永遠と思えたその悪夢のような時間から解放されたものの、彼らには行くアテもなかった――座礁したフェリーから抜け出したまた別の高校生グループが、砂浜からとぼとぼと移動する。いつ襲われるともしれない、そして土地勘もない。そんな中を武器も持たずにうろつくその心境と言ったら、治安の悪い、国外のどこかの街を歩いているような気持ちだ。まるで紛争地域にでも立たされたような気分だった。

「……ッこんな時にナンパとかまじ信じらんねー、状況考えろよテメーらッ!?」
「はあ? 口答えとかしてんじゃねえし、ブス。つうかナンパじゃねえよ、念の為にお互い連絡先知っておこうっつってるだけじゃん」

 男子生徒と女子生徒ちょうど半々くらいの割合のそのグループだったが、学年も見た目的なものもほとんどが相容れないバラバラ具合で、あまり仲が良くなりそうな雰囲気ではなかった。例え平和な環境であったとしても、分かち合う事はないのかもしれない。

「ねぇ、大丈夫……? 早く行こう、森田さん……どこか怪我でもした?」
「ううん……そうじゃ、なくて……過呼吸が出たの――怖い事があったり、あと緊張するとこうやって……。ごめんね、しばらくすれば治るから」

 森田と呼ばれた、どこか神経質そうではあるが知的な感じの女子生徒を介抱するのは、先程フェリーで那岐に助けられた梶原だった。しゃがみこむ森田の背中を支えつつ立ち上がると、二人は何とかしてここから離れなくては――それに人数は多い方がいいだろう、何かあった時には……と背後で言い争う生徒達を振り返った。

「何だよ、人が親切に助けてやろうってのによぉ〜。萎えるなあチクショウ」
「ね、ねえ……その、ごめんなさい。言い争ってないでとにかく歩いた方がいいですよ、またゾンビの群れに襲われたら大変ですし」

 見兼ねた梶原がその場にいたみんなに呼びかけると、男子生徒が思い思い、各々の表情で振り返る。結局は、渋々といった具合に動き出したようだった。さっきヒステリックに怒鳴っていた女子生徒もその後をついてくる。そうするしかない、といった様子ではあったが。

「どこか休めるところ探そう、森田さん」
「うん……ありがとう、梶原さん。――その、ごめんね……」
「――し〜っかし何なんだろうなぁ、この事態? 急すぎて今一つわけわかんねぇや」

 ここまできてもまだ危機感のないような一部の男子生徒の声。ついうっかり忘れてしまいそうにもなるが、自分達の乗っていた船は突然未知の化け物によって占拠され、多くの人が犠牲になってしまったというのに――そして転覆し、ここへ流れ着いた。友達や、同級生や、先生や、沢山の人たちの死を見たばかりだというのにどうして何も感じないのだろう、彼らは? 運良く仲間の死を回避できたから?……違う、何だかもっともっと単純な事なような気がする。死ぬ、というものを、根本的に受け入れていないんじゃないのだろうか。

 そのくらいに多くの人があんまりにも、そしていともあっさりと死にすぎてしまっている――何せこの状況では。

「まッ、どーせ助けが来てくれんだろ。こんだけ大騒ぎになりゃあ、すーぐ救助がやってくるって。な? 平気だって。それまで生き残ればいいってだけの事だろ」
「んー、けど……それにしてもさっきから妙な空だよなあ。真っ赤じゃん、何か終末感ぱねえっつうか。ほら、霧も凄いしさ〜」

 気の抜けるようなその会話を聞いていると、何と言っていいやら分からなくなってきてしまって注意する気も失せてきてしまう。おかしいと思っているのは自分だけで、彼らみたいな人の方がよっぽど普通なのかもしれない。正気と狂気の定義なんてものは実際のところ曖昧で、実際には『これがおかしい』『あれは変だ』、とは、多数決で決めているようなものだなと思った。

「……死ぬ……ウチらみんな死ぬんだ……さっき、さっき……さぁちんが目の前で死んで、なんかもう、ヤバイんじゃないかって……」

 静かに泣き伏せるのは少し派手な見た目をしてはいるが、整った容姿と垢抜けた感じのする女子生徒の進藤真央だった。今風にオシャレにセットしてきたのであろうせっかくの髪型も、一連の騒動のせいかもはや乱れっぱなしでボサボサとしている。
 さぁちん、というのは一番仲良くしていた中谷紗綾(なかたに・さあや)の事だが、彼女は船での騒動の際に命を落としたのだという。どういう死に方をしたのかまでは流石に詳細は聞いていないが、大切だった友人が死んだ。……それだけでもう、十分な悲劇だろう。
 
 ひとまず周囲にまずはゾンビ達がいない事に安堵しつつ、一同が移動している時だった。一人の女子生徒が、言い淀むみたいにしておずおずとした調子に口を挟んだのは。

「あの、私……少し前にネットでさ、ネタ半分で『検索してはいけない』系を調べてたんだけどさ」

 彼女の名は木戸といい、ショートカットで少々気の強そうな性格をした少女だった。女子にしてはそこそこに背の高い、百六十センチ後半の背丈に恵まれた彼女はバレー部のセンターアタッカーを務めている。その印象の通りで、木戸はあまり面識のない男子生徒相手にもおどおどしたりはせずにはっきりとした口調で話した。

 突然切り出されたその話に、誰もが皆目見当もつかないといった風に顔をしかめていた。

「その時にさ……未解決事件で読んだ事件概要……似てるんだよね。何か」
「何が?」

 木戸が息を飲むようにして話すのを、梶原と森田も振り返って耳を傾けていた。木戸がそこで一度言葉を切りながら、それから先を繋いだ。

「一年前に起きたっていう、高校生集団失踪事件……と」
「あ、それ知ってる。何かちょこっとニュースになったけど結局よく分かんないままいつの間にか報道しなくなったヤツよな?」
「そう。自然学習で向かった先の山奥で、生徒達も教師もまるごといなくなったって。留守番していた教頭がさ、事件のせいであれこれ聞かれたり疑われたりしたけど当然知る由もないわよね。本当に忽然と、生徒も教師も初めから存在してなかったみたいにしていなくなったらしいんだからさ。……施設の人達も狐につままれたみたいな気持ちのままで、初めはとんずらされたのかと思ってたらしいよ」

 その事件については、ネット上にてあれやこれやと盛り上がっているのを梶原は知っていた。謎が謎を呼び、噂に尾ひれがつき、話はかなり大袈裟になっている部分もあるのではないかと思うが――その高校生らは、『異次元』にでも迷い込んだのではないか、なんてオカルトじみた話が飛び交っているのを見た事が、ある。その説を熱弁していたユーザーは、何やらSF的な解釈を交えつつ語っていたので全面的に理解できたわけではなかった。
 が、今は何だかそれを馬鹿に出来る気分ではないのは何故だろう。その話を信じたわけではないけど、自分達ももしかしたら船旅の最中に、おかしな世界に迷い込んでしまったのだろうか。でなくては、どうこの事態を説明する……?

「そんでさ、失踪した生徒の中にその学校には『いない筈』の生徒が二名……混ざってたんだって。生徒としては正式に名簿にいない、男子と女子の双子がいたそうなの」
「何それ、ホラーじゃん。流石に作り話臭くね? 双子とかよく出来すぎだよ」
「でもマジだったら不気味だな、そいつらが何かしたのは確実じゃん」

 彼女達の会話を聞きながら、梶原は思い出したように腕時計を見つめた。見れば時計は、先程変異が起こり始めた時の時間帯でちょうどぴったり針が止まっている――十四時、そうだ。最後に時計を落ち着いて見たのがその辺りだったから……。

 時がそこで止まってしまっているかのような感覚に陥り、それこそ自分達は永遠に時空の狂った別世界に飛ばされてしまったんではないかとぞっとしてしまう。

――いけない、いけない、今はそんな事考えたら駄目。とにかく助かる事だけ、希望のある事を考えなきゃ……

「それでさ。……私、見たんだよ」

 木戸が続けざまに吐いたのは、どこか畏怖するような、そんな声だった。

「脱出する時に、ウチのクラスの――神代。神代那岐がさ、何か怪しい男と女と、三人で行動してんの。……見ちゃったんだ」

 震えるような調子で話す木戸だったが、彼女が言い終えないうちから梶原はその人物の名に反応していた。
 神代那岐――彼女は、自分がフェリー上で女子グループに絡まれていたところを助けてくれた、その人だった。彼女とまともに会話をしたのはあれが初めてだったかもしれないというくらい、日頃から神代那岐とは話した事もなかったし、たったあれだけの事かもしれない――けれど。そしてそれは、那岐からすればほんの気まぐれでやっただけの行いで、ともすれば次の瞬間には忘れてしまうような些細な事であるのかもしれない……、けど。

「男と女って、それさっきの話と確かに共通点あるあるじゃん。双子だったの? そいつら」
「咄嗟の事だったからあんまよく確認出来なかったんだ。でも、似たような黒っぽい服に身を包んでて、一人は何かホストっぽいスーツ姿だった。女の方も似たような感じでさ。……明らかにおかしくない? それまで関わってもいなかったような人間が突然フッと現れたってだけでも変だし、だから神代は絶対にクロだよ。何か今回の件と関係あるんだと思う」

 話しているうちにヒートアップしたのか、木戸の声質はもうすっかり怯える子羊ではなく捕食する側の狼のそれに近かった。怒気を含ませた彼女の声が、周囲にもまるごと伝染していくような感じがした。

「……、じゃあ。じゃあ、さぁちんが死んだのもそいつのせい?」

 泣きじゃくっていた進藤が、やはり泣き癖のついた頼りない声でそう呟いた。すんすんと鼻を啜らせながら、進藤は目元を腫らした顔を持ち上げた。

「可能性としては……否めないんじゃないの」
「――マジかよ。そいつ、どこにいんだよ? 見つけて問いただした方が良くねえ?」
「問いただすっつーか処刑モンだろ、そんなの」

 敵を見つけ出した彼らは、すぐさま一つの目的を見つけたように一致したようだった。梶原が慌てて何か言わなきゃ、と思うものの、彼女の事はほとんどと言っても過言ではないくらいに知らないのが実情だ。どんな人間性であるのかとか、どんな趣味嗜好があるのかとか、どんな人間と交流があるのかとか。……何も知らない。庇おうにも、気の利いた言葉も思い浮かばない。

――一体何と言ったら彼らを納得させられるんだろう……?

 身体中が一気に冷たくなって、声が出なくなった。

「梶原さん?」
「だ……大丈夫だから――行こう」



 物陰に身を潜め、次々と破壊されてゆく天使像達を眺めながら七瀬と前田が呆然と只その凄さに圧倒される。

「す、ッげえ〜……」

 眼鏡のフレームを持ちつつ、七瀬が感嘆の声を漏らした。

――つうか神代……ええと那岐さん、あんたほんと何者だよ!? 剣道部とかでもなかったしそういう話も聞いた事ないけど……いや俺がそんな人脈ないだけの話かもしれないんだけどさ……

 ごく、と唾を飲み込みながら、自然と七瀬の目は彼女へと吸い寄せられている。その細腕ながら、刀一本で未知の化け物相手にも怯まず堂々と立ち向かう姿は凛々しく、そして何よりも美しいと感じた。――いやはや、自分がオタクで、そういう漫画的な存在に惹かれるというだけの理由ではないような気がする。

「っ、あ、ああ!」

 そのせいで、と言い訳するつもりではないが前田が隣で素っ頓狂な声を上げたのにも、数秒遅れてから返事を寄越してしまった。

「や、やばいよあの兄ちゃん」
「……え?」

 へっ、と前田の指す方向を視線で追えば柏木が転びでもしたのか尻餅を突いた状態で一体の天使像と対峙している。拳銃を持つ手がすっかり震え切っているのがここからでも確認出来て、何かトチってあんな状態に?――いやいや、理由を考えるよりも先に……。

「た、助けないと」
「この距離で!? 無理だよ流石にっ」

 慌てた前田の言葉を聞きながら、だよな、と諦める自分の声が脳内に響いた。……バカ。バカ! と、自らをなじっても見るけれど助ける決定打があるわけでもない。どうする? 音でも立てて注意をこちらに向ける? 待て、待てよ。そうしたところであいつがこっち飛んできて、俺らで何が出来るってんだよ、ええ、おい? じっとりと汗ばんだ指先で先程得た手斧を握り締めつつ、唾を飲み込んだ。ヤバイ。どうしよう。この斧投げるとか?

「くそっ……!」

 柏木の絶望的な声がこちらの耳に届く。張り付いた笑顔のままの天使像が、ジリジリとその距離を詰める。

「あ……あ……っ」

 駄目だ。無理だ。怖すぎる。怖すぎるよこんなの。
 七瀬はそこでふっと、先程フェリーで新条に吐かれた言葉の数々を思い出していた。偽善者。馬鹿以下。……本当にそうだ。目の前で救える命は救うんじゃなかったのかよ、俺。……あれ、ていうか新条、いなくね? あいつどこ行った? あれ??

「ッ……!」

 刻一刻と迫る時間にもはや耐え難くなったように唇を噛みしめ、その目を閉じようとした矢先だった。あ、と前田がまたもや声を上げた。こいつの「あ」にはあらゆるバリエーションがあるのを知っていたが、今の「あ」は恐らく……七瀬が目を見開くと、まばゆい金髪が靡いているのがまずは見えた。少なくとも今この場には一人しかいなかった筈だ、こんな派手な髪色……。

 天使からの一撃を背に受け、キルビリーは一瞬だけ僅かによろめいたように見えた。しかし、ざっとその場で踏み止まった。

――庇った? 今、あの人……彼を庇ったんだよな?

 少なくとも七瀬の目にはキルビリーの行動はそんな風に映ったし、何より柏木自身が彼の返り血を顔に浴びながら呆然と目の前の事態を見つめている。
 キルビリーは今しがたダメージをもらったとは感じさせないような顔色と立ち回り方で切り返し、その太刀で天使の二撃目を退けた。片手に持っていた天使のラッパが半分割れて、その場に転がされた。
 しばしその場で惚けていたようになっていた柏木だったが、すぐさま拳銃を構え直すと震えてばかりいられないとばかりに態勢を立て直す。

「っ……伏せてくれ!!」

 それから計二発の銃声が響いたかと思うと、天使像の顔半分が砕けたのが見えた。笑っているようなその顔面が粉砕し風に乗って消えてゆくのを見届けながら、七瀬はようやく自分が立ち上がれる事を知った。
 最後に一体であったその天使像がふらふらとした足取りでまだ動こうとしたものの、結局は糸の切れた操り人形のようにパッタリと倒れるのと同時にあちこちが砕けてしまった。自身の血で出来た水溜りに沈みながら、天使像は痙攣を残して活動を停止した。

「終わった……本当に終わ……っ……たのか?」

 七瀬がよろよろと動き出すのを見て、那岐が刀の血を振り払いつつ頷いた。

「恐らく。この場はとりあえず、だけれどもね」

 また次があるかもしれない、という事か。とりあえずこの場を生き残れた事を喜ぶのと、何よりも彼女達に感謝しなくてはいけない。七瀬が自分がそこまで動いたわけでもないのに、息を切らしながら那岐に向かって言った。

「あ、ありがとう。ありがとう! ありがとう!……那岐さん達がやってくれなかったら俺達あっさり死んでたよ」
「――いいえ、自分達の身を守る為でもあったから」
「それでも……それでも結果、守ってもらった」
「……」

 那岐のきめ細かなその髪が、風に揺られてなびいている。その表情はどこまでも透明で、内も読み取れそうにない。

「――那岐さん」
「?」
「俺達も君についていっていい?」

 今の七瀬には何故か一番確認すべき重要な項目のように思えて、気付くと問いかけていた。改めて本心を知っておきたかった。もしここで、駄目と言われても困ると言えば困るのだが。七瀬は彼女からの返答がある前に、更に言葉を被せる。

「君は……その……どう見ても、ごく普通の女の子だ。華奢で、一見するとか弱そうな女子高生でしかない……けど……」

 いや。もしかすると、これって何かとてつもなく失礼な事を言っているんじゃないかと思ったけど――続けた。

「君は凄く……強い。さっきの戦いの事だけを言っているんじゃなく、強い意志を……感じる。どうしても、何かやらなくちゃいけなくて、その為には必ず生きようという強い――とても強い思いを」

 思ったよりすらすらと、その言葉は出てきた。嘘偽りや誤解なく、彼女にきちんと伝えられたかどうかはまた別として。

「……」
「その思いを、俺達で守らせて欲しい。そうしなくちゃいけないと、俺は強く思った」

 目を逸らさずに、そう彼女に告げる。向こうも真っ直ぐにこちらを見るものだから、急速に気弱さがこみあげてきてしまった。情けない。

「――や、役に立つかどうかは別にしてだけど」

 頼りないその補足事項だったけれど、那岐は微かにため息を吐いた。

「……ついてくるのは構わないわ。ただし、今回のようにいつでも運が味方してくれるとは限らないという事。そして――」
「……」
「今遭遇した存在より、もっと恐ろしいモノが出てくる可能性もあるという事。それを念頭に置いて下さるかしら」

 那岐の様子は突き放すようなものではなく、只、言うべきことを言った。必要性に応じて、そう言ったまでのようだった。

「――分かってる。もしこれで俺の身に何が起きようとも後悔はしないから」
「それならもう、私から言う事はないわね」
「……前やん、どうする? 俺、勝手に決めてるけど」
「いやいや! さっき、それ俺から聞いたし。つうかここで嫌って言ったら野晒しでしょ。もっと嫌だよ」

 それはその通りだな、と前田の声を聞きながら七瀬は乱れた自分の髪を撫でつけた。半ば神経質気味に。

「でも、どこかに隠れて過ごすってのも手だと思うし」
「一人でいたらそれこそ発狂しそうだよ……俺はキミらについていくっす。文句言わないっす、マジで。それにどうせならキレーなお姉さん達に囲まれていたいし……」

 えへ、と隠しきれないんであろう笑い交じりに前田はロッキンロビンを一瞥した。彼女はと言うと、こちらの事なんかはどうでもよさそうにしており、負傷したキルビリーの方へと意識を注いでいるようだった。

――いや、どう見てもあれは勝ち目ないよ……前やん、その、悪いけどアレと君ではヴィトンとユニクロくらいの差があるんじゃあ……

 申し訳ないとは思いつつ、友人だからこそあえて厳しく内心では評価しておくのだった。勿論口には出さないつもりでいるけれど……。

「キルビリー、さっき派手に切られてたみたいね。よそ見でもしたの?」

 ロッキンロビンの問いかけに、キルビリーは曖昧な感じで頷いた。柏木は何と言っていいやら迷っている風にしていて、しかし結局何も言えずに終わっているようだった。キルビリーがスーツを脱ぐと、背中部分が見事に裂け、その下のカッターシャツは血に染まっていた。切り口はかなり深いように見えた。常人ならば、きっと立っているのも辛いだろう。

「正気じゃなかったな」
「え?」
「いや、こっちの話」

 何やらぼやきつつ、キルビリーは再びジャケットを羽織った。相変わらず煙草を吸ったまま、キルビリーは柏木の事は特に気に留める気配もない。

「ま、そのうち回復するだろ。ほっとけばいつもみたいに傷も塞がるし」
「私の血を分けようか? その方が治りも早い」
「――いい。お前もフラつくだろ」

 ロッキンロビンの申し出を断ったキルビリーだが、そのやり取りを聞きながら前田がはっとしたみたいに口を開く。

「何、輸血みたいな事するの? もしかして」
「……いや、ていうか吸血……? 蚊みたいでスゲー嫌なんだけどな。失った分の血液を摂取して補う事で、治癒が早まるんだよ」

 へえ、と前田が感嘆したように声を漏らしたがそれから何か思い立ったような笑顔に切り替わった。またもや隠し切れないといった笑顔を口元にニタリと浮かべ、前田は腕まくりをしながらドヤ顔で腕を差し出した。日焼けしていないその腕は、全く運動していないのが丸分かりであった。

「おっ、俺の血で良ければいくらでも吸ってください、さぁどうぞ! まるでマッドマックスのマックスみたいだなあ、輸血袋として大活躍なんて!……あ、何でしたらお姉さまもじゃんじゃん吸っていいんですよ!」
「いらん」

 咥え煙草のままでキルビリーがあっさり一蹴すると、前田は納得がいかなさそうにカッと目を見開いた。

「何で!? タダ飲みっすよ、タダ飲み!?」
「デブの血はベチョベチョしてるし俺は好きじゃない。次の日、胃がもたれる」
「ひ、ひでえ……何だよそりゃあ――獲物が目の前にいるのにそれを食わないだなんて……っ」
「お前らにも好みとかってあんだろうが。こいつとはヤれるけどこいつとはヤりたくねーとか。それと同じだっての、こいつの血は舐められるけどこいつのは嫌だとかさ。俺らにも選ぶ権利くらいあるわ」
「会ったばかりで何でここまで否定されなくちゃなんねーんだ! 人格まで否定された気分だよ! てめーこのイケメンだからって何でも許されると……って。あれ? イケメンと言えばもう一人のイケメンがいなくない?」
「……それをさっきからずっと言おうと思ってたんだけど、中々切り出せなくて」

 七瀬がふ、っと肩でため息を吐く。もう一人のイケメンこと新条、先程の戦い辺りから姿を消してしまった、わけである。

「うわ、マジだよ。新条いないじゃん、やばくないか!?」
「どうしよう。戻る?」
「……元々抜けるつもりだったんだろ、あいつは」

 まだ熱を持ったその銃をベルトに差しながら、柏木はまだあらゆる感情が抜けきらないような顔つきで言った。

「キルビリー」
「ん?」
「あなた、ちょっと変」
「俺はいつも変だよ」
「そうではなくて……、何かあった?」

 ロッキンロビンが表情を変えずに問いかけても、キルビリーも同じく無表情であった。何かあったんだとしても答えるつもりはないんだろう。

「――、まぁいい。なら、ここから先は警告のつもりで聞いておけ」
「?」
「お前はその治癒力に過信した戦い方が目立つ。だから多少の被害は受けてもいいとばかりに突っ込んでいく癖がある。――これからは連戦が続きそうだから、あまり無謀な真似はするんじゃないよ」
「……」

 それを聞いたキルビリーは珍しく叱られた犬のようにしゅんとなっているように見えた。まあ、ほんの気持ち的なものなのだけれども。




あららンマー。
デブの血って確かにコレステロール値高そうだし
油飲んでる気持ちになりそうだなー。
しかしこの血飲行為、シノ君達を思い出すね。

15、地球の長い午後

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