10.5


「よっしゃ〜〜〜! カツ煮! 私はカツ煮定食を食べるのですよ!」
「……おい、魚はどこにいった」
「むしろ仕事中はパスタ食べたかったんですよね、トマト系」
「……そうかよ。おれは……北海ちらしセットだな」
「むむ、ちらしも捨てがたいですな……どうしよう。ミニちらしも頼もうかな、いやぁそれはさすがに多いかなぁ」
「……なら、おれの少し食うか?」
「えっ! いいんですか?」
「代わりにカツを一切れよこせ」
「了解です、そうと決まればさっさと頼みましょう!」

 ここへ来るまでに和食だ魚だと騒いでいたというのに、目の前の女はカツ煮定食を食べるのだと息巻いている。なんだってこいつはこうも突拍子がないというか、変わった奴なんだろうか。ノリが女と飯を食いに来ているそれではない。どちらかというといつものバンド仲間、野郎どもといる方に限りなく近い。
 さっさと注文を済ませたが、ユメは何やらテーブルの端にあるデザートメニューに熱視線を送っているようだった。この時間に飯を、カツ煮を食ったあとに食すには重いであろうカロリーの塊にしか見えない季節限定のケーキやパフェ。迷っているのだろうか、大きな瞳が落ち着きなく動いていた。
 そもそもカツ煮だけではエネルギーが足りない可能性も――ユメなら時間も何も気にせずペロリと平げてしまいそうな気がして「そんなに食いたいなら、頼めばいいだろう?」と声をかけると「あっ、いや、そんなに食べたいかと聞かれたらべつにそうでもなくて」と返ってきた。少しだけ心ここに在らずといった雰囲気だったが、どうせバンドのことでも考えてたんだろう。

「……ま、食いたくなったら遠慮なく頼めよ……そういやユースタス屋から送られてきたんだが」
「?」
「お前、まだ10代でも全然いけるな」

 スマホを取り出してユースタス屋からのメッセージを開く。添付されている写真。もちろん、と言ったら少しおかしいかもしれないが端末に保存も済んでいる。目の前のユメはおれの発言の意味を必死に考えているようで、デザートを見ていた時よりもせわしなく瞳が揺れる。こいつには一体、どれだけの表情があるのだろうか。ガバッと立ち上がるユメに「これだ」とライブの写真を見せた。

「な! なぜローさんが写真を!? ユースタスさんが!? なぜっっっ!?」
「……さっきこの話をしようとしたらサボの奴が入って来たからな、あいつに見られたら大騒ぎだろうよ」
「誰に! 見られても! おおおおおおおおぅ!!」

 予想以上の反応だ。声を上げながら両手で顔を隠す姿と、動揺を隠し切れていない小刻みな動きがまるで小動物のようで見ていて飽きない。そこまで恥ずかしがるモンでもねェと思うが……宅配業だと言っていて、しかも黒猫だと話していたユメ。ただの作業服で果たしてコスプレと呼べるのだろうかと疑問に思っていたが、送られてきた写真を見て納得した。黒猫を従える魔女の方だったのだ。これででっけェリボンをつけて、あの破戒僧のゴリゴリと激しい音を鳴らしていたと思うとかなり面白い。そしてそれと同時に悔しくもある。聴いてみたかった。その場にいることができたなら、と。

「……ユースタスさんに次に会ったらタダじゃ済まないですよと今すぐ伝えてください!!」
「アイツにしてはいい仕事をした」
「ローさん! すぐにそれを!! 消去! 消してください〜!」
「ハイハイ」

 ユメはぐずぐずとハンカチで顔を隠しながらトイレへと走って行った。少しからかいすぎたか。そう思いながらユメに見せたものとは別の写真を眺める。あの日ユースタス屋から何度か送られてきたうちの『打ち上げなう』という文章と共に添付されていたものだ。いつものような眩しい笑顔で酒を飲んでいるユメの姿がそこにはあった。今にも動き出して「ローさん!」と声をかけてきそうな――そこまで考えたところで、これはかなり重症なのではと我に返り茶をすすった。
 その写真の人物は今席を外してはいるが、一緒に飯を食いにきていて目の前にいる。いくらでも笑顔を拝めるのだ。まァこんなベストショットを撮ったユースタス屋を褒めたいとも思うが……それよりも、おれが行けなかったライブにあいつが行ったという事実に腹が立つ。今すぐにでもボコりたくなった。
 パタパタと戻ってくるユメが見えた。スマホをホーム画面に戻してテーブルに置いてから、もう一度湯飲みを両手で持ち直した。手からじんわりと伝わってくるぬくもりで、少しずつ落ち着きを取り戻す。

「……まぁ、そのライブのおかげで私のやる気に火がついたんですよね」

 ぷうっと頬を膨らませたような、ふてくされ気味の表情で席に戻ったユメがそう呟いた。そこでおれはある事実に気づく。まさかこいつ、バンドまで掛け持ちする気なのだろうか。さすがに厳しいのではと思い問いかけると、今回のライブをしたバンドはメンバーのスケジュールの都合で休止になるのだと返ってきた。
 ユメの説明に少しだけホッとした自分がいる。それはスケジュール的な、体力的な部分の心配というよりも、野郎だらけな環境に対してのほうが強かった。
 ユメが新しく結成したバンド。マスターにはおれも世話になっているし、モネもいるからそこは安心だ。ユメが声を上げるとすぐにマスターが連絡を取ったらしくその日のうちにメンバーが集まったと聞いて驚いた。シーザー・クラウンという人間の顔の広さ、人脈もあっただろうが、そのマスターを動かしたのはユメの熱量だろう。
 今日の仕事前にマスターとバンドを組むと聞いた時点でモネは頭数に入っていたが、ほかの詳しいメンバーを聞いたおれは茶を吹き出しそうになった。たまたま来ていた青キジことクザンは昔バンドをやっていた話を聞いたことがあったからわかる。だが……まさかドフラミンゴ経由の知り合いのヴェルゴの名前が出てくるとは思ってなかった。

「常連の青キジはともかく、ヴェルゴってもしかしてサングラスしてるパッと見ヤバそうな奴か?」
「ヤバいかはわかりませんが確かにサングラスでしたね……もしかして! ローさんのお知り合いですか!?」
「まァ、知り合いっつーか顔見知りなだけなんだが……えらいメンツだな」
「そうだったんですね!……それにしても、私もこんなにすぐ集まるなんて思ってなかったので驚いてます」

 想像してたよりも年齢層が高かった。ユメとモネがギリギリ近いと言えなくもないが、ほかは4、50代のおっさんじゃねェか。まァどいつもこいつも年齢不詳な奴らだから見た目にはそこまでオッサン感は出ないだろうが……現代の音楽オタクと年季の入った音楽マニアがやるんだから面白くならないわけがない。

「どんなバンドになるか楽しみだな」

 モンスターバンドになっちまう可能性もありそうだな――そんな期待感を抱きつつ注文した飯が届く前に一服してしまおうとタバコをポケットから取り出すと「……あれ、ローさんタバコ変えたんですか?」とおれの手元を指差してユメが呟いた。

「あ、あァ」

 どくりと胸が跳ねた。こうも早く銘柄を変えたことを突っ込まれるとは。「そういえば最近値上がりしましたもんね」と頬杖をつきながらテーブルに置いた新しいタバコのパッケージを興味津々といった表情で眺めている。

「いや、値段は関係ねェよ。これも前のと同じ値段だ」
「ほー」

 流石に何度も見てりゃ違いに気づきもするかと思いながら、「……ま、ただの気分転換だ」と適当に流しておいた。これは、バカ正直に話すと色々とややこしくなる。銘柄を変えたというおれ自身の行動について、その理由を深く掘り下げ考えることを今はまだしたくなかった。ユメもキョトンとはしていたが、これ以上しつこく聞いてこなかった。助かった。
 
「ああ、おいでませ、私のカツ煮……」

 運ばれてくる料理が見えた途端にユメの表情がニヤける。初めはモネの料理だけかと思っていたがそうでもなく、本当に食事が好きなのだということが伝わってくる。いわゆる幸せオーラのようなものをよく放っている。が、色々と考えてみると仕事の休憩中に食事をしている時、ここまで緩んだ顔をしていただろうかという疑問が浮かぶ。ライブハウスでは酒だからまた違うが、ペンギンと飯を食った時、バイトの連中と行った時にはここまでではなかったような気がした。つまりだ。こんな顔をするのはもしかしなくても……

「だらしねェ顔になってるぞ」
「おおう、そんなハズは……」

「おまたせしましたー」とユメの目の前に置かれたカツ煮。すると突然ユメはキリッと顔を整え姿勢を正した。いや待ってくれ。その姿におれは思わず吹き出してしまう。だらしないと指摘されたからだとは思うが、あのたまにするキメ顔で背筋を真っ直ぐに伸ばしたユメが、なぜかどうしようもなくおかしくて耐えきれなかった。おかしいだけじゃない……自分でもわからない、言語化できない感情で食う前から胃が膨れ上がったような感覚だった。とにかく、こんなにおれを笑わせることができる奴はそうそういない。

「……っ、お前……」
「な! なんですか! え、笑ってるんです? 私何か変なことしました?」
「ユメはいつもおかしいな」
「もう、それはローさんもですよ!!」

 続いて北海ちらしも届く。今だに笑いの余韻がおさまらないおれはどうにか落ち着かなければと呼吸を繰り返す。目の前のユメはというとそんなおれの気も知らねェで「いただきます」と一言。そして箸を伸ばしたかと思えばおれのちらしに乗っかっているサーモンを一切れつまむと、いつの間に用意されていた小皿の醤油につけ、一口。「ん〜!……やっぱりサーモンですわぁ」と、うっとりとした表情を浮かべた。
 完全に油断していた。いくらがふんだんに盛られたこのちらしにサーモンは2切れ。マグロが3切れなので迷わずマグロを食べると思い込んでいたおれは思わず「てめェ、貴重なサーモンを!」とぼやくと同時にカツ煮に箸を伸ばす。

「まぁまぁ、海老はとってありますから! って! それ一番大きいカツ〜!」
「食い切れねェだろうと思ってな」

 食いもんの恨みは怖いとよく聞くが全くもってそのとおりだと思う。おれはど真ん中の一番でかいカツを取り皿へ。すると「なんかローさん、こどもみたい……貴重なサーモンって!」と聞こえてきた。確かに、ムキになってる自覚はあるがそれを認めるのも悔しいので「うるせェ、さっさと食うぞ」とおれは視線をそらした。行儀は決してよろしくねェだろうが、ユメと食べる賑やかな飯はもはやおれにとっての日常なんだとあらためて実感してしまった。



 飯を食い終わったおれ達は会計を済ませ店の外に出る。散歩と称してユメを連れてあの場所へ向かう。
 何てことない会話をしながらしばらく歩く。騒がしい商店街から少し離れた場所にあるそんなに広くも、だからといって狭くもない公園。どういうわけか人もあまり来ない。おれが行くのが深夜だからかもしれないが、ひとりになりたい時にはもってこいの穴場だ。
 だが、今日はひとりじゃない。隣には食後の満足感からか口元をふにゃりと緩め、調子よくリズムを取りながら歩いているユメがいる。

「ここより田舎に行きゃァ、もっと星が見えるんだがな」
「えっ、え……星が見たかったんですか? ローさん」

 まるで似合わないとでも言いたげに「ほ、ほし」と繰り返し、ユメはおれを見上げる。いやまァ、ガチの天体マニアだとか星座に詳しいわけでもないが、おれにだってただ何も考えたくなくて空を眺めたりすることもあるわけで。

「誰かさんを見てたらな」
「……? 誰かさん?」
「バーカ」

 それに、考えをまとめたくて、整理したくて空を眺めたりすることもある。今日は後者だ。じゃなきゃわざわざユメを連れてきたりなんかしない。おもむろに芝にしゃがみ込んだおれをまだポカンとした表情で突っ立ったままのユメ。いちいち説明するより早いだろうと「まァ座れ」とユメの腕を掴み、そのまま座るようにと引っ張った。

「あれだ、たまに、こうして空を見てると落ち着くんだ」
「……?」

 そのままおれはいつもどおり寝っ転がって空を見上げる。そこまでしたところでやっとユメは「それならそう言ってくださいよ! いきなりびっくりしたじゃないですか」とバッグを枕に寝転がった。何か敷くものでもあれば出したんだが、ユメなら特に気にしないのでは、とも思っていた。

「……この町に、こんな綺麗な夜空を見れる場所があったんですね」
「案外、人も来ない穴場だ」
「いいんですか? 穴場を私なんかに教えちゃって」

 教えて都合が悪いなら連れてくるわけねェだろうと思いながらユメを見ていると、そのおれの視線に気がついたのかパッと首を横にするとこちらへと顔を向けた。

「……って! 何コッチ見てるんですか! 星を!! 見てたんじゃないんですか!!」
「人と共有するのも悪くねェと思ってな。ま、誰にも教えるなよ」
「……ひゃい、あ、はい」
「っ、まさか噛んだのか? たった、二文字だぞっ……」

 はい、というたった二文字を噛むユメ。本当にこいつはおれを笑わせる天才なのかもしれない。こいつが現れてからというもの、聞こえる音が増えた。全身で感じる音が、厚みを増していくような感覚だ。

「笑いすぎです! それにしても、ローさんってもしかしなくても天然なんですか?」
「は? んなわけあるかよ」
「……だって……」

 いや、おれのどこをどう見たら天然だと思うんだ。そんなこと言ってきた奴はこれまでの人生でユメしかいない。だが、その独特の感性がおれに何かを訴えかけているような気さえしてくる。
 もごもごと続けて何か言ったようだったがよく聞き取れなかった。ユメは相変わらず忙しそうに、効果音を付けるのならば「パタパタ」としている。

「……ロー、ローさん!」
「ん?」
「私ですね……」

 そう言ってユメはおれを射抜くように、真っ直ぐに視線を向けてきた。触れたいと、思った。吸い寄せられるように、思わず手を伸ばしそうになって止まった。だが、何か言おうとしているならまずはそれを聞いたほうがいいと、おれ自身にそう言い聞かせた。

「私! ローさんのことっ……あの、ローさんみたいに、バンド頑張り、ますっ!」
「……ん」

 ユメが言いたかったことはもっと別のことだったような気がしたが、でも今はこうしてユメが言葉にしたことだけが真実だ。おれみたいに、と言われたことは素直に嬉しく思う。
 今日のところは……これくらいなら許されるだろう。「頑張れよ」と呟いて、止めていた手をユメの頭へそっと伸ばした。

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