麦わら女子会?


 ダイニングキッチンの入口には今、でかでかと男子禁制と書かれたパネルがかけられている。3人で囲むには大きなテーブルの、いわゆるお誕生日席にいる私。左側の席にロビン、右側にはナミが、私とは違ってリラックスした様子で座っている。ナミがスッと息を吸い、勢いよくジョッキを掲げた。

「第2回、麦わら女子会を開催することをここに宣言するわ!」
「今日こそ逃がさないわよ、ユメ」
「え〜、逃げないけど、追われると逃げたくもなるんだよぅ!」

 氷がたっぷりと入った樽には可愛らしい見た目のものから渋いパッケージのものまで、何本もの酒瓶が入っている。サンジが作った料理もテーブルいっぱいに並べられていて……サラダ、カルパッチョ、揚げ焼き。目にも楽しい色とりどりのおつまみは私達のことを考えて作ってくれたのだろう。お酒を飲むということを除けば、テンションは爆上がりだ。
 朝まで飲む気満々、といった表情の2人。私はいかんせんアルコールに強くない。ゆっくり飲めるならまだいい。でも、ナミとロビンのペースに巻き込まれると大変なことになる。 初めて女子会と名のついた飲みの席。今まではちゃんとペース配分を考えて飲めていたのに、その日はベロンベロンに酔っぱらってしまったのだ。みんなでする宴とは違った雰囲気に飲まれたと言ってもいい。二日酔いにもしっかりとなった。

「こんなに飲む気でさ、明日に響いても知らないよっ!」
「私は酒には飲まれませ〜ん」
「ユメったら前回は気づいたらいなくなってたし、誘っても断られちゃうし」

 二人の前から姿を消したのはトイレへと逃げ出して、そのままチョッパーの所へと駆け込んだからだ。
 ナミがとんでもなくお酒に強いことは出会ってすぐ、ウイスキーピークの時点で知った。その後も私の中での「お酒に強い」という概念を覆すほどの酒豪っぷりを見せつけてくれている。明日に響いても、とは言ったものの、ナミがどれだけ飲んだって私はもう驚きはしない。
 ロビンが頬杖をつきながら「こうして時間が取れて嬉しいわ」と私の顔をのぞき込む。スッと通った鼻筋。溢れ出る大人の色気。本当にうらやましい。リトルガーデンへと向かう前にミス・オールサンデーとして初めて会った時には、まさか仲間になるなんて誰も思っていなかったと思う。とはいえ私もあの時点では正式な仲間ではなかったけれど。今となっては背中を預ける大切な仲間で、この一味で一番私を甘やかしてくれる人物だ。

「二人は酒が強いから何とも思わないんだろうけど……私はそんなに強くないの!」
「でも、適量ならたまにはいいでしょう?」
「あのね、これ、どう見たって適量じゃないんだってば〜!」

 再び樽いっぱいに浮かぶ酒瓶に視線を向ける。適量ではないと断言できる。けれどロビンに無言でニッコリと微笑まれてしまったらもう、これ以上否定する言葉を発することはできない。ナミがスッと私の目の前にグラスを差し出した。二人はジョッキなので、あまりお酒が得意ではない私への配慮が感じられる

「たまには気にせず飲んだらいいの。特にユメはね。ストレス解消になるもの」
「節度をわきまえれば、ね。だから私はちょっとでいいよ!」

 そう、本当に少しでいい。手に取った目の前のグラスをしばらく見つめる。黄金に、キラキラと輝くグラスの中身とそこに浮かぶフワフワの泡。この白い泡に飛び込んだらどんなに気持ちいいだろう。この中を泳いだらどれほどの開放感を味わえるのだろう。
 ええいと口をつけてごくりと一口飲み込む。じわり、喉を通っていく久々の感覚。気管をパチパチしたものが流れていく。ここ最近色々と考えることもあったし、たまにはこんな日も、勢いというものも必要なのかもしれない。
 私は白泡の悪魔に引き寄せられるようにグラスの中身を一思いに流し入れた。まるでアルコールという名の幽霊が体に憑依したみたいだった。

「えっ、ユメ、そんなに一気に飲んで大丈夫?」
「……強くないだけだから、飲めない訳じゃないよ?」
「それが問題なんじゃない? 夜は長いんだから、ペースを乱して酔い潰れちゃダメよ」

 同じ轍を踏まないように悪酔い防止の漢方も飲んできたから大丈夫。きっと1杯目が大事だ。一気に飲んだ後の感覚も悪くはない、大丈夫。ナミも豪快に飲み干したジョッキをテーブルに置くと「それにしても、今日もどれも美味しそうね」とテーブルの料理を眺めながら身を乗り出し私の肩に腕をかけてきた。

「サンジの料理、天下一品だもんね!」
「そうよね〜、サンジくんのおつまみついつい食べ過ぎちゃうもん」

 ナミはそう言いながらトングを手にすると、満面の笑みを浮かべながら取り皿が埋め尽くされるほどの量を取っていく。やっぱりすごいな。それが誰であっても、人の心を動かす、笑顔にする料理を作り出せるサンジのことは本当に尊敬している。私の目標と言ってもいい。本人にはもちろん、誰にも言ったことはないけれど。

「こうやって何かを作り出して、誰かを幸せにできるっていうのは……簡単なことじゃないよね」
「確かにそうね。自分が生きていく中で誰かの心に何かを残すということはなかなか難しいわ」

 ロビンも次々にサンジの料理を取り皿に盛る。そのお皿を私の前に置くと顔を傾け、のぞき込むようにして微笑みかけてきた。自分の分ではないらしい。私はそのロビンの仕草に弱い。そして私の両頬が、ふわりと咲いた手でムニムニとつままれた。

「ユメったら難しい顔してる。もしかして、不安に思うことでもあるのかしら? それとも誰か、特別に幸せにしたい人でも?」
「えっ、急に話のスケール大きくなった?」

 不安なら、ない訳ではない。けれどもその不安をここで二人にぶつけたところで何かが解決する訳でもない。ただ真っ直ぐに、強さを手にするために進むだけ。すべては自分自身の気の持ちようだから。私は近くにあった未開封のビンの蓋を開け、グラスにゆっくりと注いだ。
 するとロビンが元々置いてあった私のお皿を取り、「大きさや形は人それぞれ。どんな人間にだってある、お酒の席の話じゃない?」と、追加でカナッペを置いた。私はそのロビンの笑顔に弱い。これはネガティブなものではなくて、気持ちの整理の場だということをロビンは言いたいのかもしれない。少なくとも私は、そう受け取ることにした。

「そうだね……以前に比べたらだいぶ口にしやすい味になってきたと思うんだけど、どう?」
「そーね。あの肌荒れに効果てきめんのスムージー、最初はちょっと苦手だったもの」

 ナミがうんうんと大きく頷いた後に、もぐっと海王類の揚げ焼きを頬張った。
 スムージーはフェイクだ。今私が抱えている問題の大半を占めているのはローとのこと。一度はしまっておこうとしたけれど、熱を出して迷惑をかけて失敗した。無理に蓋をするといいことはないのだと学習した。今を楽しむんだと、力に変えてみせるんだという思いに変わった。
 でも今度は、みんなの目にはどう映っているのかという新たな不安が現れた。どうしてこうも、次から次へと試練のように襲いかかってくるのだろうか。ゾロは「強くなるんなら考えたっていい」と言っていたし、見守ってくれていると思う。けれど、ナミとロビンには特に変な誤解をされたくない。だからといってまるっと全部話すことでもない気がしている。どこまで話すかという選択が、難しい。

「すごく美味しくなったわよ。お肌の調子もいいものね、ナミ」
「ロビンも嫉妬しちゃうほど潤ってるし。あ、今日も後で飲みたいかも!」
「そうね、私もお願いしようかしら」

 ほらね、と自身の頬を触りながら肌の好調ぶりを伝えてくるナミと、そんなナミの頬に手を咲かせて確認するようにフニフニとつつくロビン。我が仲間ながら目が幸せだ。サンジがここに居たらすでに血の海になっていそうだ。あっ、二人と飲むと酔いが回るのが早い気がするのはこれが原因だったりするのでは……とにかく、褒められることは素直に嬉しい

「薬膳酒は今日の会に間に合わなかったけど、それならいくらでも作っちゃうよ!」

 後で、フラフラになる前に材料を持ってこよう。何ならこの場で薬膳酒について色々意見を聞いて、漬け込まないタイプのすぐにできそうなものは試してもいいかもしれない。
 やっぱり……ナミとロビンはすごい。私が抱えているこの不安を打ち明けたとしても、大丈夫だよって言ってくれる気がする。何をするにも背中を押してくれる。大好きなんだよなぁ、なんてことを考えながら目の前の料理へと手を伸ばした。

「かわいいわね」
「ほんと、最近のユメったらトラ男くんにはいつもその顔をしてるのに、私達の前じゃ全然なんだもの」

 ぴたり、手が止まった。「ねェ」とロビンと顔を見合わせて口を尖らせるナミ。突然会話に湧いて出てきた「トラ男」というワード。私はお箸でつまんだタコをつるりと滑らせて落としてしまった。

「え〜っと?」

 ロビンがバラのようないい香りのする笑みをこぼしながら「いつの間にかトラ男くんのことローって呼んでるし」とナミへ視線を送る。それを受けたナミが「ね、ちょっとは進展したんでしょ?」と私をじっと、射抜くように見つめてくる。

「本当にね、あの色気のない手のつなぎ方を見た時はどうしようかと思って」
「……そもそもアレはつないでたんじゃないもん。引っ張られてただけだもん。それにローのこと、ルフィは仲間だって思ってるふしがあるでしょ? だから私も仲間認定しただけだって」
「ふぅん?」

 あ〜っ、私という人間はどうしてナミに対してひねくれた言い方をしちゃうんだろう。ナミの視線がジトっとしたものに変わった。素直に「やっぱりそう見える?」なんて言えたらその後の会話だってきっと楽なのに。進展と言っていいのかは正直よくわからないけれど、変化ならある。私も、きっとローにも。

「トラ男くんは、きっとそうじゃないわよね」

 わかっている。ただの同盟相手のうちの一人ではないとロビンは言いたいのだ。いつの間にか空になっていたグラスに近くのお酒をドバっと注いで、勢いよく飲み込んだ。みるみるうちに体がカッと熱くなって「ああもう! 私だってそうじゃないよ!」と叫びながら立ち上がった。するとナミが口元を押さえながらフルフルと震え出した。

「もぉ〜〜〜!! ユメがロビンには嘘つけないの、本当に面白いんだけど!」
「……! ナミってば、わざと!?」
「そんなことないって! そもそもユメもトラ男くんもわかりやすすぎなの!」

 そうならそうと言ってほしい。私はナミに詰め寄り、両肩をがっしりと掴んだ。そして酔ってしまえと念じながら思い切り前後に揺らす。
 私の脳内には「わかりやすすぎ」という言葉がこだまする。そんなつもり、なかったのに。私が自覚する前から、ナミは私のこの気持ちに気づいていたのかもしれない。ただ面白がっていただけかと思ったけれど、今思うとあれもこれも全部、私とローを進展させるための立ち回りだったということになる。

「ごめんって、落ち着いて?」
「もう! ちょっと風浴びて一回酔い覚ましてくる! ついでにスムージーの材料も持ってくるから!」

 急に恥ずかしくなってきた。みんなが私とローのことをそういう目で見ているのかもしれないと思うとあの『不安』が急激に巨大化したような気がして、穏やかにお酒を楽しんでいる気分じゃなくなって、外へと飛び出した。材料を持ってくると付け足したからか、ナミとロビンから私を止める声は聞こえなかった。


 何をしているのだろう。きっと私の不安を感じ取ってくれて、それを吐き出す場を作ってくれた。それなのに。
 柵に寄りかかってぼんやりと海風を浴びながら、私の心模様にそっくりのどんよりとした空を見上げていると背後から「おい、女子会してたんじゃねェのか!?」と声がした。

「あ〜、うん。ウソップこそ、さっき今夜は忙しくなるぞって言ってたよね」

 声の主は、武器である黒カブトの技をパワーアップさせたいのだと、その改良に追い込みをかけるのだと言っていたはずのウソップだった。会が始まる直前に会話をしたので、まだ一時間もたっていないと思う。彼からは会話を交わした時のやる気、覇気が感じられない。何かあったのだろうか。

「それがよ……まァ簡単に言うと、あれもこれもって考え出したら、目の前のことが手につかなくなっちまったんだ」

 ウソップはハァ、とため息を吐き出しながら肩を落とし、とぼとぼと近くまで歩いてくる。そして私と同じように柵に肘をかけた。「散らかったモンが片付かないときは片づけたくなるまで放置しとくに限る……」と言いながらも、その状況に納得していない物言いだった。

「でもさ、一刻も早く片付けなきゃって思っちゃうんだよね」
「そうなんだよ! そうなんだが……片付けようとすればするほど焦っちまって上手くいかねェ。負のループだ」

 どうして人は焦ってしまうのだろう。それがわかればこんなに悩んでいない。不安だってゆっくりと時間をかけて向き合えばきっと、自信や安心に変えていけるはずなのに。そうならないものだってあるかもしれないけれど、前向きな気持ちを持っていたほうがいい方向に進んでいく可能性は高まるはず。わかっているはず、なんだけどな。

「はぁ〜」
「ハァ……」

 私達はほぼ同時に、暗黒の王でも召喚できそうなほどのため息をついた。ちょっと面白かった。すぐに口を押さえたけれどすでに「んふふ」という笑いは漏れてしまっていた。

「いやいや、お前もだぞ! なんだよそのヤベェ悪魔でも憑依してそうなため息は!」
「それも含めておかしかったんだもん。それに私にはすでにアルコールの悪魔が憑依してます」
「そういやそうだったか……」

 あ、飲んだ時は幽霊だった気がしたけれど、この際悪魔でもなんでもいいか。むしろこの悪魔のせいにして何でも言いたいことを言ってしまえばいいのでは。

「で、悪魔さんはまだ始まったばっかりの女子会を抜け出して何してんだ?」
「ウソップ先生はさ、海賊の同盟間で恋愛関係とかそれっぽい感じに発展しちゃうのってどう思う?」
「れっ、恋愛?」
「そ。見ていられる?」

 少し強めに波を打つ海面を眺めながら本音を吐き出してみる。受け入れられなかったらどうしようかな。障害があることで逆に燃え上がった小説も読んだことがある。私もそうなったりするのかな、それとも案外スッと受け入れて距離を置いたりしちゃうのかな。なんて考えていると「そうなってみねェと何ともだけどよ……」と、思っていたより早くウソップが話し始めた。

「それでユメが笑ってんなら、この船にその関係に文句を言うやつなんて誰もいねェよ」

 そう言って親指を立てながら私の方を見た瞬間、雲の切れ目から隠れていた月が顔を見せた。一筋の光が射して、ジュッと悪魔が消えていったような感覚だった。

「それでユメが笑ってんなら、この船にその関係に文句を言うやつなんて誰もいねェよ」

 そう言って親指を立てながら私の方を見た瞬間、雲の切れ目からさっきまで隠れていた月が顔を見せた。一筋の光が射して、ジュッと悪魔が消えていったみたいな感覚だった。

「ま、腹ん中じゃぶちギレる奴だっているかもしれねェし、おれだって相手によっちゃ考え直せとか言うと思う。それに、相手がお前を利用してるだけだとしたら、そんときは全力で止めに行くけどよ……だけど、お前が笑ってんのが一番だからな」
「えっ……そうやっで……泣かせでぐるじゃん〜〜〜!!」

 ウソップも私の気持ちに気づいていたんだ。ドバッと、滝のように涙が流れ落ちた。自分でもびっくりした。これは酔っぱらっているからだ、そうに違いない。悪魔、まだ私の中から消えていなかった。全員が全員、受け入れてくれるとは思っていなかったけれど、ウソップにそう言われたらなんだか大丈夫な気がしてしまう。

「うわ、落ち着け〜〜! 落ち着けユメ! まるでおれが泣かせたみたいに!」
「事実そうだもん!」
「悪ィ! 本当にお前自身の悩みだとは思って……いや、おれは最初からわかってたぞ」
「ロー、七武海だし、船長だし……同盟関係の間はいいけど……」
「……やっぱそうだよなぁ、トラ男……」

 パタパタと慌てふためいていたウソップが急に動きを止めた。そして目を閉じると腕を組んで何やらうんうんと唸り出した。その様子を涙を拭きながら眺めていると、突然クワッと目を見開きのけぞりながら「って!? トラ男〜〜〜!?」と叫んだ。私は思わずその口を塞ぎに手を伸ばした。

「しーっ!! 声!! おっきい!!」
「んぐっ……苦……しい」
「あ、ごめん」
「いやいや落ち着け〜」
「ウソップが落ち着いたほうがいいと思うよ」
「そ、そうか……トラ男……確かに、お前ら距離感おかしいかもな」
「もしかして気づいてなかった?」
「チョッパー込みで仲いいんだな、ぐらいにしか」
「ん〜〜〜、そっかぁ……」

 どうやら私は自爆してしまったようだ。だけど、気持ちがだいぶ晴れたことに違いはない。ひゅうっと海から吹き付けてくる風も、私の心を後押ししてくれているように感じられた。

「ま、いっか」
「よし、その精神だ! いいぞ!」
「じゃあウソップもちょ〜っとアルコールの冥王に憑りつかれたら、気分も変わるんじゃない?」
「冥王って悪魔よりヤバそうだな」
「私が特別に女子会に招待しちゃおう!」
「そりゃありがたいんだが……ナミとロビンに文句言われても知らねェぞ」
「そしたらウソップが怒られてね」

 ま、いっかの精神ってもしかしたらすごく重要かもしれない。お酒が入っているからかもしれないけれど、なんだか心を軽くする魔法の呪文みたいだなと思った。反省しないのはもちろんダメだけど、今日みたいにどうしようもなくなったら「ま、いっか」と唱えてみることにしよう。これは積極的に使っていきたい。
「そんな恐ろしい会に行けるか」と二の足を踏むウソップを「ちゃんと私も怒られるよ」と説得しながらラボへと寄った。スムージーを作るため、薬膳酒を考えるための材料を選別しようと思ったけれど考えるのも面倒になって、久々に中身の増えすぎた一軍ボックスを背負った。
 なんだか背筋がピンとなった。私の原点。ピンとしすぎて後ろに倒れそうになったけれどウソップが支えてくれて、その状態のままキッチンへと向かった。いつの間にか一人で背負えないほどにパンパンになってしまったけれど、今はこうして支えてくれる仲間がいるんだ。涙も鼻水も出そうになったけれど、ウソップにバレないように必死にすすりながら歩いた。



 私は私のペースで進むから、だから見守ってね。そうナミとロビンに正直に告げようと心に決め、男子禁制のパネルを取ってダイニングへと入った瞬間。いくつもの「えっ」が部屋の中に響いた。私もウソップも例に漏れず声を出してその場で固まっていた。男子禁制のはずの女子会に、なぜかジョッキを持ったローがいたからだ。
 もちろん、ウソップを連れて入った私を見たナミとロビンも「えっ」と声を出していて、一体何がどうなってウソップと一緒に? と言いたそうな表情で私を見ている。この何とも言えない空気を打破しなければいけない。それがこの状況を生み出したであろう私の使命だ。

「はぁい、そこの美男美女達、色々と材料を持ってきたから今から色んなお酒に混ぜてみようの会ね」
「ウソップ、何があったの?」

 ロビンの返しがお酒が入っているとは思えないほどに冷静すぎて辛い。よいしょと二人でボックスを床に置いた後、ウソップは勢いよく私の方を向いた。おれは一体どこまで話していいんだと言わんばかりの、助けを求めているような視線である

「召喚してたんだよね!」
「しょ……そうそう、ちょっとした悪魔をな!」

 何だこいつら、酔っ払いか。みたいな空気が流れた。ナミとロビンの目が笑っていない。ウソップはまだ飲んでいないのに巻き込んでごめん。そう思いながらも、あの時のため息を思い出したらまた面白くなってきてしまった。

「んふふふふ……ウソップのアレ、暗黒の王が出てきそうだったよ」
「そんな訳があるか! とりあえず、ユメに招待されたから参加させてもらうぞ! なんだか知らねェがトラ男もいるみてェだし、問題ねェだろ!」
「そうそう、ウソップにもお酒〜!」

 それならとナミがイスを引いて「はい、こっちに座って! 乾杯し直しましょ」とウソップを呼んで座るようにと促した。そこで私は余計な気を使われそうな気配を察知した。わざわざローの隣に配置される気がしたので、ロビンが樽から何本か瓶を取り出している隙に素早く自らローの隣を陣取ることにした。どうしてローがこの女子会にいるのだろうかと思ったけれど、ナミかロビンが直接ローに探りを入れるためか、私が戻ってきた時の私の反応を楽しむためか、私とローの関係をアルコールパワーで進展させようとしたか、もしくは全部だと思う。

「ローってばいつの間にか女子になってたの?」
「んな訳あるか」

 声をかけながらさりげなくローの隣に腰を下ろした。ウソップから見ても普段から仲よしだって認識はあったわけだし、ナミやロビンにいたっては私達の関係性がどこまで進んでいるかは知らないにしたって『そういうもの』として見ているはずだから何もおかしくないはずだ。

「トラ男くん、これユメに」
「あァ」

 ロビンが瓶をローに手渡して、受け取ったお酒をローが私のグラスに注ぐ。紫がかった深い赤が少しずつグラスを満たしていく。好きな人が注ぐだけでまるで違う飲み物のように感じてしまうのはきっと、悪魔が憑依しているせいだ。

「ありがと」
「……飲みすぎんなよ」
「大丈夫。過去の経験から色々対策も練ってるし」
「ならいいが」

 あぁ、好きが止まらない。帽子をかぶっていないその少しぼさっとした髪も、私にお酒を注いでくれたその大きな、タトゥーの入った手も、意図はわからないけれど私が飲みすぎることを心配してくれるその言葉も、声も。全部。全部好きだな。

「では! えーっと、何だっけ。色んなお酒に混ぜてみようの会、だっけ?」
「そう! そうだった、混ぜる会!」
「とにかく乾杯!!」

 私は4つのジョッキにグラスをコツンとぶつけて、数十分ぶりの悪魔を流し入れる。わぁ、凄くフルーティーで、でも深みがあって……何より飲みやすいお酒だ。ナツメや八角なんかを入れてホットで飲んでも美味しいかもしれない。

「ねぇロビン、これと同じお酒まだ残ってる?」
「えぇ、樽にまだ何本かあるわ」 
「よーし、さっそく混ぜちゃおう! サンジ、キッチン借りるよ!」
「いない奴に言ってどうするんだ」

 勢いよく立ち上がった私にローが突っ込む。あ、そういえば……せっかく隣を陣取ったのに自らキッチンへ向かおうとしているのはいかがなものか。しかしこれは性なのだ。思い立ったらやるしかないのだ。

「ローも飲む?」
「はいはーい! 私も!」
「私の分もお願いできる?」
「おれも味見させてくれ!」

 次々に、ロー以外から返事があった。ローも出せば飲むだろう。そう思って材料を取ろうとボックスの所へと向かおうとしたところで視界が大きく、ぐらっと傾いた。ついに悪魔が牙を剥いたのか。それならもう仕方ないと床に倒れることを覚悟したけれど、思っていた衝撃はなかった。代わりにお腹周りの圧迫感が私を襲う。ちょっとだけ胃の中の物が出るかと思った。ローが私を抱えて転倒を防いでくれていたのだ。

「ったく、この酔っ払いが」
「今のはその、ちょっとつまずいただけだよ」
「それが酔っ払いなんだよ」

 体勢を元に戻す。危なかった。ローのおかげで助かったけれど、これはこれでナミ達からの視線が……そう思ったけれどナミは「ナイスよトラ男くん」と微笑み、能力で助けてくれようとして構えていたであろうロビンは座り直して「ウフフ、ゆっくりでいいわよ」とだけ言うと視線をテーブルに戻す。そして何事もなかったかのようにサンジの料理についての会話へと移行していた。ウソップだけ、見てしまった、みたいな表情をしてたけれど。私は気を取り直してローに「ごめん」と小さく伝えた。

「ついでにさ」
「何だ」
「作るの、一緒に手伝ってくれる?」
「……今日はそのほうがよさそうだな」

 ピクリと眉を動かして少しだけ呆れたような顔をした後、ローは手を頭へと持っていった。もう表情は元に戻っていたけれど、何かを掴むようにしたその手はスカッと空を切った。あっ、もしかしてこの動きは、帽子のつばを掴もうとして――その一連の流れをじっと眺めていると素早くおでこをチョップされた。じんと頭に響く。酔いが覚めるぐらいには強かった。

「えー、痛いんですけど!」
「さっさと作るんだろ」
「だって、ローが帽子下げようとするのってさ」

 そこまで言ったらまたチョップが落ちてきた。帽子がないから眉間にしわが寄ったのがよくわかる。さっきよりは優しかったけれどほっぺをむにゅっとつままれた後、今度は肩を掴まれてぐるんと強制的に体の向きを変えられてしまった。そして背中を押され、一軍ボックスの目の前まで歩かされた。

「ほら、何を使うんだ」
「ああね、ナツメでしょ、八角にシナモンに……」

私の言った材料をローは素早く手に取る。ラベルが貼ってあるにしたって見つけるのが早いな。私が酔っていて思考が鈍っているからそう感じるのかもしれない。それにしたって早い。さすが、私の好きになった人だ。そう思ってニヤニヤしていたら今度はデコピンが飛んできた。痛かった。

 材料を用意した私とローはキッチンへと入った。コンロに鍋を置いてお酒を注ぐ。ナツメをスライスしようとしたら危ないからとローに止められてしまった。私はぼんやりと、ローがコンコンとリズムよく鳴らす包丁の音を聞いていた。

「さすがお医者さん。武器も刀だからかな、包丁さばきがプロだね。料理もできちゃうなんて」
「切ることだけだ。料理自体は大してできねェよ」
「なんでも器用にできそうなのに」
「器用なもんか」

 ごとん。会話の途中で床に瓶を落としてしまった。割れなくてよかった。拾おうとしてしゃがみ込んだところでぴたりと包丁の音が止まった。もう全部切り終わったのかな。やっぱり早いなぁなんて思っていると床に影が差した。
 瓶を手に取って、なんだろうと顔を上げると、同じようにしゃがみ込むローの姿。どうしたのかな。私の顔にかかっている髪をローがそっと耳にかける。前にもこんなことがあった気がしたけれど、その時と違うのはローが触れたところ全部が、火傷してしまいそうなほどに熱いことだった。

「ろ」
「黙ってろ」

 ローと発音する前にふにっと、ローの唇が私の下唇を優しくついばんだ。離れたかと思ったら、次は上唇。今度は少しだけ吸い付くみたいに。みるみるうちに全身の力が抜けていく。ナミとロビンとウソップが談笑する声がやけに脳に響く。拾ったはずの瓶は再び床に転がり落ちた。ぺたんと床に座り込んでしまった私の頭をゆっくりと一撫でしたローは、立ち上がると何事もなかったかのようにカチカチとコンロの火をつけた。

「切ったの、鍋に入れていいんだろ」
「あ、うん。他の材料も一緒に」
「わかった」

 カウンター越しに「あれ、ユメ大丈夫?」と声がした。姿が見えなくなったからだろう。するとローが「こいつにどんだけ飲ませたんだ」としれっとナミに言い返す。
 今、私が立ち上がれない原因はお酒の悪魔のせいなのか、それとも目の前にいるこの男のキスのせいなのか。キス、だったよね? たぶん、どう考えてもローのせいな気がするけれど、絶対そうだとも言い切れないアルコール特有の浮遊感みたいなものもあって、私は「火にかけすぎるとアルコール抜けちゃうから、ほどほどに」と声を出すので精一杯だった。
 今度はコップに水を注ぐ音が脳に流れ込んできた。ローがこちらを向く。あ、お水くれるんだ。そう思って、コップを持ってしゃがみ込んだローに向かって手を伸ばす。けれどなぜかコップはコトんと床に置かれた。
 ローは私の伸ばした手を掴むともう片方の手で私の頭を抱えるようにして距離を縮めてきた。指と指の間が無理やり開かれて、そこにするりとローの指が滑って絡まる。鼻先にちょこんとローの唇が触れ、次は唇に。離れたからと油断していたらまた触れて、ローの舌がゆっくりと、まるで味を確かめるように輪郭をなぞっていった。
 ローはするりと手を離し、代わりに床に置かれていたコップを私に持たせると鍋の前へと戻り「もうそろそろいいか」と呟いた。

「うん……たぶん」
「とりあえず、まだ酒を飲むにしてもそうじゃないにしても水は飲んでおけ。脱水症状の防止になる」
「は、はい……」

 コップを落とさないように、言われるままに体内に流し入れた水は甘く感じた。何が起きてるのだろう。ローってば、どうしてそんな、何事もなかったみたいにできちゃうの? 私の体はまったく力が入らなくて、床をはうようにしてどうにかローの方へと近づいてパンツの裾を引っ張った。でも引っ張っておきながら、ローに何と言うか、どうしてほしいかなんて一切考えていなかった。

「立てるか」
「あ、うん。どうだろう?」

 そう言うとローは「ほら」と私に向かって手を差し出した。その手を掴むと、ローは私の体を引っ張り上げた。そのままシンクに体重をかけるようにして手をついて自分の力で立つ。大丈夫、フラフラしたりはしない。やっぱり、お酒ではなくてキスのせいだと思う。すると立ち上がった私に気がついたロビンが「いくつ見える?」と、カウンターに何本か手を生やした。

「6本」
「大丈夫そうね」
「うん、ちょっと休憩してただけ。全然平気!」

 お鍋にできあがっていたお酒をマグカップに五等分してテーブルへと運ぶ。運んだのはローだけど。私はまたローの隣に座って、カップから立ち込める湯気をぼうっと眺めていた。みんなが美味しいと味の感想を言ってくれているのに頭に入ってこなくて、空返事を繰り返す。まだ一口も飲んでいないのに、今しがた起こった一連の出来事を思い出した途端に体がポカポカしてきた気がする。
 目の前では、私が監修しただけで作ったのはローだという話で盛り上がっている。そんなローの様子をちらっと横目で盗み見ようとしたら、バッチリ目が合ってしまった。え、何で。今、ウソップと話してたよね?

「……また後でな」
「あ〜、うん」
「ん、何がまた後でなんだ?」
「昼間に読んでた本についての話だ。お前らにしたってつまらねェだろ」
「確かに!」

 私達は作りながらそんな話はしていない。ニィっと、ちょっとだけ意地悪そうに笑うローの「また後で」の意味がキスのことだとわかってしまって、みんなからの視線にも耐えられなくなってしまった私はカップの中のお酒を一気にあおった。
 ぐるぐると体内に広がるアルコール。何度も思い出してしまうローのキス。キッチンで、みんなのいる空間でこっそりと隠れてしたという事実。キャパオーバーである。そこでなぜかあの、ハンバーガーを作ってもらった日のローの言葉がポンっと浮かんだ。美味いものには中毒性がある――私は勢いよくテーブルに突っ伏して、体内の悪魔を追い出すように「中毒性って、こういうことかぁ〜〜〜」と吐き出した。

「確かにやみつきになりそうだわ」
「材料まだある? 私でも作れたりする?」
「うん。キッチンに置きっぱなしだから、今から言う分量をお酒と一緒に煮てね」

 ウソップまで引き連れてナミとロビンがキッチンへ向かう。私の言う中毒性はローのことだ。けれど、普通に考えたらこのお酒のことになるだろう。違和感なく会話は流れた。それにしても、この感じではナミとロビンに「私のこれからを見守っていてね」と宣言するタイミングは女子部屋に戻るまでなさそうだ。
 私の乙女心なんかこれっぽっちも知らないであろうローが私の頭をポンポンと撫でる。それだけで溶けてしまいそうなほどにローの手が熱く感じる。さらに、畳み掛けるように耳元で小さく「おれは隠れなくても何の問題もないんだが」と爆弾を投下してきたので「私は、隠れたい、と、思うんデス」と返すと「だろうな」とアゴでキッチンの方を指した。何だろうかと視線を向けると、煮えた具材みたいにくたっと目尻を下げた三人がこちらを見ていた。

「ねぇ! 煮すぎると! アルコール飛んじゃうから! 私は別にいいけど!」

 私達ではなく、ちゃんと目の前の鍋を見ろ。見てください。遠回しにそう伝えるとただの酔っ払いの表情に戻って「そうね」「ハイハイ」「急に鍋から目を離せない病が!!」と返してきた。もうこの三人には、私の気持ちを隠す意味はないのかもしれない。
 それにしたって人前でキスなんかできるはずないし、そもそもどうしてキスする流れになったのかわからない。どんな人でも心にはアルコールの妖精とか幽霊なんかが宿るのだろうか。「お酒ってやっぱり毒だよぉ」とぼそりと呟くと「さっきのが酒のせいだと思ってんなら、そうじゃねェってわからせてやるよ」とささやいたのが聞こえた。
 あれ、それってつまりお酒が入っていなくても……そこまで考えたところで、一気に飲んだお酒が回ってきたのか急に体がフワフワとしてきた。悪魔、冥王、死神……もう何だかよくわからない黒い存在達が私を手招きしている。だんだんみんなの声も遠のいていったけれど、隣にはローがいる安心感がしっかりと感じられて……それならまぁいいか、なんて思いながら重たいまぶたを素直に閉じた。

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