西川からの執拗なイビリは、それからも続いていた。先輩らは関わりあいになりたくないので見て見ぬふりをしていたが、まぁ、しょうがない事だと思って受け入れる事にしていた。泣き寝入りと同じだった。

(けど俺も逆の立場だったら、そうしてる)

 そう言い聞かせて、悪いのは勿論俺じゃない。先輩でもない。西川でもない。全て『タイミングが悪かった』と思い込むようにした。そうすれば、誰も恨まずに済んで少しだけ気が楽になった。

「おい、柏木。手ぇ突いたな、お前今? 体幹はバランスが全て。日頃から鍛錬していればそんな風にふらつく事なんかない筈なンだけどなあー」
「……、す、すみません……でした……」
「よーし! 柏木がミスしたからお前ら連帯責任、グラウンド十週だぞ〜、喜べぇ!」

 何より顧問にいじめられて部活を辞めました……なんて死んでも嫌だった。かっこ悪いじゃないか、そんなの――屈してなるものか、とそこは何かプライドというよりは天邪鬼な部分が強く作用して、意地でも譲りたくなかった。

(それに二年に上がれば、環境も変わるかもしれない)

 新しい人間が流れ込んで来れば、大きく変化もあるだろう。すなわちそれは、西川が新たなターゲットを見つけた時、別の誰かが犠牲になってしまった事を意味するのかもしれないけど。……でもそれをバネにして上手くなれるかもしれないだろ、俺はそのつもりでやってるよ……そんな風に言い訳をすると、卑怯なのは分かっているけれどやはり少しだけ気が楽になった。
 そうやって月日を過ごし、ようやく待ちかねたように二年生へと上がった時だった。

「……マジかよ」

 中学二年のクラス替えで、まさかの衝撃的展開。そう、大方予想はつくかもしれないが例の――木崎透治とまさかの同じクラスになってしまったのだ。おまけに出席番号では前と後ろで(柏木男子五番、木崎男子六番)並んでいるという、偶然の更に上をいく奇跡の展開だ。まあ、驚いているのはこちらだけできっと木崎は自分の事なんて気にも留めていないのだろうけれど。

「あ……、よッ、よろし……く……?」

 何故疑問形なんだろう……と言いながら思ったが、木崎も別に深く捉えなかったらしい。別段怪しがる様子もなく、視線をこちらに向けるなりにやんわりと微笑んで返すだけだった。

「ん? あぁ、よろしく」

 それが彼とのファースト・コンタクトというやつだった。
 木崎はボンヤリとした奴で、確かに空気を読まないところはしょっちゅうあったけど決して悪い奴ではなかった。席が近いのもあり話す機会が増え、上手い具合に仲良くなっていった。それはまるで初めから決まっていた事のようにとても順調に、一週間も経たないうちからお互い敬語を使わなくなり(木崎の方は初めから敬語なんてあってなかったようなものだが)、移動教室なんかは一緒に行動する事も多くなった。

「へえ、じゃああれは叔父さんに個人指導してもらってるんだ」

 もう知っていた情報だけど、あえて初めて聞くような顔をして尋ねてみると木崎は別に隠すでもなく素直に話してくれた。彼はぼーっとしているだけで、実際に話しかければ結構よく喋るキャラだ。

「そう。空手部がないって知って、他にやりたい事もなかったから、じゃあ俺は部活はやらない……って言ったらいつの間にかそんな話になって」
「昔からやってたの? 何かめちゃくちゃ上手いよな、遠くからチラッと見ただけですぐわかったけどさ……」
「ちゃんと始めたのは十歳の時から。あの叔父さんが大会で負けたのを見て、仇を取ろうと思って始めたのがキッカケだった」

 十歳――、じゃあ小五くらいか。俺が野球を辞めた時期と、大体同じなんだな。自分はその時家族をキッカケにしてやりたかった事を挫折して、こいつは家族をキッカケにして何かを始めていた。何だか勝手に奇妙な繋がりを抱いてしまったけれど、ともかくそれから、柏木は更に尋ねてみる事にした。

「やっぱり瓦とか割ったり、熊と戦ったりするの? 空手って」
「まさか。しないよ、そんな事。ウィリー・ウィリアムスじゃないんだから。第一あれは映画の為に用意されたショーの為の熊なんだよ。あと、テレビとかで割ってる瓦は本物じゃない。演技用の、ちゃんと綺麗に割れる瓦を使ってるから」

 先に述べたように、木崎は空手に関しては神がかりと言っても過言ではないくらいの才があった。知識にしても技術にしても、素人の自分は勿論だが部活の先輩達も口々に『あれは凄い』と噂しているのをよく耳にした。

 皆、きっとその『できる時』の印象が強いのだろう。

「木崎透治は稀有の天才児」
「十年に一度の才能かもしれない」
「あれは何を隠そう、本物の腕前だ」

 口々にそう噂され、あちこちに『近寄りがたい』というイメージを植え付けているせいなのか、木崎にこうやって気軽に話しかける人物は早々いない。そんな中で友達付き合いをしているのは柏木のみといっても過言ではなく、木崎も木崎で柏木以外に特定の誰かと親しくする気配もない。むしろあの性格なので、馴れ馴れしく誰かに話しかける事はあっても、そのせいで相手を怒らせる事さえもある程だった。

 柏木にとってそんな木崎の姿はそんなのでこれから先大丈夫なのか、と不安ではあったが同時に嬉しくもあった。そんな天才と唯一仲良くできるのが自分だというのが、何故か彼に選んでもらえたような気になって、喜ばしかったからだ。しかしまあ、いくら何年に一人の逸材だの将来有望だの囁かれていようが、噂通りに空手以外の事はてんで駄目だった。

「――“Ms. Green became famous.”、え〜この英文を日本語に訳してもらおっかなー……えーと今日は六日だからー……出席番号六番の木崎!」
「famous……famous……有名……、ええと、“緑ちゃんは有名になった”、かな?」

 famous、の発音が既に日本語丸出しのカタカナ発音だったのもあり、それだけでもうクラス中がどっと笑いの渦に包まれたが、木崎本人は笑わせたつもりがないので一人だけ真顔のままでいる。と、教師も思わず苦笑を浮かべて頭を掻いた。

「あ、いや……木崎君あのね。Ms. Greenは訳さなくていいよ、そのままグリーンさんでいいから」
「はぁ……」

 決して彼は狙っているわけじゃなく、マジモンの天然だった。本当にド級の馬鹿なのだ、学力も足りないし常識も今一つ欠如している部分がしばしば見られた。ついでに彼は空手以外の運動もからっきしだという事も判明した。

「何秒だった〜?」
「……凄すぎて言葉が出ない……」
「? えー、うそ。そんなに早かった?」
「いや、その逆……」

 ストップウォッチを持ちながら柏木はもはやどういう顔をしたら良いのか、喜怒哀楽のどれでもない顔で息を切らす木崎を見つめた。

(ご、五十メートル走に十一秒かかるって……た、多分、運動神経微妙な女子より遅いぞこれ……)

 それもふざけているんじゃなく、彼は至って真剣だったのだから叱りようもない。

「先生、これ合ってるから点数ちょうだい」
「い、いや駄目だろこれは……」
「何で?」

 社会のテストが返された時なんかは未だに語り草にされる程に酷いものが見れた。教師に点数をオマケしてくれとねだる木崎だったが、結局叶わずとぼとぼと戻ってきたのを見届けてから、柏木がその背中に呼びかけた。

「何をサービスしてくれって交渉したんだ?」
「……これ……」

 腑に落ちなさそうな表情と共に彼が差し出した答案用紙は予想通り空白と×で埋め尽くされていた。ちなみに合計点数は……いや、彼の名誉に関われるのでそれは控えておくけれど――木崎が指差した解答欄には『ソレン』とカタカナで書かれていたので、思わず吹き出してしまった。

「そ……。っ、い、いや、コレは駄目でしょ。ちゃんとソ連って書こうよ、漢字で」
「でも響きは同じでしょ。二点問題なんだから、一点くらいくれてもいいじゃん」
「いや〜、俺が先生の立場でもこれはバツにするって……」

 木崎はやはり納得いかなさそうに首を傾げるばかりなのであった。

「俺、やっぱやばいかなあ。このままだと塾とか家庭教師とか……」

 珍しく悩んでいる風な顔を見せた木崎に、柏木が少し驚いたように肩を竦めた。

「そんな話が出てるんだ?」
「うん。嫌だけどさ……しょうがねえのかなあって……中三になったら受験もあるし」

 塾、か……少し頭に思い浮かべてみて、何だか妙に嫌な心地がした。塾なんて言ったら他の学校の奴らもいるだろうし、それこそ男も女もたくさんいるんだろう。男の知り合いも大勢増えるだろうし、もしかしたら女子との出会いだっていっぱいあるのかもしれない。……塾イコール彼女、って発想もめちゃくちゃ短絡的だとは思うけれど、先輩達が部室で話し合っていた光景をふと思い出した。
 どこどこ校の何とかちゃんはマジで可愛いだとか、芸能人の誰誰に似ている、とか言い合いながら塾でこっそり撮ったんだという写真を見せ合いながら。まぁ、完璧に盗み撮りというやつだろうけれど、流れでその写真を自分も見せてもらったが、確かに中学生には見えないくらいに綺麗な女の子だった。……木崎、頭は馬鹿だけど何せあの型の上手さは他校に知れ渡っていてもおかしくはないよな。顔も悪くないし、女子がほっとかないだろうな。めちゃくちゃ可愛い子が告ってきたら、こいつどうすんのかな。いやオッケーするよな、普通。普通そうだよな、普通は……。

 ぼーっとしてる癖して、満更でもないようにしている木崎の顔を想像してみたら何だかミゾオチの辺りがぐっと痛み出した。

「……」

(あれ? 俺は今、どっちに嫉妬してんだ?)

 想像しただけでも全身がむずむずとしていた。それで気付くと、柏木は口を開いていた。

「……な、なぁ、木崎。俺が勉強教えてやるからせめて次は平均点くらいは取ろうな……じゃないと本当に空手辞めさせられるぞ」
「うん……でも俺、本当に物覚え悪くてさ……」
「げ、現状よりはマシになるだろうからやれるだけやろうよ。俺、お前の型が見られなくなるのは寂しいよ」

 しばらくの間、そうやって黙り込んでいた木崎だったが渋々負けを認めたように顔を持ち上げた――「……お前がそこまで言うなら……」。

「あとお前さ、もうちょっと敬語使えるようになろうな。流石に目上の人間にはもう少し口の利き方気を配らないと……さっきのもお前の態度次第ではオマケしてくれたたもしれないのに、勿体ねえなあ」
「でも、空手の時は目上の人には挨拶さえきちんとできればいいって言われた」
「う、うーん……でもまあ時と場合によるっつーか……」

 難航するかに思われた木崎への勉強だったけれど、柏木が当初踏んだように彼は筋は非常に良かった。基本的にやり方が分からないだけで、少し教えてやるだけで木崎はすぐに自分で学習に励むようになった。一度決めたら最後まで投げ出したりはしない性格で、自分が納得いくまで彼は何度も何度も質問にやってきたし、むしろ教えるだなんて言っておきながら柏木の方が分からなくなり教師に尋ねに行く事もしばしばあった。

(あんなに数学は苦手だとか言いながら、結構粘り強いんだな)

 だからこそ、彼はあんなにも多人数の心を動かせるような型が出来るのだろう、と改めて認識させられた。
 木崎に教える以上は、自らの学力もそれなりでないと格好がつかないと柏木も一緒になって勉強に励む事も多くなった。お陰で、彼の成績も向上していた。必死こいて何とか平均点より少し上くらいを何とか維持しているくらいだったのに対し、若干の余裕が生まれるようになった。抜き打ちで行われる小テストの数々にも焦らずにまずまずの心持で対応できるようになったし、一年の頃は点数を保つので精一杯だったのに、それどころかむしろ点数は少しずつ上がっていく。実にいい傾向だった。

「柏木、お前最近塾でも通い始めたか? 英語はいつも赤点ギリギリ回避だったのに最近はかなり上がってるな」
「いえ、うちにそんな余裕はないんで自学ですよ」
「へえ〜。コツを教えてやってくれよ、みんなに。木崎も最近はぐっと伸びてきたしなあ、クラスの平均が一気に上がってくれて嬉しいよ」

 担任からも素直に驚かれたし、褒められるのは勿論嬉しかった。部活は相変わらず、西川に目をつけられっぱなしではあったけれどそれでも頑張る木崎を見ている以上はめげずに頑張れた。

「おいおいどうした〜、お前らは二年生だぞ!? 先輩なんだぞ、先輩! 一年生の前で情けない姿見せてんじゃねえぞこらぁ〜」

 鬼の腕立て伏せ千回コース、灼熱の炎天下で行われるそれはまさに軍隊のしごきのようでさえあった。脱水症状寸前まで行き、とうとう柏木がバランスを崩したのを西川は目ざとく察知して近づいてきた。

「コラァ、柏木ィ! まーたお前か、この根性なしめ!」
「水……っ水、が欲しい、です……」

 息も切れ切れにそう訴えると、西川は案外すんなりと「いいぞ、持ってきてやる」とそれを了承してくれた。へとへとでへたり込んでいると、真上から水を思いっきり浴びせられた。

「オラ、これで満足したか!? 望み通りに水、持ってきてやったぞ!」

 がはは、と続けざまに大笑いする西川の声が聞こえてきたのが分かった。水滴を垂らしながら、柏木は黙ってそれに耐えるしか選択肢がなかった。

「いい顔になったぞ、柏木。水も滴るなんたらってやつだな」
「……」

 疲れて息が乱れている時は『息吹』を意識するといい、と木崎は言っていた。息が上がっている時は、口から吸うんではなく、鼻から吸い込みそして今度は口から吐き出すとかなり楽になる。この時、腹の底から思い切り出すようにするのがいいんだと彼は教えてくれた。

 実際にトレーニングでしんどい時は実践するようにすると、これが本当に効果があって中々驚いてしまった。

――大丈夫だ、俺はやっていけるさ……

 あいつも頑張ってるんだ。だったら俺も、頑張るしかない。



「……へえ、あれが木崎君の型ですか。一度この目で見なくては――と思ってましたが、本当に素晴らしいですな。視線が最後までしっかりと戦う相手の方を見ている。彼は最後まで『戦っている』心を忘れていない、今まで見せた中では最高の出来だった」

 その日は地方のテレビ局が数人、どかどかと放課後の体育館に取材にやってきていた。
 目的は木崎であった。何でもネットで彼の記事を見たらしく、是非目の前でやって欲しいと依頼してきたそうだ。木崎の叔父と、それから関東支部の国際大会優勝者だという黒帯の達人を引き連れてちょっとした取材が開始されていた。

「特に今しがた演武した『観空』はとても長い型だ。しかし最後まで息一つ乱れる事なく、バランスを崩す事もなく、彼は演じきって見せた。只の練習だと手を抜く事もせず、最後まできちんと。正直言って観空は演じる人間によってはダラダラと退屈に感じる事が多かったけれど、こんなにもあっという間に終わるとは思ってもみなかったよ。この型が短く感じられたのは久しぶりだ」

 そして、そ黒帯の男性の名は九十九さんというその界隈ではとても有名な高弟だそうだ。

「ウォ、すげえ……。主席師範じゃんか……ふわぁー、生で拝めるなんてなあ」
「か、格闘王だべ。あれが。いや〜、かっこええなあ。売名目的で道場破りに乗り込んできた海外の格闘家相手にガチで殴り合って勝利したんだべ。しかも耳を千切られた状態から、奇跡の胴回し蹴りによる形勢逆転劇! 生で見たかったなぁ」

(み、耳千切られた状態で……!)

 スマートな体型(に、見える)その人はとてもじゃないがそんなおっそろしい逸話があるような猛者には見えない。喋り方も佇まいも紳士的で、格闘王だなんて荒々しいイメージからはあまりにもかけ離れているようだったけれど。
 男子の大好きな話題の一つと言えば、格闘技。K-1やらプロレスやらボクシングやら――柏木はと言えばあまり格闘技には詳しくなく、漫画やアニメの知識がそこそこあるくらいだ。
 どの分野もさして知らないせいで、その人がいかに皆の憧れであるのか、どのくらいの有名人であるのか、せっかく間近で目にしているのに今一つピンと来ないのが何とも残念だった。

(あ。そうか、耳ってすぐ引っ付ければ大丈夫だって聞くしな……)

 どう見ても穏やかな紳士でしかないその男性、九十九さんに両耳がきちんとある事に何故か安心しながら柏木は引き続き木崎の姿を見守った。
 体育館にいる連中のほとんどが、手を止めてその取材に夢中になっていた。空手に疎い柏木も、つい食い入るようにその光景を見てしまう。それは勿論、自分の木崎びいきに基づいてもあるかもしれないけど。




英語の教科書といえば
エレン・ベーカー先生が流行ってるらしいけど
私の時代はミズ・グリーン先生だったわ。
25〜29歳くらいはそうだよね? 多分。
っていうか出〜〜〜、ヒロシ父〜〜〜!!!!!
この頃まだヒロシちっちゃいよね〜。
二歳とかそのあたりか。
ヒロシ父の名前は考えてない。
誰か決めてンゴ。

20、僕を変えるのは君の声

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