その行為は、前田が称したようにまるで罪人の首を切り落とす処刑のようであった。
 けれど、彼女がそれを望んでいた。何故ならばこの血の地獄を作り上げたのは、自分のせいでもあったからだという。梶原の頭部が転がるのを見届けてから、七瀬はようやく自分が呼吸を止めていた事に気付く。目をつむらずにはいられなかった。
 刀を下げ、振り返った那岐は表情の見えにくい彼女にしては珍しく、はっきりと殺気立っていた。どこか狂気さえ感じさせるくらいに頑なだった。――とても何か言葉を掛けていい様子ではなかった。

「――もう……行きましょう」
「いいのか?」
「二度も言うつもりはないわ」

 キルビリーの声に那岐は振り返る事はなく、彼女はその足を進めた。怒りとも恐怖ともつかない感情に眩暈を覚えつつ、七瀬はそんな那岐の背中を見つめた。それでも彼女を守りたかった。周囲の暗黒が拡がる程に、そして彼女の悲哀が強くなる程に、その思いは一層深くなる。

「私達が倒すべき相手は、この中よ」

 そして、多くの血を流したこの惨劇の結末がいよいよ集約されようとしている。那岐が廃ホテルを睨み据えつつ呟いた。

「気配、すんの? 俺はその辺弱くて那岐ちゃんに頼るしかないんだけど」
「……ええ。相手もやっと満足したのかしら。もう私達との追いかけっこをするつもりはないみたいね、待ち望んでいるようにさえ感じるわ」

 肌に当たる風が殊更冷たく感じられ、七瀬は彼女の視線を追う。廃墟なのであろう、洋館然とした佇まいのそのホテルの全貌を見渡してみる。彼の愛するホラー映画の一つに、シャイニングという作品があるが、それをふっと思い出した。ホテルの中には、映画と同じように惨殺遺体が血だまりの中に転がされているのだろうか。

 そして流石というべきか、そんな七瀬の友人を続けているだけある、前田。

「不謹慎だけどよぉ。何かシャイニング思い出さねえか、七瀬?」
「……同じ事、思ってたよ」

 七瀬が答えると、前田は「やっぱり!?」といささか嬉しそうに同意を求めてくる。キルビリーが咥え煙草のまま、そんなどこか緊張感のない前田に向かって呼びかけた。 

「おい、サモハン」
「誰がサモハン・キンポーやねん」
「もうちょっとだけど気を抜くなよ。事故ってのは慣れた頃が一番起きやすい」

 存外優しい言葉を掛けられて、前田はやや驚いたようにキルビリーを見つめ返す。悪い気はしない、それも見目のよい相手からだと尚更――、

「前やん、変な事考えてないで先行くよ」

 そんな前田を追い抜き、七瀬達がホテルの中へと向かってゆくのだった。外で待つ事も考えるには考えたが、こんな空間に置き去りにされるのも気が狂いそうだし、安全な場所なんてどこにもないのだろう。
 それに、あの『死神』はきっとこちらにそんな安穏としていられるような場所を与えるつもりなんてさらさらないのだ。どこに隠れていようが、きっと彼女から逃れるすべはない。この地獄の籠に捕らえられているうちは。


 その部屋には、顔面に鮮血を浴びた黒澤がいた。彼は片方の指にハサミをひっかけて、遊ぶようにくるくると回していた。出鱈目な鼻歌が室内に反響する。

「……狂ってる……」

 床に突っ伏しながら、森田が涙を含んだ声で言った。

「あなたは狂ってる……おかしい……」

 彼は犠牲者たちの血を何か『より暗黒を深める為の、神聖なる贄』とか、何だか理解の出来ない事を言っていた。それはどうでもよい。重要なのは、その血を彼が今や自分の全身に塗りたくり、顔にまで及んでいた。何か紋章のような、彼らのような人種が日頃身体に施すタトゥーのような感覚だろうか。殊更に、黒澤という存在につきまとう不気味さを誇示していた。

「大丈夫だよ。もうじき、この赤い空も終わる。全てが夢から覚めるように終わってくれるんだ」
「正気に戻って……私を殺したってこの事態は終わらないのよ……」

 気の触れた人間に説得なんか通じるか? 道理や理屈が伝わるか、正しく誤解なく――森田が顔を上げると、黒澤は艶やかな笑みを浮かべつつ言った。

「世界を救う為に君を殺す。でも、その選択を誰が責められると思う?」
「……やめて……」

 死。見渡す限りの死。ここにはモラルも道徳も存在しない。只々、死と血が、溢れすぎている。神に見放された、或いは神からの罰を受ける場所――森田は表情が欠落してゆくのを覚えた。

「――君の血はどんな色なんだろう」

 黒澤は笑いを堪えるのに、必死な様子だった。そしてそれが――、森田が最後に見た景色だった。
 また一人の血が流れた後で、まるでタイミングを見計らうかのように、部屋の扉がゆっくりと開いた。黒澤はハサミを置いて、室内に流れ込んできた新たな気配にほくそ笑んだ、

「待っていたよ、神様。ちょうど終わったところなんだ」

 親しみを込めた口調と表情で、黒澤はゆっくりと振り返った。仰々しく手を広げてみせ、彼は少女の姿をした存在を迎え入れようとしていた。見覚えのない制服姿、乱れたポニーテール、血と脂で鈍く光る刀。名前も顔も知らないそいつの事を、彼は神と呼ぶ事に決めた。そう、自分にとって最高の終焉をもたらす神だ。

「歓迎するぜ。……全知全能の神なんだろう? だがな、俺は神は信じねえ。――そんな形のないものに縋る連中は馬鹿だとさえ思っていた。目に見えないもの程、信用できないものはない」

 血のペイントを施したその顔は、他の化け物よりもはっきり言って不気味だったかもしれない。

「けれど……アンタの手の中で踊らされるのは楽しい。もっともっと見せて欲しいんだアンタの用意してくれた世界ははっきり言って最高だ、何度笑いがこぼれたか分からない。そう、お前は教えてくれた」

 刀を構えながら歩みを続ける存在に向かい、黒澤はひたすらに語り続けていた。ほとんど一方的に話しているといっても過言ではない雰囲気ではあったが。少女は暗がりの中、薄笑いを浮かべたまま刀を構えているだけだった。切り付けてくる気配はないが、好意を持っているとも言い難かった。

 むしろ、蔑みも怒りも何もない。不透明な笑顔だけが、そこにはあった。

「世の中、正しいものだけが勝って生き残る――そんな綺麗ごとばかりではない。どうしようもない闇が全てを打ち負かし、そして終わってしまう事もあるんだと」

 邪悪な愉悦に、黒澤は自然とその口元が歪められているのを感じた。この少女は、自分の心に眠る闇を代弁してくれていた。

「お前についていくよ。どうか俺をお前の元に、」

 声を遮るような風切音。差し伸べたその指先、人差し指と、中指とが、間髪入れずに宙へと吹っ飛んだ。黒澤が呻きながら指先の消失した片手を押さえ込んだ。斬られた指先からは血液が流れ出て床へと垂れ、あっという間に彼の手をまるごと濡らしてしまった。
 
 人間は血液の詰まった袋のようなものなのだと、つくづく感じる。

「なるほど」

 無理強いしたように笑って見せ、それから言った――「交渉は、なしか」。刀を持ったままやはり微笑む彼女を見上げつつ、片膝をついた姿勢のままでもう一度笑った。自分を落ち着かせるかのように、何度も笑い声をあげた。心底楽しかった。全てが自分を祝福してくれているみたいで、最高だ!
 途端、乱暴に開かれた扉の音が部屋の空気を震わせた。飛び込んできたのは那岐達であったが、黒澤にとってはどうでもよかった。

「……見つけたわ」

 那岐も那岐で、黒澤の事はあまり眼中にないのか、彼女のみを睨み据えながら言った。振り向いた彼女だったが、こちらも薄笑いを浮かべているようだ。……あまり楽しげな雰囲気ではないようだけれど。

「ニヤニヤしやがって」

 舌打ちと共にキルビリーが少女を見つめたが、挑発するように更にその口元を歪めたのが分かった。

「何がそんなに面白いってんだ」

 それでも制服姿の襲来者は答えようとはしなかった。けれどその目はやけに冷え切っていて、こちらを咎めるかのようだった。キルビリーはその指先を持ち上げると、不躾さ丸出しで少女を指した。

「はい、今の態度気に入らないからお前はめちゃくちゃに斬られんの決定な。女の姿してようが関係ねーぞ」

 しかもその挑発に乗ったよう近づこうとしたが、那岐がそれを慌てて止めた。彼女のこういう時の勘は恐ろしい程によく当たる――キルビリーが従って、脚を止めた。

「待って。……何か様子がおかしいわ」
「?」

 那岐がそう告げてから、僅か数秒も経たないうちであった。部屋の窓ガラスを破り、雪崩のように溢れ出てきたゾンビの群れ。それは入り口前で玩具にされていたゾンビ達だったが、今の那岐達にとってはどうでもよい事実であった。
 侵入してくるかつてない量のゾンビの山に、那岐でさえ少し気後れしたような顔をさせているのが分かった。

「――多すぎるわね、これ」
「だ、な」

 ロッキンロビンとキルビリーが呟き合ったのを、ゾンビの呻き声の中で聞いた。あの、命さえ知らないような戦い方をする彼女達でさえそんな風に思うのであれば――きっと、これは相当に危険な事なのだろうと判断する。
 そんな中でセーラー服姿の死神はこちらにあっさりと、背を向け、押し寄せるゾンビの波の中へと消えて行こうとした。

「っ……!」

 また、逃げられてしまう。追いかけようにも、死者の大群を前にし那岐は踏み止まる。得策ではないのは明らかだ。

「とりあえずまあ……逃げるか、これ?」
「その方がいいかも」

 キルビリーの問いかけにロッキンロビンが同調した。二人の口から初めて『逃げる』という選択肢を聞いたような気がした。それから、蹲る黒澤。気付いた柏木がその肩を掴んで、ほとんど強引に立ち上がらせた。

「おい、何してんだ。さっさとお前も行くぞ」
「――嫌だね」
「はあ!?……奴らの餌になる気か、馬鹿!」

 苛立ったように聞き返すと、黒澤はその不気味な笑顔を口元に浮かべたまま言った。全身と顔に塗られた血の文様からいって、正気じゃない事は分かったが、とにかく見捨てておく事は出来なかった。

「どうして従わなくちゃいけない。全員死んでしまって、俺だけ逃げる必要なんかないだろう。こんな辛い思いをしたのに、まだ生きていかなきゃいけない理由が分からない」
「意味が分からねえよ」
「俺に今必要なのは死だ、あいつがもたらしてくれる筈の――」

 その漠然たる理由は、切羽詰まった状況下で聞くと更に苛立ちが加速した。ふざけるな、と叫びたくなった。なんて事だよ。

「――甘ったれるなよ」

 腹の底から怒鳴り散らしたくなった。
 一番殺してもらいたいのは俺なのに。だったら、俺はどうなるんだよ。ここから生きて帰ったとして、もう一生悪夢からは逃れられない。理由はどうあれ人殺しになったんだ。俺に帰る場所はない。目の前で死んでいった者達の亡霊に悩まされ、愛しい人はおらず、彼と過ごしたあの日々はもう帰ってこないのだ。もう二度と――、

「誰だって大事な人間失くしてんだよ。辛い経験してんのは、お前一人だけじゃない」

 こんな事をこいつに言っても仕方ないのに。
 分かってはいたけど口に出さずにはいられずに、それから大きくため息を吐いた。馬乗りになってぶん殴ってでも連れ出してやりたくなった。自分が与えられた暗黒を分け与えたくもあった。

「おい、早くしろって。モタモタしてっと食われるぞ」

 キルビリーが腕を引いてくれるまで、ずっとそうしていたかもしれない。というくらいに、気を奪われていた。ちきしょう、と呻くように吐き捨ててから黒澤の手を離し、逃げるようにして部屋を飛び出した。
 振り返ると、すぐさまゾンビの群れは押し寄せてきて黒澤が見えなくなった。一瞬だけ、彼がゾンビに頸動脈を食いちぎられている姿が覗けた。彼は、ゲラゲラとキチガイのように笑っていた。




私も誰彼構わずチンポチンポ言うわけじゃないし
自分の中でしっかりと明確な
「この人はチンポと言って笑ってくれる人・そうじゃない人」の
境界線はきちんと分けてあるので、把握お願いします。
それで思い出したんですけど、ゲゲゲの鬼太郎に
チンポって妖怪がいるんですが、ゲゲゲ腐の友人が
(今そんなのいるのかって思っただろ? いるんだよ、
黒井の周りにはな……)アニメ版でこいつの扱い
どうするんだろって偉い気にしてて、
先週「妖怪チンポがアニメ版だと名前が『ポ』になってた!」
って嬉しそうなLINEが来たばかりです。
幸せそうだよなあ。ほんと。羨ましいわ。

34、ポニョ、人肉、好き!

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