柏木は部屋の鍵を開けている背後で、木崎はそこから見える景色をぼーっと眺めていた。東京タワーどの辺りなんだろ、と呟いたのが聞こえてきた。それでちらりと一瞥すると、彼の前髪が夜風にそよいでいるのが分かった。

(いや、ほんとにこいつ今にも吐きそうな顔か?……その割には涼し気な顔してるけど)

「ほら、入れよ。さっさと行って来い」
「別にそこまで汚くないじゃん?」
「……お前の美的感覚疑うわ」

 足元に散らばった雑誌や脱ぎ捨てた洋服類が視界に飛び込み、まとめて全部ゴミ袋に突っ込んでやりたい衝動に駆られる。引っ越してきてからガムテープを開けていないダンボールが積んだままになってるし。ッつーかこれ、多分もう一生開けないな。捨てていいじゃん。
 そんな事を今更のように考えていると、木崎はトイレに向かわず真っ直ぐ部屋の中へと入っていくので思わず声をかけてしまう。

「おい。トイレ、こっちなんだけど」
「ねえ、柏木くん。飲み直そうよ。冷蔵庫、見ていい?」
「はあ?」

 振り返った木崎は随分とケロッとした様子で(まぁ元からなんだけど)言い切り、懐かしささえ覚えるあの薄笑いで見ている。ていうか、こいつの真の顔は一体どれなんだろう。昔からそうだったが。

「いや、ええと……、気持ち悪いんじゃなかったっけ? あと、お前酒飲めないんではないんですかね」
「酒がどうこうっていうよりもビールが好きじゃないんだよな、苦くて」

 それは何かあんまり理由になってないような気がするけど――と考え込んでいると木崎は勝手に、こちらの了承もなく冷蔵庫を開きはじめた。

「うわ。見事に何も入ってないなぁー、缶ビールとチューハイと栄養ドリンクのみって。もう典型的なザ・独り暮らしって感じ、しかもこのヨーグルト賞味期限切れてるし、捨てなよ」
「い、いいだろ別に……っていうかお前だってしょっちゅうカビ生えたパン、机の中に入れっぱなしにしてた癖に」

 何となく上手い事丸め込まれた気になって、追い返すのもちょっと気が咎めた。途端に居直ったような心境になったので、負けを認めるみたいにしてため息を吐いた。話したい事もあったんだし、知りたい事もあったんだ。――そう。むしろいい機会じゃないか。

「……あ。そういえば先輩からもらったワインあったかも」
「じゃ、それで。ビール以外なら何でもいいや、俺」

 ワインを探すついでにグラスを探さなくては、ていうかちゃんと客用のグラスとか何かそういしゃれたのあったっけ。この部屋。そんな事を考えながら棚を漁っていると、座ったままの木崎からの声がした。

「彼女、作らないの?」
「急に何の話だよ。……んー……作る気、あんまりないかな」
「どうして? 職場に好みの子がいないの? 手の出しにくい、お堅い女しかいないとか?」
「――そういうわけでもないけどさ」

 何となく記憶にいる木崎の姿と食い違って、違和感があった。だからどうこうと言うわけでもないけど。あったあった、とワイングラスをテーブルに置き、ついでに見つけたチーズ味のクラッカーを並べて、最後にワインボトルを置いた。

「じゃあ性欲ないの?」
「……あるよ、人並みに」
「そうなんだ。何か、あんまりそう見えないね」

 だからさっきから一体何の会話だよ、と柏木は思いつつもワインのコルクを抜いて注いでやった。味がどうこうとか寝かせると云々だとかはよく知らないけど、そういうのにうるさい先輩が「これ、美味しいから」と絶賛していたのだから木崎の舌が肥えていても大丈夫だろう。まぁ、多分。

「でも昔から思ってたんだけど。柏木くんって生臭くないっていうか、生き物の匂いがしないじゃない、っていうか、もっとこう、欲望に素直になってもいいんじゃないかと、ぼくは思います」
「お前、完璧酔ってるだろ。呂律周ってないし、『僕』とか言いやがって」
「酔ってない、酔ってない。けど性欲のかけらも見せやしないじゃないか、男じゃないよ、絶対に」

 やけに饒舌になりながら彼はワインの入ったグラスを取らずに瓶の方をいわゆるラッパ飲みにしていた。その堂に入った仕草を見れば、酒が飲めないなんて言い訳はまるっきり嘘なんだろうなとすぐに分かった。乾杯ぐらいしてもいいのに、と苦笑交じりに柏木もグラスに入ったワインを一口飲んだ。甘くて飲みやすいぐらいで、うんちくも語れないので感想らしい感想も出てこない。
 こんなんだから面白くないとか言われるんだろうな、とか更に面白くなくなりそうな事を考えつつ残りのワインを飲み干した。

「……木崎は?」
「何が?」
「彼女、いないの」

 日本人らしい、疑問形なのか断定系なのか曖昧な言い方をすると木崎はワインボトルを一度置いた。

「いないよ」

 そうなのか。彼の返事に、はあ、と柏木が返事をよこした。何となく安心している自分に気付いた。

「俺、女の子とそういう事するの苦手だからさ」
「……ん? 何が?」
「男と違って射精もしないからイったかどうかよく分からないし、何かちょっとね。そういう相手とやるのって果てしなく面倒くさい事のように思えて。俺ずぼらだから、責任持てないよ」

 何か木崎は随分とさらっと言ったけど、その目つきは子犬でも見るみたいに愛しそうにこちらに向けられていた。

「ちょっと待って、何の話?」

 いや、何の話かは、分かるんだけど。ね。

「――えっ? 何、そういう話じゃないの?」

 アルコールにとろけた脳味噌が聞かせた幻聴かと思いきや、そうではなかった事を再確認した。木崎はやっぱり平然とこちらを見つめたままで、それからまたワインをボトルごとグイっときこしめした。即座に柏木は、男に突っ込まれている木崎を想像した。有り得ない、と思いつつ案外美しいかもしれない、とか何とか考えてしまった。
 世の中にはこちらの想像が追いつかないくらいの性癖を持っている人間はごまんといるし、正直そのくらいなら、珍しくもないのかも。ていうか文化? 文化、なのかね?

「……つ、つまり、ええと……」
「うん。俺、同性愛者ね。綺麗さっぱりのホモだよ」

 何が綺麗さっぱりなのやらよく分からないけど、流し込まれたワインがあらゆる判断を鈍らせる。

「そ、そうなんだ。じゃあ、何だ、どっちなの?」
「タチかネコかって事? 俺は生易しい合体とかで満足しないし、こうズコっとハメてもらわないとイケないからどっちかと言われたらネコかな。でも、そういうのは関係なしに出来たら両方が気持ちいい方が好きだけど」

 ああ、まあ木崎の顔、確かにそれ系の人達から好まれそうだなあとか、ヤるとどういう声出すんだろうとかどういう顔するんだろう、とか無駄に想像してしまった。いやはやもう人の事言えない、自分も確実に酔っている。

「……、ご、ごめん、何か俺酔いがアレだからシャワー浴びて頭冷やす……」

 曖昧に理由をつけて去ろうとした柏木の手首を、木崎が掴んで引き止めた。木崎を見ると静かにゆったりと微笑んでいた。間接照明の下でその表情を見ると、卑屈な程に美しかった。それから、生まれて初めて男を犯したいと思った。
 柏木の方から魅入られたように行った深い接吻は、呆れるくらいに長く、ワインとビールと両方の味がする。何だかもう既に心地よくて、微塵のためらいもなくその先へと進んだ。

「――、えっ、と……その、いいのか、これ」
「キスしてから確認するのおかしくない? もうしてるじゃん」

 何を、とは言わせない調子で今度は木崎の方からキスをしてきて、唾液や舌先にこびりついたアルコールの味を確かめるようにしながら恍惚としていた。急くように、柏木は木崎の身体に手を伸ばした。爪で傷つけるんじゃないかと気にしながら恐る恐る愛撫していたのだけれど、木崎はあまり気にする様子もない。彼を見ているとサディスティックな気持ちがどうも煽られる、おかしくないか? 俺って別にSとかじゃないけど、と柏木は思い直して木崎を見つめた。

 木崎は柏木の手を取ると、やはりアルカイックに笑うのだった。こちらの強がりなどは全てお見通しだと言っているかのようだった。何故か途端にねじ伏せたくなり、暴力と性欲って直結しているんだなあと冷静に、静かに実感する。押し倒されつつも柏木のその指先を上品咥える木崎を見て、ぶち壊したくなったのでねじ込んで口の中をまさぐった。少し苦しそうにしてる彼に、またあそこが固くなった。
 目ん玉を抉られた教師の姿がフラッシュバックした。あの時の木崎の冷たい目を思い出して、身が震えた。

「……木崎。お前まさか人殺した事って、あるの?」
「そんな事はしないよ」

 この言い方は、ああ、あるんだな、と何故か直感的に思った。
 そうやって、しばらくずっとお互いの無防備な声がだらしなく、部屋の中に転がされていた。座位のままゆっくりピストンしていた。口に含んだワインを口移しで飲ませた。飲みこみ切れずにワインがボトボトと口の端から零れていくのを見送り、シーツの上に染み込むのも気にならなかった。自らを流れる血液のようにさえ思えて、まるで自分の一部のようで、愛しいとさえ感じていた。それでワインを相変わらず豪快にぐいぐい飲みながら、木崎が騎乗位になって動いた。こいつほんとザルだな。むしろワクってやつか。――ああ、こうやって益々アルコールが沁みていく。明日、ちゃんと起きられればいいけど。

「なぁ、木崎」
「何?」
「……何で叔父さんを殺したんだ」

 それはずっとずっと避け続け、それから自分の中だけで止めておこうと思っていた筈の言葉だった。でも、本当は言うべきだったんだろうなと今は感じていた。それも、もっともっと早くに。あの時、神社の前で無意味に座り込んでいた夜の事を思い出していた。でも、あれだけでも幸せだったな。木崎はどう思ってたか知らないけど。
 で、木崎はそれに答えないだろうなと思ったけど、やはり表情一つ変えずに、おざなりにこちらを見つめた後に今度は天井を見て呟いた。

「――もっと好きになりたかったから」

 ああ。その気持ち。他の人には理解されないんだろうな、と即座に思ったけど、柏木は強くそれに嫉妬した。羨ましいとさえ思えた。

「殺したら好きになるのか?」
「……どうだろうね。けど、死んだ後の事はどうでもいいな。意識の宿ってない器にはあんまり興味がないから」

 それを聞いて何故か内心、安心した。じゃあ少なくとも、今の自分に興味を持ってないわけではないって事だ。しかし、これで会話が成り立つって今思うと本当に奇妙な関係だ。初めから何もかも変だったから、今更何が変なのかも分からないけど。

「柏木くん、長居してごめんね。そろそろ帰る」
「え、帰るって?」
「何だい、その顔は」

 腑に落ちなさそうな視線を向ける柏木に、木崎は随分と不思議そうな顔をしていた。柏木が不機嫌そうな調子で返してやった。

「ヤリ捨てかよ」
「だって俺、ちゃんとイかせたよ?」
「そういう問題かよ。……別に帰らなくていいじゃん、ここにいれば? っていう話」

 ここまで言っても木崎はまだ不思議そうに、『何で?』みたいな顔をさせていた。

「住めばいいだろ、ここに」

 ほとんど狂おしいくらいに蠢く自分の感情が、突き動かしていた。もう、どんな感情でもいい、彼の中に自分を存在させたかった。そしてそれは出来る事なら、どんな愛情よりも強く深い感情にまで、育てていきたかった。木崎がもし自分を愛してくれなくとも、大丈夫だ。その分、俺がお前を愛するよ。けれど、木崎はそれもお見通しなのか、そんな柏木を見てくすくすと笑った。
 



こうして若き日の柏木はダークサイドに落ちた……。
これは〜多分ですけどぉ〜〜
カッシーが変なんじゃなくてぇ〜木崎君がお上手なんですよぉ〜〜、
ってわけで色仕掛け(?)大成功したね!
木崎君サイコパス心理テストしたらマジキチな
パーフェクト回答しそうで面白いな。
ナンシーちゃんはあんなにぐう聖女やのに、
兄は何故こんなキチのガイなんだろうな。
親も普通そうやから、何かまあ突然変異なのか
叔父さんがそういう人間だったのかそれとも……。
謎は謎のまま過去編おしまいです。無駄に力入ってた。

26.ほんとは生きるのとっても辛い

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