「なぁ、おい。今の」

 それは、あの放送があってから間を置かずして再び流れてきた梶原の音声だった。所々ノイズの混ざったその声を阻止したのは、誰かの怒号のようだ。
 あまり枝をつけていないその大木の前で、四人は足を止めた。

「――予想通りだったわね」

 おかしいとは分かり切っていたので、そこにいた誰もが動揺はしなかった。そんな危機的状況下において、わざわざホテルに来るように指定する時点で、何もかも分かり切っていた。

「何かさぁー、みんな面白いよね。勝手に争って、勝手に自滅しちゃってさ。ていうか勘違いしてるよなあ、俺達は別に悪い事してないのに?」

 やはり今一つ緊張感のないキルビリーの声に那岐がそれはどうだろう、といった具合に眉をしかめた。――果たしてそうであろうか。自分達がいなければ、こんな事にはならなかったし、結局自分がやっているのは――と、那岐は考え込んだ。同時に、思い浮かべていた。大切なあの存在の事を。

「……私達が存在している時点で、それはもう既に『悪い事』なんじゃない?」

 黙り込む那岐だったが、ロッキンロビンがちょうど今しがた考えていのと似たような事を口に出していた。それでキルビリーが、「あら、そう」とにべもなくぼやいた。

「……」

 那岐は少しだけ立ち止まり、背後を振り返る。七瀬達はあれからあの場に留まる事を決めたのか、三人共、自分達の後をついては来なかった。……けど、それでいいと思った。正面へと向き直り、再び歩き始める。
 草が茂った低い丘を抜け、やがて緩い斜面へと足場が変わる。人外三人の体力に合わせて足を進めていた柏木だったが、やはり何時間もぶっ通しなのもあり流石に疲れがドッと出てきたのをその身をもって感じていた。

(……俺ももういい歳って証拠だな、というか今年で三十路だし)

 年齢が疲れた身体へと更にのしかかってきたところで、柏木は少し離れた木々の間、景色がダブって見えるような気がして目を細めた。いけない、相当疲れてるんだな、俺、視界までおかしくなって――と、考えたところではっとした。

 そうではない、そうではなかった。

「おい、また……!」

 柏木が足を止めて、正面を指した。そう、疲れを知らない動く死者達。三体程いるようだが、さっきまでのように比較的綺麗な状態のゾンビじゃなく、ぐずぐずに腐り果てた強烈な見てくれの奴らがやってきていた。匂いもきつく、顔の崩れも半端ではなく、溶け切った顔はパーツが判別できない程だ。

「いかにもゾンビって感じだな、腐ってウジが沸いてる」
「あんなんゾンビじゃねー、『サング』だ」

 キルビリーの言葉の意味はまるで分からなかったが、彼は何やらこの星のサブカルチャーにもそれなりに詳しいみたいなので、まあそういう事だろう。

「――何だそれ?」
「は!? 地球人の癖してサンゲリア見てないとか、お前大丈夫!? ちゃんと周りの話についていけてる!?」

 が、少々趣味の違う柏木は首を傾げ、キルビリーは信じられないといった具合に叫んだ。いや、それでもなんのこっちゃよく分からなかった。腐っているせいもあるのか動きも遅く、走ると足がもげるのもあり、易々と仕留められた。
 しかし、そこにばかり気を取られていると命取りになる事も彼らは知っている。

「後ろにも……」

 背後にも気配を感じ、那岐が振り返る。こちらはまだ形を保ったままの新しい死体達が追いかけてきているようだった。取るに足らない相手ではあるが、時間をかけているのも惜しかった。しかしこの挟み撃ちのような陣形から言って走って逃げるのも難しいかもしれない。
 ならば、と踏み出そうとした矢先に、近くにまで迫っていた一体のゾンビが、背後から何かに絡めとられるみたいにしてすっ転んだ。
 那岐がいささかばかり目を見開いてみると、倒れたゾンビの向こう側にいたのは、そのやや肥満体系の日焼けしていない体躯。

「な、七瀬ぇ! 決まった! 後頭部、決まった〜!!」
「騒いでないで次やれよ!」

 新条の叫びに合わせ、前田は短い手足をバタつかせて次のゾンビに向かって対峙していた。

「……あなたたち……」

 ついてこないんじゃなかったの、と口に出して問うのも憚られ、那岐はとにかく今は即座に行動を開始していた。七瀬達に向きを変えたゾンビを背後から切り付け、その頭部を那岐が一振りで切り落とした。
 刃物の重さによる抵抗等は感じさせない、やはり無駄のない動きであった。

「――っ……、う、うぉお、やっぱ凄い」

 それ以外の語彙も出てこずに前田がぎょっとしている傍ら、七瀬が持っていた金属バットをへっぴり腰で構えた。やっぱりその手はプルプルと震えていたし、彼が望むようなヒーロー像とは程遠いのかもしれないのだけど、しかしやるしかない。やるしか、ない。

「ま、まだ生きてる……っ!」

 それで那岐に接近していたその中年ゾンビの頭を振りかぶり、体重を乗せて殴りつける(いやはや、これじゃあ何ていうかセーラー服の女子高生に迫る変態のオッサンを追っ払う構図だ。とてもゾンビを薙ぎ払う主人公、には見えないかも)。
 中年ゾンビは短い呻き声を漏らして、その場に横倒れになった。……一先ず、彼女をピンチから守れたのだと知った。
 冷や汗と脂汗でだらだらになりながら、七瀬はパーカーで顔を拭いた。

「――どうして」

 それから――那岐はそれだけ告げて、やや不思議そうに七瀬達を見つめた。本当に不思議そうにこちらを見ていた。

「どうして……やって来たの?」

 それは責めたり、何か怪しむような口調ではなくて、ただ本当に心の底から不思議でならないといった感じであった。

「好きな女の子を助けるのに、理由なんているのかな」

 照れ隠しなのか鼻の下を掻きながら、若干はにかみつつも七瀬はそう言った。キザだったけれど、自分としては満点だった。文系なりに、もっと何か詩的でロマンチックな言葉があれば良かったのだけど、一番ストレートに伝わるぐらいが彼女にはちょうどいいような気がした。
 おおっ、とキルビリーが那岐の後ろで大袈裟に声を上げていた。盛り上がる彼をよそに、ロッキンロビンはやはり冷静なままでそれを眺めていた。柏木は大人からだろうか、腕を組んだまま若者のそんな様子を何となく、茶化すでもなく静かに見守っているようであった。

「な、七瀬……どういう事だ、お前が……男に見える……」

 前田が愕然としてそう言ったものの、七瀬はすぐにまた気弱そうないつもの調子に戻り言うのだった。

「あ――お、俺じゃあ助けにならないかもなんだけどね……」

 そんな事言わなければかっこよく締めくくられたというのに……そこでまた七瀬がまた持ち前の自信のなさを露呈させる。

「…………」

 那岐はいつもより長い沈黙の後、ややあってから、その頬を明らかに赤く染めた。

「――、分かったからもう行くわよ。時間がないの」

 それからいつも以上にクールな様子で踵を返し、悟られないようにか早足気味に歩き始めた。彼女から答えは得られなかったが、それで十分な気がした。

「那岐ちゃん、ねえ那岐ちゃん。何でそんな顔赤いの〜?」

 楽しそうにキルビリーがからかうのも無視し、やはり那岐は沈黙と無表情とを頑なに貫き通していた。少しでも彼女の心を動かせたのなら、答えはなくても、満足だった。

 更に歩行を続け、もうあと少し、もうあと少し――というところで、死者達はちらほらと姿を見せ襲ってくる。そう大した数でもなく、七瀬達もヒーヒー言いながら何とか切り抜けていた。七瀬はまだ我慢強いのか、好きな子の前だからと頑張っているのか、あまり泣き言は言わなかったが前田は事あるごとに大騒ぎしていた。

「……おかしいわ」

 そんな前田の事はうっちゃって、だ。那岐の声に同調したのはロッキンロビンだった。

「――そうね。私もそう思う」
「……何が?」

 柏木の質問に、那岐が少し肩を竦めつつ言った。

「何だか……さっきまでと比べると、攻撃の手が随分と緩いわ。気配そのものは近付いてきているのに。――どうしてかしら?」
「ネクロノちゃん本人がもういないからじゃない? 中身がすり替わったから、本物みたいな力出せないだけの話じゃないの。だって所詮コピー品なんだろ、そいつ」
「――それも……あるのかもしれないけど……」

 しかし腑に落ちていないようで、ロッキンロビンも同じく気難しげな調子を崩そうとはしなかった。キルビリーもそんな風には言ったものの、彼自身も薄々奇妙には感じていた。

 時間にすればそう離れてはいない距離だった筈なのに、随分と長い事歩いたような気がした。目的地の付近に、いよいよ迫ってきた。展望台のすぐ傍にある廃ホテル――あれがそうだろうか? それらしき建造物は一軒しか見当たらないし、間違えようはないだろうが。

 空を埋め尽くすようにして飛んでいるカラスの群れが、不穏な空気を一層煽り立てた。入り口付近にまで足を進めて、それなりに距離があっても分かるくらいの強烈な血の臭いに思わず七瀬達は顔をしかめた。

「……何だ……、これ」

 まず、柏木が呟いて慄いた。夥しい血の量にしたって、まるで子どもが玩具で遊んで片付け忘れたかのようなその散らかったままの肉片だって――そしてちょうど中央に集められたように、首のない死体達が山積みにされているのだって――、

「っ……」

 そしてそれを視界に留めるなり、七瀬の身が自然と強張った。人が死ぬのには慣れたけど(嫌な言い方だ、しかし)、でも、みんな、同じ学校の制服だ。仲間達だった存在だ。
 そんなものを見るのも嫌だったが、けれど確かめなくては――と、近づいたのは柏木だった。それから吐き気を堪えるようにしながら観察するように眺めた。きっと楽しみながらこの地獄を作り上げたに違いない、と柏木は息を飲んだ。

「……ゾンビの仕業じゃなさそうに見えるな、この規則的な切断の仕方」

 何故か知らないが無性に既視感を覚えるその光景に、柏木はややあってから思い出したように言葉を繋げた。

「さっきの――、皮剥がされた死体をやったのと同じ犯人か?」

 きっとこの光景は一生忘れられないものになるであろうし、亡霊になって毎晩自分を苦しめるに違いない。首なしの幽霊が枕元で自分を呼ぶのを想像し、果たして今後平穏な夜を過ごす事はできるのだろうかと酷くぞっとした。

「――離れて」
「え?」

 那岐が刀に手をやりつつ柏木に警告を促すと、柏木がどういう事かと視線で尋ね返した。それから那岐は、答えるよりも早く踏み込んでいた。柏木は、足場の感じが不意に変わったな、と考えているうちに視界が急速に下がった。自分よりも小さな那岐の細腕に突き飛ばされていたのを、遅れて知った。
 那岐自身も、その血でぬかるむ地に受け身を取るようにしながら着地する。

「なっ……」

 柏木が尻餅姿勢のまま、那岐を見た。那岐はその姿勢のまま小さく息を漏らし、その上空を見上げていた。
 柏木は先程自分がいた辺りの場所へと視線を移した。
 血の海の上に、短剣のようなものがぐっさりと突き刺さっていた。誰かが意図的に放ったものなのは確かだろうが、こんなものが命中していたら当たり所が悪ければ即死に決まっている――柏木が那岐の視線を追い、彼女が睨み据えている付近を見やった。

「!?」

 屋根の上にカエル座りをしているその人影だったが、暗くて全貌ははっきりと見えなかった。口に咥えているのは短刀のようで、その光だけがやけに鮮やかに輝いていて気味が悪い。一つに結った髪を靡かせながら、那岐達とはまた違ったセーラー服を纏った少女と思しき存在が、ゆっくりと立ち上がった。

「……っ、待ちなさい!」

 那岐が叫んだものの、その影は聞き入れるわけもなく走り去るようにしていなくなってしまったのだった。

「あ、あれは――あれは一体……?」

 明らかに異様とも言える存在だった。七瀬の怖気づくような声に、那岐はぐっと唇を引き結んでいた。そいつがいなくなった屋根の上を、じっと睨みつけているようだった。

「……神、代さん」

 そんな彼女達に降り注いだのは、ともすれば聞き漏らしてしまいそうな程にか細い消え入りそうな声であった。七瀬がはっとしたように視線を振り返らせる。

「え……!?」

 切り傷だろうか、随分と酷い出血ではあったが、この辺り一帯の死体達よりはまだ『マシ』なのかもしれない。全身血まみれのその姿に一瞬面食らったけど、誰かすぐに分かった。七瀬が身を竦め、声を漏らした。
 その姿は手術後の医者か、はたまた猟奇殺人鬼だろうか――? 顔も両手も赤く染まっていて、いくらか乾いて髪の毛がぱりぱりと張り付いているように見えた。よく見れば、顔も切り付けられたような跡が無数にあった。

「!?……か……、梶原、さん」

 もはや言葉を失うより他にはなく、七瀬が絶望的な声を漏らした。何と言うのが、どんな顔をするのが正解なのか――分からなかった。梶原は背中から崩れ落ちた。泥沼にはまったようなベチャリという音が一つ聞こえた。
 那岐が息も絶え絶えな梶原に近寄り、膝を折り畳み、静かにその腕を伸ばした。血にまみれた彼女にも構う事なく、彼女に苦痛を与えないようにか、そっと頭を抱えて彼女の身体を起こした。

「どうしたの? ここで一体、何があったの?」
「……みんな――死んでしまった――みんな、」

 痛みのあまりか梶原が那岐の手を持つ手は酷く震え、時々痙攣し、呼吸困難に陥っているのが分かった。見ているのも辛く、七瀬自身がその暴力に飲み込まれそうになったが、しかし視線を吸い込まれたように目が離せなかった。

「誰にやられたの?」

 那岐のその質問に、何故か梶原は首を横に振った――「違うの」。奇妙な答えだった。

「違う……? 何が?」
「勝手に殺し合ったのは、私達の方。人が人を信じられなくなったから、お互いを疑い出したから。――私達の本当の敵は、私達自身だった」

 ここから見える那岐の横顔は、これ以上ないくらい悲しそうな顔に見えた。那岐の手を握り締める梶原の手から、徐々に力が抜けつつある。魂が、彼女の身体から離れようとしている。それでも梶原は、最後の命を振り絞っていた。

「だからみんな――それに気付けなかった馬鹿な私達は、こうやって、死んでしまう。……あの刀を持った死神は、私達が傷つけあって自滅してゆくのを見計らってそれからやってきた。一頻り、私たちの愚かなこのザマを楽しんでいた。無様に醜く罵りあって、血を流し合うのを……」

 その言葉に、七瀬も何も言えなくなっていた。

「神代さん」

 少しだけ動いたその目は、那岐の方を見ているようだった。虚ろではあったが、その目がはっきりと言っていた。……貴方の手で、殺してくれと。

「生きて。……お願いだから、どうかあなたは――生き残って」

 梶原の指先から力が抜け、那岐の手を離れた。同時に、那岐が梶原をそっと横たえるようにして、地に授けてやった。立ち上がりざまに、その刀に手を添えて。

「ま、待って!」

 慌てて前田が、那岐の背後から駆け寄った。その制服の裾を引きながら、震えた声を漏らした。

「ねえ。まさか、彼女の首を斬るの? そんな残酷な真似……、まるで処刑じゃないか」
「――けど。……けれども、そうしないと彼女は立ち上がるわよ。人間ではない存在として」

 七瀬は思った。

 君は強い。
 本当に強い。
 だけど、同時にとても悲しく見えるよ。
 そうしなくちゃいけないって強制されているようにしか見えないから。

「っ……」

 見ていられなくなったように、前田は目を伏せた。七瀬も同じで、何もできない自分を恥じつつも、やはり顔を伏せた。そうするしかないといった具合だった。
 新条は何を思うのか、腕を組んだままでじっとしていた。只、初めの頃のように茶化したり嫌味を言ったりする気配はなかった。早く終わらせてほしい一心か、無言で待っているようだった。

「ありがとう」

 やがて、梶原が静かに言った。今にもその尊い魂は、彼女という器から旅立とうとしているのだろう。――これから死にゆく人の顔をしていた。

「やっぱり、思った通り。神代さんは、いい人だった」

 そこは、那岐だけが近づく事を許された聖域のようでさえあった。




ああ……。
こうして見ると、インテグラルもそうだけど
高校生ズはみんな若いのもあるし熱いけど
(マツシマ君だけが異常に冷めとるけどな)
大人はみんな妙に静かでわめいたりしないのな。
カッシとかはもうすごい割り切りすぎててな。
彼の場合、家族との関係も希薄だったのもあるし
何か、こう、アレなんだよね。アレ。
最近の若者っぽいんだよな、考え方とかさあ。
自分の人生に希薄で、すげー性欲も薄い感じで。
何つーの? ゆとり? さとり?
とりあえず草食系とかいうやつだよねえ。

33、私は静かに神を待つ

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