用済みとばかりにそのハンドマイクが転がされた後で、進藤が冷たげに梶原を見やった。

「……で、どうするのよ。神代を呼びよせて、そこからだよ? 問題は」

 進藤が『蛇男』こと黒澤将嗣(くろさわ・まさつぐ)に問いかけると、黒澤は底のしれない目つきで梶原を見た。ハッキリ言って引いてしまうレベルの派手な髪型と、悪目立ちするピアスの類い。仮にも進学校である我が校のブランドにはまるで似つかわしくない生徒、というのもあり、一層不気味だった。
 彼を彩る装飾品達はまるで防具だ、そんなにピアスで武装されては表情なんかまるで分からなかった。

「まー、その子がやってきたら油断させてそのままグサッと手っ取り早くやっちゃってもらうのがいいだろうな。そこでまた君の演技力が必要になってくるわけだが」
「……嫌よ、もうそんな真似――したくない……」
「したくないって言ったって、他に何の手立てもないじゃん。じゃ、何。仲良く話し合いでもしろっての? こっちからやらなきゃ、あっちが何してくるか分かんない状況で!?」
「そうじゃないけど、それだけじゃないけど。でも、こんなのは……こんなのは絶対に間違ってる……」

 震える声でそう告げる梶原だったが、森田がやはり怯えた様子で何も言わずに黙っていた。また過呼吸が出たのか、時折苦しそうに顔を歪めながら、それでも何とかしてそこにいるような具合だ。もう今にも発作と共に倒れ込んでもおかしくないような雰囲気であった。

「だって。どう思う?」
「わ、私は……私は……」

 ぜえぜえと息をしながら、森田は喋るのもやっと、といった感じに見えた。黒澤はそれをやはり可笑しそうに眺めていて、事態がどういう方向に進むのか楽しそうに見守っているような様子だった。……無邪気な微笑みだ。
 それを含め、自分達は今きっと彼の遊び道具にされているのだと思い、梶原は吐き気さえ覚えてくるのだった。

「私は――私は別に……ちゃんと助かるんならそれでいいだけだと思うし……」

 愉快なジョークを聞かされたみたいにして、黒澤が肩を竦め口角を持ち上げて笑う。居たたまれなくなったよう、梶原は目を逸らしてしまった。

――あなたのせいで……みんなあなたのせいじゃないの……

 絶望感に打ちひしがれて、梶原は自分の顔から表情が失われていくのを感じていた。黒澤というこの男の言い草や表情は、自分の中に眠る闇を代弁していた。……梶原は自分を押さえていた木戸を突き飛ばしたのちに、滑り込むようにし、再びハンドマイクを手に取った。

 スイッチを入れた。マイクに向かってありったけの声で叫んだ。

『……神代さん、来ちゃ駄目! こいつらみんな、あなたを殺そうとしてる!』
「てめぇ!」

 転倒した木戸を一瞥してから、進藤が舌打ちと共に動いた。容易く梶原を突き飛ばしたかと思うと、馬乗りになり、それでも抵抗する梶原目掛けて鋭い平手打ちを食らわせた。
 それは男の力と比べれば勢いはないのだろうが、それでも相手から反抗心を削ぐには十分すぎる一撃だったように見えた。梶原の小さな悲鳴が上がり、彼女の手からハンドマイクがすっぽ抜けた。床にぶつかって跳ね返り、無造作に転がされた。衝撃でどこかおかしくなってしまったかもしれなかった。

「か、梶原さ……っ」

 森田が声を詰まらせたが、何の戒めにもならなかった。

「勝手な事してんじゃねーぞ、誰に断ってんだよ!?――ああ、コラッ!? なめんじゃねえよ」

 女の子らしからぬドスの利いた声と随分な巻き舌で、進藤はもはや抵抗する意思なく倒れ込む梶原から身を起こした。暴力は収まったのかと思いきや、進藤は怒りが収まらないのだろう。追撃として、蹲る梶原の横腹にこれまた女子とは思い難いキレのある蹴りを食らわせた。

「気分悪いんだよ、お前! クソ地味な陰キャラの癖して、いっちょまえに逆らってんじゃねえよ。偉そうにしやがって」
「おー、おー。やるねぇ、女の子」

 黒澤が目を覆い、その指の隙間から伺い見るようにしながらぼやいた。森田は、まるで自分がその暴力に巻き込まれたかのように痛む内臓を抑えつけるのに必死になった。他の男子が、面白がって梶原を蹴るふりをして大笑いした。それで十分だったのだろう、梶原は悲鳴を上げて這いながら逃げようとした。……見ていられなかった。

「か、梶原さん……もう――もう、抵抗はやめよう……ね……?」

 森田が半ば苦笑いに近い表情を浮かべつつ言った。一体どんな生き方をしてきたら、この今の私の状態を見て、そんな言葉が言えるの。あんたって、どこまで無神経なの。梶原の中に芽生えた殺意は、今しがた自分を殴った進藤でもなく、それを止めずに笑う生徒らでもなく、そして中心核の黒澤でもなく、非力で痩せっぽっちのこの女に向いていた。もはや同情さえ近い感情が生まれた。しかし、許せはしなかった。

「私、死にたくないの……、だ・だから……」
「その女、感染してる」

 顔を殴られた時に出たのであろう鼻血を流しながら、俯いたままで梶原が被せるように言った。言い訳に耳を貸すつもりは微塵もなかった。
 もう一撃食らわせてやろうとその手を振り上げていた進藤の手が、ぴたりと止まった。顔をしかめ、呟いていた。

「……は?」
「森田さんは、噛まれてるの。さっきからずっと青ざめて、ぶるぶる震えてる。それにこの肌寒さで、汗も凄いでしょう? 間違いなく、もうすぐ転化が始まる証拠よ」

 一同がばっと身を引いて森田を見つめた。殺意という熱狂によって埋め尽くされていた場の空気が、一瞬にして凍てつくのが分かった。
 森田はすっかり震えあがっていて、口元に手をやったまま、後ずさった。その動作が疑惑を深めるのに一役買っているようだった。震えているのはきっと恐怖ゆえだろうが、一同にとって関係はなかった。

「そんな――これは――神経性の過呼吸なだけよ……だ、大体噛まれてなんかいないよ、そんな傷跡どこにも……っ」
「……左指のその絆創膏は何?」

 目を細めながら木戸が尋ねた。そのぎらついた目が、返答次第では殺すと言っているようだった。

「これはフェリーの中で……ガラスで切っただけだよ……噛まれたわけじゃないわ!」
「じゃあ、誰かその場面は見てる? ちゃんと証言できる人は?」

 梶原が捲し立てるように言い、それから鼻血を拭いながら立ち上がった。詰め寄るように一歩一歩足を進めた。

「噛まれたという事実を私にはこっそり打ち明けたのよ。だからこそ私と一緒に出ていく必要があったの、みんなにばれないうちにいなくなりたかったのね」
「つ、作り話はやめて……っ、そんな話はどこにもない! どこにもない!!」

 森田は血相を変えて否定するが、大声を上げる程に恐怖と恐慌で更に呼吸を乱した。落ち着かないその様子が、益々疑惑を深めていくようだった。

「――けど、梶原の話が嘘という確証もない……」

 木戸が絶望的な声で、呟いた――「……この状況では疑えるものは全部疑うべきなのよ……」。森田が訴えかけるような目で梶原を見やる。恐怖とショックですっかり水浸しのようだった。
 しばしそのやり取りを眺めていた黒澤だったが、やがて堪えきれなくなったように不気味な笑い声をあげた。
 けたたましい笑い声と共に手を叩いて爆笑しながら、浮かんだ涙をぬぐう。

「……最ッッッッ高だよお前ら、どれだけ笑わせてくれるんだよ。今世紀最大のヒットだっつの、ったく……あー、苦しい」

 梶原は揺れる視界を封じ込めて、もう一度しっかりと立った。森田の泣き声がやかましかった。禍々しい場の空気は、やがて疑心暗鬼という言葉に集約されていく。――誰も信じられない。信じてはいけない。生温い救いは……自分達には何一つとして与えられていない。

 たった五分程の徒歩が、今の自分達には酷く苦痛であった。彼らはホテルの前へと戻ったが――、戻ってみれば、それは酷い有様であった。

「嘘」

 まず言葉を失ったのは進藤だった。続けざま、ついてきていた一同だったが、その惨状を目にした。愕然とし、不快な感覚がよじのぼってきた。木戸の甲高い悲鳴が、鳴いてはしつこく舞い降りてくるカラスたちを追い払った。

「何――だ、こりゃあ」

 そこここに飛び散った血の臭いや、なんとも言えない腐臭がつんと鼻をついた。今まで嗅いだ血液の臭いよりも数段凄まじい血の匂いが漂っていた。その匂いに気圧されるように、進藤が堪えきれないように胃液を吐き出していた。

 ホテルの前にいた筈の吊るされたゾンビ達が一体もおらず、代わりにそこにあったのは――

「こりゃめちゃくちゃだ。ひっでぇの」

 黒澤が漏らした感想の直後、耐えきれなかった別の男子生徒も嘔吐したようだった。梶原も森田も、直視できずに蹲るより他なかった。一生忘れられないだろう、毎晩悪夢となって自分を苦しめるだろう――呆然とその光景に息を飲んでいたり、吐いていたり、泣いていたりと各々の反応を見せた一同であったが、黒澤がまずその手前の『物体』に近寄った。革靴の爪先で、その真っ赤な何かを蹴とばした。

「見ろよ、この牡丹のタトゥー。ここで見張りをしていた桑野のヤツだな」

 改めてそれが何なのかを伝えられると、またもや強烈な吐き気がこみ上げた。真っ赤な塊からは、よく見ると骨が突き出していた。そしてその物体の周りに、もぎ取られたのであろう下顎の破片や、歯の欠片や、頭髪や、それから露出した脊髄。状態から言ってゾンビ達に四方からめちゃくちゃにされたに違いない、しかし問題はそこではなかった。

「ゾンビ達の拘束を解いた奴がいる」

 黒澤が風に靡くその鎖を手にしながら、珍しく忌々しそうに呟いた。鋭利な刃物で掻っ切られたような形跡があったが、小ぶりなものではとてもじゃないが容易にはいかないだろう。――そう、例えば斧や刀のような重みのある刃物でないと……黒澤が考え込むようにしてその断面を、目を細めて覗き込む。

「……外の奴らは全滅、だな。中も駄目か?」

 黒澤だけはこの中で比較的落ち着いているようで、ホテルを見渡しながら冷静に呟いた。進藤と木戸が、もはや抱き合ったまま号泣しているようだった。進藤に至っては顔も上げずに、木戸の腕の中でひたすらに泣きじゃくり続けるだけであった。

「――だ、誰? ゾンビ達にやられたの、これ全部?」
「ゾンビどもはアホだ、武器なんか使う知恵はない。するってーと……犯人は生きた人間、っつう事かな」

 その言葉を聞くなりに、木戸が疑心暗鬼に塗り固められた目つきでキッと梶原を睨み据えた。意思があってというかほとんど反射的にそうしたような動作だった。

「し、知らないよ……! だって、私達今まで一緒にいたのに出来るわけないじゃん」
「――裏で神代と繋がってる可能性は?」
「や、やめなよ……。コイツの肩、持つわけじゃないけどさ――そんなの言い出したら実際キリないんだよ……?」

 それまで嗚咽を上げていた進藤だったが、木戸の腕を背後から引いた。その顔がすっかり余裕という言葉を失っているようであった。

「それこそ、こんな風に揉めさせるのが神代達の狙いだったらどうすんのさ。奴の手の中で踊らされてるんじゃん」
「だって悪しきは虱潰しに消してかなきゃ、次にああなるのはウチらかもしんないんだよ……っ!?」

 金切り声で叫びながら木戸が指したのは、血だるまの肉塊だった。また別の誰かのものだろうか。ここには誰が残っていただろうか。何人分の血と肉身が散らかっているんだ、ここには。

「……まぁまぁ、ちょっと落ち着こうや。こーなっちゃったからには俺達も俺達で対策練らなきゃ駄目っつぅこった」

 黒澤がやはり呑気な口調で仲裁に入ろうとした。

「もう……もうヤダ。もうヤダ! やだやだやだやだ、帰りたい! こんなとこいたくない、もう神代の事なんかどうでもいい! 誰か助けてよぉ!」
「キチガイみたいにぎゃーぎゃー騒がないでよ! そんなの私だって帰りたいよ!……パパ、ママ……、助けて……助、けて……」
「駄目だこりゃ、あーあ」

 二人に押し切られるように、黒澤は口を噤んだ。それから、あはは、と欧米人のようなリアクションをさせて大袈裟に肩を竦めると黒澤はホテルへと向き直った。

 一方で、外の騒ぎとは別にホテルの中である――ヘッドホンで音楽を聴きながらリズムを取りつつ、男子生徒が廊下を歩いていた。中で待機しているように指示された彼は、言われた通りに黒澤達の帰りを待っていたようだが、その両耳から流れる爆音のせいで外の惨事をまるで知らない。

 音楽を口ずさみながら広い廊下を移動し、リズムに合わせて身体を揺らす。屈託がなく、見ようによっては不気味でしかないのだが。――そんな彼の背後にある窓、その上をカサカサと『何か』が這いよるように、移動していた。浮かれた彼は気付くわけもないが。

「……広くていい場所なんだけどなあ〜、ここ? 誰も住んじゃいないみたいだし綺麗にして別荘にしちゃうのもアリだよなー。彼女と来よう。いつか」

 倒置法を用いて独り言をぼやく彼と来たら呑気なもので、アップテンポな鼻歌を口ずさみ続けていた。余程機嫌がいいのか、只の馬鹿なのか、何かおかしなクスリでもキメているのだろうか。男子生徒はヘッドホンを片耳から外してその先を歩き続けた。――それにしても小腹が空いてしょうがない、まっ、数時間も何も口にしていないのだから当然か……そうだ。調理室に何かないものかと、その入り口を通り抜けた。
 重低音のリズムに合わせて身を揺らしながら、口笛交じりにそれなりに広い室内を歩き回り、それから――。

「なーんもねーなー、飴の一個もありゃしねぇ」

 引き戸を開けたり閉めたり、引き出しをごちゃごちゃ掻きまわしたり。そんな風にしながら、やや年季の入ったその調理室内を歩き回っていた。ステンレス製の水道を通り過ぎた時、その両耳の大音量のせいか――全く気付けなかった。その下に潜む、闖入者の存在に。

「あ〜。脂っこいラーメンちゃんが食いてぇー、ラーメンちゃんいないかなぁ? いねぇかぁ。いねぇわなあ」

 テーブルの下から静かに伸ばされたその腕が、男子生徒のアキレス腱を切り付けるまでにほんの数秒。……いや、コンマ以下だったかもしれない。
 暗殺者のような手際さで、その闇に溶け込んでいた侵入者は――彼の筋力を奪うのにあっさりと成功したのだった。ぶつん、と何かが断ち切れるような嫌な音を一つ残し、男子生徒はその場に知らないうちに自分の血をまき散らす事となった。

「ひぎいっ」

 カエルでも潰したようなだらしない悲鳴の直後、男子生徒は前のめりに倒れ込んだ。その際にあらゆるキッチン道具にぶつかってしまい、巻き込んだせいであちこちに散らかった。ボウルやざるがひっくり返り、落下してやかましい金属音を響かせた。

「な、な、な、何っ、なに!」

 突如としてその闇から現れたのは、自分達とは違うセーラー服に身を包んだ全く見知らぬ人物だった。全身ボロボロの制服姿の女子生徒は、片手に血の付いた日本刀を所持し、もう片手に今しがた彼の脚を切り付けたのであろう短刀を持っていた。生々しい鮮やかな血の浮かぶ刃は、殊更に得体の知れないものへの恐怖を誇示しているかのようだった。

 姿を見せた女子生徒は――顔の知らない、覚えもないその女子生徒は――口にその短刀を咥えると、日本刀を両手で静かに構え直した。誰だ? 誰なんだよ、こいつ。ていかその制服、どこのだよ。ボロボロだし。片方、靴ないし。返り血まみれだし。こえーよ。お前。
 赤黒い血で汚れたその顔の中、両目がぎらぎらと粘っこい光を放っている。ゾンビともまた違う、不気味な眼差しがこちらの感情を殺いでゆく。

「だ、誰、だよ、お前、こら」

 鼻水を垂らしながら凄んでみたところで迫力などまるでなかっただろうし、ポニーテールのその少女は躊躇う事はなく鞘から刀を抜いた。そしてその口元は、笑っているようにさえ見えた。制服についたネームバッジは、名前のところが削られたようにこすれていて見えなかった。

「ち、近寄ったら殴るぞ、お、女の子ちゃんでもぶん殴るぞ……あ、いや、殴りますよ、殴り……」

 じりじりと距離を詰める少女から逃れる術が、まるで思い当たらなかった。話の通じない、野生の動物と対峙している気分だった。

「ど・どうして今俺の脚を切り付けたんですか、あの、その、俺別にお金もありませんし切り付けられる覚えもありませんし、ていうかそんな怖いものをこれ見よがしに見せつけないでくださ、」

 偶然、まぐれ、奇跡、といった言葉に近かっただろう、いやはやほとんど神がかりか。腰の抜けたその情けない状態から彼女の一振りをかわし、頬の皮膚を少し切り付けられたが、しかしまあそれはハッキリゆってほんの少しだけ彼の寿命を延ばしただけに過ぎず結局のところ結局のところ結局のところ自分は殺される運命にあって――

「わざと外してやったんだよ」

 初めて少女の声を聞いた。とても冷たい感じのする、それでいてこの状況を心の底から楽しんでいるかのようなサディスティックな色合いに満ち溢れていた。慌てて首筋に手をやった。ぱっかりと皮膚が割れているのを知った。その裂け目から、どんどん血液が溢れて来て手の平では抑えきれず、自分は首を斬られたのだと知った。





刀の少女→ナイトメア・クライシスのラストで
行方不明になってる真島ちゃん。
まあ形だけの設定なので特に気にしなくともいいかも。
七瀬君たちが移動中に出会った皮剥ぎ死体も
この子のせいだったりする。

32、帰ってきた殺人マシーン

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