安室さんと赤井さんと冷蔵車

不満げな表情を隠すことなく、少女は嗅ぎなれた匂いの漂う洋館に居た。
体調を崩していなければ今ごろ某有名財閥の別荘で楽しい2日間を送っている予定だったのだから、こうなることは仕方ないと男は肩を竦める。

「そう気に病むな。さらに拗らせたらどうする」
「わたしも園子ちゃんたちとテニスしたかったなぁ」

珍しく留守番を嘆きながら名前は小さな肢体を広いソファへと沈めた。淹れたばかりのアフタヌーンティーさえ、愉しむ様子は見当たらない。

「それなら、風邪を引かないように体力をつければいい。いつでも俺が力になるぞ」
「えっ、」

ぷっくり膨れた頬を撫であげるとそこがたちまち熱を持って変色した。身じろぐ身体の隣に腰を下ろせば、彼女の頼りない肩が小さく揺れる。漸く自分との距離を認識してくれたらしい。

「赤井さんみたいにむきむきは…」
「君がこうなるには心臓がいくつあっても足りなさそうだな。どうだ?これを機にFBIに入るっていうのは」
「お断りします」

酷く人の顔色を伺うこの少女は、相変わらず自分にだけ非常に当たりが強い。特別だと思ってくれているのであればとても嬉しい。相当いいポジションに腰を据えていると思う。


暫くして少女の脳内はこちらの世界からフェードアウトした。体調が優れないことは長年の付き合いからも読み取れる。かくんと折れた首と白い枝のような脚に手を入れれば、いとも簡単に自分の腕の中に納まった。
伊豆に行っていたら、このマリアの寝顔は浅黒い男の目に入るところだったのか。今回の留守への不満は彼に起因していないことを願うことしかできないのがもどかしい。

米花町1事件体質の家族は、列車爆破で少々傷を負った末っ子を1人置いて行くのは些か心残りだったらしい。小さな探偵や、腕っぷしの良い姉からも多少の信頼を得ていて本当に良かった。赤井秀一ならまず見た目でアウト。

「どこまで溺れさせる気なんだ、お前は」

日本の有名探偵も、警察も。そして、アメリカの警察をも虜にしてしまうこの少女は、きっといつか地球上の男という生物すべてをころしてしまう。





* * *






ポアロへよく足を運ぶヘイスティングは君の方だと言ってやりたい。良くも悪くも彼が連れて来るのは事件ばかりだし、あの少女が絡んでいる可能性が高いので首を突っ込まずにはいられないのが現状。

猫の首につけられていたレシートはやはり自分の読み通りの場所へ辿り着いていた。あの少年が彼女を危険に巻き込むとは考えにくいが、万が一という可能性だってある。あのベルツリー急行がまさにそうだった。彼女はとても予想できない行動を取ることがある。



「あの、その子たちを引き取らせてもらえませんか」
「アァ?なんだ?お嬢ちゃん」

探偵の血を引いているからなのか、危険を顧みず突き進む少女の脚は生まれたての子鹿のように震えており、トラックの中の少年よりも頼りない。頼むから危険なことに首を突っ込むなと怒鳴って軟禁でもしてやりたい衝動をやりすごし、急ぎ足で愛車を降りた。この俺の前で鼻の下を伸ばした糞野郎は可能であれば警視庁からこちらのエリアへと身柄を拘留してくれてやる。どんな手を使って償わせようか。

「お嬢ちゃんもコンテナに入ってもらおうか。これから俺たちと地獄の果てまで一緒に…」
「名前さんこんにちは、お久しぶりです。こんなところでお会いできるなんて、きっと僕の生まれ月の運勢が最上位だったに違いない」

薄い肩がびくりと跳ねた。星座占いなんて絶対に信じてないだろうという少年の痛い視線が飛んできた気もするが、意外な人物の登場に驚いた少女はすぐにその顔を安堵の色へと変えた。そんなに不安と恐怖を抱えているなら、無鉄砲に突っ込むことを辞めればいい。こちらは心臓がいくつあっても足りない。

「すみません。この路地狭いので道を譲って頂けませんか?傷付けたくないので」

今すぐその汚い手を離せと言ったつもりだった。目の前の馬鹿な男はその手を離すどころか名前の腰を抱いてフンと鼻で笑う。今こそ靴に稲光を走らせるべきではないのかコナン君。

「探偵の兄ちゃん!」
「助けて!」

子供達の声が聞こえるまで彼女と犯人以外を認識していたかも定かではない男は、カウンター一発で2人組の配送屋を地面へノックアウトさせた。一瞬の出来事にそこにいた全員の口が空いて塞がらない。取り敢えずの終息を経た現場で、未だにパワーを右手に燻らせている男よりも先に、彼女の同居人である少年が名前の元へと駆け寄った。両手を強く握りしめている。

「ーーっざけんな!自分を犠牲にするのはやめろって何回も言ってるだろ!」
「っ、え、えっ、と……こなんく、」
「だいたいお前はいっつも……!」

それから我に返った少年が今更年相応の声色と表情で彼女の無事を確認する様子は実に滑稽だった。2階から一部始終を見守っていたFBIは苦虫を潰したような顔で外を見下ろす。
あの男にだけには持って行かせたくない場面だった。日本の警察は美味しいところを持っていくのがつくづく上手い。

探偵団の無事を自分のことのように喜び、自然な動作で赤毛の少女を先に家の中へ促したことは褒めてやるが、今日の行動は頂けない。コナン君も安室透も同じことを思っただろう。何故ここまで周りの庇護欲を擽るのが上手いのか。一生かかっても解けない謎だと、赤井は早い段階で決定付けていた。

「さぁ、名前さんは僕と一緒に5丁目へ」
「今日はこれから子供達と一緒にクリスマスケーキを…」
「毛利先生に連れて帰るよう言われているんですよ」

そんなの口から出まかせだと同居人の少年に死んだ魚の目で睨まれたが、少女はこの貼り付けられた笑顔に逆らうことが遂にできなくなってしまった。





* * *






少年からあらぬ疑いをかけられている以上、阻止されることはもちろん分かってはいたが、少々強引な手段を取ってしまった。それにしても今のところ発信器の類は見当たらないし、少女は思いのほか大人しく助手席に収まっている。

「何故貴方は危険だと分かっていてあの列車に乗ったんですか」
「……このレシート、見つけられなかったんじゃ…どうして黙っていたんですか」
「言う気がないと分かって聞いてますね、こっちもそうだと言いたいんでしょう?」

本当に、この少女は変なところで気が強く頑固な節があると、短い付き合いからもよく理解できた。シラを切るつもりか、この僕が貴方の気配を他の誰かと間違えるわけなんてどこを探しても在るわけないのに。

「あの日からずっと心配していたんですよ。蘭さんから容態を聞くことくらいしかできませんでしたし」
「姉もあの子も、薬を飲まされたことは知りませんから」

少女はとても穏やかな表情で前を向いていた。この女はいとも簡単に自分の予想を超えてゆく。まさかここでそれを言われるとは思わなかった。多少の危機感を持ち備えていることはわかったが、それはこの状況で使わなくて大いに結構。

「さすが名探偵の娘さんですね。何故分かったんです?」
「私、聴力だけは優れているみたいなんです」

ほら、あなたのこえ
少女の細い指が喉仏を撫でた。急所を触るのを許すのはお前だけだと言ってやりたい。

あの時呟いたそれを言っているのなら、眠りながら推理を披露する父親より彼女のほうがよほど探偵に向いているし、弟子入りするなら比べるまでもなく彼女がいい。

「どうして、そこまでして私を助けようとしてくれるのですか」

本当に酷い手違いな存在だったと、大きな息を吐き出した。自分の命を賭けてまで守りたいと思える物がまだこの世にあったなんて。もう随分と沢山の大切な物を手からこぼれ落としてきた。

毛利名前というたった一人の娘が何故ここまで心に引っかかって離れてくれないのか、自分でもよく分からない。この信じられないほど端正な見た目も、細く頼りない身体も、この地球上の何も傷つけないような性格も。正面から自分を受け止めてくれた彼女を、好きにならずして済む道があったのなら迷いなくそちらを選んだ。大恋愛に足を突っ込んだ自覚はもちろんある。

「決まっているじゃないですか」

あむろさん、と意中の女の唇が動く。緊張から小さく震えた唇は、ベルモットや怪盗のふざけた変装ではないことを物語る。首に充てがわれた手を取って握れば、彼女の大きな瞳がゆらゆら揺れて己を映し出した。

「貴方のことが好きだからですよ」

この地球上の、誰よりも
おまけにつけようとした言葉は、心の中を木霊して身体の奥底に吸収された。

2017.08.05
安室さんと赤井さんと冷蔵車

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