七武海とブラを買いに行くことになりました


 この島はログが溜まるまでに数週間かかるのだとナミから聞いた時、みんなには申し訳ないけれど少しだけ嬉しく思った。心の中でガッツポーズしてしまった。
 だって、読みたい本が女子部屋にも専用部屋にも積んだまま。
 ルフィから「おれが試食するからどんどん試していいぞ」と許可も下りているので、材料をたんまりと買い込んでサンジと新メニューの試作もしたい。
 ゾロはさらなる特訓の必要性を説いてくる。それなら朝練かなぁと話していたところにブルックが「私でよければお付き合いしますよ。朝は早いもので」と言ってくれたので、もうやるしかない。そして特訓するにあたって、ウソップとフランキーに新しい武器についてもう少し詳しく確認したいし、場合によっては改良もお願いしたい。
 ナミとロビンにはたまには盛大に女子会をしようと誘われていて、それなら二人に美味しく飲んでもらえる新たな薬膳酒を考えたいし、チョッパーとは一人一人に合ったサプリメントの開発を……といった具合に私が何人いても足りない状況。
 おまけに先日、定番のチョッパーとトラファルガーとの勉強会で、どうしてその会話になったのかは忘れたけれど、私のブラジャーの話になった。どうしてか、私のブラの話になったのだ。

「ブラジャーのサイズが実際のサイズと合っていないと当たり前だが胸の形が悪くなる」
「ってよく言うよね」
「それだけじゃねェ、胃の痛みや消化不良につながる場合や、肩、首、背中が凝り、頭痛の原因にもなりかねねェ」
「えっ背中の凝り?」


 凝りと言うか張り感だけれど、心当たりがあった。パラパラとめくっていた本から顔を上げると医者モードの鋭い視線のトラ男と目が合った。でも、それは作業の疲れからくるものだと思っていた。
 たまにロビンがマッサージしてくれるし、疲労回復系ドリンクなんかを飲んで和らぐことも多いから、こういうものだと深く考えていなかった。確かにブラジャー、しばらく新調していないな――


「ねぇ、トラファルガー」
「何だ」
「後で恐ろしい対価とか要求しないよね?」
「……どうしてそうなる」

 そんなこんなで私は今、医者と一緒に買い物に来ています。ブラジャーを買いに。しかもナミが多すぎるほどの予算を私のお財布に詰め込んでくれた。いつから買っていないのか、物持ちがよすぎではないか、それでは気づけない、と小言を言われた。私はほぼ同じような色、同じようなデザインしか買わない。だから同じものをつけていようと買い替えようと気づかれないのだ。
 それにしたって、いつも買うようなブラジャーなら自分のお金で足りるのに。ナミが私にお金を持たせる理由も、テンションが高い理由もよくわからない。何より……どうして私はナミやロビンとではなくトラ男とブラジャーを?

「ナミ屋にも言われてるからな。“医者の観点”で選んでくれと」
「いや〜、何でそうなる?」
「おれに聞くな」

 確かに出かける少し前、ブラジャーを買いに行く旨と理由をナミに伝えた時に二人は「え、トラ男くんが気づいたの?」「まァ」「あんたまさかユメのおっぱい見たの!?」「違ェよ! しきりに背中を気にしてたり、位置を直したりしてたからだ!」といった会話を交わしていた。
 ブラポジの調整をしていたところを見られていたなんて、めちゃくちゃ恥ずかしすぎる。トラ男の前で無意識に調整していたのは、きっと存在に慣れすぎてしまっているからだとあらためて実感した次第です。

「ついでに食材の荷物も持ってくれるとかコワイ」
「黒足屋が包丁を握りしめて歯をギリギリさせながら鬼の形相で『頼んだぞ』と言っていたがあれはどういう感情なんだ。どう考えても殺意だったぞ」

 サンジは私とトラ男が出かけるタイミングで、ナミからどうしても今お茶がしたいと言われていた。そうでなければ確実に一緒に来ていたはず。ナミはわざとやったのだろう。絶対に私がトラ男と出かけるのを面白がっている。そういう悪い顔、してたもん。

「サンジとは色々試作したいって話してたからね、だからだよ」
「にしたってログが貯まるまで時間はあんだろ」
「私はカツカツです」
「確かに、ここ何日かあまりのんびりはしてねェな」

 ええ、それはもう今のうちにとあれこれしてます。ぶっちゃけブラは後回しでいいかなと思ったけど、これ以上体の不調が増えても困るし、それでみんなに迷惑をかけてしまうことは避けたい。でもどうして、トラ男とブラ、選ぶの? これ、どんなシチュですか?

「おまけに寝不足だろ」
「えー、それトラ男が言う?」

 そう言った瞬間、トラファルガーが眉間にシワを寄せてムッとしたのがわかった。その原因がトラファルガーも寝不足ではないのかと言い返したことではなく、呼び方のほうにあることもなんとなくわかった。これまで、寝不足に関して言及しても適当に流すことがほとんどだったから。
 うちの大半がトラ男呼びだし、最近は私の脳内でもトラ男だった。だから仕方ないよねと思いながら「あ〜〜〜、呼びやすいよね、トラ男って」と補足した。
 いや、それにしたっておかしいな。みんなのトラ男呼びは今に始まった話ではない。今さら私が短縮呼びをしたところで大した問題ではないはずだ。
 するとトラファルガーは「へェ……呼びやすい?」と、まだ眼力を強めたままで、少し屈みながら私の顔をのぞき込んできた。
 ほら、やっぱりトラファルガーだって寝不足でしょ。クマが濃くなってるじゃん。慣れない船での生活でストレスがないはずないもんなぁ。それにしたって少し顔が近すぎやしませんか?

「呼びやすさで言えば断然、ローだろ」

 むぎゅっと左手で両頬をつままれた。同時に私の口が突き出る。何でキレ気味なんですかトラファルガーさん。「ひはひ」と大して感じていない痛みを主張するとトラファルガーはすんなりと手を離した。「トラ男とローだったら、ローの方が短いと思わねェか」と今度はコツンと頭をつつかれた。そして何事もなかったかのように「ちんたらしてねェでさっさと行くぞ」と歩き始める。
  私の頭の中では呼びやすさについての議論が行われていた。

「言われてみると確かに文字数、少ないね。トラ男は3文字、ローは実質1文字」「いやでもさ、あの七武海をローって呼び捨てにするの勇気がいるよね?」「今さら呼び方変えるの?」「でもまぁ、なんかもう仲間みたいではある」「ルフィは仲間だって言ってるじゃん」「え、じゃあもう仲間か」「仲間だね」

 あっさり結論が出た。彼は船長基準で仲間なので、私にとっても仲間認定だ。
 立ち止まっていた私より少し先でトラファルガー……いや、ローはピタリと足を止めた。こちらへと振り向く姿。仲間なんだと思って見ると、いつにも増して眩しく見えた気がした。

「そうだよね、仲間だもんねぇ」

 仲間が増えた嬉しさを噛み締めるようにニタっと笑うと「いや、なってねェ!」と大口を開けてツッコミを入れてきた。ほら、この感じ。この空気感。仲間と認識するだけでこんなにも見え方が違ってくるとは思っていなかった。すべてが解決した。距離感が近いことがあるのも納得できてしまう。私はスタタタっとローの所まで駆け寄った。

「寝不足で頭がおかしくなったのか」
「失礼だねぇ、さっさとブラ買って食材見よ? ロー」

 私にとってはブラはついでだ。あくまでも色々な食材を見たいほうがメインだもん。そう思って隣に並んでローの顔を見上げると何かに驚いたような、まるで衝撃的なものを見たように目を見開いて、それからよくわからないけれど帽子を深くかぶり直してそっぽを向いてしまった。

「……いや、急に詰めすぎだろうが」
「あっ、ローくん、のほうがよかった?」
「おま、そういうことじゃ……まァいい。行くぞ」

 私が勢いよく距離を詰めすぎたせいかはよくわからないけれど、ちょこんとローの左手に触れた私の右手はそのまま離れることなくがっしりと掴まれた。

「人も多い。勝手にどこかに行って迷子探しだなんて余計な手間を増やされても困るからな」

 何も聞いていないのにそう説明された。迷子だなんてゾロじゃあるまいし、これでも立派な大人だからそんなことはないと思うけれど、常に様々な店が私を手招きしているのは事実。絶対にないとも……言い切れない。ローはその見た目だけでなく刀も目立つ。私が探すのはきっと簡単だ。でも、手をつないでいれば何かに心を奪われ立ち止まったとしてもはぐれる心配はないだろう。
 そうと決まれば。私はローに一方的に握られていた手を「はーい」と返事をしながらしっかりと握り返した。

「……いや、素直すぎねェか?」
「え、さっきから何さ。まるで私がおかしいみたいに」
「順応しすぎだろ……あ」

 何かに気づいたみたいな、そんな雰囲気でローは黙ってしまった。険しい顔をしながらも歩みは進めている。うーん、つまりは私が仲間だと認識したことで解決したものが、ローにとっては何か不都合があるかのような、そんな物言いな気がした。

「ユメ屋はおれを仲間だと認識したんだな」
「え、うん。ダメ?」
「いや……この際何でもいい」

 やっぱり、これは花丸ではないのだ。けれど二重丸はつけちゃうよ、といった具合かもしれない。それよりも、私はローと呼ぶことにしたのに何で私にはまだ“屋”が付いてるのだ、ローくんさん。

「じゃ、私もユメって呼んでよね」
「……」

 そこで黙るんかい! 思わずツッコミそうになった手を必死に止めた。私には強要しておいて……正確に言えばしていないけれど、自分はそのままって、距離感のバランスが変な感じでは。ローは自分の仲間は呼び捨てにしていたはずだ。すると突然、ローに手を引っ張られてバランスを崩しそうになった。大通りから逸れた細い路地に入るとローは壁に沿うようにして歩みを止めた。

「わ、どしたの!? 海軍でもいた?」
「いや」

 薄暗くて、湿っぽい。道がたった一本違うだけでまるで別の町にいるみたいだ、それにしても、海軍ではないとしたら何だろう。そんな思考はすぐに吹っ飛んで消え去った。急に私の両手首を掴み、壁に押し付けるようにして目の前に立ったロー。そのまま私の肩におでこを乗せるようにして頭を置いた。

「少しふらついた」
「え! 目まい? 大丈夫!?」
「たまにある。軽いし、少しすれば問題ない」

 大変だ。ストレスかな。ここに来てから“気”を消耗しすぎているのかもしれない。ブラなんか買っている場合ではない。帰ったら気を補えるようなミルクベースのドリンクでも作ろうかな。そもそも帰る前に、どこかで休んだほうがいいのでは――ぐるぐると頭をフル回転させているとぽそっと小さく「ユメ」と私の名を呼ぶ声がして、ローがゆっくりと顔を上げた。

「ユメ」
「は、い……?」

 名前を呼ばれただけだというのに、この薄暗い路地にベビーブルーのペンキをひっくり返したみたいに景色が変わった。私の思考は大海原に出港した。陽の光が海面に反射してキラキラ、チカチカしているみたいな。いくら仲間だからってこんな間近でその無駄にいい顔面を向けられてしまっては、なけなしの女子の部分が「私という存在が消し飛ぶ」とその破壊力を認識してしまった。
 事実、ローはそういった観点から見ると、私の広めのストライクゾーンでも真ん中寄りだ。考えたことがなかった。七武海が身近な存在になった今だから、こんなにも気持ちが揺れ動いているのだろう。今まではあまりにかけ離れた存在だと思っていて、ありえないと思っていたから。

「あのぉ、ローさん」
「なんだ、ユメ」
「体調が悪いなら帰りませんか」
「いや、問題ない。気のせいだったみたいだ。ブラ見に行くぞ、ユメ」

 そう言ってニヤァっと口角を上げながら頭を起こし、私の頭をポンポンと叩いた。気のせいならよかったけれど……待てよ、今の悪そうな顔。もしかして、わざと名前を呼んでいるのでは。それならそうと、私も反撃するまでだ。

「本当に大丈夫? ロー」
「ああ。さすがにまずけりゃ自分でわかる。おれは医者だからな、ユメ」
「ローがそう言うなら。でも後でストレス解消疲労回復系ドリンク、作るからね」
「心配性だなユメは。でもまァ飲んでやるよ」
「素直じゃないねぇローは」

 ナゾのやり取り。お腹にジワジワくる。くすぐられているみたいな気持ち。だんだん面白くなってきたな、そう思ったところでふわっと、お菓子のような甘い香りと一緒に柔らかい風が細い路地を抜けていった。気づけば目の前でローが、目をうっすらと細め、微笑んでいた。

「ま、作る暇があんなら仮眠でもなんでもしとけ」

 もう一度私の手を握ったローはランジェリーショップへと向けて歩き出した。この耐久勝負、私の勝ちだなんて気持ちよりも、ただただローのふんわりとした笑顔のほうが印象的だった。よくわからない。私の胸の中にポカポカと火が灯ったような……いや、胸の中というか、私は胸の外側を覆うブラを買うというミッションを受注している。進まなければ。
 見たことのない顔を見せてくれる。仲間、だもんね。それにしても、今の笑顔は私の弱点となり得る。心からの、私へと真っ直ぐに向けられている笑顔には弱いふしがある。ちらりと横目でローを盗み見る。もういつもと変わらない真顔だった。常時ではきっと私の心臓が持たない――少しだけ、ホッとした。



 いかにも高級そうなショップが建ち並ぶ一角。ローは目的の店を見つけて足を止めた。そう、ラグジュアリーなランジェリーのお店。入口からふわっと香るフローラルな匂いまでもがお高そうに感じてしまう。
 マネキンに着せられている下着を見ているだけでクラクラしてくる。何を隠そう私は基本的に黒しか買わない。でもって見えても下着感の少ないスポーティーなタイプ。だからこうして色とりどりのセクシーから可愛らしいまでが揃ったキラキラしたディスプレイが眩しすぎて苦手だ。ローはそんな私をよそに、何の躊躇もなく私の手を引いて店内へと入った。

「いらっしゃいませ〜」

 想像していたよりは落ち着いた声色の店員さんの声がした。店内もディスプレイと一緒で、どこを見ても眩しくて目が滑る。私がただ黒だけを探して慌ただしく視線を動かしている横でローはカラフルなブラを手にしては戻して、手にしては戻してを繰り返している。

「よくも恥ずかしげもなくあれこれ手に取れるネ!」
「逆に何を恥ずかしがる必要があるんだ」
「まーそうなんだけど」

 黒がいいですと伝えようか迷っていると「わかってる。黒なんだろ」と真面目にブラジャーを見つめながらローが言う。私は「あ、ご存じで」と答えることしかできない。その情報の出どころはどう考えてもナミだ。
 ふと視線を感じてちらっとレジの方へと視線を向ける。すると可愛らしい店員さんが三人で集まり、声のボリュームは抑えながらもキャッキャ、ウフフと楽しそうに会話をしていた。「神に感謝しなくっちゃ! 目の保養だわ〜!」「確か海賊、七武海よねあの人。下着を選んであげるなんて意外!」「うらやまし〜! 今夜抱かれちゃうのかな、あの子」「見てる下着も高級ゾーン、さすが海賊! 羽振りがいい!」「私も抱かれたい〜!」と筒抜け。丸聞こえである。
 ローは医者で、医者の観点から私に合うブラを選んでくれているのだ。医者の観点で選ぶブラってどんなんかよくわからないけれど。ただ、私は麦わらの一味だって認知されていないみたいで少しがっかりした。まぁ……今の手配書の写真は絶妙にルフィの麦わら帽子で顔も隠れているからない。
 いや、待って。何だかびっくりするような発言をしていた気がする。ローが私を抱くとか、そんなことありえない。それよりも……抱かれたいって、ローってもしかして、女性達から見るとそういうポジションなの!?
 これ以上会話を聞いていると色々と考えることが増えて疲れてしまいそうで視線をローに戻した。そうだよね、目鼻立ちもキリっとしてるし、モデルもできそうなスタイル。ヒゲも似合っている。医学の知識が豊富で、強くて落ち着きも感じるし、周りへの気配りもできる……そんな思考はローの一言で遮断された。

「おい、この中からこいつのサイズに合うものを用意してくれ」
「ハァイ! かしこまりました!」
「ごまかさずにサイズがしっかり合うものだけでいいからな」
「お任せください! では、お客様どうぞこちらに!!」
「ユメ、つけたら呼べ」
「はぁい……って、え、待って呼ぶって何?」
「呼 べ」
「はい」


 店員に手を引かれ、されるがままにフィッティングルームに連行される私。何も考えられなかった。ブラをつけたらローに見せるのだという事実だけがじわじわと毒が回るみたいに頭の中を浸食していった。
 確かに着けた状態を見ないことには、サイズがしっかりと合ってるか確認はできない。ローは医者だ。健康診断のようなものだ。そうだ、これは医者によるブラチェック。それ以上でもそれ以下でもない。割り切ろう。
 まるで人形になった気分だった。店員さんがブラをつけたり外したりを繰り返す。試着の末、ローが選んだ十種類の中から六種類が私の胸にそれなりにフィットしているという判断が下った。まずは今つけているものを見てもらうことになって、心の準備もクソもないうちにローがカーテンを開けた。
 恥ずかしすぎる。私もラフな格好をするけれど、見えるにしたって肩紐程度。胸元が隠れるような服が多い。ナミなんかよくほぼ下着で活動できるよなぁ、見せても恥ずかしくないおっぱいだからできることだなぁ、なんて思いながら私は心を無にすべく目をつぶった。

「後ろ」
「はい」

 後ろを向けということだとすぐにわかってくるりと回る。薄っすら目を開けると鏡の中の、上半身下着姿の自分と視線が合う。最近筋トレや特訓をしているせいか多少は二の腕のお肉はすっきりしたようにも見える……あれ、私ってほぼぺちゃんこだと思っていたけれど、こんなにおっぱい、あったっけ。

「とても鍛えてらっしゃるんですね、ヘルシーなボディでうらやましい! 元々つけていらしたものはちょ〜っとカップが小さいようでしたので、2カップ上げました。アンダーは一緒です」
「2?」
「はい」

 店員さんは私ではなくローに話してかけていたけれど、2カップもサイズアップしたという驚きで思わず私が質問してしまった。綺麗なお姉さんがニコニコと胡散臭さが紙一重の笑みを浮かべている。
 ここ最近の運動量で胸のきえてしまったのでは、なんて思っていたけれど、つけるブラでこんなに変わるなんて。今までずっとスポーティーで楽なものに逃げていたからかもしれない。馬子にも衣裳とはこのことか。少しだけ人並に見える気がする。

「これは大丈夫そうだな、次」
「じゃぁ一回閉めますね〜」

 そうか、まだあるんだ。私はもう一度鏡に映る自分を見つめながらおっぱいを手に持ってみる。どうしてか、昔誰かがどこかで「おっぱいはサイズより感度だ」と言っていたことを思い出した。感度……何が感度だ。おっぱいは大きければ大きい方がいいに決まっている。お姉さん達が抱くだの抱かれたいだの言っているから思考回路がおかしくなってるんだ。
 ハァ、と大きくため息をついて次のブラをつけた。これは何だ、ものっ凄く肌触りがいい。私の持っているカジュアルな雰囲気とは対極の位置にある。同じ黒なのに。

「開けるぞ」
「お願いします」

 シャァっとカーテンが開いた。勢いがよすぎて何事かと思ったけれど、開けたのは店員さんだったらしい。そして「やっぱりこれが! 一押しです!」と、なぜか店員さんがエキサイトしている。「お客様の健康的な雰囲気をより魅力的に見せてくれること間違いなし! よりセクシーなものも当店にはございますが、これはセクシーすぎず甘美さを際立たせて、何よりフィット感も肌に吸い付くように抜群で、触れるほうも」と私とはまるで関係のないようなワードが流れていく。

「後ろ」
「はい」

 考えることに疲れたな、そう思っていると鏡越しに私の背中を見ているのであろうローの顔が見えてしまった。今、何を考えているんだろうな、ってそりゃフィット感を確認しているのだ。それ以外に何があるのだと言い聞かせていると、タイミングよく視線を上げたローと鏡の中で目が合ってしまった。うわぁ、ローが私の下着を見ているという現実を突きつけられてしまった。首にナイフを当てられている気分だ。

「あ〜〜〜っ、どうですか、先生」
「……さっきのと比べて、窮屈さは感じねェか」
「むしろ、とても、いいと思います」
「ならこれも決まりだ」

 著しく語彙力が低下してしまった。カーテンが閉まる。大きく息を吐いたけれど、なんだか風邪でもひいたみたいに熱っぽい気がしてきたし、胃の辺りが二日酔いのような不快感に襲われる。何かおかしい。壁にもたれながらふわふわのマットが敷かれた床に座り込む。私はフィッティングルームの中から「あの、ロー」と声をかけた。

「何だ」
「ごめん。慣れないことしてるせいかちょっと疲れちゃって、もうこれ全部買うから後でチェックしてくれないかな」

 それなりにサイズが合っているのなら、ローのチェックがダメでも予備としてあってもいいでしょう。それにすでに店員さんがフィッティング済みだし、きっと全部大丈夫だ。だから早くお店を出たい、という気持ちのほうが強かった。

「後でってのは」
「船に戻ってから部屋で見てよ」
「……」

 返事がない。「ロー?」とカーテンを少しだけ開けて様子をうかがうと、なぜか片手で顔を覆うようにして、耳を赤く染めているローがいた。え、どこにそんな要素があったかな。ローの横では店員さんも手で口元をふさいで私の方を見ていた。何のリアクションだろう。もしかして……私が見ていない間に店員さんがローに何かしたのだろうか。
 見てはいけないものを見たような気がしてすぐにカーテンを閉じた。バクバクと派手に脈打つ心臓を落ち着かせるように胸に手を当てる。何これ、どうしてこんなにざらついたような、モヤっとした気持ちになるのだろう。
 着替えたいのに体が動かない。立ち上がれずにうずくまっていると、「全部もらってく。上下セットじゃねェモンはショーツも用意しろ。今のはつけたまま出てもいいな」と少し早口で焦っているようなローの声が聞こえてきた。つまり私の要望が通ったのだろう。店員さんが慌ただしく「かしこまりました! 少々お待ちください!」とパタパタと走っていった気配がした。

「おい」
「ひゃい」

 動揺しまくっている。それよりも落ち着いて早く着替えなければ。服を取ろうとカゴに手を伸ばしたところで「開けるぞ」と聞こえてきた。待って、まだ着替えていない。そう声にする前にカーテンが開いた。
 フィッティングルームの中も決して暗くはなかったのに、外がやけに眩しい。余計にクラクラする。さらにはローに見下ろされていて、恥ずかしさよりも惨めな気持ちのほうが上回っていった。へたっている私を見て驚いたのか、ローは「おい、大丈夫か」としゃがみ込んでおでこにピタッと手を当てた。その手は少しひんやりしていて、気持ちがいい。

「熱は……少しありそうだな」
「熱……」

 私が着ていたTシャツをカゴから手に取ってわしゃっと被せてきた。「あはは……ごめんね」と、どうにか言葉を振り絞ってTシャツの袖に腕を通しながら、床に視線を落としたまま答えた。

「悪いが、部屋で見ることになった場合」
「あー! ううん、大丈夫! 見なくても大丈夫! 店員さんが合ってるって言ってたし、そもそもローが選んでるわけで、きっと平気だよ!」

 何だか、医者によるブラチェック以下のような気がしてきた。医者の観点から見るにしたって私の下着姿なんか見たくないよね。ナミに頼まれたからしかたなく、に決まっている。キレイなお姉さんを見ていたほうがそれこそ目の保養になるもんね。
 虚しさが胸をえぐって、この場から消えてしまいたくなって、その痛みが勝手に涙になっていた。こんなところで泣いたってそれこそローにとってはいい迷惑だ。
 ローと勉強会を通してすごく近づいたような気がして、仲間認定して、勝手にはしゃいでいた私がバカみたい。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。だんだんうまく息ができなくなっていく。

「泣くほどつらいのか……確かに店内の空気がこもってるな。その狭い部屋の中じゃなおさらだろう。気づけなくて悪かった」

 違うよ、と無言で首を数回横に振る。するとローは私の背中に腕を回して、ゆっくりとさすってくれた。一度だけではなく何度も、まるで子供をあやすみたいにそれは繰り返される。

「迷惑でもなんでもないから。落ち着け。ゆっくり息を吐け、吐くことを意識しろ」
 これも能力なのかな。少しずつ正しく呼吸する感覚が戻ってきたような気がした。ほかの店員さんの「大丈夫ですかァ!?」という心配そうな声がした。それに対して「あァ」と答えたローの声。その声で自分でも驚くほどに心が落ち着いたのがわかった。

「……ごめん。もう大丈夫だから」
「いや、無理はするな」

 次の瞬間、私の体は宙に浮いていた。ローに抱え上げられていたのだ。その後のことはあまりよく覚えていない。店員さんがフィッティングルームの商品を回収して、全部袋に詰めていた。自分で買うはずだったのにローが会計を済ませていて、私は抱きかかえられたままの状態で、商品の入った紙袋を持たされ店を出た。

「食材はまた後日だな」
「……はい……って、え、また行ってくれるの?」
「迷惑だってんならやめておくが」

 食い気味で迷惑なんかじゃないと言おうとして飲み込んだ。突然わからなくなってしまったのだ。ローとの距離感というものが。仲間だと思ったことで消え去った壁が、仲間以上の存在という可能性に触れた瞬間に分厚くなって再び私の前にそびえ立っている。物理的な距離感はゼロだ。けれど、心の距離は近いのか遠いのか、わからない。

「黒足屋にオーダーすればストレス解消疲労回復系ドリンクとやらは出てくるのか」
「あ、うん。バージョンSが。でも飲みたければ私作るよ?」
「おれじゃねェ。ユメが飲む分だ」
「……あ、そっか」

 優しいな。きっとローはそんなに難しく考えてないないはずだ。私が勝手に拗らせているだけ。だから私が普通にしていれば、きっと何も起こらない。抱えられたまま、進行方向と逆向きに流れる空を見ながら、ふっと湧き出たあの気持ちはたぶん何かの間違いだと自分に言い聞かせた。

「それと、言いそびれたんだが」
「何?」
「ブラジャーの確認なんだが」
「だから! いいんだって、ごめんね。不快だったよね」
「……ちゃんと見てやるよ。誘ってるみてェだと思っちまって即答できなかった」
「さ……え。さっ、さそっ!?」

 誘っているみたい、とは。あまりの衝撃に口が回らない。誘うってきっと、そういう意味、だよね。

「ユメがストレートにそんなこと言うわけねェのはよくわかってる。だから、変な想像をしたおれが悪ィ」

 あっ、あ〜〜〜、もしかして耳まで真っ赤になっていたのって……そういうこと!? 変な想像って、えっと、え〜っと。とにかく顔が見えなくてよかった。今の私、絶対に変な顔をしている自信がある。でも、気持ちは軽くなった。ぐるぐると悩んでいたのがバカみたい。でも、それはつまり、ローは私でエッチな想像をしたという事実が嬉しいということで……それもそれで変態、なのでは。

「ごめん……またふらふらしてきたかも」
「寝不足なんだろ。帰ったらとりあえず熱、測るぞ。どちらにせよトニー屋の所に行って診てもらえ……その間におれが黒足屋にドリンクを頼んでおいてやる」
「はい……お願いします。あと、ありがとね、これ」

 ブラとショーツが入った大きな袋をローの背中にポンポンとぶつける。すると「あァ」と、まるで優しく頭を撫でていくような声がした。顔は見えない。けれど、今日路地で見たような……私の心に火を灯したようなあの表情をしているのだろうと、そう思った。

 サニー号に帰ったらちょっとした騒ぎになったけれど、チョッパーから出た診断はただの疲れということで、その日はそのまま休ませてもらった。
 私達の呼び方が変わったその日は、私のローに対しての意識も違うものに変化した日になった。ただ、それは同盟相手から仲間に変わったからだよって自分に言い聞かせて、それ以上のものは見ないふりをしようと今は思う。
 きっと訪れることがない、いつかロー本人が取り出してくれる日が来るまで。ちょっとだけ大きく見えるようになったこの胸の中に、そっとしまっておくね。

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