「柏木、久しぶり!」
「ああ」
「うーわていうか、めっちゃ久しぶりだよなぁ!? 中学以来になるよなー、あれからお前地元離れちゃって、誘っても全然現れないし連絡先もすぐ変えちゃうし。捕まえるの苦労したよ」
「……ごめん、家族内で色々あってさ。何か連絡も取れる状態じゃなかった」
 
 中学を卒業するのと同時に、母親が再婚相手と共に自分を引き取りに来た。それでも柏木は父の傍を離れたくなかった。自分がいなくなったら父が独りになってしまうからだ。
 しかし、父の言い分としては『俺はお前を大学までやれる甲斐性がない』。その一点張りだった。多分、父は自分に対して長い間ずっと気を遣っていたんだろうと思う。かく言うこちらもこちらで、何もねだる事もしなかった。汗水流して稼いだ給料の半分を母に払い、娯楽や趣味にも走らずに生活費に充てていた事をよく知っていたから。
 
(もう、俺から解放されていいよ、父さん)

 溶けた氷が立てる音を聞いて、ふと我に返る。目の前の富田は乾杯のビールを飲み干し、今は焼酎の水割りをひっかけているようだった。彼の周りには既に空のグラスがいくつか置かれていて、ペースが早い。

「へ〜、地元出てからずっとあっち? 今はこっちに戻ってきたんだ」
「そう。仕事の関係ってのもあるけど。ここからすぐそこのアパートに部屋借りてる、すぐ傍で電車通るからたまにうるさい以外はいい場所だな」
「治安も悪くないしな、この辺りは。ていうか何だろ、柏木、お前ホントあんま変わってねえわ〜」
「そうか?」

 空になった柏木のグラスを一瞥し、すかさずビールを注ぎつつ富田が笑い笑いに言った。

「おう。昔の印象そのまんま。……で、どう? 彼女とかそっち方面? 充実してらっしゃる?――ほら、向こうに座ってるあいつ、高橋。あの髪長い子」
「……それがどうかした?」
「覚えてる? あの子、お前の事ずっと好きだったらしいじゃん。今彼氏いないらしいからさ、チャンスじゃね? んんん〜と、あいにく俺の好みからは外れるが、まあまあ可愛いと思うぞ」
「いや。だって昔の話だろ、それ」

 ああ、何だろう。早くも帰りたくなってきた。苦手なんだよ、こういう空気というか――、それから考え直した。今自分は相手に対して軽蔑するような顔になっていなかっただろうか、と心配した。
 柏木はビールが温くならないうちに、その話を遮るようにしながらビールを飲み干した。

「いや。いやいやいや。それを口実にして近づくわけでしょ、そこでフツーは。何なら俺、上手い事連れてきて去りましょうか」
「別にいいよ、余計な気は回さなくて」
「あ、アレか。柏木のタイプではない系?」
「……俺の話ばかりもういいだろ、お前の話もしてくれよ」
「お? 力技でごまかしたな、今」

 こういう自分を嫌悪する事は多いが、それを改められないからこそ今の自分がいるんだろうな。いいか悪いかは別として。

「まあでも今日何かあるかもしれないぜ、独身同志ときたら何があるか分からないしな。自然の出会いとかそんなのこだわらないで自分からいっちゃえばいいんだって〜、こういうのはさー……って。何だ、お前まさかもういるのか? だったら俺、悪者だな」

 やはりこの会話の流れに怠惰さを感じてしまい、実際に恋人はいないけれど、「いる」とか何とか嘘を言い張った方がいいのか一瞬悩んでしまった。が、そこであれこれと深く突っ込まれても面倒だ。どう切り抜けようか考えあぐねていると、富田は一人で先を話し始めた。

「けどなー、結構お前の事いいって言ってる子いたのに。……あっ、中学ん時な、でも、ほら、お前アレじゃん。木崎といっつも一緒にべったりしてたから女子はみんな近寄りがたかったらしいぜ」
「……」

 その名を聞いて、手が止まった。適当に手を動かしているうちに掴んだ枝豆を持ったままで、柏木は相槌入れずに富田の話の続きを待った。

「――まー、あれから木崎、学校に来なくなったしな。いや、つか来れないか。一緒に卒業式出れなかったのはちょっと寂しかったけどさ、どう? お前は連絡取りあってたん?」
「いや、全然。……だからあいつが参加するって聞いて、俺も今日は来たんだけどな」

 あらま、そう、なるほど。と、富田が肩を竦めながら足を崩した。――ていうか今の言い方、大丈夫だっただろうか。何か、本当は来たくなかったんだけど、みたいな言い回しになっていなかっただろうか。

「それがまだ来てないんだよなぁ。一応、来るって返事はもらったんだけども」
「ていうかよく足取り掴めたな? 俺でも分からなかったのに」
「へえぇ、探そうとしたんだ」
「――そりゃあな」

 だって気になるだろ、と補足しておいて柏木は空になったグラスに手酌でビールを注いだ。それに気付いた富田が慌てて瓶を取ろうとしたが「いいって」と止めておいて、全部自分でやった。
 それからも、あまり自分で動こうとはしなかったが、そうしていると今度はあちらの方から元クラスメイト達がわらわらと集まってくる。女子の中には苗字が変わっている子もいたのですぐには分からない人物もいたが、大方名乗られれば誰か分かった。分かったところで円滑に話を進められるわけでもないし、この場に溶け込むにはもう少しばかり酒の力が必要そうであったのだが。果たして今の自分はまともに相槌が打てているのかどうかさえあやふやだ、作り笑顔が崩れていないだろうか――何つーか、やっぱり来ない方が正解だったのかも。深いため息が漏れそうになるのを追いやり、キリのいいところで抜け出そうと思った矢先だった。

「おい、遅いぞ! この遅刻魔」
「ウッソ、木崎君!? やだ〜、全然変わってなぁーい!」

 思わず身が硬直して、柏木は顔を持ち上げた。その名を聞き、どうしてもっと早く抜け出さなかったんだろうと何故か後悔もしたが、顔を見ればどうでもよくなった。どやされながら「ごめん」と呟くその姿にため息が出そうになった。

「道に迷ってしまって、全然違う方向行っちゃった。最果てに辿り着いて引き返してきたところ」
「……お前ならやりかねないわ」

 外を眺めるふりをして、窓ガラスに映る木崎と現実の木崎をそれとなく見比べたりしながら、彼の事を観察してみる。先程女子が称したように、確かに顔立ちそのものはあまり変化がなかった。むしろその年の割には肌つやも相まってか妙に幼いくらいで、見ようによっては成人迎えたての若者でしかない。ただ、当時と比べるとかなり背が伸びていたし、そして随分と体格も良かった。いかにも格闘家然とした引き締まった身体つきで、服の上からでは一見分かりにくいがかなり鍛え込んでいるのは分かった。

「ん? これはもしかしてもうお開きモードだったりする?」
「ラストオーダーまであと三十分あるけど」
「あ、おねーさん生大追加で!」
「いや待って。俺、飲めないから」

――本物だよな? いや、当たり前だけどさ……

 無駄に高鳴る心臓の音を聞きながら、きっと酔いせいだけではない自身の熱気に頭がふらついた。冷静であろうとすればする程に、息が詰まりそうになった。こちらの動揺なんか当然知らないんであろう木崎は、涼し気な顔のままだったし、酔っ払ってすっかり出来上がったムードの中には不釣り合いだった。
 早速下ネタを飛ばしながら絡んでくる周囲を、一見笑ってはいるようだけど唇の端を持ち上げてやり過ごしていた。遠目にその様子を察しながら、他人の事なのにそんな見下した目ぇしていいのかよ、とか、いやさっきまでの俺もあんなんだったのか、とかあーだこーだと考えた。

「木崎、こっち来いよ。懐かしい奴と再会できっぞ」
「ん?」
「……って、富田。余計な事すんなよ、馬鹿お前」
「何照れてんだお前、乙女か」

 いやいや。内心、少しだけど富田に感謝したくもあった。木崎は何の疑いもなくこちらにまで足を進めてくると、当時、彼がいつも自分にそうしたようにごく自然に隣に腰かけた。

「久しぶり。柏木くん」
「あ、ああ……うん……、か・変わってないな」

 頭の中が混乱して何から話せばいいやら分からず、とりあえずのそれだ。あの一件以来、木崎がどう生きていたのかを自分は何一つとして知らない。聞いていいのかも分からないし、やはりもう少しアルコールに頼る事になりそうだ。
 おしぼりを差し出すと、木崎はそれを受け取り(今は知らないけど格闘技をやっている人間とは思えない綺麗な指先だ、ついつい観察してしまう)ゆったりとした動作で笑った。

「柏木くんは変わったね。色々と違う気がする」
「色々って何?」
「髪型とか、あと雰囲気とか?」

 こちらの焦りなどは勿論知らないのだろう、微笑みながら話す木崎は爽やかな笑顔と見下すような表情を使い分けている。あの頃、ちょうど変わり始めた頃の彼をそっくりそのまま思い出させた。

「……あ、あの当時は野球部で坊主頭だったしな……」
「はは、そうか。確かに」

 気付くといつの間にやら富田はいなくなっていた。気を利かせて立ち上がったのか、本当に誰かに呼ばれただけなのかはちょっと分からない。富田がいないのもあるのか、しばらく無言が続いた。富田の置いていった、飲みかけのハイボールの氷が音を鳴らした。

 昔から、だったけど、木崎といるとこのまま無言でもいいんじゃないかと思えてくる。彼が何を考えているのか、何もせずその顔を眺めているだけで勝手に理解したような気になってくるからだ。勿論それは独りよがりなんであって、本当にそうだというわけではないんだけども。何だかこんな自分に付き合わせるのが申し訳なくなり、肩を竦めると不思議そうに木崎がこちらを覗き込んだ。こちらがこんなに緊張しているのに、おくびにも出さない木崎に何か嫉妬した。嫉妬ってのも変だけど。

「……けど、それだけじゃないような気もする」

 木崎はちょっとだけ笑い、独り言のように呟いて、また一笑を浮かべた。透明な笑顔だ、本当にそれはもう卑屈な程に。木崎は運ばれてきたビールを口にした。飲めないと称していたように、本当に一口だけのようだった。

「……、お、お前の方は――ええと」

 柏木は深呼吸し、残りの酒を飲み干した。彼の前で言葉を発するのはいちいち勇気が必要だった。アルコールの力を借りてもこれか。途端に、木崎は何だか全部分かってるんじゃないかと、全て見透かしてるんじゃないかと思ってしまう。
 彼の顔を見ていると、妙にそわそわと落ち着かない。気を付けないとわけのわからない行動を起こしてしまいかねない。

「今もこっちの方に住んでるのか?」
「そうだよ、柏木くんも?」
「ああ。実家から離れて、今は独り暮らし」

 当時の感覚を取り戻すのにはまだもう少し彼と時間を共有しなくてはいけないだろうに、これからだという時にお開きの時間が近づいてきてしまった。もう少しいたいと思った瞬間、こうだ。トイレに行って戻ってくると、木崎の姿はそこになかった。しかし携帯が置きっぱなしだったので、会場にはいるんだろうなとは思った。

「……えっ。なに田中、お前帰るのかよ〜。これからじゃんかぁ」
「終電逃したら嫁が怖いしな」

 家族の元へと帰る者、お目当ての女子に声をかけて二人して勝手に消える者、意気投合し別グループを作ってしまう者、様々といるようだが、はて自分はどうしたものか――と、思いとりあえず富田に声をかけてみる。

「なあ富田。木崎、どこ行ったか知らない? お開きになるちょっと前に席外したきり姿見てないけどまさか金払わずトンズラじゃないよな」
「え、あいつまだ戻ってねえの!? 俺さっきトイレ行ったらずっと気持ち悪いからって吐いてたっぽいけど」

 じゃあ、つまりすれ違ったって事だろうか。

「……マジかよ、俺ちょっと見てくるわ」

 飲めないのに無理して酒なんか煽るから、よもや急性アルコール中毒にでもなったんではないだろうな。飲み方を知らない大学生か、けど奴なら有り得そうだ。慌てて柏木が男子トイレに向かうと、手を洗っている木崎の背中が見えた。

「お、おい。平気かよ、悪酔いしたみたいだけど」
「吐いたらちょっとマシになったけど、まだ頭痛い」
「当たり前だろ、飲めないのに無理するから。……一人で帰れる? 送るか?」

 何だかこれから女の子をお持ち帰りしようとする典型的な構図なんだけど、と心の中で盛大にツッコミを入れつつも相手は木崎なんだから、と思い直す事にする。

「うーん、じゃあお願いする」
「……分かったよ。ほら、みんな待たせてるし行くぞ」

――ああ、何だろ。この感じ。昔を思い出して懐かしいけどさ……、

 見た目だけならあまり辛そうには見えないのが、木崎の分かりにくいところだ。

「富田、木崎なんかまだ不安だし俺送り届けるわ」
「分かった、大丈夫かよ木崎?」
「んー……多分ね」
「あ、木崎君帰るの!? ねえねえ連絡先教えてよ、また飲み会誘うから」
「いいよ。じゃあ後で幹事さんに伝えておくから、聞いといてくれるかな?」

 傍目から見ていて「絶対にこいつ教える気ないな」というのがすぐに分かるどこか薄情な言い草だった。女の子はやや納得のいかなさそうな顔つきをしていたが、木崎が帰りたそうにしているのを察したのか、それ以上突っ込むような事はしなかった。

「柏木くんの家、どっち?」
「……すぐそこだけどさ、それよりお前の家に行くのが先だろ」
「吐きそうだから一回寄っていい?」

 そう言いつつ全然吐きそうに見えないのが木崎らしいところで、嘘か真実か判断に迷う。が、もし本当にそこでゲロを吐き散らされたら困るのは自分だ。後始末する役回りは多分、自分に周ってくる。

「け、けど部屋汚いしな」
「彼女がいない証拠だね。あ、それとも逆で、彼女に俺を見せない為の口実?」
「いや、本当に散らかってるんだよ。……あと彼女はいません」
「じゃあ、尚更いいじゃないか。別にトイレ借りるだけだって」

 四の五の言わせぬ調子で、木崎は柏木よりも前を進んでアパートの階段を昇って行った。

25、LOVE DOLL つぼみ百式

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