも?」
「オーケー、任せて」

 細かな指定をしなくてもサンジはイメージしている味付けにビタッと寄せてくれる。本当にここにいて私がすることは少ない。
 今日のちょい足し素材であるチンピは本当に重宝している。みかんの皮にも栄養があって、乾燥させれば保存も可能だと説明してからは何も言わなくても食べた後の皮を私のところへ持ってきてくれるようになった。ルフィやゾロは丸ごと食べてしまうけれど。お茶にして飲んだり、ゼリーに使ったりと大活躍だ。
 そうだ、久々にゼリーも食べたいな。私が食べたいっていうのもあるけれど、航海とこの不思議島の気候にお疲れ気味で数日元気のないモモくんもゼリーなら食べてくれるのでは。
 よし、サンジに提案しよう。そう思ったところで手を滑らせてチンピを保管していた瓶を床に落としてしまった。ゴロゴロと音を立てて転がって、棚にぶつかって止まった。
 すぐに「大丈夫?」とサンジが声をかけてくれた。「うん」と返事をして瓶を拾い上げようとしゃがみ込んだ瞬間。前に飲み会で、ここでみんなに隠れてローとキスをしたこと、正確に言えば一方的にされたことを鮮明に思い出してしまった。ローの手が触れた時の耳の熱さも、少し乾燥していたけれど弾力のあった唇の感触も、「また後でな」と言った時の少しだけ意地悪な笑顔も、はっきりと。

「ユメちゃん?」

 しゃがんだままで瓶を見つめているとサンジが呼ぶ声がしてパッと顔を上げる。心配そうにのぞき込んできたサンジのそのアングルが、あの時のローとかぶって思わず顔を手で覆ってしまった。

「あっ、ごめん立ちくらみ!」
「何だって!? ちょっとそっちで休んだほうが」
「いやいや、もう大丈夫」

 ひらひらと左右に手を振って何の問題もないことをアピールするもそのまま抱き上げられて、カウンターのイスへと座らされてしまった。下手な嘘、つかなければよかった。今サンジと対面になるのはちょっと……今の私の顔はきっと、人に見せられないほどにニヤけてしまっている気がするから。

「しばらくそっちから監督しててくれればいいから」
「もう、過保護だなぁ」
「最近ユメちゃんが楽しそうにしてるのは知ってるけど、休める時に休んでおいたほうがいいとおれは思う訳だ」
「……はぁい」

 元々女性には甘いけれど、ここまで言われてしまったら無理にサンジの横に戻るわけにはいかない。ありがたく見学……じゃなかった、監督させてもらおうとポットを手に取って少し前に入れたお茶をカップに注いだ。
 とぽとぽとカップを満たしていく薄いオレンジ色を眺める。あの時は赤紫だったなぁと、お酒に色々と入れて温めたホットドリンクを思い浮かべる。そういえばあの日は気づいたら部屋に戻っていて朝になっていたんだっけ。聞けばあの後、ルフィとサンジもやってきて、寝てしまった私を部屋へ戻るナミ達と一緒にサンジが運んでくれたらしい。
 また後で、のキスの続きはあれからない。期待している訳じゃない。だってお酒の席の出来事だったから。
 酒のせいではないと言っていた。けれど、それすらお酒のせいの可能性が高い。事実、その後何もないのだからお酒のせいに決まっている。ローもあれからいつもと変わらないし。だから私が変に意識して面倒な状況にする必要もない。実は内心ドキドキしているけれど、表向きの平常心は保てていると思う。普通に会話も、いつもの勉強会もできている。

「ユメちゃん!」

 そう声がして、ポットを持っていた私の手をサンジが掴み上げた。ハッと目の前を見るとカップからお茶がこぼれていた。

「わ……ごめんね。ちょっとぼんやりしちゃってたみたい」

 すぐに立ち上がろうとするとサンジがそれを手で制する。「おれがやるから」と素早く布巾でお茶をふき取る。さらに「服、汚れてないかい?」と新しいタオルを差し出してくれた。彼は私がローのことを考えてぼんやりしていたことを咎めたりはしないのだ。こんなときには逆にハッキリと言ってもらいたいとさえ思ってしまう。

「サンジと一緒にいるとさ、自分の残念さが浮き彫りになるよね」
「そんなことないさ。何かに集中しているユメちゃんも、時々おっちょこちょいなところを見せてくれるユメちゃんもどっちもかわいいらしくて、一生懸命で好きだからね」
「本当に?」
「本当さ。この命をかけたっていい」
「そっか。ならまぁ……いいかな」

 あまりにも気が緩んでいたらゾロあたりがビシッと喝を入れてくれるだろう。だから今はサンジのこの言葉に甘えよう。ま、あんまりぼやっとしすぎているとこうして日常生活に支障をきたすから、少しは自主的にしゃんとしないといけない。

「ところでさ」
「ん?」
「ユメちゃんがボーっとしてる原因ってさ」

 ひょっと顔を上げるとぶつかった視線。私よりも先にサンジのほうから逸らした。話しかけておきながら、なんだか少し決まりが悪そうにタバコをふかしている。

「いや……ボーっとすることくらい誰にだってあるよな。何か悩みがあるならおれが聞くぜ」
「うん。今のは例えるならただの白昼夢的なやつだからさ、めっちゃ行き詰まったら相談させてもらうよ。サンジもさ、何かあったら言ってね」
「うぉ〜〜〜〜ん! 優しいなァユメちゅわァ〜ん!!」

 少しシリアスさを感じるような雰囲気から一転してパッと花が咲いたようにこちらを向いた。カウンター越しでも抱きついてきそう。そんな勢いで身を乗り出したサンジにお茶を拭いたタオルを差し出すと、ぴたりと動きを止めて静かにそれを受け取ってくれた。
 これはきっと……サンジにもバレていそうだな。そう思いながら、新しく用意してくれたお茶を手に取る。楽しむと決めたけれど、迷惑をかけるほどうつつを抜かしているのはいかがなものか。何事もバランスが重要だ。ただ、それが一番難しい。

「あっ!! そういえば!」
「そういえば?」
「この島の海岸、潮干狩りの看板出てたよね? グランドシジミ!」

 そうだ、デトックスしよう。気づかないうちに体内に不要なものが溜まっているから、ぼーっとしたり、思考もスッキリしないのではないだろうか。潮干狩りで体を動かして、食事で体内の老廃物をリセットして、おいしさで心も元気になって一石二鳥だ。

「お芋の煮物に、そうだなぁ……シジミにトマトを合わせたスープとかどうかな? 少しあっさりした感じで」
「おっ、いいね。それならメインディッシュは魚にしよう」
「私、シジミ採ってくる! お魚はストックある? 買い出しする?」
「いや……体調がいまいちならそれは野郎どもにまかせよう」
「どちらかというと私の気分転換も兼ねてるんだけどな」
「とはいってもなァ……それならおれも一緒に」
「煮物、放置していくの? 弱火でじっくり、だよね」
「それもそうなんだが……」

 あごに手を当てながらうーんとうなるサンジ。適当なウソをつくんじゃなかった。こんなにピンピンしているのに。でもこの雰囲気なら、誰かと一緒ならオーケーが出そうな気がする。

「わかった。ローとチョッパーも連れていく! それならいいよね、医者と一緒なら」
「そうだな……そうか……そうだよな……魚もあいつに頼むか」
「オッケー! 確かここの干潮はお昼前後だったはず、さっさと誘って行ってくるよ!」
「ただし、荷物持ちとかも考えて絶対に医者1人を含む3人以上で行くことが条件だ。チョッパーだけかローだけってんなら今日はナシだ」
「え〜、本当に心配性だね」

 カップのお茶を飲み干して、ぴょんっと勢いよくイスから降りる。「おいおい、そう慌てるなって! またふらついたら」と聞こえてきたけれど「大丈夫だってばー」と、ひらりと手を振り部屋を出た。
 シジミ、砂浜、潮干狩り。シジミ、砂浜、潮干狩り。リズミカルに口ずさみ、軽快なステップを踏みながらチョッパーの医務室を目指した。


 勢いよく医務室のドアを開けた。視界の先には、すうすうと寝息を立て毛布にくるまり寝転んでいる船医の姿。「チョッ……」と言いかけた口をとっさに手で押さえた。起こしてしまわなかっただろうか。チョッパーは「う〜ん」と唸り寝返りを打つ。ぴたりと息を止めて様子をうかがっていると、少ししてから規則正しい呼吸が聞こえてきた。
 よかった、ホッと胸をなでおろしながら入りかけの体をそっと部屋から出してドアを閉めた。愛おしすぎるチョッパーの残像。それも徐々に消えていく。用事がなかったらそのまま部屋に居座ってチョッパーを眺めていたいところだったけれど、今日の目的のシジミを狩るにはタイムリミットがある。やむなし。
 クルっと身を返したところで、こちらへ向かって軽やかな足取りで歩いてくるブルックの姿が目に入った。ブルックも私に気づいたようで、スッと背後の方を指差しながら「トラ男さんならあちらに行きましたよ」と歯を見せながら笑いかけてきた。いや、骨だから歯はいつも見えているが。

「え、私がローを探してるって思ってたり?」
 
 最近のみんなの共通認識として、私とチョッパーとローはセットになっているようだ。ブルックは頬を赤く染めているかのように手で押さえながら「ヨホホホ、違いましたか?」とおどける。

「まぁそうなんだけど」
「チョッパーさんは寝ていらっしゃいますが、今日も勉強会ですか?」
「今日はね、潮干狩り!」
「……潮干狩りというと、あの潮干狩りですか!?」

 ブルックがこくっと首を傾けながら熊手で貝を掘るような仕草を2、3度繰り返した。確かに私達が勉強会以外で集まるには、少しアクティブな内容かもしれない。ここで私はサンジの言葉を思い出した。

「そう、潮干狩り。そういえば、サンジが心配性すぎて医者を含む3人以上じゃないと行っちゃダメだって言われたんだよね……」

 至近距離でブルックの顔を見るには身長差のせいでそこそこに上を見上げなければいけない。ローよりもだ。ブルックが私の発言の意図を考えるようにしてアゴに手を当てた。もう一歩踏み込んでいく。

「今日サンジとお芋の煮物作っててね、スープも一緒に飲みたいんだ」
「私、もしかしなくても誘われてます?」
「メインディッシュはお魚。それも仕入れたいんだけど……スープは多めに作って、次の日カレーにリメイクしても美味しそうだよね」
「カレー……ヨホホホ、私が加われば医者であるトラ男さんを含めて3人。わかりました。お供させていただきましょう!」

 よだれを拭くように口元をハンカチでおさえると「そうと決まれば早くトラ男さんを捕まえましょう」と私の背後に回り込んで背中を押し始めた。

「そんなグイグイ押さなくても〜」
「潮干狩りには時間制限がありますよね。そういえば服装はこのままで大丈夫ですか?」
「あっ、確かに。長靴の方がいいかな……そもそも長靴、あったっけ」
「ならば私が長靴を用意しましょう。この島の潮干狩りの看板があったのは確か南の海岸でしたよね、現地集合でいいですか? ユメさんは話をつけてトラ男さんを連れてきてくださいね〜」

 私が答える前にブルックは走り去ってしまった。ローが行かないという可能性は考慮していないのだろうか。それとも私が絶対にローを連れてくるのだという確信があるのか。
 部屋の靴箱の中に長靴があった記憶がないので用意してくれるのは助かる。もしかしてわざわざ買いに行ってくれたのだろうか……ありがたいけれど、こうなると私は何としてもローを潮干狩りに誘わなければならない。ま、ダメならダメで二人でこっそり行ってしまえばいいか。
 そんなことを考えながらブルックの示した方へと歩いていると、柵に肘をかけて海を眺めているローの後ろ姿が見えた。ローは時々こうして海なのか空なのか、ぼんやりと眺めながら何かに思いを馳せているようなときがある。元々、単身でこの船に乗っているからひとりでいることは不思議ではないけれど、今みたいにほんのちょっとだけ背中が丸まっているように見えることがたまにあるのだ。

「そこのローさ〜ん」
「……」

 聞こえるように声をかけたけれど反応がない。いつもなら、振り向くこともなく「声がでかい」とか「用があるならさっさと言え」などと返ってくるのに今日はそれがない。

「……ロー?」

 様子を伺っているうちにほとんど隣にまで来てしまった。まだ気づいていないのかな。もう一歩歩みを進め、私もローの横に並んで柵を掴んだ。そしてそっとその横顔を視界へと入れる。するとさすがに視線を感じたのかハッとした表情に変わりすぐに私の方へと顔を向けた。

「マジか……」
「はい?」
「いや、こっちの話だ」

 素早く海の方へと視線を戻したローはそのまま右手で顔を覆った。何がマジかでこっちの話なのかはわからないけれど、とりあえずしっかりと意識があったことには安堵した。

「びっくりさせてごめんね。何度か呼んだんだけどさ」
「……少し考え事を」

 珍しいなと思った。海風に吹かれてローの襟元のファーが稲穂のようにふさふさと揺れている。自分の心情を話すことはほとんどないに等しい。あったとしても、それはこちらをからかうような目的を持っているものだと私は思っている。
 考え事。そりゃそうだよね。七武海になってルフィと同盟を組んで、何も考えていないなんてこと、あるはずがない。
 世界中の人の健康を手助けしたい、笑顔にしたいという自分自身の夢、そしてルフィが海賊王になるためにもこの船の要みたいな存在になりたいって私が思っているように、この人にはこの人の人生があって、夢が、野望が、果たすべき何かがあるのだろう。
 それでも航海はいつも順調に、思いどおりにいくとは限らない。そうならないことがほとんどだ。今のログが溜まるまでの束の間ののんびりした毎日も、必ず終わる。私もやりたいことだらけだ。けれど、それを終える前にまた慌ただしく、生と死の狭間と隣り合わせの瞬間の連続を迎えるのだ。

「ね、潮干狩り行こ!」
「は!?」
「もうブルックが人数分の長靴用意しに島に向かったから、早く!」

 何を急にと言い出しそうな、少しこわばった表情のローの腕をしっかりと掴んで引っ張る。「この近海でよくとれるグランドシジミ! 拒否権はないよ、今日のお夕飯の食材だからね」と付け足す。するとローはふぅっと息を吐き出して「飯なら仕方ねェか」と観念したように腕から私の手をぺりっとはがした。

「この島の干潮時刻は」
「今の時期はお昼前後って看板で見た」
「潮干狩りは干潮の数時間前から干潮時間までがベストだ。のんびりしてるといい時間を逃すぞ」
「だから早くって言ったんですけど……もしかして、詳しい?」
「まさか」

 ローはそう言って帽子のつばをグイっと下げると、はがしたばかりの私の手を取り歩き出した。それだけで何だか無性に泣きたくなった。ご飯のためだとしても、今は私との時間を選んでくれたんだと思うと胸がキュッとなって、でもポッと暖かくもなった。つまりは嬉しいってことだ。

 早足で船を降りて南の海岸を目指す。みんなそれぞれ何かしていたのだろう。特に誰かと遭遇してからかわれたりすることはなかった。



「メインディッシュは魚にしようってサンジと話してたから、そのあと市場で買い物ね」
「つまるところおれは荷物持ちか」
「違うけどそんなに気にしてるなら私が持つからいいよ。サンジが医者を含めた3人以上っていう条件を付けてきたから丁度会ったブルックも誘ったんだ。チョッパーは寝てたから」
「何だその条件は」
「いやね、話の流れでちょっとウソついたっていうかさ……」

 そんなこんなでペラペラと話していたけれど、私がウソをついた原因は今現在私の隣で手をつないで歩いている男である。言葉に詰まってしまった。するとローはあらためて「大人が潮干狩りをする条件に医者が入るウソ、」と、その理由を問いただすように私の話を繰り返した。

「まぁその……ちょっとキッチンでね……色々あってね、立ちくらみしたってごまかしたらめっちゃ心配されてしまいまして」
「キッチン」
「はい」

 どうしてキッチンを拾うんですか。ローは前を向いたままだけれど、やけにキッチンという言葉が強調されているように聞こえたのは気のせいだろうか。

「お前のウソに騙される奴がいることに驚きを隠せない」
「え、ちょっとそれどういう意味!?」

 まるで私のウソなんかバレバレだとでも言いたそうな物言いである。私だって、つかなきゃいけない、例えば誰かを守るためのウソなら隠し通せる自信はある。

「……キッチンか」
「何でそこ、繰り返すの」
「特に意味はねェよ」

 ローが意味もなくキッチンという言葉を繰り返すはずがない。きっとはっきりと覚えていて、私を困らせようとしているんだ。確信犯に違いない。
 あの時もそうだったけれど、どうしてそうやって普通にしていられるのだろう。慣れているのかな。もしかしたら特に意味のない、人間の欲求のひとつとしか考えていないのかもしれない。そうだ、きっとそうだろう。私の反応を見て楽しんでいるんだ。それなら私も深く考えるのはやめよう。いや、むしろここはひとつ、カウンターパンチを食らわせたい。

「ねぇ、お魚、何がいいかな?」
「話が飛んだな」
「飛んでないよ、元に戻ったの。私は何がいいかな〜、お芋がしっかりした味付けだろうからさっぱりしたのがいいかな……」
「それなら白身魚か」
「キス」

 ぴくっと、私の手を握るローの手が小さく動いたのが伝わってきた。おやおや、これは作戦成功なのでは。してやったりだ。私が言いたいのは一般的なキスより大きいお魚、ダイオウキスのことである。

「ダイオウキス、美味しいよね」
「……何で言い直した」
「特に意味はないよ?」

 私だって子供ではない。海賊だ。すべてに意味を持たせなくたっていいと思うようになったし、きっと好都合なときだってある。今の距離感が最適なことだってあるはずだ。
 実際に今、私達は手をつないではいるけれどそれぞれが前を向いたままだ。この会話も、その意味も、きっといつか忘れて消えてしまう泡沫だ。そう思っているのに、ローのことを思うと体が熱くなる。矛盾だらけだ。けれど、人間ってそんなものなのでは。きっとどこかに矛盾を抱えて生きているんだ。


「あ、ブルックだ」
「……ずいぶん浮かれた格好だな」

 ひときわ目立つガイコツのアフロ。さっきまでの服装とは違うけれど、どう見てもブルックである。大きく手を振るとブルックも帽子を手に取って左右にひらひらと動かした。

「お待たせしましたー! 本日の助っ人、トラファルガー・ローさんです」
「ヨホホホ、さ、トラ男さんの長靴も用意してあります。どうぞどうぞ」

 ブルックは派手なピンク色のパーカーに身を包んでいる。海水パンツのようなショーツはアロハ柄でローが浮かれた格好と評したのにも頷ける。そしておしゃれなブーツに見えるけれどしっかり防水加工が施されているのだとわかる、つるんとした素材の長靴。
 そんなブルックから長靴を受け取ってサンダルからはき替える。するとぽすんと頭の上に何かが乗っかった。

「帽子も用意させていただきましたよ〜」
「わざわざ用意してくれたの? ありがと!」

 一度手に取って帽子をぐるりと眺める。つばが広くてしっかりと日差しを遮ってくれそうだな。そう思ったところでふとこのカラーリングに見覚えがあるなと、同じく長靴にはき替えたローを横目で見た。
 白をベースとした帽子には不規則にこげ茶色の水玉模様がプリントされている。意識しなければただの水玉の帽子なんだけれど、ちょっとだけローの帽子っぽさを感じてしまった。もう一度視線を帽子へと戻す。

「ブルックさん……」
「何でしょう?」
「これ、わざとでしょ」
「ヨホホホ、よくお似合いですよ」

 そう言い切られてしまっては仕方がない。私は帽子をかぶり直し、くるりと回ってローの方を向いた。

「どうかな、この帽子。似合ってるらしいんだけど」
「らしいって何だ。本当に体調を崩しでもしたら黒足屋に何をされるかわからねェからな。しっかりかぶっておけ」
「はぁい」

 つまらん。褒めてくれたっていいのにな、なんて思っていると横からなかなかの声量で「そういえば!!」と聞こえてきた。何事かと声の主の方を向く。

「帽子もとてもお似合いな今日のユメさんのパンツ!! 見せていただいてませんでした! よろしいですか?」
「……」

 いやいや、いつも見せてもらっている風に言うんじゃないよこのガイコツは。ローが言葉を失っている。実際にこのやり取りは何度か見ているはずなのでさすがに真に受けてはいないと思うけれど、今日のブルックはいつにも増して勢いがある。
 私のパンツ。そこで私は、今日の下着が以前ローに医者の観点から選んでもらったもののうちの一つだということを思い出してしまった。黒いけれど私にしては珍しくレースのショーツである。ブラジャーをメインに選んだから、当然それに合ったセットのショーツなのだ。

「きょ、今日の……パ……いや、普通に……無理だから」
「おやおや、いつもと違ってしおらしいユメさん……グッときますね!! トラ男さん!!」
「何でおれに振るんだ!」

 何これ、恥ずかしすぎる……とっさに帽子をこれでもかと深くかぶる。いつもならすぐさま「いや見せないわ!!」とツッコミ返しているのに、ローが選んだものだというだけで調子が狂ってしまった。別にプレゼントとして贈られたものでも何でもないのに……あれ、これってお代はローが払っているし、ローに買ってもらったような形なので実質プレゼントなのでは。下着を贈るってどんな心理だ。本人に送ったつもりはないかもしれないけれど。とにかく今度フランキーに聞いてみよう。いや、聞かなくていいかもしれない。

「それよりも、さっさと潮干狩りを終わらせる方法がある」
「どのような方法で?」

 ローの発言にブルックが問いかける。嫌な予感がした。もしかしたらこの男、ここまで用意しておいて能力を使って一瞬で終わらせる気なのではないかと。

「スキャンすりゃ一発だ」
「それはダメ!!」

 聞きなれない言葉だったけれど、すっと手を構え能力を使う構えを取った。やっぱりそうだった。私は素早くローの手から無駄に長い刀を奪い取る。たぶん刀と能力は関係ないけれど、勝手に体が動いていた。でもその刀は思ったよりも重くて、私は少し後ろによろけるようにバランスを崩した。ローもまさか私がこんな行動に出るとは思っていなかったのか少しだけ固まった後、ギリギリ倒れずにふらついていた私を抱きかかえるようにして元の体勢に戻すと、刀をいとも簡単に取り返し、大きくため息を吐き出した。

「あのな……何やってんだ」
「だって、潮干狩りは必要な量だけ持ち帰るのが鉄則だし……そもそも、ちゃんと自分達で、みんなで掘って狩ることに意味が」

 いつの間にか頭から落ちていた帽子をローが拾い上げた。そして私の頭に勢いよくそれを乗せたらしい。視界が一瞬真っ暗になった。

「わっ」
「そうだな、悪かった。行くか」
「……!」

 私が帽子のつばを上げると、ローは帽子を目深にかぶり直していた。


 海岸を見たとき、シジミを、貝を見たとき、泥だらけになったとき、スープを飲んだとき。いつか元の自分の居場所に帰ったとして、些細なことでも、こんな日もあったなって思い出してほしいし、そこに一瞬でも私がいてほしいから。あんな変な奴が麦わらの一味にいたな、って覚えていてほしい。つらいこと、死にそうになることがあったときに、私もきっとあなたの意地悪な笑顔を思い出すから。これから数時間の、なんてことのない時間を思い出すから。

「よぉし! どっちがたくさん狩れるか勝負ね!」
「さっき適量持ち帰るのが鉄則だって言ったよな」
「戻せばよし!」
「言ったな。負けたら覚悟しとけよ」
「絶〜対! 負けないもんね!」

 地元の人達は狩り飽きたのかほとんど人気のない海岸へ、バケツと熊手を持った私達は勢いよく走りだした。

 最初こそ真剣にシジミを探したけれど、小さいころにした泥遊びを思い出してわざとローに泥を投げつける。するとローもすぐに熊手を使ってこちらへ泥を飛ばしてきた。

「邪魔しないでくださーい!」
「先に手ェ出してきたのはそっちだろ」
「え、たまたま飛んじゃっただけなのに?」
「よく言う」

 袖口で顔の泥を拭いながらニッと口角を上げたローの視線は、私だけに向けられているものだと思った。あの少しだけ物悲しく見えた背中が、後ろ姿が本来のローなのだとしたら。一時でも普段の私達を形作っているものから解放されて、ただの人間として笑い合えていたらいいと、そんな途方もないことを願った。

 潮干狩り、もとい泥遊びに夢中になっていたようで「そろそろ干潮時間ですよ〜!」という声で私はハッと現実に戻った。

「ヨホホホ、ゴールデンタイムは終了です。切り上げましょう」

 いつの間にかまた帽子を落としていたのだと気がついたのは、私とローのバケツよりもいっぱいにグランドシジミを採っていたブルックのアフロの上に、柄の違う帽子が二つ重なっていたからだった。

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