もはや嫁



世界一美しいものを作る人がここまで汚い世界で暮らしてる。
それを知っている人間は世の中にそれほどいない。

だけど、俺が一番この惨憺たる状況を知っているのかもしれない。
大雅さんと一緒に暮らしだして、この家に少しだけ慣れたけれど、相変わらず出かけて帰ってくるとひどく散らかった部屋を見るのも基本的に俺だけだ。

「部屋が汚ければ、汚い程いいものが書ける気がするんだよな。」

大雅さんが視線を泳がせながらそんな事を言う。
大雅さんの小説は本屋で売られているものはすべて読んでいる。

美しく織られた文章を読むたび、俺と本当は住む世界が違う人なんじゃないかと思う。

「はいはい。それじゃあ、編集さんにもう連絡入れますよ?」

大雅さんが変な顔をする。
それからぐしゃぐしゃの頭のまま、抱きしめられる。

一緒に暮らすまでこういう事は全くなかったので、その度ドキドキしてしまう。

「本、買ってくれたんだね。」

本がなんのことかはすぐに思いいたる。
俺の部屋の机の上に昨日読んだばかりの大雅さんの本が置きっぱなしになっていたことを思い出す。

「俺の部屋入りました?」

大雅さんは、締め切りが近くなると昼夜の区別がなくなってしまうため、一緒に暮らしているといっても部屋は別々だ。

「……出かけてるって知らなくて。」

声はかけてから学校に行ったつもりだったけれど、大雅さんがそれに気が付かない事は時々ある。

「というか言ってくれれば、俺の本ならいくらでも睦月にあげるのに。」

多分聞けば献本として出版社から送られてきた本を俺にくれたのかもしれない。
掃除をするときにたまに積まれている時がある。それも同じ本が複数。

けれど、それじゃあなんか嫌でいつも本屋で買って読んでいる。
そんな小さな秘密を見られたのは少しばかり恥ずかしいけれど、大雅さんが嬉しそうに笑っているのでどうでもよくなった。



大雅さんが原稿で追い詰められている時でも最近は夕食だけは一緒に取る様になった。
前は、邪魔しちゃいけないと思って、そもそもなるべく顔を合わさなかった。

寂しいから、と大雅さんに言われてやっと一緒にいたいと俺も思っていいのかと気が付く。

今日はシチューにした。
暖め直しが楽なメニューが原稿中の定番になっている。

「春先、仕事に余裕が出そうなんだけど。」

大雅さんがそう切り出す。

「……旅行に行かないか?」

唐突な話に思わず大雅さんを見返す。
取材旅行の手伝いが必要なのかもしれない。

そう思ったのに、大雅さんは困ったような笑みに変わっている。

「仕事、じゃなくて恋人として二人でゆっくりしたいなーなんて。」

大雅さんはそこまで言ったところで言葉を切った。

それから、ものすごく嬉しそうな顔をして「顔、真っ赤だよ。」と言った。
自分でも、顔が、耳までも熱を持って熱くなっているのに気が付いている。

「俺も、行きたいです。」

旅行に。
大雅さんは、「あー、早く原稿終わらせて、手ぇだしたい。」といいながら目を細めた。
どうしたらいいのか分からず、赤い顔のままシチューを口に入れる。
二人で食べるシチューは美味しかった。



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