「お、巴投げ来たコレ!」
「すげぇ、流石は経験者だな」

 西川が何か技を決めるたびに、クラス内がどっと盛り上がる。西川も西川で、それが快感なのであろう。次、また次と技を披露しては見せ場を作り、そこでまたひときわ大きな拍手喝さいが起こる。

「おいおい、誰も俺に技決められる奴いないのか? このクラス。昨日の四組の奴らの方がまだもうちょっと骨があったなぁ〜。俺を完膚なきまでに負かせたら今期の体育、オール満点やってもいいぞ」
「えっ、マジで!?」
「ま、無理だろうけどな」

 がはは、と豪快に笑う西川に周囲も「無理無理」と苦笑いでの返事をよこした。

「何かハンデあげてもいいぞ、まあそれでも負ける気はしないがな」

 柔道、空手、更には合気道の心得のあるこの男にとって中学生の男子など赤子の手をひねるようなものなのだろう。生徒らも全員「まあ、ハンデなんかあっても無理だな」と口々に言い合った。

「……余裕かましてら。ま、実際強いからな〜。俺と富田とハセタクの三人で向かっても返り討ちにされる自信あるね」
「大体、あれだって相当手ぇ抜いてんだろ。試合にもならねえ」

 控えの生徒達が噂するのを背中で聞きながら、柏木はついに自分の番が周ってきたのを重い気持ちのままで受け止めていた。願わくば、理由をつけてどこかへ逃げ出したくなった。腹痛でも理由にするか? いやいや、いくら何でもそれはダサすぎるか……別に試合して痛いってのは問題じゃないんだよ。最大の問題は、この相手だ。相手がこの西川だという事に、問題がある。

「頑張ってね、柏木くん」

 木崎の声援を受けながら、やはり浮かない顔つきと鉄枷でもはめられたかのような思い足取りで柏木は中央コートに向かう。ふらふらとぎこちないその動きは、古代ローマのコロセウムで戦わされる運命から逃れられない剣闘士のようだった。

「お! 次は可愛い可愛い我が部員の柏木君じゃないか」

 親しみを込めたような言い方と笑顔を浮かべていたが、その裏に潜む狡猾さを柏木は嫌というくらいに知っている、骨身に染み込まされている。こいつの根性の悪さは。柏木が何も言わずに構えていると、西川は更に嬉しそうな笑顔を零した。

「痛くても泣くなよ、お前」
「……」

 試合開始の合図と共に、柏木は即座に西川の懐に入り込んだ。正直、何も考えてなどいなかった。只闇雲に突っ込んでいっただけに過ぎないし、自分には経験もないから、西川を上手く掴めたのはいわゆる『まぐれ当たり』だとか『ビギナーズラック』のようなものだったに違いなかった。

「おお!? 柏木、いったぞ!!」
「初めてじゃないか、西川にあそこまで決めた奴……」
「そのまま投げだ、投げ!」

 すっかり観客と化していたクラスメイトらがどっと沸いた。白熱する観衆の中で、木崎だけは口元に手を添えたまま何か観察でもするみたいに、その光景を黙ったままじっと眺めていた。

(うっそ、マジかよ。何、俺何か凄い事してるのか!?)

 周りのどよめきで、自分が西川を投げの態勢に持ち込めた事を知った。技――、技! このまま何か技だ! とは言っても、寝技も投げ技も、そんなものほとんど知らない。出来る事と言ったらこのまま見様見真似による背負い投げくらいか?

(ええい、いったれ! この際だ!)

 もうどうにでもなれ、の勢いで柏木は背負い投げの姿勢に持ち込んだ。体格差的にはギリギリ問題のない相手なのだ。西川は、ガタイは確かにいいが、あの厳しい特訓を耐え抜きまずまずの身体を手に入れた成長期の自分なら投げられない相手でもない。――よし、いけ、そのまま!

「や、やれーっ、柏木ぃいいいいっ!」
「いっちまえ、いっちまえ!!」
「……」

 一層の熱を帯びて盛り上がる周囲とは裏腹に、木崎はやはり違っていた。目を細め、何か全てを見透かすみたいにその先を見守った。
 そして当の柏木は……西川をそのまま投げた後にようやく気付いた。というよりは、『思い出した』のだった。この教師が、いかにずる賢く悪辣な相手であったかを。

――馬鹿じゃないのか俺は! 詰め甘すぎだろ!……そんな簡単に懐に入らせるわけがあるかよ!? 

 投げてから思い出すなんて、愚かすぎる。
 そう、気付いた時には遅すぎた。柏木が慌てて身を引こうとした矢先に、教師は倒されたその姿勢のままこちらを見てニタリと笑っていた。

「捕まえた」
「っ……」
「柏木ぃ、先生知ってるぞ。――お前、脚が弱点だな?」

 何ていう事だ、何て……いう……――つーか一番最悪のパターンじゃねえかよコレ! 自分の落ち度を責める間もなく、次に西川が放ってきた技は……絡めとられた脚が横転し、視界が大幅に揺らぐ。
 柏木はそのまま真横に、受け身も取らずに突き倒された。それだけではこの地獄は終わらない。西川の両脚は、しっかりと柏木の脚を固定したままで放す事はなかった。

「!」

 挟み込まれたままでどうする事もならず、グラウンドポジションから、屈伸方向とは反対の向きへと捻られて絞め技を決められた。その技は――『足緘(あしがらみ)』。現在の柔道ルールでは反則に指定されている禁止技だ。

「……や、やめて――く、ください……」

 今の自分に出来る事といったら、こうやって少しでも情に訴える事くらいのものだろう。耐えろ、耐えろ、俺なら耐えられる、今までだってそうやってきたじゃないか。あの特訓の数々を耐えてきた――俺なら――……、

「暴れると折るから」

 それは極限状態にある自分の耳が聞かせた幻聴だったのだろうか? いや、分からない。だが、しかし、無事で済されまないのは明らかだった。しばらく野球は無理だ。いや、しばらくどころか下手したら卒業するまで無理かも。或いは一生?――何か訴えようと声を上げた矢先にとてつもない痛みが襲ってきた――倒れて逃れる事もできない!

――泣いても、
――叫んでも、
――謝っても、

(終わる事はないのか――)
(俺はもう終わりだよ、父さん。きっとレギュラーとして残る事も出来ない。野球、たぶん、続けられない)

 骨が軋む音。続けて、声にならない悲鳴が漏れた。絞められたアヒルのような自らのだらしない声を聞いて、それが自分の声だと知るのに数秒かかった。汗と涙まみれの情けない姿を想像した。屈辱が身を焼き、痛みが全部の神経を震わせる。滲み出た脂汗が、額から流れ落ちて目の中に入り込むのが分かった。

「お〜っと、こりゃすまんすまん。投げられたせいで、先生もつい本気になっちゃったみたいだな」
「――っ、……う……うっ」
「ありゃりゃ? 泣くほど痛かったか。おーい、誰か柏木を保健室に連れて行ってやれよ」

 流石にクラスメイトらも只ならぬ状態だと思ったのか、さっきまでの馬鹿騒ぎモードはすっかり消え去ったようにしんとなっていた。出席番号順で並んで座っていた隣の木崎は、次に自分の番が来るからと戻ってくる柏木を見届けるのと同時に腰を上げた。

 柏木は両端から支えられながら、片脚を引きずり元の場所へと何とかして座ろうとした。

「か、柏木、保健室……」
「いい、平気だよ」
「ンなわけあるかよ、お前――」

 痛いやら悔しいやらでとめどなく溢れてくる涙を拭いながら、柏木は正座する事も出来ずにその場に倒れ込むようにしながら息切れしつつ座した。

――くそ。くそ。くそ!……ちきしょう! 何てザマだよ、俺がもう少し慎重になってたらこんな事にならなかったのに。ちきしょう、ちきしょう!!

 言葉にならない屈辱で、身を焦がされそうになった。痛いのなんかはどうだっていい。問題はあんな奴の罠に嵌った自分の馬鹿さに腹が立つ。

「柏木くん」

 すると、木崎の変わらない声がして、柏木は涙を浮かべたまま乱れた呼吸の中で彼を見た。

「……今から君に強さがどういうものかを教えてあげるよ。よく見ときな、君の屈辱は俺が晴らしてあげるから」
「……。え……?」

 どういう意味なのかを考えている隙さえも与えずに、木崎は西川の方へと向き直るや否や薄笑いを浮かべた表情のままで告げた。……というか、薄笑いは彼のいつもの顔なのだが。

「先生。さっき、ハンデがどうのって仰ってたの覚えてます?」
「ん? ああ、覚えてるぞ。何だ木崎、ハンデが欲しいのか」
「――まあ……、そうですかね。少しだけ交渉させて下さい、俺の提示した条件と合えばいいんですけど」

 西川も木崎のこの妙な様子に全く警戒心がないわけではないようだ。が、所詮は自分の敵ではないと見做しているのだろう。取り立てて慌てているような気配もない。周囲がまた別の意味で騒ぎ出したのが分かった。気付くと、隣でダンスをしていた女子達も集まってきているようだった。情けない事に、柏木の悲鳴を聞きつけたのだろうけど。

「先生に『勝てば』いいんですよね? 生憎ですけど、俺は柔道に関しては全くの初心者です。なので少しルールを変えて、お互いの得意分野で戦いませんか」
「……得意分野だぁ?」
「ええ、禁止ルールをなくしましょう。顔面あり、蹴りあり、頭突きあり、勿論掴みも寝技も関係がない。総合格闘(そうごう)ルールで戦うのはどうです? 先生は柔道を使えばいいし、俺は空手で戦います。ですが先生が柔道以外の技を使うのもいいし、俺が空手以外の技を使うのもいい――自分のしたいようにすればいい。互いの持ち技でノックアウトする、只それだけのシンプルな殴り合いはどうですか?」
「……」
「まさか、俺が柔道以外の戦い方をしたところで先生は負けるなんて思いもしないでしょうし。悪くないでしょう? 受けますよね、これ」

 本来ならばそんなもの却下といくところだろうが、西川は先に提示してしまった。『ハンデをやる』、調子に乗ってそんな風に。
 木崎はそれをしっかり聞き逃さなかったし、こうやって利用したのだろう。まあそんなのは所詮言葉のアヤみたいなものだったし、守る義理なんかないし上手い事言って反古にしてしまえばいいものの――西川もこれで相当にプライドの高い奴だ。木崎もきっとそれを分かった上でこんな挑みたてるような言い方をしている。目に見えた挑発とも違うし、飽くまでも西川の武闘家としての好奇心を煽るようにしながら木崎は続けた。

「先に言います、俺は柔道では先生に勝てません。……が、それ以外でなら勝てます」

 そう言えば西川には空手の心得もあるんだったか――だったらこんな事を言われたら、益々火が付くんじゃないだろうか? 今きっと西川が考えている事はこうだ、馬鹿野郎、俺は柔道だけじゃねえよ。他にも色々と齧ってるんだよ。百戦錬磨の俺が、貴様みたいなクソガキに負かされるわけがないだろう。……さしずめ、こんなところだろうか。

「――ふん」

 西川が肩を竦めながら口角を持ち上げ、それから少しだけ笑った。

「よく分からんが、大した自信だな。いいぞー、木崎。お前は好きなだけ好きな技で好きなだけ俺に殴りかかればいい」
「……じゃ、交渉成立――ですかね?」
「ああ、そういう事にしとけ」

 歩いていく木崎の背中を見つめながら、柏木は痛みも忘れてその光景に見入った。

――何だ? 何をするっていうんだよ、お前……

 開始前の緊張感、固唾を飲みながら柏木が構えを取った木崎の顔を見つめた。どういう事だ、彼は確かに空手はしていたが型しか教えられていない。組手なんかした事もないだろうし……けれども彼は言い切った。自分は、何でもありでなら西川に勝てると。

「始め!」

 試合開始の合図、木崎は相変わらずアルカイックな笑顔のままで自分よりもずっと体格のいい西川と向き合った。正面から打ち合って勝てるかと聞かれたら分からないが、けどそこにいた半数以上は西川が勝つと感じているだろう。柏木だって、そりゃあ木崎を応援したくはあるけどどう考えたって軍配が上がるのは奴だろう。結果は目に見えている。

――知ってるぞ、木崎。先生はなあ、全部知ってるんだよ。お前がやっていたのは空手の『型』だろう? あの体育館の隅っこでいつもいつもやっていたな。実戦、一度もやらせてもらえなかったらしいな。そういう情報も全部入ってくるんだからな……

 所詮、自分の敵ではない。西川は即座にそう判断した。それから、これを『戦い』ではなく単なる『遊び』だと見做した。

――その構えからいって……まず一手は中段への縦突き? いや、違う! 視線は正面のままの上段を突く気だ。バレバレのフェイントだな、初心者が上級者ぶろうとしてよくやるパターンだ!

 だったら捌いてこちらもカウンターだ。がら空きの顔面を狙って――しかし、木崎は突いてこなかった。西川が自分を突いてくる事を彼はあっさり読んだのか……西川の正面への突きを、木崎は下方から抱え込むようにして奪った。その動作は『掬い受け』か、自分の腕を受け止められ西川は唖然とした。

(始めの踏み込みはオトリだったか? 粋な事をするがしかし……)

 先程の柏木のように考えなしに突っ込んでくるだろうと決めつけていたが、もう少し知恵の周るガキだったらしい……だったら右腕を取らせておいたままこちらは足払いだ。そのまま転ばせて柏木と同じように関節技で沈めてやる。

「っ……!?」

 しかし、木崎はその腕を取ったまま、もう反対の自由の利く手を既に動かしていた。彼が次に出したのは踏み込んでからの『肘打ち』だった。こめかみに見事命中し、西川は視界に星が散ったような感覚を覚える。

(肘打ち!? 馬鹿な、空手では禁止技だろ!)

 考えてから今しがた自分も禁じ手で彼を倒そうとした事に気付き、余計に目が眩む思いがした。反則には反則で返してきたわけだ。――舐め腐りやがって! しかし、西川は片膝を突いてしまった。そしてその瞬間、一つの思考に行き当たる。

(待てよ。このやけに法則性のある動きは――そうだ……どこかで……)

 ゆっくりと考え込んでいる暇なんてないが、考えずにはいられなかった。直感が言っている。思い出せ。早く思い出さないと、このまま負ける! こんな筈ではなかった。こんな初心者もいいところのガキにここまでされるつもりでは――そしてようやく思い出した。そうだ、これはまるっきりに『型』の動きそのままじゃないか? 確かこれは十戦という、難易度の高いとされる型だ。自分も挑戦はしたものの、さして極める事も出来ずパッとしないまま終わった記憶がある。

 しかし覚えている、記憶が正しければこの後に来る動きは確か――身構えた。戦慄していた。早く逃げなければ、防がなければ、身を引かなければ――と、本能が警鐘を促すが、だがしかし……見上げたまま何も出来ないでいる西川目掛け、木崎はその一手を決めていた。

 その動作は――そう、『目潰し』だった。……どの格闘技の試合においても禁止とされるであろう、“最大”の禁じ手だった。

「……ひっ……!」

 授業を放って、食い入るようにその光景を見ていた女子が叫んだ。続けざま、西川の獣じみた悲鳴が辺りを支配した。まだ木崎の攻撃は終わらない。その眼窩に指を突っ込んだまま、木崎はもう片手で更に肘打ちをこめかみ目掛けて打った。考えたくもないがもうとっくに西川の眼球は破裂しているだろう――失明は逃れられない。

「馬鹿野郎、審判止めろよッ!」

 誰かが叫び、ようやく木崎はその手を止めた。泣き叫ぶ女子もいた。木崎は、抉られた片目を押さえ背中を丸める西川を只じっと見降ろしていた。その表情には、嫌悪も蔑みも憎悪も何ひとつとして見当たらなかった。

「木崎……」

 柏木が呆然とその名を呼んだ。口にしてから疑問がやってきた。本当に? 本当にあれは木崎なのだろうか。木崎の姿をしたまた別の――そんなわけがある筈もないのに、急にやってきた現実は全部が全部受け入れる事を拒否しているのだ。

「きゃああああああっ!!」
「誰かっ、誰か! ねえ、保健室の先生呼んできて!」

 こういう時に動けるのは案外女子の方だったらしく、男子は皆ビビってしまって腰を抜かしているようだった。女子の方を担当していた体育教師も流石に慌てて飛び込んできたかと思うと、眼球を破壊され悶絶する西川に駆け寄った。

 無防備な悲鳴が、部屋いっぱいに散り散りに広がる。

「――叔父さん、俺、気付いたよ。強いっていう意味がどういう事なのか。叔父さんが俺に戦う事を教えてくれなかったのも、どうしてだったかはっきり理解したんだ」

 木崎は独り言のように呟いてから、その手に付着したままの血液を胴着で拭った。

「先生、西川先生。しっかりして下さい! 先生!」
「……の、ガキ……が……容赦なく俺の目に指突っ込みやがった……ッ!」

 西川は残された片目で木崎を睨み据えた。潤んだ瞳が、めいっぱいの憎悪と恐怖に歪められている。

「ちょっと待ってて下さい、すぐにタオルたくさん持ってきます!」

 痛みのせいか西川は何度か白目を剥き、軽く痙攣を起こした。呂律も周っていない。

「言ったでしょう、何でもありだって」

 柏木の場所から、木崎が何と言ったのかよく聞き取れなかった。けど、もはやあまりそれは重要な事ではなかった。

「弱者はいつだってこうだ、『二度目がある』――そんな風に思いながら戦う……お前もそうだった。だがな、」

 木崎がそこで言葉を切ると、その場にしゃがみこんだ。わざと西川の視線に合わせるようにしながら。

「――ないんだよ、そんなものは。俺は戦う相手に二度目なんか与えるつもりはないし、そういう戦い方をするから貴様ら敗者はそうやって惨めに地べたを這いずり回る事になるんだよ。いつまでも、虫けらみたいにな」

 くくっ、と木崎はそこでようやく喉の奥で笑い声を漏らしたようだった。しかし、それがもたらすものなどさして大きな問題でもなかったけれど。西川は殺してやるとでも言いたげな視線を、木崎へと向けた。遠目から見つめながら、柏木にもその殺気が流れ込んできそうな程だった。

「なあ。お前なら分かると思うけど今俺が見せた動きは型の流れだ。型ってのはいわゆる技の動きを合わせたものだよな? それでさ……まだ見せてない技もあるんだ、この型。……終わってないよ、残念ながら」

 西川は頭の中でかつて鏡に向かって練習していたその動きを思い浮かべてみた。確か――確か――脳裏で型を必死に分解し、ようやく行き着いた時には既に遅かった。木崎が西川の胸倉を掴むと突き飛ばして見せた。
 奴が信じられない、というような顔をした。すぐさまその表情は臆病風に駆逐されてき、弱者のものとなった。数分前の柏木の姿と重なった。

「や、やめろ……いや、やめて……ください……」
「柏木君がさっき同じ言葉を吐いた時、お前はそうしなかっただろう」

 西川が咄嗟に目を閉じたのが分かった。目の前の恐怖を打ち消すかのように。けど、無意味だった。逃れようと態勢を変えようとした西川の股間に、木崎の高速の一撃が入ったのが見えた――『金的』、これもまた立派な禁止技だ。

 ぎらついていた殺気が瞬時に曇り、西川は演技とは思えないような強い調子で倒れ込み、ひくひくと痙攣を繰り返した。

「っ……」

 もはや再起など不可能だ。戦いに二度目はない。すなわち、彼にとっての強さとは――勝利とは――こういう事なのだ。柏木は絶句し、只々言葉を失った。何事もなかったようにこちらへと戻ってくる木崎を、どういう顔で迎えるべきなのか分からなかった。泣き出す女子もいた。吐いてしまう男子もいた。反応は、無数にあった。

「――木崎……」
「柏木くん。ごめんね、気持ち悪いもの見せちゃって」
「……」
「でも、知っててほしかったんだ。……どうしても君に教えたかった、俺がちゃんと成長してるって事」

 何だ? 一体何が、どんな魔法を使って彼を陥れたんだ。人から畜生に変えたんだ。何が、一体何が――駆け寄ってくる教師達の間延びした悲鳴を聞きながら、柏木は思った。違う。初めからだ。きっと初めから……全部……飛散した奴の体液や何らかの組織液を見つめながら、柏木は緩み切ったテープのように歪んだ木崎の声を聞いていた。

24、僕を救ってくれなかった君へ

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