その建物は、北の山を背にして立っていた。辺りは静かで、人の通りも全くなかった――拓けた場所に出ると、大型のスーパーマーケットが構えていた。視界に留めるなりに、七瀬が那岐に話しかけた。

「あの、ここ少し寄っていいかな? 水が欲しくて」
「私は別に構わないわ」

 呟きながら那岐がちらりと横目でキルビリーとロッキンロビンを見つめた。二人が特に反論しないのを了承だと受け止めて、那岐は再び七瀬に向き直ると一つだけ頷いた。

「――日も暮れてきたし……ここで明るくなるのを待つのもありなんじゃねえの?」

 補足するかのようなキルビリーの声に那岐が小さく頷いた。

「そうね。思ったよりもここまで来るのに時間がかかってしまったみたいだから」
「……ありがとう。少しでも休めるんなら助かるよ」

 日頃の運動不足を少しだけ悔やんでおいて、七瀬が疲弊を隠し切れないような顔つきで言った。それから一歩踏み出しかけた七瀬だったが、那岐がすかさずそれを止めた。

「待って」
「え?」
「安全かどうか、私が先に見てくるから」

 女子高生とは思えぬ逞しさで告げたのち、那岐は七瀬より前に躍り出てマーケットの内部へと向かおうとした。

「じゃ、俺もついていくよ、那岐ちゃん」
「……ええ。助かるわ」

 初めよりも冷たさが抜け落ちたように感じるキルビリーの声と、それに従うロッキンロビンの姿があった。那岐に、というよりはキルビリーについていくといった具合のロッキンロビンは彼と違いあまり最初と印象が変わらない気がした。

「あ……と、その、君」
「?」

 何と呼べばいいやら一瞬ばかり迷い、結局そんな風な呼び方に落ち着いた。柏木が那岐に向かって少しばかり足を進める。

「――さっきの戦いで、その刀……結構刃こぼれしてたんじゃないのか? 武器、つってもコレしかないけど……大丈夫? 弾もさっき運良く見つかったわけだし」

 持っていた拳銃の銃把の部分を差し出しつつ尋ねかけると、那岐は肩を竦めつつ柏木を見つめた。

「ありがとう。……でも、それは貴方が持っておいた方がいいわ」
「しかし――、ここには化け物どもの気配もないんだし……今のところは、だけど」
「……いいえ。気を付けるべき相手が、さっきみたいな存在だけだとは限らないから。もし何かあった時の為に、私達がいない間にも対処できるように注意はしておいた方がいいと思う」

 那岐の言葉に、少し斜に構えた様子でそのやり取りを眺めていた新条が反応を示した。先程、あの血だまりの地獄と化した砂浜の光景を真っ先に思い浮かべた。――彼女の言葉は正しい、その通りだ。あいつらの血と刺激に狂った目を見てしまった以上、『顔見知りだから、離した事があるんだから、まあ大丈夫だろう』という理屈は通用しないと思った。
 
「……」
「それに、まあ化け物つってもアレも同胞みたいなもんだからなー。俺らからしたらお前らの方がよっぽど未知の化け物っちゃあ化け物なんだけど。……あッ、別にこれ変な意味じゃないから誤解しないでな。イラっときたらごめん」
「ねえ、さっさと行くよ。無駄話をしている時間も惜しいんだから」

 ロッキンロビンの声に、キルビリーが再び踵を返して歩き始めてしまった。那岐の背後を守るようにしてキルビリーとロッキンロビンがついていくのを眺めながら、前田が深いため息を漏らしたのが分かった。
 先の会話からは随分と毛色の違う、場違いなため息だと思った。

「なあなあ〜、どういう関係だと思う? やっぱセオリー通りにいってあの兄ちゃんが女性陣のヒモかなぁ……スマホにそういう女たっくさん登録されてたりしてなぁ。登録名もきっと『ロレックス』に『BMW』に『ヴィトン』とかって……」
「そ、そ、そ、そんな筈ないだろ!? 那岐さんに失礼だぞ、前やん!」

 自分でも思っていたより大きく反応してしまった事に気付き、慌てて七瀬が声を潜めた。口を塞いで周囲を見渡し、それからフッと肺に溜まった息を吐き出した。
 一番仲のいい友人なだけあって、前田も馬鹿ではないし、そんな七瀬の姿に彼の心中を何となーく察した。そうだ、童貞なりに察した。

「な、七瀬ェ〜……」
「なっ……何だよ哀れむようなその顔は!?」
「ごめん、ごめんな。お前の事、本当にマジでちょ〜ういいヤツだと思ってるし俺個人としてはすぅうううーーーんごく七瀬の事大好きだけどさぁ。……まっ、お前じゃ無理だよ。あれと同じ土俵に立つのは、いやー、流石に厳しいっすよ〜」

 それは、さっき自分が前田に対して思った感想とほぼ一致している。だからこそ、妙に悔しい。その言葉そっくりそのまま返してやりたくなりつつも、何とか堪えてググッと飲み込んだ。

「神代はどうか知らねえけど、あのデカイねーちゃんとホストはそういう関係じゃないんじゃねーの?」
「そ、その心は!?」
「カンだよ、カン」

 ぶっきらぼうな態度は変わらずではあったがちょっとだけ、本当にちょっとだけ、丸みを帯びた新条を見つめながら、前田が唸りつつ七瀬に耳打ちする。

「流石、日々入れたり出したりを楽しんでる非童貞は言葉に謎の重たみがあるな……俺らとはもはや別の生き物だよ」
「前やん、女性もいる前であんまりそういう品のない話はやめないか?」
「!?……な、何だよ七瀬! 急に硬派ぶりやがって、お前らしくもないなぁ!――あ、ねえねえお兄さんはどう思います!? ここは大人な男性目線の意見を是非聞きたいっすねっ」
「な、何が?」

 急に話を振られて柏木は困惑しているようだったが、前田は構わず話し続けた。前田は七瀬と違って女性が相手でなければ年齢問わず人見知りせず、がんがん話しかける奴だ。そういうところが羨ましいと七瀬は昔から感じずにはいられない。

「ていうかお兄さん、ご結婚はされてるんです? あ、その前に彼女ですかねぇ!?」
「……いや、いないよ。どっちも」

 が、いくら何でも少し空気の読めていない前田の発言というか態度そのものに、七瀬がはあ、とため息を漏らした。が、相手はやはり大人だ、特に嫌な顔もせずにむしろ相手にしないようなスタンスで返すだけだ。

「マジっすか!……別に彼女いないって悪くないですよね、むしろ俺、お兄さんと同じって何かメッチャ嬉しいっす! 今初めて童貞の自分に誇りが持てました!」

 柏木からすれば褒められているのかそれとも馬鹿にされてるのかとりあえず複雑な心境だが、ぎすぎすとするよりいいのかと思い直しておく。キルビリーの背広越しの後ろ姿を視界に留め、柏木は再び正面を向き直る。……先程、自分のせいで負ってしまった怪我の方はどうなんだろうか、酷く気がかりだったけど――。

「……結構広いわね、中」

 ロッキンロビンが呟いて電灯の切れかかったスーパー内を見渡した。那岐が振り返り、待機していた一同を呼んだ。

「ゆっくり進んで来て。出来るだけお互い離れないように、近くに寄り添いながら」

 那岐の指示にすかさず従ったのが前田で、七瀬にべったりとひっついて足を進め始めたのだった。

「……ま、前やん、いくら何でもそれは近すぎ。息がかかって気持ち悪いんだけど」
「え、俺そんな鼻息荒いっ!?」

 この二人は本当に相変わらずなんだな、と新条が一向に変化の兆しさえ見られない七瀬と前田を見つめつつ横切る。
 島の面積と比較すると随分と大きな規模のスーパーマーケットのようだが(飽くまでも島という敷地に対して、の話ではあるが)恐らくこれが唯一の市場だったんだろうか? 内部は気持ち悪くなるくらいに綺麗に整頓されていたし、荒らされた形跡などもなく外の事態があった事を差し引いても落ち着きすぎていた。ここだけ時が止まってしまったかのように、忘れ去られた場所のようにも思えた。

 左回りに進み、野菜コーナーを超えた辺りくらいで那岐がその足を止めた。

「……っ!」

 那岐が何かに気付いたのかその片手を上げて、後列に向かい進行を止めるように指示を出した。

「――止まって。何か……」

 息を潜め、那岐が口元に指を当てたまま周囲を見渡した。しんと静まり返った店内には、空調の音とショーケースの立てているであろうモーター音だけが鳴り響いている。けれど、よく耳を澄ませていると、ブウウゥーーーーーーーーーン……という音に混ざって、クチャクチャクチャクチャと生々しい音が聞こえてくるのが分かった。

――これは……

 七瀬は分かりそうで分かりたくないその音の正体を探ろうと、視線を動かした。

――見た事ある。何か見た事あるぞ、こういうの……何の映画だったか……

 固唾を飲み込んで記憶の底をひっくり返していると、精肉コーナーのディスプレイに群がる数人の姿が見えた。――数え方は果たして『人』なのかどうか、分からないが。トレーを破り捨て、生肉を掴んで口に運ぶその姿は一見すると生きている人間と何ら変わりがないように見える――、

「ひっ!!」

 前田が間抜けな悲鳴を漏らした事で、ブロック肉を頬張っていたおばちゃんがこちらに気付いてしまった。パーマを充てたショートヘアのおばちゃん、といった感じの容姿がどこか親しみを覚えるが、間違いなくこちらを『餌』と捉えたうえで足を進めてくる。
 その進行を食い止めたのがロッキンロビンの蹴りによる一撃だった。

「うひゃっ……!」
「あ、あ、あっち! 三時の方向にデブ! 前やんより更にデブがっ!」

 更には菓子コーナーから飛び出してきた肥満体型の中年ゾンビに慄き、七瀬が何事か叫びながらそれを指した。

「っ……!」

 那岐がすかさず居合の姿勢に入ると、その真剣を構えたのが分かった。獲物目掛けて駆け寄ってくる太ったゾンビ目掛け、那岐は太刀を浴びせた。
 飛んできた返り血を浴びた前田の情けない声が一つし、更に精肉コーナーから突っ走ってきたのもまさかのメタボリックなゾンビであった。まさかの奇襲に……いやいや、まさかなんて考え自体が間違っていた! あって当然と思うべきだった!――俺はまだ平和ボケしているに違いない。七瀬は転がっていた折れた水道管を拾い上げた。

――いつまでも負けキャラなんかでいられるかよ、俺だって何とかしなきゃ!

「う、うぉおおおおっ!」

 七瀬がその腕を精一杯に振りかぶって、ゾンビの頭めがけてクリティカルヒットを食らわせる。勢い余って前のめりにすっ転んでしまい、デブゾンビと一緒に仲良くごろんと転がってしまった。
 すぐに起き上がらねば、と意識を総動員させ、手放してしまった水道管を再度掴んだ。こいつより早く起きないと! こいつより早く起きなくちゃ! 両手で握り締めると、先のヒットによる衝撃で痙攣を繰り返すゾンビの後頭部に、何度も何度も振り下ろした。

「この、この……っ! この野郎!」
「すげー連打」

 既に勝利の余韻からか、煙草を吹かすキルビリーが笑いながら呟くのが分かった。まるで別世界にいるかのような余裕ぶりには、いささかボルテージが下げられてしまいそうになった。しかし、駄目だ、駄目だ! 気絶させるくらいの程度ではこいつはまた起き上がって襲い掛かってくる! 喉笛を噛みちぎらせるな、二度と立ち上がらせるな! 

「ははっ、やりすぎだって。もう死んでるだろ。……あー、ホラ死んだ〜」
「……っ」

 死、の言葉に七瀬がぴたりとその手を止めた。途端に我に返ったように、まるで夢から覚めたばかりのような表情を浮かべて、七瀬は足元に出来たその死体を見下ろした。自らの手で作り上げてしまった血だまりに引き込まれたその死体は、もはやピクリとも動きやしない。

「って、何で睨むんだよ。やったのアンタだろ?」

 全部含めて、ほとんど無意識のうちの行動だった。反射的にキルビリーを非難めいた視線で睨んでしまっていたようで、指摘されて初めて気が付いた。……嫉妬するにしたって、もっと相手を選んだ方がいいのに。七瀬がやりきれなくなったように手にあった水道管を投げ捨てた。

 転がされた水道管は血だまりの上を転がって行き、やがて壁にぶつかった。キルビリーはそれを見てくくっ、と喉の奥で可笑しそうに一つ笑ったのだった。

「あーっ、面白。……那岐ちゃん、お前は結構魔性の女だなー」
「……え……?」

 通り過ぎ際にキルビリーが那岐の肩を叩いていくと、当の那岐は何の事だと言わんばかりに彼を見つめ返した。訝るよな眼差しも意に介さず、キルビリーは鼻歌交じりに刀に付着した血と脂を払っていた。

「……キルビリー」
「んっ、何?」
「貴方、またデタラメに突っ込むような戦い方したわね」
「え、そう? そんなつもりなかったけど。……まあ結果勝ったんだしいいんじゃないのか」
「――良くないわよ、全然」

 またもやロッキンロビンに叱り飛ばされてしまったが、キルビリーがにべもなく返す。反省の色さえ見えない彼の態度に、ロッキンロビンがいつも以上に険しさを纏わせたのが周囲にも分かった。が、キルビリーは構いもしないしその調子を崩そうとはしないままに、言った。

「気にしすぎだ、俺は今までダウンだってもらった事もないし。つまり負けた事がないって事だよ。――自分自身の戦い方は自分で決める……まっ、俺はこれでいいと思ってるけどな?」

 余裕たっぷりといった具合で立ち去ろうとするキルビリーだったが、踵を返した彼の肩をロッキンロビンが叩いた。思い切り振り向かせた。傍目で見ても女性とは思えないくらいの腕力で強引に彼を正面向かせると、またもや日本拳法の直突きばりの鋭さで腕を振りかぶった。

 真っ直ぐに放たれたいわゆる『縦の突き』はそれはもう見事に、キルビリーの頬に突き刺さっていた。どこかしらの骨とか或いは歯とか欠けたんじゃないかというくらいの右ストレートだ、世界を狙えるいい右だ……キルビリーはそのまま血や体液の散らばったスーパーの床に尻餅を突いた。こんな間抜けな姿、初めて見た。

「おめでと、じゃあこれが人生初のダウンね」

 両手の指をボキボキと鳴らしながら、ロッキンロビンがそんな間抜けな彼を見下ろして無表情のままに告げた。

「な、何しやがん……ッ!」

 だ、と言いかけた彼に覆い被さるようにしてロッキンロビンが続けた。

「相手が私じゃなかったら今頃、その顔なくなってたわね?」

 捨て置くように言い、ロッキンロビンは長い髪を揺らしながらつかつかと先に行ってしまった。元々愛想のいい女性というわけではないけど、今の彼女は輪をかけて機嫌が悪そうに見えた。それ以上言い返しはしないのか、キルビリーもばつが悪そうに舌打ちをさせてその場から立ち上がるより他ないのだった。
 ぶたれた頬を撫でながら納得いかなさそうにぶつぶつとこぼしているのが聞こえてきた。

「チッ、何なんだよ……くそぅ。本気で殴りやがった……」

 その姿に圧倒されて、七瀬はどういう気持ちになるのが正解なのやら分からずぼんやりとしていた。
 それから、再び落ち着きを取り戻した辺りで、一同は物色を再開させる。

「う〜。何だか泥棒してるみたいで申し訳ないなあ。……非常時なのでどうか許して下さい、神様仏様……あ、これうまい棒のプレミアム味! 明太子だ!」

 罪悪感を捨てきれないような表情の後に、前田が手にしたのは業務用サイズのビスケット、スナック菓子、それからチョコレートの詰め合わせと菓子類ばかりなのであった。次々と菓子ばかりを手に取る彼に新条も流石に顔をしかめた。

「まさかお前それ全部一人で食う気か?」
「み、みんなにちゃんと分け与えますよ〜。そこまで俺もがっついてないす」

 新条から冷たい目で見られながら、前田が菓子類を抱きかかえるようにして自らの潔白を主張するかのように反論した。更に先の飲料コーナーでは、もう? 仲直りしたのか、元からこういう感じなのだろうか、キルビリーとロッキンロビンが肩を並べてペットボトル類を漁っているのが見えた。
 それだけならまあいいのだが、キルビリーはミネラルウォーターのキャップを開けながら中身を覗き込んだり薬品を嗅ぐようにして鼻を近づけたりの動作を繰り返している。

「……何してんだ、お前?」

 その謎の光景に柏木が問いかけると、キルビリーはその姿勢のままで返してくるのだった。 

「薬の匂いしやがんなー、この水。くっせえったらないぞ、やっぱ水と食べ物は自然由来のものに限る……俺は天然水しか飲まん」
「は、はあ……」
「おいロッキンロビン、そんな抗生物質まみれのジャンクフードみたいなもん口にしてると死ぬぞ。――ていうかお前も行儀悪すぎだろ、立ち食いとか引くわ」

 その傍ではロッキンロビンが色とりどりの丸っこい物体、小分けにされたマカロンを口にしていた。やはりどうにも不思議な関係の二人のその姿を横目に見つつ、柏木が眉を潜めたのだった。





〜後味の悪い映画の法則〜
・物語の途中でキャラが突然意味深に台詞無しでダンスを
一人踊り出すシークエンスがある(ワルツ、タンゴ系の旋律)
・冒頭、主人公らしき人物が一人でふらふらさまよう場面から
開始して、いきなりモノローグ開始。こうなったらもう絶対に
ハッピーエンドじゃないの決定、大体最後主人公が自殺場所
求めてさまよってるパターンのやつや。
・パニック系の映画だったら途中、マーケットとかで
幸せそうに買い物しているメンバーの様子が入る。
ここが幸せのピークであとはもう階段転げ落ちるくらいに
バッドエンド直行すっからマジで。
・監督がミヒャエル・ハネケ監督。
これはもう駄目。誰も幸せにする気ない監督だから。
コナンと宿泊先同じになるレベルで不幸から逃れられない。

28、殺し屋は二度弾丸をぶち込む

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