キルビリーの怠惰そうな声が、だらしなく部屋に響いて、それで意識が掬い上げられた。

「……あー、煙草すいてー……っと」
「――さっきからずっと思ってたけど」

 出来る事ならば、それは笑いながら訪ねたかったのだけど、何故か頬が上がらなかった。

「何かそういうところ凄い人間臭いんだな、お前。……本当に人間じゃないのか? 只、怪我の治りが異常に早いだけの人間だったりして」
「血を飲む人間が普通かよ?」
「……ああ、そうか」

 その事についても気になっていたのだ。そう言えば。
 と、柏木は早速一服吹かしこんでいるキルビリーの金髪を視界の端に認めた。薄暗い部屋ではやたらと目立つ、嫌でもそこに目が行くくらいだ。

「吸血鬼ってやつか? 何でもありだな」
「ちっ、がう!……て、言うと語弊あるかもしれないけど、人間共が考えてる吸血鬼っていう形には当てはまらない」

 自分達の考える吸血鬼と来たら……太陽の光に弱くて、ニンニクが嫌いで、十字架に弱くて、処女の生き血を好んで、犬歯のような牙が生えているとか。古典的ホラーになぞらえたらそんなところだろうけど。

「ま、アンタの血を飲むのも栄養と言えば栄養だけど、爆発的な効果はないな。……んー、と、まあちょっとしたサプリメントでも飲むようなくらいだろうな」
「さっきのやり取りを見ていて思ったのは……お前達に血自体に治癒能力があるって事か?」
「まぁね。何にでも利く妙薬みたいなものだ、同じ仲間同士では特効薬みたいなものさ。……只……あんた達のような普通の人間が摂取した場合はちょっとわけが違う。強すぎて猛毒になって、拒絶反応を起こす事もあるんだ」
「死ぬって事か?」
「――そう。けど綺麗に死ねたらまだいい方かな、下手したら血同士が融合して失敗作になるパターンもある」

 キルビリーは煙草を咥えたまま、その目を細めつつ言った。

「人間でも、神でもない存在の出来上がりだ。成り損ないって俺達は呼んでる、俺は実際に目にした事はねーんだけど、那岐ちゃんは見た事があるって言ってたな。骨がなくて両手足がなくて、目鼻のないぶよぶよの塊らしい」

 成り損ない。……その心地悪い響きに何となく寒気を覚えた、姿かたちを想像出来るようでしたくなかった。何だっけか。日本神話に出てくる、不具で生まれてきたせいで捨てられちゃった神様の名前――、

「ま、俺はその辺詳しくないんだわ。そんな事した事もしようとも思った事もないし。……んで、だよ。もしお前が死にかけてたら俺の血を与えてやってもいいけど、そうするとお前も“人間”っていう定義からは大きく外れる事になるんじゃね? 上手くいったとしても、それはつまり俺らと同類として仲間入りする事になっかな」
「――ふうん。……例えば? 同類、っていってもどんな風に変化するんだよ。ちょっと刺されたり切られたりしても死ななくなるのか?」
「んんん? 随分と興味ありそうだなー。何なら試してみる? その方が絶対に早いと思うけど」
「駄目に決まってるだろ、即死の可能性もあるわけで。大体そんな話聞かされて承諾する奴いんのかよ」
「なーんだ。つまんねえのー」

 ちぇ、っと子どもっぽくむくれるキルビリーだったが、再びこちらを見つめた彼の顔からはその幼さが消えていた。先程、「殺したいやつがいる」と言った時に近い、殺気立った雰囲気が流れているように感じた。咄嗟に身構えた。

「……な、何だよ? 何、睨んでんの」
「お前さ」

 キルビリーは咥え煙草のまま前髪を掻き上げつつ、眼光鋭く柏木の方を見据えた。

「録ってるんだろ、この会話?」
「……――」
 
 ごまかしたところで通用しないだろう。有無を言わせない殺気を放ちながら、キルビリーは薄笑いを浮かべていた。柏木はごくりと固唾を飲んでから、何といえばいいか幾分か迷ったのち、ようやく口を開いた。

「……ああ。けどな、勘違いしないでくれ。別に俺はスパイとかそういう大それたもんじゃないし……」
「そんなもん、役に立つわけないだろ。まさか国にでも提出して儲けるつもりか? 誰かに聞かせたところでお前は単なる頭のいかれた狂人扱いだよ」
「っ……」
 
 負けを認めたように、柏木は脱いだ衣服の下に隠してあったスマートフォンを取り出した。これ以上の言い訳は墓穴を掘るか疑惑を深めるだけだ――しかし、彼は初めから気付いていたんだろうか。気付いた上でここまで黙っていたというわけだろうか。

「――ごめん。別に悪意的なものがあったわけじゃないんだけど」
「初めはハメ撮りが趣味の変態ちゃんなのかと思ったがな、どっちか迷いながらもあえて先行きを見守らせて頂いたぞ」
「……もしここから生きて帰れたところで、下手したら俺は殺人鬼扱いだからさ。少しでも証言材料があった方が俺が立ち回りやすくなる。……悪く思わないでくれよ」

 嘘偽りのない本心のつもりではあったが、キルビリーはあまり警戒を解いてくれなさそうだった。

「ははぁ、成程。ものは言いようですなあ」
「……信じられないか? けど、金儲けがしたいんならお前の血液サンプルでも採取していった方が早いに決まってるだろ」

 柏木の言葉に、キルビリーは薄笑いを浮かべてシャツに腕を通した。ふ、っと鼻先で笑うような声が聞こえてから、彼はそのボタンを閉じ始めた。

「……冗談だよ。怒ってない怒ってない、別に怒ってないです。……というか選別にあげたっていいんだぜ、血も?」
「だからそういうつもりじゃ――、」

 何か言おうとした柏木の顎を掴むと、キルビリーはそのまま引き寄せて接吻を交わした。本日何回目となるのかは、もはや数えていない。只、唇を合わせるだけのあいさつ代わりのような接吻もキスと呼ぶのなら、今日で何度目になるのか覚えていない。
 引き寄せられて、そのまま乱暴なくらいの強さで唇を奪われる。熱のこもった吐息を重ねながら、無遠慮に引っ掻き回すような接吻だった。

「んっ……、ふ……」
「はっ――、……本当に無防備だよなあ。隙ありすぎっすよ、先輩」

 そして、その数えきれない何度目かの接吻から解放されてからだ。キルビリーは目の前でゆったりと、微笑んでいた。

「……俺もさ、アンタが怪しい動きしたら別にすぐぶち殺せたわけだけどさ、しなかったよね。コレがどういう意味か分かる?」
「っ、……さ・さあ……?」
「情が移った」

 にっこりと微笑むその顔を正面に捉えながら、背後に差す眩しいくらいの陽の光が彼の金髪を更にきらめかせていた。部屋の窓ガラスの上端に、直射日光が差し込んできて、思わず目を細めた。

「でも、アンタにはどうも本命がいるようだから。今は大人しく身を引くけど、とことん諦めないからね。――それに俺には無限に時間があるんだし、振り向かせるのにどんだけでも日数つぎ込んでやるよ」
「……。お前はそうかもしれないけど、俺はどんどん年取る一方だから、そのうち幻滅するかもな?」

 不覚にもちょっとぐらつきそうになったので、心の中で木崎に百回くらい土下座してやった。――ああ、何かもう、罪悪感通り越して死にたい。

「いーや、俺はこう見えて一途なんで。そんな事くらいじゃあ、簡単には嫌いになれないね」

 結局は月並みな言葉でしか言い表せられないが――、もう少し早く出会っていたなら、それこそ木崎より早く出会っていたら、また違う結果が生まれていたのかもしれない。いや、むしろ、今彼の手を取る事も選択のうちの一つなんだろう。

(柏木くん)

 不意に、木崎の顔と声が頭をよぎった。いつまでたってもあの調子で、変わらなくて、しかしどうしてこんなにも好きなんだろうか。悲しくてどうしようもなく報われない思いを持て余しながら、何だってあんな奴を忘れられないのか。

「……ごめんな」

 こんなになっても奴を好きでいる事が、幸せでもあったしまた不幸でもあった。

「いや。謝んなよ、何かそれってすごい惨めじゃん。ッつーか俺まだ負けてないしな」

 不透明なガラスに映る陽の光が、徐々に強まり始めていた。木崎は何だかんだ自分が彼に依存しまくっている事を、何をされても嫌いになれない事を、全部見通した上でいなくなったかもしれない。そして例えそうだったとしても、自分は彼を憎む事もできない。



 隣の部屋で、あれから七瀬は少しだけ、本当に少しだけの、仮眠程度の睡眠を取った。気持ちばかりの三十分にも満たない程度のものだったけれども。

「あ、れ……?」

 自然とソファーの上で目を覚まし、七瀬はその目をこすった。寝起き特有のだるさもなく、すっきりとした目覚めだった。最後の記憶では、那岐が隣にいて話していた筈だったが、既に那岐はロッキンロビンと窓際で何やら話し込んでいる。手を突いて起き上がり、とりあえず彼女の元へ向かう。

「お、俺、寝ちゃったんだ……。あはは」
「――あら、起きたのね。おはよう。あれから貴方、話している最中に突然眠り始めたの、よっぽど疲れてたんだと思う」
「そ・そっかぁ」

 ああ。せっかくのいい雰囲気だったのに、それを上手くものにできないのが、自分という男である。情けないやら悲しいやら、頭が上がらない。前田と新条も既に起きており、身支度を整えているみたいだった。

「七瀬ー、何かいい事あったのかぁ?」
「な、何が?」
「顔がニヤついてんなぁ、お前ぇ。俺が寝てる間に何か面白い事になってたりして……」
「な、何もないよ、前やんは黙っててくれ」

 全く、同じくモテない癖に妙に鋭い。慌てて前田をどつき黙らせると、那岐が少しだけ笑ったような気がした。新条もそうだったけど、この数時間の間に、微々たるものだろうけど距離が近づけたような――あ、いや、それはどうだろう。思い過ごしかもしれないし、事態が終わったらまた他人のような関係に戻るのかも。

「……それで? ネクロノミコンの、気配はする?」

 ロッキンロビンの問いかけを聞きながら、確かそれが彼女達が止めようとしている相手だったか……と頭の中で整理する。それでやっぱり那岐は静かな調子のままで、答えた。

「ええ。だけど、少し……奇妙だわ」
「どういう風に?」
「――何かに擬態している風なの、形として認められない」
「擬態?」
「そうよ……」

 ロッキンロビンの疑問に、那岐が一つばかり頷いた。

「ここにいるものが本体とは思い難い。コピー品が成り代わっているような……そういう感覚。似ているようでまた別物の気がしてならないの」
「それって――」
「本物は既に別世界に逃げられた可能性が高いわ。――海の上にいたのは単なる囮だったかもしれない、あそこにいたのは間違いなく本物だったというのに」
「……。だとしたら何て間抜けなの、私達。感覚が鈍りすぎていたわね、私もキルビリーも」
「けど、決して無意味ではないわ。彼女が作り出した邪悪な存在なら討っておいて損じゃない。野放しにしておけば、確実に他の平行線にも影響が出るから」

 相変わらず抽象的な言葉の飛び交う会話に、置いてきぼりを食らう。やっぱり彼女達の内容はまるで分からなかったが、どことなく――終焉の予感だけは、ひしひしと突き刺さるように肌で感じた。ここから抜け出すには、彼女達に勝ってもらう。そして自分達が生き残る以外の選択肢は――きっと、ない。存在しない。妥協案のようなものもない。

「……あー。話、聞かせてもらっちゃった」
「!」

 部屋の中に入ってきたのはキルビリーと柏木で、那岐が微かに反応を示した。

「いいじゃん別に、ここまで来ちゃったんならもう一気にガーってやっちゃおうよ。ほっといてもいい事ないんでしょ?……ってロッキンロビンさん、何でそんな距離開くの! 聞いて、俺達ほんとあれから何もしてないから!?……いや、したけど」
「触るな。汚れた手でそれ以上私の衣装に触るのはやめてちょうだい、汚らわしい」

 相変わらずの二人を眺めていると、この事態もひょっとしたら何とかなるんじゃないかと思えてくるから何とも不思議であった。……二人の関係が家族、というのを知った柏木はそれを差し引いても今一つ信じられないのだが。

「――ねえ。ここで提案したいんだけど。……貴方達はここで待っていてもいいのよ、この事態が落ち着くまで。ここが安全かと聞かれたらそんな事はないでしょうけど、私達と一緒に来るよりはもう少し生存確率を上げられるかと思うけど」
「それねぇ、俺も昨日あれから超思ったんだよ。ここで助け待ってた方が安全っつーかさ?」

 壁によりかかっていた新条だったが、那岐の声に乗っかった。

「別に卑怯魂胆とかじゃなくてさ、俺らじゃ足引っ張る可能性もあるわけだし。武器持ってここに籠城してるのも選択肢の一つなんじゃねーかな? まあ、助けがいつ来るとも分かんない中で延々と待ち続けなきゃいけないっつう不安はあるけどな」
「……そうね。それに、私達が勝てるとも限らないって事は言っておくわ」

 嘘一つとしてないのであろう那岐の言葉に、七瀬も前田も押し黙った。全てを知っているのであろう(本人は否定したけれど、少なくともこの中では一番事態を理解している)彼女の言葉だけは何とも重たかった。

「俺はついていくぞ。ちょっと、試したい事もあるからな」

 後ろで控えていた柏木が静かに言うと、那岐が少し不思議そうに顔をしかめた。それを汲んだように柏木は話を続けた。

「島に入った時、北の方向の山頂――そこに展望台があるのが見えてな。そこから島内の様子を探り次第に救助の信号を出す、こいつを使って」

 彼が荷物から言いながら取り出したのは赤色をした筒状の物体だ。リレーのバトンをもう少し太くしたようなその外観を、七瀬達はしばし眺めていた。恐らく、船舶に積まれていた発炎筒――だろうか。

「初めに使うべきか悩んだんだが、一度状態を確認してからの方がいいかと思ってな。数も限られているし……うまくいけば、高台を利用して生き残った人間を集められるかもしれないからな」
「おーっ、準備いいなー。そんなもん持ってこれる余裕あったんだな、あんな沈没状態で」
「……海の上ってのは何が起きるか分からないんだよ」

 かつて船長が言っていた言葉を同じように口にし、口角をちょっとだけ持ち上げて笑うのだった。

「お、俺もついていくよ……その、那岐さんさえ迷惑じゃなければ」
「私は別に構わないわ」

 少し距離が近づいたかと思えば、相変わらずのクールぶりで那岐は切り返すだけだった。彼女はそうやって、上手い事七瀬を近づかせない。いや、七瀬だけじゃないだろう。彼女は誰に対してもそうなのだ。
 
 七瀬は苦笑に近い感じで微笑み、それでも彼女の後を追った。一同は、とりあえずスーパーを後にしたのだった。那岐達が感じられるというその邪悪な気配に従い、脚を進めるしかなさそうだった。
 それから、後列を行く新条がふと前田に問いかけた。

「おいデブ」
「な、何ですかな?」
「いいのか、お前」
「何が?」

 新条は「はあ」と深いため息を吐き、それから前田の耳元で囁くように言った。

「俺は正直待ってた方が得策だと思うけど……。――正直言って、今もちょっと悩んでるんだよな。あいつらにやってもらって俺達はここで待機ってのも決して悪かないと思うよ、今からでも遅くはないし」
「ん、ん……そ、それはそうなんだけども――」

 新条の言葉に前田が少し揺らいだように垂れた眉を更に下げさせた。そうだ。悪い事じゃない。彼女達からの提案だったのだから、それは尚更で。

「あいつ、七瀬さ。……きっと神代の前で舞い上がっちゃってッけど、本当は行かない方がいいんじゃねーのか?」
「……え?」
「あの船乗り野郎はまあ、多少落ち着いてるしいい大人だし? 自己責任の元で動いてるのは分かるんだが。けど、七瀬は違うだろ。俺達もそうだけど。俺らはまだ高校生、学生なんだぞ?」

 新条の問いかけに、前田がおずおずと視線を持ち上げた。彼の言葉は、とても的を得ているのだと思う。何故なら那岐達は、自分達とは違う。けど、自分達は単なる人間だ。それも何の訓練も受けていない、単なる一市民、そう、高校生に過ぎないわけで。

「お前もアイツの友達ならさ、引っ張ってでも止めた方がいいかもよ。……ま、俺に強制はできないけど、さ……」

 前田は口を噤み、七瀬の背中を見やった。七瀬は黙って那岐の事を見つめているみたいだった。前田はもう一度、新条に顔を戻した。

「そうかもしれないね、でも――」

 前田は途中で言葉を切った。止めたくて止めたんじゃなかった。……声が聞こえたからだ、ここにいる誰でもない人間の言葉がこちらにまで響いてきたから。とても遠く、それでいて少しノイズの混ざった機械的に歪められた声が。

『……神代さん! お願い、助けて!』

 そしてそれは、女の子の声だった。更にはっきりと、『神代さん』、と名を呼んでいた。

「この声は……」

 その声の正体が誰か一番に気付いたのは七瀬だった。

「梶原さんだ、梶原央子さん……っ!?」

 那岐も名を聞いてすぐに誰か分かったのだろう、その顔が緊張からかキっと引き締まったのが分かった。

「――、少し様子を見ましょう」

 那岐が日本刀を小脇に構え、声の聞こえてくる方角へと少しだけ足を進める。傍の茂みに身を潜めるようにして声の方を見つめると、キルビリー達もそれに従って動き出した。七瀬らも慌ててそれについていくと、キルビリー達と同じように姿勢を低くしてしゃがみこんだ。

「……あれか」

 山頂を見つめながら真っ先に声を漏らしたのは新条だった。まばらな木々の間に佇む高台は、先程柏木が口にしていた展望台そのものじゃあないのだろうか。今自分達のいる山裾から、そう遠くはないように見えるが実際に歩けばどんなものだろう。それでも、はっきりと見えた。小屋のような粗末な造りではあるけれど、屋根の下でハンドマイクを手にして叫んでいる女子生徒の姿が。
 人数は、叫んでいる梶原と、その隣に女子生徒が二人見えた。それが誰なのか探りを入れているうちに、また更に声が上がった。

『神代さん、島の中にいるならここから見える廃ホテルまで来て――お願い! 残された仲間達で立てこもっているの。……こ、このままじゃ、いつかゾンビ達に殺されてしまう……』

 ノイズに掠れて最後まで聞き取ることは叶わなかったが、以降も彼女はそんな事を繰り返していた。助けに来てくれ。何しろ、那岐に、助けてくれと。しきりにそんな風に言っているのは伝わってはきた。

「助けに行かないと……っ」

 前田の悲痛な声がしたが、新条が真っ先に舌打ちを寄越した。

「めんどくせえ事しやがって。バッカじゃねえのあの女! あんな事してりゃあゾンビの気を惹いてそれこそ食われ放題だっつーの」
「――言わされているのかもしれないわ、彼女」

 苦い表情で呻く新条に言い被せたのは、那岐本人であった。

「……は?」
「もしかしたら、だけど。あれは彼女の本位の行動ではないのかもしれない」
「だろうな〜、那岐ちゃんを呼び出す為の罠みてーなもんだろ。あの子、捨て駒として使われてるんじゃねえか?」

 咥え煙草のままでキルビリーがぼやいた。捨て駒、って、と七瀬が打ちひしがれたような顔で彼を見た。そんな風に見つめたところで彼が悪いわけじゃないし、どうしようもないのだが何故か見つめずにはいられなかったのだ。

「で、どーするぅ那岐ちゃん? 嘘って分かってて行くのも何かシャクじゃね? わざわざ罠にはまりに行くようなもんだしな」
「――……」
「い、言わされてるって言ったって、誰がそんな真似を? じゃあ、何? 人が人を陥れてるの? 何それ……そんなのって……」

 前田は人を疑う事を知らなすぎる、と七瀬は何故かそんな風に彼を非難したくなった。勿論口には出さず、心の中だけに留めておいたのだけれど。

「――行くわ」

 少し迷っていた風ではあったけど、那岐が強めの調子でそう言った。伏せていた視線を持ち上げると、那岐はゆっくりと立ち上がりその刀を握り直した。

「は、マジなの?」
「大マジよ」

 キルビリーの声に那岐が頷いた。口調はキルビリーの真似をして砕けたような感じだったけど、彼女は本気だ。
 何だかそんな那岐の様子を見ていると、泣きたい気分になってきて、七瀬が慌てて屈んだ姿勢のままで近寄った。

「で、でも、那岐さん、危険を冒してまでそんなの……っ」

 七瀬の声に、那岐は少し悲しそうに肩を竦めた。うっすらと目を閉じ、そしてキルビリーに言った。

「――、ねえ。聞いてもいい?」
「何?」
「彼女を助ける事で、私達が得られるものって……一体何だと思う?」
「……」

 キルビリーは皆目見当がつかない、といった具合に眉を潜めていた。ロッキンロビンは初めから興味がないようにしていたが、那岐のその態度に少しばかり関心を寄せているように視線を動かしていた。

「そうね。――正直、私にも分からないわ。彼女は……私にとっては只の他人に過ぎない。少しだけ話した事があるというだけの……たった、それだけの存在ね」
「んじゃあ、どうして?」

 キルビリーは止めたりする様子もなく、那岐の言葉の続きを待った。

「納得できる理由なんていうものは、きっとどこにもないわ。でも……これだけは言えるの。彼女を救えたら――私は『あの子』に胸を張って会う事が出来る気がする」
「……っ……」

 その言葉が、七瀬の疲弊しきった身体に突き刺さった。いい意味でも、悪い意味でも。名前のつけようのない感情が、動く事も億劫だった両脚に『動け』と信号を送り付ける。

「だ、駄目だよ、そんなっ……」

 那岐のセーラーの腕を掴み、七瀬が叫んだ。

「君は騙されているんだよ!? 俺がここを通さない。殺されるかもしれないのに、そんなの――」
「……そこ、どいてもらえる?」

 那岐は幾分か冷たい調子でそう言って、七瀬を見据えた。分かっていた筈なのに、胸が苦しくなる。彼女から得られた言葉はそれだけで、いや、それだけで十分に分かった。那岐が何かに囚われていて、縛られていて、そしてそこから逃げ出す気がない事を。目の前にいる自分の事など、見てはくれない事を。

「ど、どかないよ……」
「どかないと首……斬るから」

 彼女にしては随分と冷酷な調子で言い放たれて、七瀬は思わず言葉を失う。言葉そのものというよりも、その雰囲気に気圧されるようにしてつい避けてしまったのだけれど、負けるものかと駆け出してすぐに那岐に追いついた。正面に、彼女の顔がしっかりと見える位置に周り込んだ。
 照れ臭いだとか何だとか、もはや言っていられなかった。

「――君の事が好きだ」

 心の底からの告白だった。もう少し場所を選べよ、と言われそうなものだったが、告げずにはいられなかった。蔑まれてもいい、嫌われてもいい。那岐の中に自分という存在を、刻んで欲しかった。
 那岐は動じる事もなく、静かに首を横に振った。

「……分かってる」

 その返事には無数の意味が含まれているのが、すぐに分かった。受容でもあったし、拒絶でもあった。好意でもあったし、嫌悪でもあった。……答えなんか、はなから分かっていたのだ。七瀬はやりきれなくなったように、俯いてぐっと唇を噛みしめた。

 通り過ぎ際に、那岐が静かに言った。

「でも、今は言わないで欲しかった」

――分かってたのは俺の方だ。初めから、知ってたんだ。何もかも。彼女がそれだけの事で揺るがない事くらい。そのくらい強い意志を持っている事くらい。どれだけ俺が近づきたいと願っても、それが叶わない事くらい……分かってたんだ……

 七瀬は奥歯を噛みしめて、歩いてゆく那岐を見つめるだけしか、できなかった。




あの子……林檎ちゃんだよね……?
那岐さんは林檎ちゃんを探して色んな世界を
姿を変えて現れるんだろうな。
ついでに血の話も。
シノ君が湊くんに分け与えちゃったけど、
毒にならなったのは運が良かったのか、
配分が大丈夫だったのか……
というか湊君あれほぼもう死んでたみたいだし
強すぎるくらいの力の方が功を奏した、いみたいな??
あとキルビリーにしとけよ、柏木ぃいい〜
お前さんよぉおお〜〜〜
おふくろさんよぉおおおお〜〜〜……(?)

31、死に場所

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