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 私は起床してから1時間あまりの時間をひとりファッションショーに費やしていた。なんと今日は本当にローさんとペンギンさんと古着屋を巡るのである。最近の、少し前では考えられない展開続きな毎日がそろそろ恐ろしくも感じられる。
 せっかくのお出かけだからワンピースを着たいけど、ちょっと浮かれすぎかなぁ。そうだよ、いつもどおりでいいじゃないか。いや、しかしだね。脳内での会議の結果絞り込まれた本日のコーデの候補は2つ。落ち着いた色合いだけれど総柄で少しレトロな雰囲気のロングワンピースか、ゆったり、リラックス感漂うデニムのサロペットにするか迷っていた。

「うーん、機動力重視だ! サロペット君、君に決定だ」

 インナーには単体だと甘すぎちゃう気がするブラウスを合わせて、帽子と、大ぶりなピアスなんかもプラスしてみる。うん、サロペットの力で浮かれすぎ感は出ていないはずだ。忘れ物がないかバッグの中身を確認し、ペタンコな歩きやすいサンダルをつっかけていざ決戦の地へ。私は足早に待ち合わせ場所へと向かった。



 ローさんとはちょこちょことご飯を食べに行ったりするけれど、仕事帰りなので仕事の延長線上にある感覚だし、ライブ時も、こう何というか……プライベートとはいえライブハウスという空間内での付き合いだ。ローさん達はジョブ・バンドマンという姿で、私は客。だから今日のような買い物ツアーって、いよいよ完全なプライベート感が強すぎてなんだか少し……いや、とんでもなく落ち着かない。
 この落ち着かなさのせいでかなり早く集合場所であるスーパーに着いてしまった私。火照っているような気のする頬を落ち着かせるように手でパタパタとあおぐ。腕時計を確認するとまだ12時38分。約束の13時までは20分もある。ちょっとお茶を飲めばさすがに落ち着くだろう。そう思ってバッグからペットボトルを取ろうとしたところで、後ろのほうからどういう訳か私を呼ぶ声が聞こえた。

「ユメ、ずいぶん早ェな」
「ローさんこそ! まだ20分前ですよ!?」

 背の高いハイスペックなバイト先の先輩が、年季の入った激安スーパーマーケットを背景に「そういうユメはもっと前からいたんだろう?」と言いながらゆっくりと私の方へと近づいてくる。似合わない。輸入食品の高級スーパーなら完璧だっただろう。いや、そもそもローさんはスーパーで買い物をするのだろうか。

「……はぁ、なんかローさんバチクソに洒落てますね、モデルかなんかですか?」
「は?」

 ペイズリー柄のオーバーサイズなTシャツにシンプルな細身のデニム、そしてキャップをかぶっているだけなのだが……ダテなのか何なのか今日はメガネをかけていて、そもそもスタイルもいいから本当にモデルのようだ。私、今日この人と一緒にショッピングするって本当ですか?

「本当にお前は何を言ってるのか理解に苦しむ」
「褒めてるんデスヨ」
「そうかよ」

 日中の日差しと相まって眩しすぎて直視できないでいると、ぺちん、とかぶっていた帽子のツバを叩かれて私の視界は一瞬半分になって、そして前髪が乱れた。くっ、どうせ帽子で前髪は変な癖つくだろうけど、それにしたって多少気にしてセットしてきた前髪が出発前にお亡くなりになった。こうなったらもう横に流してしまおうと手櫛で前髪を整えながら、ついさっき思ったことを口にする。

「ローさんって、普段スーパーで買い物したりするんですか?」
「……話の脈絡がなさすぎてヤバいな」
「ありますよ、大ありです」
「質問の意味もな」

 私の頭の中ではしっかりとあるのだ。まぁローさんからしたら急にスーパーの話になったように感じるのだろう。それならまず質問の意味から説明しよう、そう考えたところで私達の近くの駐車スペースに一台の車が止まった。扉が開くとすぐに「二人とも早すぎじゃない〜?」と声がして、これまたストリートスナップに出てきそうな、ミリタリーテイストなデニムシャツをさらっと着こなしたペンギンさんが出てきたから私の目ん玉は飛び出そうになった。足元もブーツなのに、ミリタリー色は強すぎなくてキレイにまとまっている。絶妙なバランスだ。

「えええ……ペンギンさんそのシャツの色落ち感、近くで見るとヤバいですね……今語彙力全部飛んでます」
「あー、これ結構時間かけたやつだからね」
「古着でなくご自分で! なんと素晴らしい……」

 ペンギンさんのシャツは自家製だそうだ。デニムを育てる喜びについて考えだそうとしていると「もう揃ってんならさっさと出発するか」とローさんが声にしたことで、私はハッとして腕時計を確認。今の時刻は12時43分。決して早寝早起きが得意ではなさそうなバンドマン二人と、どちらかといえば夜型人間な一人が時間前集合……しかも17分前だ。信じられない。

「全員がこんなに早く集まるとは……!」
「じゃ、乗った乗った!」

 こうして私はペンギンさんの車の後部座席へ、ローさんは助手席へと乗り込んで、ついに古着屋巡りツアーが幕を開けたのだった。



 ペンギンさんの車はメンバーの楽器の持ち運びもできるようにという理由でワゴン車だそうで、ゆったりとした車内で私はありがたく流れるBGMと景色を満喫していた。
 運転席と助手席からは、今流れているトムズワーカーズというバンドのライブに行ったときの話が聞こえてくる。正直うらやましい。私はこのバンドが来日した当時、その存在を知らなかったのだ。私もトムズの話したい……

「つらい、私まだそのときトムズ知らない。しかもここ何年も来日してない、つらすぎます」

 うっ、と泣き真似を交えながらハンカチを手に後ろから二人に声をかける。するとさらっと「次来たら行くか」「いいね、そうしよう」と返事が返ってきた。感情の処理が追い付かない。社交辞令だとしても嬉しい、優しい。トムズのライブに一緒に行けるような人がついに私にも……震える手。感激のあまり声にならない。

「え、ユメちゃん、大丈夫?」
「気にすんなペンギン、たぶん『一緒に行っていいんですか、いつ来ますかね、ヤバいですね』とかそんな感じだろ」

 ペンギンさんの問いかけに、さらっと私の思いを代弁したローさん。私は驚いた。わかってるじゃぁないか。私のことをずいぶんと、わかっているじゃないですか! おや、よく考えるとこの数か月で私が一番時間を共にしているのは、多分ローさんだ。仕事、仕事後、ライブ。そう考えるとそんなにおかしなことでも……いや、それとも私が単純思考なのだろうか。これはちょっとした問題だ。わかりやすすぎてもちょっとアホっぽいといいますか、私自身がなんだか悔しいです。

「今ローさんは心を読んだんです? それとも過去の私の言動からはじき出された答えだったりするんですか?」
「はじき出さなくてもそんなもんだろ」
「えっ、これなんかちょっとバカにされてます!? ペンギンさん!! ペンギンさんの隣のギタリスト、ひどくありませんか!?」
「フフッ、いやァ……元気だな、ユメちゃん」
「そりゃぁ今日はときめきな古着達が私を待ってますからね!」

 ペンギンさんにはうまいことはぐらかされたような気がするけれど、この元気さが取り柄だということはあながち間違いでもない。小バカにされたような気がしたことは一旦忘れることにしよう。そう、今日は古着達が私を待っているのだ。各自の欲しい物やペンギンさんのデニムの育て方の話をしている間に、気づけば目的地へ周辺へと到着していた。

 ペンギンさんが流れるように、いとも簡単に縦列駐車をキメたのを駐車が苦手な私は地味にカッコいいなぁと思いつつ車から降りた。ちょっと隠れ家的な外観の建物。こういうお店は総じて中がめちゃくちゃおしゃれだったりする。期待感が増す。私はペンギンさんとローさんのあとに続いて店内へと足へ踏み入れた。

「ちーっす、今日何かいいのあります?」
「ようペンギン! 久々だな!」

 ペンギンさんはすぐ近くにいた店員さんと親しげに話ながら店の奥へ進んでいく。私はといえば、この古着屋独特のにおいを感じながら右から左へ、思っていたよりも広い店内を眺める。ペンギンさんのおすすめなので懸念していたレディースの取り扱い量も想像以上に多そうで、マネキンのコーディネートは今すぐ全身購入したいレベル。私は心の中でガッツポーズを取った。買えないにしても、色々なものを見ているだけでも刺激になるし心が満たされた気分になる。あとで己の物欲と対峙することにはなるんだけども……とにかく買い物最高! と思いながら店内を進む。
 数歩進んだだけでもう一着の花柄のワンピースと目が合った。『ほら手に取ってみて?』とワンピースが語りかけてきたので、にんまりとした、少しだらしのない顔でそれを手に取ろうとしたところに、背後から「これとか好きそうだな」という声がした。ローさんだ。どうしてローさんがまだここにいるかはさておき、振り返ってみると手にしている服はクラシカルな雰囲気とシルエットのデニムワンピース。一目見ただけでテンションの上がるディティール。デニム地だけど上品に着られそうな一着だ。

「ヒィ、怖いですローさん。ど真ん中ストレート160キロ投げ込んできますね? どこからどう見ても私の好みでしかないです」
「このジャケットはどうだ」
「渋い! 渋いチョイスです! たまりませんな!」
「……じゃあこのバッグは」
「ギャー! さっきのワンピースに合いそう!」

 何ということでしょう……ローさんが私に見せてくる商品はどれも私の好みを的確に押さえている。さすがここ最近で一番時間を共にしているだけある。仕事中にも商品を見てロビンさんと騒いでることもあったので、それも見られていたのだろう。把握されていていても仕方がない。

「……ローさん、私を破産させる気ですか? 次から次へと……こう、こんな、くっ」
「全部買えとは言ってねェだろう」

 すでにカゴいっぱいに商品が入っていて、なんなら手にも3着ほど持っている。ローさんは最初は真剣に選んでくれていたように見えたけど、たぶん今は面白がってる。その割にはやっぱりときめくチョイスばかり。なんだこれ、どうしたらいいんだ。

「こんなの……迷うに決まってるじゃないですか」
「まだ何件か回るんだぞ」
「うっ……」

 そうでした。ここはまだ古着屋巡りのスタート地点。ああもう、どうしよう、路頭に迷う私。唸り声をあげながら商品を吟味していると、ローさんがひょいっと、カゴの中から一番最初に選んだデニムワンピースを取り出した。

「まァ……これは買えばいいんじゃねェか」
「……ですよね!? 絶対買います」

 ワンピースに関しては、運命的な出会いだと思うので買わないという選択肢はなかった。ローさんにもそう言われたので、私は断腸の思いでワンピース以外のカゴの中身を素早くかつ丁寧に元の売り場に戻す。そんな私を見てかどうかはわからないが今まで私の買い物に付き合っていたローさんは気づけばスタスタと店内を一周したあと、一服でもするのか外へと出ていった。
 そこでやっと、私は失礼ながらペンギンさんの存在を思い出して姿を探す。すっかり夢中になってしまっていて待たせてしまっていたら大変だと店内を見回すと、まさに今からレジに向かうであろうペンギンさんを見つけたので私は急いで駆け寄った。

「ペンギンさん、ここすごくいいお店ですね! 1店舗目から色々と買いすぎてしまうところでしたよ……」
「そりゃよかったよ。それ、ローが選んでたやつでしょ? さっきまでカゴいっぱいだったもんなァ」
「えっ……なっ、見てたんですか!?」
「あっれ〜? めっちゃ見てたんだけど気づいてなかった? 二人とも楽しそうだったからしょうがないかー」
「たの……いや、声かけてくれてもよかったんですよ!」
「いやいや、おれも店員とついつい話し込んじゃったし、ちょうどよかったんじゃないかな」

 そんな会話をしながらレジへと向かいお互いに会計を済ます。二人とも楽しそうだった、というのはペンギンさんから見ると私はもちろん、ローさんもだということになる。私ばかりがはしゃいでいた気がしたけど、それなら悪い気はしない。私はワンピースが入った袋を抱えて少し浮かれたステップで、ペンギンさんと共に店を出る。すると予想どおり外で一服していたローさんがやっぱり絵になりすぎていて、その眩しさ(日中の太陽光)で危うくショック死するところだった。



 こうして5軒も古着屋を巡った私達。気づけばもう夜だった。移動は車だったものの店内を歩き回ったり試着を繰り返したりで完全におなかペコペコ空腹状態。そのまま帰り道にファミレスへとなだれ込んだ。

「やー、今日は素晴らしい1日でした!」
「楽しんでもらえてよかったよ」

 しかし、常にイケてるお二人と行動するのはなかなか落ち着かなかった。今になってやっと、常時この状態……イケメン二人と一緒だということに慣れてきた。もっと二人と並んでも遜色ないように大人っぽさ出したほうがよかったかと、ちらっと自分の胸元を確認する。するとブラウスのフリルが『私がごまかすから大丈夫よ』と自信に満ちた表情をしている。そうだ、すべてが胸の大きさで判断されるわけではない。大丈夫。そもそも私が大人っぽさを出したところでお二人の足元にも及ばないだろう。かといって今さらナミみたいな「攻め」を出しても……きっと驚かれるし、定着してしまった私のキャラからするとギャグだと思われてしまいそうだ。

「それにしても、ペンギンさんの彼女さんにいつかお会いしたいです……とても気が合いそうな気がします」
「そうは言っても、あいつライブには来ねェんだよな」

 車の中で聞いたペンギンさんの話から想像する彼女さん像は、人見知りの私でも仲良くなれそうな気が、と思った。ただ……それよりも、その前に、私はとても重大な見落としをしていたことに、車の中で気づいたのだ。

「残念です……でも、私ったらなぜローさんに彼女がいないと思い込んでいたのでしょうか。むしろ常時何人かいそうなのに」

 車内での会話で出てきた、ベビー5さんという女性の存在。ライブにも時々来るそうで……ローさんは否定しているが、ペンギンさんが言うには彼女なのだそうだ。

「だから……あいつは彼女じゃねェよ」
「ベビー5ちゃん本人も彼女だって言ってたじゃん?」
「『あいつが勝手に言ってるだけだ』なんて! 照れ隠しなんじゃありませんか!?」
「んなわけがあるかよ、女なんて面倒なだけだ」
「あー、まぁそのお気持ちはよくわかります」

 面倒な女というものに心当たりがある私は思わずローさんが力強く発した言葉に反応した。直近だと、私から元彼を寝取った人物がありえないほど面倒だった。それにいつかのバイト先でも関係ない恋愛関係のいざこざに巻き込まれたり……いや、女性全員がそうだと言いたいわけではなくて、恋愛が絡むとそれは顕著だと、思うわけです。うんうん、と頷きながら私はウーロン茶を口にする。すると少し眉をぴくりと動かしたローさんが「おい待て、お前一応女だろう?」とツッコミを入れてきた。そう、一応そうだ。

「いや、ちょ〜っと思い出したことがありまして……」
「何を思い出したの? ちょっと気になるんだけど」

 想定外。ペンギンさんが身を乗り出して食いついてきた。まさかこんな流れになるとは思わなかったので私は「……いやぁ、まぁ」と濁す。するとテーブル席の反対側に座っているローさんがオブラートに包もうともせずに「あれか、同棲中の家に別の女がいて元彼とヤッてたってやつか」とはっきりとあの事件を口にした。

「ロっ、ローさんってば、何をそんなにはっきりと!」
「わぁお、そりゃまたどえらい修羅場を……」

 ペンギンさんは哀れな私に「ユメちゃんも色々つらいことがあったんだね」と言いながら、ウインナーとポテトを小皿に取り分けてすっと差し出してくれた。私はあのときのやるせなさを思い出したのと同時に、最近の私の周りの人達は本当に心が澄んだ優しい人が多いという事実にウルッとしながら、ありがたくウインナーを口へ運んだ。

「んまい……まぁ逆ギレされたり色々と大変でしたけど、今となってはいい経験だったと思います。今こうしてここにいるのも、あの修羅場があったからですしね!」
「ポジティブ!」
「それだけが取り柄かもしれません」
「……バカってことだな」
「また! ローさんはすぐ人のことを小バカにして! 音楽バカなら許しますよ!」
「じゃあそうしといてやるよ」

 ちょっとだけ感動秘話みたいな流れになったのに、ローさんがいつものように私をおちょくったことで台無しだ。「はー、ローさん心がこもってない。適当すぎる」と文句を言うと「実際そうだからな」と言われてしまう。ローさんがはっきり言っちゃったせいでこの話になったというのに。悲しい。ふてくされ気味にプイッとそっぽを向けば、ペンギンさんにクスクスと笑われた。余計悲しい。

「ま、男なら腐るほどいるからな。案外近くにいい男がいるかもだし……」
「そういうもんでしょうかね」

 そう言われてあらためて考えてみる。最近の私の周りには「いい」を通り越した素敵な、ある意味ヤバい人達ばかりだ。だからそういう、恋愛に発展する要素が見当たらない。まったくそんな気がしないし、それよりも毎日楽しく、充実していることのほうが今私の中で重要だったりする。気を取り直して、届いたばかりのあつあつパエリアを食べながら私はペンギンさんに「それなら今ごろ世界中がハッピーですよ?」とだけ言っておいた。

「なァ、ロー」
「あ? んなもん知らねェよ」
「まぁ……ローさんもその気になったらすぐ何人も彼女できそうなのに。あ、ベビー5さんか」
「だから違ェよ」

 ごつん、私の足に何かがぶつかった、いや、確実に悪意を持って蹴飛ばされた。犯人はもうわかっている。私の反対側に座っている無駄にハイスペックな職場の先輩であるバンドマンだ。

「だから!! その長い足でこれ見よがしに蹴らないでくださいっていつも言ってるじゃないですか!」
「悪いな、足が長くて」
「くそ……いつかその足の長さのせいで苦労することになりますよ!」
「今クソって言っただろ」
「言っちゃ悪いですか!?」

 ああ言えばこう言う、一生ローさんに敵う気がせずに息を切らしていると、ふとペンギンさんと目が合った。ペンギンさんはジンジャーエールを飲みながら何か言いたそうな、でも何なのかわからない……ちょっとだけ気持ち悪い笑みを浮かべていた。「……仲良し、だな」と言ったように聞こえたのはきっと気のせいだと思う。

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