安室さんと純黒その1

正直に言って18年間生きてきた中で1番訳がわからないほど困惑した。先ほど知り合ったクラシックカーの持ち主、私を半ば強引に助手席へと突っ込んだ男が、いきなり車外へと吹っ飛んで行ったのだから。

「大声出したら殺すわよ」

入れ替わりにハンドルを握った銀髪の女も、どうやら物騒だという事には変わりないらしい。向けられた黒い機械が偽物でないということは、彼女の恐ろしい程洗練されたドライブテクニックによって証明されたも同然だった。

「怖がらないのね、あなた何者?」
「…まだ死にたくないから、」

運転手は左右で色の違う瞳で私の震える手先を捕えると一層笑みを濃くした。この壮絶なカーチェイスに対して罪悪感は一切無いらしい。見覚えのある2台のスポーツカーが酷いスピードで追ってくる。体当たりを繰り出した白い国産車のおかげで彼女のスマホがこちらに飛んできた。

「チッ……やってくれる…」

バックミラーで相手を捉えたと同時に車はぐんとスピードを上げる。この短時間で車を破損させるBGMに慣れてしまった自分の感覚が怖くて仕方ない。後に追いついた赤い外車と白のFDが競り合ううちに、女の手が伸びて行く。恐怖で震えが止まらない自分の身体がここまで恨めしいと思うのはこれからもきっと今日だけであってほしい。
軽自動車が天へと放たれた。

「........Sit!」

ドンと窓が叩かれた振動が身体の芯にまで伝わる。首都高がこんなに恐ろしいドライブコースだったなんて知らなかった、できればもう2度と乗りたくない。こんな状況でも、まだ生き延びることができると信じているのは幼馴染の受け売りか。

漸く停止したボロボロの機械に安堵したのも束の間、この渋滞のおかげでクレイジーなドライブが再開される。両手足に全神経を研ぎ澄ましているであろう女が此方を向くことは一切無く、それが唯一の救いでもあった。今、すれ違った国産車の運転手と目があったような気がする。飛んできたスマートホンの画面には彼のコードネームも記載されていた。

「っ、ライ…!」

今度は赤い車の持ち主が此方にライフルを向けて待ち構えている。スコープを覗いた緑色の瞳が私を捉え、動揺の色を見せた。彼は運転手を制圧するより、きっと私を助け出すことを優先してしまう。この2人の捜査官は本当に私に甘い節がある。

「面白い…轢き殺してやるよ!」

物騒な言葉を吐き捨て、スピードメーターの針を振り切らせた女性が身体を屈めた。飛行機が滑走路を走るような感覚に酷く不安を覚えたのも束の間、クルクルと円を描きながらスピードが低速してゆく。エネルギーの行き場を無くしたクラシックカーが海の藻屑となるのにきっと時間はかからない。シートベルトを外したのと同時に傾いた車体と共に、体が息苦しい地へと沈んでいく。泳ぎはあまり得意ではない。
こうなる原因を作った女性は素早い動きで車から離れ、姿を消した。一部始終を見ていたであろうあの人と車を沈めたあの人の仲がさらに拗れることは誰にでも分かるし、私はその光景を夢の中でさえ見ることになる。

近くで大きな爆発音が聞こえたような気がした。





* * * *






「赤井…貴様……!」
「この橋の下にFBIの船を停めてある。もう彼女を救出するよう手配済みだ」

本当にいつも想定の域を超えた行動をする少女が1番存在して欲しくない場所に姿を現した。一瞬でもその姿を見違える訳がない、何せ相手は自分を瞬時に虜にする天才。またもFBIに助けられる少女の命が惜しくて堪らない。
聴き慣れた耳障りなサイレンのおかげで自分のタイムリミットも刻々と迫っていることを漸く思い出した。1番最初に彼女に駆け寄ってその生存を確認してこの腕で抱きしめて。そうでもなしなきゃこの胸にかかる霧が晴れる日は組織を壊滅させたとしても訪れないというのに、それが許されない。胸を掻き毟りたくなるほどの悔しさをやり過ごして彼女をFBIに任せて酷い荒地を後にすれば、少女の鈴のような声が聞こえたような気がした。

どうか必ず、ご無事で。





酷い隈を携えた男は、険しい表情で船の上の仲間からの報告を思い返していた。

日本警察によって引き上げられた車内はもぬけの殻だった。海上保安庁が周辺をくまなく探している最中だが、被疑者は愚か、少女の生存確認さえできていない。また、愛する女をあの世へ逝かせてしまったのか。頭から血の気がどんどん引いていく。

頼むから、歩みを進めるうちに見つけたこの小さなイヤリングが彼女のものだという確証を自分にくれないか。
柄にもなく、震える左手を自分の右手で包み込んだ。





* * * *






音信が途絶えたキュラソーのGPSが最後に機能したのはこの埠頭。あの首都高でのデットヒートは彼女と公安の鬼ごっこ。こちらが手を回さなくたって速やかに隠蔽される。

「…っ!」

見覚えのあるジャケットを拾い上げると、バラバラと零れ落ちるガラスの破片の先に、小さく縮こまった少女が現れた。しかし肝心のキュラソーがどこにも見当たらない。一体何が起きたのか。プラチナブロンドの髪をかきあげ、足元に目線をやれば信じられない落し物が見つかった。

「ちょっと、あなた……」

狂おしいほど皆んなから愛された少女は、神から見放されてしまったのだろうか。シルバーブレッドと共に一生をかけて守り抜いてやろうと誓った天使が死にかけた顔色で荒い呼吸を繰り返している。たったそれだけのことに、大女優シャロンビンヤードは酷く動揺した。これを見つけたのが私ではない他の幹部だったら。

騎士とは名ばかり。少年にも、あの浅黒い気障な情報屋にも、この少女をもっともっと近くで見守るべきだと釘をさす必要がある。

大した意味がない事は自分が1番よく分かっているけど、彼女が窮地に立たざるを得なくなったら、私は土下座でもなんでもして証人保護プログラムを受けてもらうと決めている。

「今回は私が守ってあげるわ、angel」

あのキュラソーが組織の情報が露呈する可能性のある女の命を奪わないなんて。恐ろしいほど人の庇護欲を擽るのがうまい少女は、きっとこの先よっぽどのことがない限り、死に直面する事はないだろう。

抱え上げた軽すぎる荷物を、車の後部座席へと寝かせた。バーボンには絶対に知らせてやらない。本当にあり得ないほど使えない男。だからジンにも疑われるのよ。

2017.09.07
安室さんと純黒01

back← / →next

BACK

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -