- ナノ -
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 私は走った。黒い風のように走った。また遅刻かって? いやいや、本日はローさんのバンド、Heartのライブなのだ。待ち合わせ場所のコンビニが見えたところで、同時に眉間にシワを寄せた我が親友が視界にカットインした。

「ナ〜ミ〜」
「ユメ、遅い!」
「いやいや、集合時間3分前! 十分間に合ってるよ!」

 どうも彼女はそういったところが細かい、と言うよりは自分は余裕で遅刻するくせに、
人に待たされるのは大嫌いといった利己的(当社比)な性格をしている。知ってる。でも集合時間はあらかじめ余裕を持った設定なので3分前でも十分セーフだと私は思う。

「……女らしさ、30点!」
「露出狂に言われたくないよー」
「ハァ? この鍛えあげたボディを出さなくてどうしろと!?」

 磨き上げられた美ボディであるナミ先生のファッションチェックが入る。そこまで鍛えたのなら見せたくなるものなのだろうか。私にはわからない。ちなみに今日の私は、最近奮発して買ったヴィンテージのブラウスに、長年はいているお気に入りのデニムパンツにローファーを合わせた。このローファーは見た目に反して歩きやすくて愛用している。さっきも十倍くらいで走った。

「このブラウスの素晴らしさがわからないなんて!」
「いや、何ていうか、単品で見るといいんだけど、ユメが着るとどういう訳かちょっとおやじくさく感じるのよね」
「はい知ってますー」

 おやじくさい、という聞き慣れたセリフに、適当に返事をして私達はぼちぼち目的地へと向かう。今日のライブハウスは待ち合わせのコンビニからは歩いて10分ほどだ。隣で私と同じようにウキウキした様子のナミに、そういえば、と私は話を振る。あの日数人から連絡先を渡されたのだと聞いていたのであらためて尋ねると、さっそく何人かと連絡を取り合っているようで、その積極性は尊敬するところでもある。本当にナミはモテる。知ってる。ナミはそういった出会いを無駄にせず、時には仕事に役立てるための人脈作りにつなげたり、場合によっては恋愛に発展させる気だってある。少しでもアンテナが反応すれば動く。人間関係には全力なのだ。

「今度何人かでご飯食べに行くことになったわ。ほら、この前のバラティエの照明の人と。今日も見に来るみたい。ユメも行く?」
「私は……とりあえず遠慮しておくよ」

 今日のナミのライブの目的は音楽3:お酒と人脈7くらいなのかもしれない。別にだからと言って私があれこれ言うことでもない。そういう楽しみ方だってあるだろう。私だってなんだかんだお酒は楽しみにしている。

 ライブハウスに着き、私とナミは受付へと向かう。どのバンドを見に来たのかを問われたので「Heartで2枚お願いしているユメです」と告げると、メモを見ながら「はいはいユメさんですねー、ドリンク代込みで4600円でーす」と返ってきて支払いを済ませる。
 音楽は好きだったものの、今までは大物アーティストやメジャーデビューしているバンドのライブ、フェスにしか行ったことがなかった。大手プレイガイドでチケットが販売しているわけでもなく、こんな感じの取り置きチケットの前売り料金システムがあることをローさんから説明されて初めて知ったのだ。知らないライブハウスへ行くのも少しだけ緊張する。でもその先にそれをも超えるワクワクが私を待っているのである! 何事も経験だ。毎回ナミが一緒に来てくれるとも限らない。このライブハウス感に慣れておくに越したことはない。

「ローさん! お疲れ様です!」
「よう」
「お、ユメちゃんいらっしゃい!」
「ペンギンさん、こんばんは!」

 カウンター席のほうの喫煙スペースに座ってタバコを吸っていたローさんとペンギンさんが、私達に気くと軽く手を上げてから立ち上がる。まだライブ前で明るい、とは言え普通の店よりは少し薄暗く雰囲気のある照明と、ライブハウスというなんだかちょっぴりアンダーグラウンド感のある場所が、タバコを吸っているお二人をより引き立たせている。なんでこんなにバンドマンってカッコいいんだろう。これまでに蓄積された音楽の知識や経験がにじみ出てるんだろうな。鼻血出そう。

「あァ、ナミちゃんもいらっしゃい」
「はーいこんばんは、今日も楽しみにしてるわよ」
「ナミ屋、サンジ達ならあっちだ。一緒に来てる」

 さりげなくローさんがサンジさんと一緒にいるらしいバラティエのスタッフさんの場所をナミに告げた。お? と思ってペンギンさんを見るとちょっとだけニヤニヤしていて……この感じだと、連絡を取り合っていることは知っているようだ。ナミは私に「じゃ、ちょっと行ってくるわね」と耳打ちするとすぐにサンジさん達の方へと走っていった。疾きこと風の如しだかなんだかだ。
 ちらっとローさんを見ると視線が合って、私はあはは、と苦笑いを浮かべながら「何だかナミがすみません」と頭をぽりぽりとかいた。すると私のこのすみませんの意図をくみ取ったようで横でペンギンさんが「ナミちゃんの話、結構面白いらしくてな。それにあのルックスだしね。気にならない男のほうが少ないんじゃないかな?」と何度かうなずいた。事実、ナミの周りにはすぐに男女数人が集まっていた。確かにあのモテ属性もすごいけれど、ライターだけあってコミュニケーション力もあるし知識も豊富だから当然と言えば当然。そして特に呆れている様子でもなく、まるでよくあることのように話すペンギンさん。すでにそういう認識ならば特に気をつかう必要もなさそうだ。

「しかしまァ」
「はい?」
「こっちの話だ」

 こっちの話とはどっちの話でしょう。ローさんが私を一度、上から下まで見たかと思うと小さくフンッと笑った。あ、これはさりげなく今日のファッションチェックをされた気がする。あとはそう、ナミとの布面積の比較だ。そうに違いない。「どーせ私はおやじです、おやじー」と、今日のおじさん寄せコーデを自虐する。先程もナミに言われたばかりなので、ちょっとだけ悲しみが押し寄せていたところに、神の如き一声が私を大して深くもないどん底から救い上げた。

「いや〜、それにしてもユメちゃんのそのデニム、いいね」
「おお、わかりますか! ペンギンさんのそのGジャンも! 2stモデルですか? たまらないですねぇ」
「お、そうそう、古着屋で見つけて即買いしたお気に入りなんだよ」

 ペンギンさんはデニム好きというか、少しだけときめきポイントが近いようで、そこにローさんも加わって話が盛り上がる。服にしても音楽にしても、こんなに趣味の話ができる人達がいるなんて幸せすぎる。本当に思い切ってこっちに引っ越してよかった。ライブ前から私の気分は最高潮である。

「今度、古着屋でも巡るか」
「古着屋めぐり!?」
「それいいねー、隣町にもお勧めあるよ」

 ボソっと呟いたローさんに、お勧めがあるのだと言うペンギンさん。乗り気のようだ。私がなんだそれ超楽しそう絶対楽しそうと目を輝かせていると「ユメも行くだろう?」とローさん。わぁ、ちゃんと最初から頭数に入っていたなんて感謝感激である。こんな鼻血な人達と古着屋を巡るなんてどんなご褒美、贅沢でしょうか。

「すごく行きたいです、やばいです」
「じゃあ決まりだな」

「いつにするか」「シャチはどうする?」「アイツはいいよ」と二人で話している姿を私は見つめる。Heartのメンバーの中でもペンギンさんとシャチさんとはそれなりに長い付き合いだと聞いている。きっと気の許せる仲なのだろう。ローさんがいつもより無邪気な子供のように見えるから不思議でたまらない。最近不思議現象が多すぎる。そういえば、だ。噂のシャチさん。シャチさんの姿が今日はまだ見当たらない。

「してそのシャチさんはいずこに……?」
「あいつは腹壊してトイレに篭ってる」
「Oh……ライブは大丈夫なのでしょうか」
「ま、今日おれらは5番目だし、それまでに全部出し切るだろうよ」
「そうだといいですけど……」

 シャチさんはお腹が弱くよく腹痛に見舞われるらしい。それでも毎回頑張って、どうにか乗り越えてくるのだそうだ。今までもそうだった、そのたびに奴は一回り強くなって帰ってくるのだとペンギンさんは語る。それはさておき今日のライブは総勢6バンドと、ボリュームたっぷりのラインナップとなっている。これはこれは、お酒が進むだろうなぁ、と私の胸はすでに躍りまくっている。

「よし、早速飲もう!」
「何にするんだ」
「生! です!」

 私が元気よく答えるとローさんは「だと思った」と、カウンターにいるスタッフに「生3つ」と声をかけた。演奏前に飲んで大丈夫なのかとたずねるも、1、2杯なら全く問題ないそうだ。さすが酒とタバコで生きているバンドマンだ。アルコールがまるでただの水のようだ。トイレに篭っているであろうシャチさんには申し訳ないが、ここは楽しく乾杯させてもらおう。



「では! 今日もHeartの成功を願って、かんぱーい」

 こつん、とカップとカップがぶつかる。ぐび、ぐびと喉を通っていくビールが体にじわっと広がる。はぁ、やっぱり1杯目は生ビールに限る、なんて思ったところで一緒に来ていた友人の存在を思い出した。

「あ、ナミの存在忘れてた」
「あっちはあっちで好きなようにさせときゃいいんじゃねェか?」
「ま、そうですねぇ」

 確かに早々に消えていったのはナミのほうだ。変わらずに人に囲まれてテーブル席で楽しそうにしている。それにしても我が親友ながら素晴らしいメリハリのあるボディだ。本当にうらやましいぞ。ちらりと自分の胸元へと視線を向ける。うん。しっかりと足が、相棒のローファーが見える。辛いな……そう思いながら視線をローさんに戻そうとしたそのとき、ふと以前も見たような目立つ、インパクトのある忘れられない赤い頭が視界を横切った。

「あ、あの人」
「……どれだ」
「あの赤い人」
「あァ」

 どういう訳かローさんはすぐに「おい」とその人物を呼び止めた。あっ、いや、呼んでほしかったわけではないんだけど……その赤い髪の人物がスタスタとこちらへと歩いて来た。威圧感にも似た存在感がある。カリスマ性みたいな。これまた男女問わずモテそうな人物である。

「一応紹介しておく。ユースタス屋だ、何だかんだでよく一緒になる」
「よぉ、確かお前この前のライブもいたなよな。今日のトリはおれんところのバンドだから、最後まで見てくといい……って! 一応って何だ一応って!」
「こ、こんばんは。今日も楽しみにしてますね」
「あァ! しかしトラファルガー……いつもの趣味と180度違うな?」
「……こいつは純粋な音楽オタクだ」
「へェ……なるほどな」

 ユースタスさんは顎に手を当てて私を見下ろす。いつもの趣味とは。そのあと私についての解説がローさんから入った、ということはもしかして……180度違うのは私、ということなのでは? とすでにお酒が決まっている脳で考える。しかし音楽オタクというのは私にとっては最大の誉め言葉なので、むしろ嬉しいやつです。ありがとうございます。

「どうも、私はただの音楽オタクです。お褒めいただき大変光栄です、以後お見知りおきを」
「いや別に褒めてねェと思うが」

 そんな感じてユースタスさんは「ま、また後でな!」とローさんの背中をボスボスと叩いくと、私にもひらりと手を振って楽屋の方へと歩いて行った。「いつもの趣味」というちょっとした小型時限爆弾を残して。

「……ローさん。いつものって何のことです?」
「ああ、それね、こいつの連れてくるおん……イッテェ!」

 ローさんの代わりにペンギンさんが私の問いに答えようとしてくれたのだが、ローさんが思いっきりペンギンさんの足を蹴ったことによってそれは中断されてしまった。それでも「連れてくる」と「おん……」というワードから推理できることは、ローさんがライブに連れてくる女性の趣味、ということだろう。気になる、ローさんの女性の趣味が純粋に気になる。どんなべっぴんさん連れてきてるんだろう。

「……フフフ、私名探偵なんで、何のことかだいたいわかりましたよ」
「あ、そう?」

 私はキリッ、とアゴに手を添えてポーズをとった。私の名推理に、ペンギンさんも気が抜けたような声で「それならまあ、いっか……」とビールをあおる。一推理終えた達成感で私も手にしているビールを流し込もうとした、しかし突如、おでこに衝撃が走った。

「てっ!」
「あのなァ、いちいちあの適当野郎の言うことなんか気にしてんな」

 その衝撃の正体は、ローさんによる私の額へのデコピン、だった。私のおでこはほんのりと痛む、というよりは熱を持った、と言ったほうが正しいかもしれない。なにやら変な感覚……今日はもう酔いが回っているのだろうか。それにだ、これではまるで私が180度違うという人物の存在を気にしているみたいじゃないか。私はすぐ反論せねばと口を開き「気になっただけで、別に気にしてるわけではないですー! 音楽オタク発言だって私にとっては褒め言葉なのに、デコピンはひどいです!」とまくしたてた。そしてもう大して痛くもない額を押さえて、大げさに、ふてくされ気味に被害者だとアピールしておいた。

「ペンギンさんもそう思いません? 私はユースタスさんによるローさんへの流れ弾に当たったようなものです」
「うーん、確かに? それにしてもなァ……」
「……何だよペンギン、その気持ち悪ィ顔は」
「いーや、別に」

 ローさんを見ながら、ニヤニヤとし始めたペンギンさんの真意はよくわからない。そこに、無事にトイレから帰還したシャチさんが合流。よかった、ライブ始まる前の早い段階での帰還で、本当に。

「シャチさん、こんばんは。あの……事情は聞きました。無事で何よりです」
「ユメちゃん……今日も来てくれたんだ、サンキュー」

 私は少しだけゲッソリしているシャチさんに挨拶をし、本日2杯目のビールを買いに行こうとする。そんな私を見たからか、シャチさんは「おれ……今日は酒やめとくわ」とお腹をさすりながら自己申告した。それがなぜだかおかしくて、私達はすでにお酒も入っているせいかゲラゲラと笑ってしまった。



「じゃ、おれらちょっとあっちに顔出してくるからさ」

 ペンギンさんが別のバンドの人達を指し示しながら申し訳なさそうに言ったので「あ、このオタクのことなどお気になさらず! 存分に楽しませてもらいますよ!」と答える。すると先ほどのやり取りを知らないシャチさんが「オタク?」と首をひねったので、ローさんはすぐに説明が面倒だとでも言いたそうな表情を浮かべながら「いいからペンギンとさっさと行け」とシャチさんの背中をぐいぐいと押した。
 さて、それならばいい加減ナミを連れ戻そうかと考えていると、まだ横にいたローさんが何やらじっとこっちを見ている。え、またデコピンでもされるのか? と身構えていると、ほんの一瞬だったけど、フッと笑ったように見えた。

「まァ、あんまり飲みすぎるなよ。あとユースタス屋の言うことは本当に話半分に聞いとけ」

 ローさんはそう言って私の背中をぺちんと叩くと、ペンギンさん達のほうへと歩いていった。うーん、なにやら余韻を残したようなこの感じ。立ち去り方がプロだ。ユースタスさんのことは一旦置いておくとして、心配してくれたのかな、と思うとなんだか素直に嬉しい気持ちになった。



 そのあと機嫌よく私の所に戻ってきたナミと共に、カッコよくって楽しい音楽と、美味しいお酒を満喫。ライブハウスという空間というか、魔力、みたいなものにすっかり魅入られてしまったような、そんな気がする。そしてローさん達Heartのライブが、今回も私の心にしっかりと、これでもかというほどに焼き付いた。

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