とある昼下がり


「アウ!! ユメ! いるかー?」

 ひと時の穏やかな空気が流れるサニー号の昼下がり。甲板にひときわ大きなフランキーの声が響いた。いつものようにチョッパーとトラファルガーと本を読み過ごしていた私はその声に反応して本から顔を上げる。そういえば朝食の時に“仕上げの段階”に入ったとフランキーが言っていたな。私はフランキーに向かって大きく手を上げた。

「フランキー! こっちだよ〜!」
「いたいた、できたぞ! ウソップにもちょーっとばかし手伝ってもらってスーパーな武器に仕上がったぜ!」

 フランキーは体をリズミカルに左右に揺らしながら、鼻歌まじりにこちらへと歩いてくる。その手には二本、小型のハンティングソードのような、大ぶりなダガーらしきものが見えた。あれが私の……すぐに立ち上がると、チョッパーも一緒に瞳を輝かせて身を乗り出した。まるで自分のことのように反応するその姿。あまりの可愛らしさに胸がキュッとなった。
 新しい武器。ウソップはすでに新クリマタクトの開発を担当しているのでフランキー主導で作成してくれたのだ。

「おおぉ〜〜〜!! それがユメの武器か!? フランキー!」
「おうよ、ナックルとかダガーを融合させたような感じにして、ユメのスーパーなパワーを生かせる形にしたんだ。普段は刃の部分は……こんな感じで収納できる。ほら、ちょっと持ってみろ」

 刃を出したりしまったりするのを実演したあと双剣を差し出すフランキー。私はゆっくりと手を伸ばして受け取った。緊張する。光沢と重厚感のある見た目に反して、手にした瞬間に抱いた感想は意外と軽い、だった。両手に持ち、感触を確かめるようにぎゅっと握った。手の周りを保護するようなガードもありつつ持ちやすいグリップ。すっと自然に手が出るようなイメージ。これなら私も前線で戦える――込み上げてくるこの気持ちをすぐに伝えようとフランキーを見上げた。

「フランキー、本当にありがとう! ウソップにもお礼を言わなくちゃ……このサイズ感なら普段持ち歩いても問題なさそうだね!」
「そこもこだわりのひとつってやつだ! ユメならすぐに使いこなせるようになるだろうよ」
「え〜、私、褒められてる? さっそく試したいなぁ」

 私ならすぐに使いこなせる、なんて言われたらすぐに使いこなしてみせたくなるってものだ。ニヤニヤしながらチョッパーを見ると、チョッパーもこの剣を見ながらニマニマしている。今すぐこの武器を試したいという気持ちが浄化されてしまいそうなほどにかわいい。
 誰かに相手をしてもらいたい。そう思ったところで、黙ったまま本に集中していたたトラファルガーが顔を上げた。パチリと視線が合う。一瞬私の手元に視線が動いたけれどすぐに戻ってきた。新しい武器がどうした、とでも言いたげな、あまり関心のなさそうな表情をしているけれど、本心はわからない。そんなトラファルガーへと、私は無言で試す相手を募集しているというオーラを出し続けた。
 にらめっこ。ズルを承知で帽子のつばと瞳とのギリギリを攻め、凝視する。すると私の気迫に負けたのか、トラファルガーが視線を本へと落としてから発した言葉は「ハァ……やるか」だった。

「え! いいの!?」
「あァ……ただし、手加減はしねェ」
「あっ、あ〜〜〜、そうだこの人七武海だったどうしよ忘れてた、フランキ〜〜」
「いい経験だ! トラ男に相手してもらえ!」
「おおう……」

 本にしおりをはさんで閉じてからチョッパーに預けたトラファルガーは妖刀、鬼哭を手にゆっくりと立ち上がる。それだけで穏やかだった午後の空気はしゅわっと消えていった。
 トラファルガーは刀を使うし能力も使う。さすがに今回は私相手だし能力は使わないとは思うけれど、手加減なし。身の危険を感じます。リーチも違いすぎる。嫌な汗がこめかみを伝う。そんな私を元気づけるためかはわからないけれど、フランキーは頭に手を乗せてうんうんと大きく何度かうなずいた。たまたまなのか、ぐっ、とフランキーの手でつむじの辺りが強く刺激され、気が引き締まった。

「じゃ、後はトラ男に任せるぜ……おいトラ男、お前油断してかかると大怪我するかもしれねェぞ」
「馬鹿力がヤバいんだろ」
「お、おおい! いいい、医者のトラ男が怪我したら……! 一体誰が治療をしたらいいんだ!!」
「チョッパーも医者だよね」
「そうだった! おれは医者だったー!」

 右往左往と慌てるチョッパーを横目にフランキーは「ま、何か不明点、質問などなどあったら気軽に呼んでくれ!」と呟いて、機嫌も良さそうに髪をいじりながら去って行った。
 フランキーを見送って私はトラファルガーと向かい合った。チョッパーは私とトラファルガーが読んでいた本をまとめて抱えたままその場に座ると、ワクワクと不安が入り混じったような表情を浮かべている。私の緊張が伝わっているのかもしれない。
 何度か屈伸をして腕をぐっと空へと伸ばした後に一度大きく深呼吸。知識だけではなく、体も鍛えて頑張ってきたのだ。私だって強くなりたい。違う、強くなるんだ。
 ペチンと頬を叩いてから、まだ少しひんやりとしている剣のグリップをしっかりと握る。「それでは、お願いします」と頭を下げ、抜刀せずに立ったままのトラファルガーに向かって一歩踏み込んだ。
 ギィィン! と重たく、火花が散りそうな激しい音が辺りに響いた。トラファルガーは素早く鞘を投げ捨て、私の右手での初撃をしっかりと受け止めた。けれど数メートル後ろに押し込んだような形だ。いつでも力を出せるように特訓してきた成果が出たのかもしれない。もちろん完璧にできたわけではないけれど、それでも予想以上に腕力が武器に乗ったのがわかる。ビリビリと痺れる手。これはたぶん、感覚的な話だけれどいいビリビリ、なんだと思う。

「ずいぶんと恐ろしいモンを作ったな、ロボ屋の奴」

 口元をヒクリと動かし、少しだけ驚いたような表情を浮かべたトラファルガー。私以上にこの威力に驚いているのかもしれない。特訓の成果か、体の動きも滑らかだ。うん、畳みかけるなら今だ。押せる――すかさずトラファルガーの懐へと飛び込んだ。手加減はしないと言ったトラファルガーだったけれど、私がこんなにガツガツ攻めるなんて予想していなかったのだろう。数秒反応が遅れたように見えた。
 剣を振り抜く。びゅっと吹き矢のような音が鳴る。切った感触はなく、トレーナーの裾をかすっただけのようだ。チョッパーが「ああァ!」と叫ぶ声がする。トラファルガーはすぐに体勢を立て直し、鬼哭を大きく振り上げた。
 それならば――私は素早く剣を頭の位置まで持っていった。ずっしりと重いトラファルガーの攻撃をどうにか受け止める。重い、けれど受けた力は想定以上に地面へと逃げたようだ。体勢を立て直す時間の短縮になる。剣のおかげかもしれないけれど、足腰をしっかり鍛えておいてよかった。これなら防御の後、すぐに反撃に転じられる……力を込めた腕にこれでもかと全身の体重をかけた。

「とりゃぁ!!」
「……っ!! ROOM!」

 ブゥンと青いサークルが私を包む。あ、これは能力では。「シャンブルズ」と聞こえてすぐにトラファルガーがいた場所には木製のチェアが現れて、私の攻撃はそのチェアを真っ二つに斬った。

「ちょっとトラファルガーさん! 能力を使うなんて聞いてないです!!」
「ユメ屋の集中力の高さが戦闘で発揮されるとさすがに身の危険を感じるんでな」
「えっ、それってもしかして、褒めてる!?」
「うるせェ」

 あのトラファルガーに身の危険を感じさせるなんて、やればできるじゃないか私。すぐに切り返す。そこで私は気がついた。グリップのガードの内側。突起、スイッチのようなものがある。フランキーとウソップのことだ、何か仕掛けがあるに違いない。ワクワクで胸が踊るようだ。私はそのスイッチを押しながらトラファルガーとの距離を一気に詰めた。

「えいや!!」
「っ! そりゃ反則だ!」

 急に刃先が飛び出して不規則な動きでトラファルガーへと向かっていった。これは面白い。けれど早く能力で避けないのだろうか。避けないのはなぜだろうか。少しだけヒヤリとしながらトラファルガーの動きを追っていた。

「ちょ、ファルガー!」
「お前こそ受身の準備でもしてろ!」

 トラファルガーが飛び出した刃を弾きながら叫ぶ。刃は一度引っ込んで、そのまま真っ直ぐトラファルガーに突っ込む形になった。私は刀でいなされたことによって宙に舞う。いやいや、このまま飛ばされてたまるものか。私はその勢いでマストに足をつけ、反動でもう一度トラファルガーへと向かって飛んだ。
 再び伸びた刃先はゆらゆらと揺れて、近くにあったテーブルと一緒に立ててあったパラソルを見事に吹き飛ばした。さっきのチェアもだけれど、このテーブルも読書や勉強会後の息抜きティータイムのために、ウソップに作成マニュアルと材料をもらって私が作ったものだ。すまん、ウソップ。

「ユメ屋! 船をぶっ壊す気か!」
「何かあったらフランキーとウソップが直してくれるよ! 怒られるけど!」
「そうかよ!」
「うわァ! 二人共すごいけど!! おれに当たる! 当たるゥ!!」

 悲鳴にも似たチョッパーの声が耳に刺さった。そうだった。トラファルガーに集中しすぎて近くにチョッパーがいることを完全に失念していた。チェアの次に犠牲となったテーブルとパラソルの残骸が吹き飛んで、重力に負けてバラバラとチョッパーに向かって落下していく。

「トニー屋!」
「チョッパー!」

 同時に声を上げた私とトラファルガー。素早くその場からチョッパーへと向きを変える。勢いのまま飛び込むようにしてチョッパーを抱きかかえ、残骸を受け止めるべく右手を構えた。そこに僅差で追いついたトラファルガーが、どういうわけかチョッパーごと私を覆うように抱き寄せ、その長くて重そうな刀で次々に落ちてくる残骸を弾き飛ばした。
 ほんの一瞬の出来事のように感じた。心臓がバクバクと音を鳴らし、肌はひりついていた。トラファルガーによって弾かれた破片が海へと落ちていった音がした。よかった、みんな無事だ。私は大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。
 トラファルガーがパッと手を離したので私もチョッパーを下ろす。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。本当に悪いことをした。私はしゃがんでその体をぎゅっと、力強く抱きしめた。

「ごめんよチョッパァ〜!」
「お、お! おれだって、あまりにも二人が本気で驚いただけで一人でどうにか! できたぞ!」
「つい集中しちゃって……気づくのが遅れちゃった。ごめん」
「いや、おれがトニー屋までカバーできなかったのが悪ィ」

 ふぅ、と息を吐きながら謝るトラファルガーは帽子をかぶりなおしながら隣にしゃがみ込み、チョッパーの頭をポンポンと撫でる。トラファルガーも少し焦っていたのだろう、その横顔はかなり安堵の色が滲んでいるように見えた。

「トラファルガーってさ、チョッパーには激甘だよね」
「は? どこがだ?」
「だってめちゃくちゃ素直に謝るじゃん?」

 そのままぺたりと座り込んだ私達。トラファルガーは「そんなことはねェ」と呟くとふいっと視線をそらした。だいぶ落ちいた様子のチョッパーは散らばった本を集めながら「そうだぞユメ、そんなことないぞ!」と、なぜか私の発言を否定するかのように、けれど声を弾ませながら話し始めた。

「時々トラ男がすごく嬉しそうな顔してユメのこと見てるの知ってんだ、おれ」
「えっ」
「おいトニー屋……お前バラされてェのか?」

 目尻をくたっと下げ、満面の笑みで誇らしげに話すチョッパー。トラファルガーは遠慮なく凄んでいる。その反応は、寝ぼけたこと言ってんじゃねェ、なのか、はたまた、それを本人の前で言うとはどういう了見だ、といった意味合いなのか。
 ただの見間違いでは。チョッパーの言う嬉しそうな顔がどんな顔か私は知らないし、わざわざ言うからにはそれなりの表情だと思うのだけれど……いや、私を見てなんて、そんなことあるわけない。近くに別の何かがあったからに違いない。そうだ、きっとそうだ。

「チョッパーをバラすなんて私が許さないよ! 続きする?」
「いや、これ以上ここでやるのは危険だ」

 チョッパーの口を掴んで横にびょーんと伸ばしながらトラファルガーが言う。チョッパーは「ぃへぇ、ほら男〜!」と、トラファルガーに向かって手をぶんぶんと振り抵抗しているものの、リーチが違いすぎてまったく届いていない。もしこれがバラすという方法以外でのチョッパーへのお仕置きなのだとしたら、あまりにも微笑ましい、可愛らしい光景だ。

「二人とも、人の前でイチャイチャするのはやめてくださーい」
「どこをどう見たらそう見えるんだ」
「ていうかさ、ユメさんは気づいちゃったんだけどさ」
 まだ顔をもてあそんでいるトラファルガーからチョッパーを救うべく腕を掴んで自分の方へと引っ張る。そう、こんなにハラハラせずに済む方法があったじゃないか。
「トラファルガーが残骸をシャンブればよかったんじゃない?」
「……」

 言われてみれば、とでも思ったのか、トラファルガーの力が緩んだのでその隙に私はチョッパーを奪還した。ぎゅっと抱きしめながら「まさかあんな仕掛けがあるとは思ったり思わなかったりだけど、本当にごめんねぇ」と頬をチョッパーに寄せた。


「まァ、トラ男はユメに夢中だったもんな。今回は無事だったし、次から気をつけたらいいと思うぞ!」


 抜けるような青空。これでもかと微笑んでいるチョッパー。トラ男はユメに夢中だったもんな、という言葉が、まるで残響のように耳に残る。
 笑顔と共に投下されたチョッパー爆弾。私とトラファルガーだけがピシッと冷たい空気を纏った。チョッパーさん、物の言い方には細心の注意を払ってもらえないだろうか。トラファルガーさんもしきりに眉を動かしている。やめてほしい。油を注がないで。読書しているときなんかはだいぶ慣れたけれど、一度点火したら怖いんだから。

「ハァ。そうだな」

 スッと冷気は消えていった。肯定したよこの人。いや、“夢中”の解釈の仕方にこの会話を紐解くヒントがあると思うぞ。私との手合わせに集中していた、ということだろう。うん。それならまぁ、意味合いとしてはオッケーだ。わかる。
 考えがまとまりホッと一息ついたところで、どういうわけか景色が地球儀を回したみたいにぐらりと大きく動いた。抱きしめていたチョッパーごと私の体はパタンと横に倒れた。耳元で聞き逃しそうなほどの小さなため息、背中には包み込まれるような人のぬくもりを感じる。倒れた衝撃がほとんどなかったのは、トラファルガーに抱き枕のように抱えられていたから、だった。

「わ、えっ?」
「疲れた」
「はい……その、ご迷惑をおかけしまして」
「寝る」
「昼寝か! おれもちょっと眠たいぞ」
「え、昼寝?」

 こっ、これは……何というかその、昼寝をするのはいいとして、この状態でするのはいかがなものなのか。実は少し前から薄っすらとロビンの気配を感じている。隠れて私達の手合わせを覗いていたのだろう。テーブル類が吹っ飛んだ時も危険を感じたらフォローしてくれたとは思う。フランキーも絶対にどこかしらから見ていたはず。職人が完成品の出来を確認しないはずがない。このままでは人の目が気になって昼寝どころではない。

「あのぉ」
「なんだユメ〜、ぽかぽかしてきて、おれ、もう……寝ちゃいそうだ」

 トラファルガーに話しかけたのに、すでに半分夢の世界に片足を突っ込んでいそうなチョッパーから返事があった。こんなチョッパーを起こすわけにはいかない。それに、寝てしまいそうな気持ちもわかる。体は心地よいぬくもりに包み込まれていて、すっかりオフモードに切り替わっていた。
 私は、作詞・作曲、私の〈わたあめの歌〉を小さな声で口ずさむ。

「わた〜わた〜、ふわふわわたぁ〜、あめ〜あめ〜、あまあまあめぇ〜」

 すぅっと寝息が聞こえてきた。しかも前後から。前はわかる。そもそも歌わなくたって寝そうだったから即落ちするのはわかる。後ろ、後ろのトラファルガー。本当に寝てしまったのだろうか。

「わた〜わた〜、ふわふわわたぁ〜、あめ〜あめ〜」

 普段のトラファルガーなら「なんだその珍奇な歌は」と突っ込んできそうなのに、何のリアクションもない。どうやら本当に寝落ちしたようだ。トラファルガーが人前で昼寝をすることなんてあっただろうか。夜、ちゃんと眠れていないのかな、それとも本当に今の手合わせで疲れたのかな。
 ツッコミ組からは絶対後でからかわれるだろうし、サンジあたりが目撃したらすごい勢いで起こされそう。ゾロは私達が寝ているのだと確認した後、近くで見守るように昼寝をし始めて、ルフィだったら一緒にくっついて寝そうだ。きっともっとあったかくなる。

「ふふっ」

 ぽかぽかして気持ちいいのは気候のせいか、それとも。私達を囲むようにして昼寝仲間が増えている光景がぼんやりと見えた気がして自然と顔が緩んだ。あぁ、私も寝てしまいそうだ。まぁたまにはいいよね。それにしても……なんだかもう仲間みたいだよね、トラファルガー。

 不思議だなぁ。最近気づかないふりをしていた焦りや不安みたいな、ちょっぴり重くてどろっとしたものが溶けて消えていくような感覚。ゆらりゆらり。私の周りはわたあめみたいな、トラファルガーの帽子みたいな白いモコモコでいっぱいだ。ここがどこかはわからないけれど、すごく安心できる。子守唄を口ずさんでいるその声にも聞き覚えがある。
 もう少しでゆりかごを揺らしてくれている人物が見えそう。そう思ったところで、私の意識は深い闇の中に沈んでいった。

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