果てしない恐怖と絶望に囲まれた気がした。心臓の鼓動がはっきりと自分の耳に届いた。しかし、正面のその三人は各々の構えでそいつらを迎え撃つ姿勢でいる。
 キルビリーは抜き出した刀と共に鞘を持ち替えて、いわゆる二刀流のような構え方を取った。各々の武器で態勢を取る彼らはコミック的で、オタクの七瀬と前田の心をくすぐるには十分過ぎたがしかし、今はちょっとありがたがっている場合じゃなさそうだ。

「いきなりコレかよ。初っ端から全力投球だな、ネクロノちゃん」
「……そうね。別の見方をするなら、彼女も焦っているのかもしれないわ」

 那岐と背中合わせになりつつ、キルビリーが刀の柄を手の中で回し再び持ち替えた。

「こうやってっと、さ……昔を思い出すよ――ま、昔って言ってもほんの三百年くらい前だけどな。――で、そん時に学習した事があってな」
「……何?」
「那岐、お前のその刀でちゃんとダメージ通るか保障は出来ないぞ」
 
 天使の愛らしい顔と、強烈なまでの死の匂い。そのちぐはぐな気持ち悪さが、七瀬達の動揺を誘うのには十分すぎた。
 微笑を浮かべたままの天使達は、一斉にその羽を広げたかと思うと、無垢な笑い声と共に空へと羽ばたいた。次の瞬間にはこちら目掛けて数羽が滑空するようにして突っ込んできたのだった。その速さといったら、肉眼で捉えるのも難しい程であった。那岐が刀でその一撃を防いでくれなかったら、ぼやぼやしているうちに首ぐらい持っていかれたんじゃないかというくらいの勢いであった。

「ヒッ……!」

 天使達は相変わらずその石膏で出来た顔に微笑を張り付けたままで、更には犠牲者の返り血を浴びたままで向かってくるので、殊更に不気味さを醸し出していた。その姿に圧倒され、七瀬が逃げ遅れて尻餅を突いてしまった。那岐がすかさず前に躍り出てくれなければ、自分は今どうなっていたのだろうか……考えるのも恐ろしい。
 那岐は両手でその刀を握りながら、天使の特攻を防ぎ食い止めてくれたようだった。

「う、うわわぁ!?」
「七瀬、ぼさっとしてないで退避だよ退避ぃっ!!」

 襟ぐりを背後から引っ張られ、挙句ずるずると引きずられ、それでも七瀬は恐怖のあまりか凝固したようにそこから目を離せないでいた。この一瞬の間に一気に身体が筋肉痛を発したようにずきずきと痛んだ。
 甲高い金属音に誘われ視線を動かすと、その先ではキルビリーが刀と共に鞘を操りながら他の天使を相手取っている。振りかざしたラッパの一振りを、その二本で受け止めるとちょっとした鍔迫り合いのような状態になっているようであった。

 天使達が飛び立ったその後には、真っ赤に染まったまま倒されている犠牲者の姿が見えた。

「う……」

 それに真っ先に気付いたのは柏木で、吐き気を堪えてそれを見つめた。もはや骨格そのものが歪んでいるのであろう、めちゃくちゃになった顔面が見えた。よって、顔から犠牲者の姿は判別がつかなかったけれど、かろうじて服装から中肉中背くらいの男性だと推測する――天使の握り締めたラッパから血が滴っているのを見ると、それでめちゃくちゃに殴られたんであろうか。
 全く趣味の悪い話だ、出来の悪いモンスタームービーの世界にでも迷い込んだような気分は先のゾンビ対自分の時からもうずっと続いている。そしてその悪夢はまだ覚めてはくれない。

「う、っ……、おえェッ」

 いよいよこみ上げる吐き気に堪えきれなくなり、柏木がその場に蹲るのとほぼ同時に頭上を何かが音速で駆け抜けた。みっともなく嘔吐し切ってから何だと顔を動かすと、天使の腕部分が転がっていた。ラッパを握ったままその手がまだひくひくと痙攣しているのと、グロテスクな切断面がこちらを向いているのに更に吐きそうになった。――ていうか、血、出るのかよ。どう見ても石じゃん。

「悪い、そっち飛んだ」
「……ッ、お、おい! もう少し考えて斬ってくれよ!」
「一発で首キメるの難しいンだって。簡単そうに見えるかもしんねーけど」

 二度目の嘔吐感をめいっぱい嚥下しながら、柏木はそう言えば、とばかりに手の中にあったコルトを握り締めると立ち上がった。ポケットの中に手を入れて、あの時少しばかり貰った弾丸を取り出した。けれどももう残り五つ分、使いどころは考えなくてはならない。決して贅沢は出来ないだろう。

「……こうなりゃとことんやってやるよ、畜生」

 マガジンにそれを一つ一つ入れていき、装着してスライドを引いた。
 一方、七瀬と前田は何とかその壮絶な戦いの巻き添えを食らわないように身を低くしながらその場を離れるので精いっぱいであった。二人して這うように何とかして進み、天使達の視界を盗むようにしながら物陰へと身を潜めようとする。

「ひぐっ……ひぐぅう……ッ、ゾンビより断然強いじゃねえかあんなの〜! 反則だろぉオイオイ! せめてあの天使の声がゆかりんだったら俺は殺されてもいいけどさぁ!」
「ま、前やん! そっち行っちゃ駄目だ、ゾンビまで来てる!」
「ゲッ、嘘ぉッ!!」

 うーうー、と獣のような低い声が聞こえたかと思うと、たちまち覚えのある制服を纏った男女の姿が数名ほど見えた。一人は首の骨があらぬ方向に向いており、更にその奥は脚が折れているのか引きずりながら移動していて、更に更に奥にいる男性教師は腹部が大きく裂けて、湯気の立った内臓がはみ出ている……。

「う、うわぁあああ!?……無理、もう走るの無理! デブにはきつい、きついって、これ以上はもう無理だよ! 菓子ばっかり食ってるデブに肺活量求めないでくれよぉッ!」
「何言ってんだよぉ、それだけ話せる余力あるんなら逃げようってばぁ〜!」

 前田の腕を背後から引く形で、七瀬が引き返すと顔がぐちゃぐちゃのゾンビがすぐそこにまで迫っていた。言うまでもなく先程天使に屠られていた犠牲者が立ち上がったのだが、その吐き気と怖気を同時に誘う見た目に圧倒されたのと、すぐ傍にまで接近されていたという絶望感からか棒立ちのようになってしまい、逃げるという事を一瞬忘れ立ち尽くしてしまった。
 脚に力が入らない、何かステータス異常を招く魔法でもかけられてしまったように。

「く、くそぉ、こっち!!」

 そいつが接近しきる直前何とか振り切るようにして叫ぶと、七瀬は前田の手を再び引いて横に逸れる。船ではまだ落ち着いていた前田だったが、ここへきて思わぬクリーチャーが現れたせいなのかさっきまでのような呑気さとは打って変わって怯え切っているようだった。極度の恐怖からか恐慌と共にパニック状態に片脚突っ込んでいるらしい。

「い、嫌じゃぁ! 童貞のまま死ぬのは嫌じゃあ〜!……あああ、こんな事なら外付けハードディスクに入れっぱなしのデータ全部消して来れば良かった、クッソォ!!」
「前やん、ちょっとうるさいよ! さっきも言ったけど喋る暇あるなら脚動かしてよ!? 大体この前の体力テストで俺より順位良かったんだからさ、もっと動ける筈でしょ!? それでも一応中学の時は運動部だったんでしょ!」
「そうやってまた俺ら卓球部をいじめるんだな、お前!」

 反論の意味は分からないが、ともかく喚き散らす前田を何とか黙らせないと――このままでは格好の的になるんではないだろうか。そう思いながらゾンビの挟み撃ちを何とか避け、武器代わりになるものがないかと探してみる。

「う、うう……っ! しっかし横腹が痛い……ッ」

 七瀬もあまり体力がある方とは言えないし、見た目通りの文科系でやってきたのだから当然だと言えた。運動と言ったら、体育の授業以外でやる事はほぼゼロに等しい。

「くそっ、俺達は足引っ張るしか出来ねえのかよ……」

 ならせめて自分の身くらいは自分で守れるようにしないと――と辺りを見渡した時、木に突き刺さったままになっている鉈を見つけた。キャンピングアックスと呼ばれる代物か、アウトドア用の斧のように見えた。よし、と七瀬がそれを取りに向かおうとした矢先、木の根元に足を取られてすっ転んでしまった。

「うわぁ!!」
「って、七瀬! 大丈夫かよ!?」
「うう、いてて……っ」

 起き上がろうとした瞬間、上空の方が騒がしくなったのにハッと気づいた。見上げるのと同時に七瀬と前田の顔から血の気がさあっと引いた。
 そうだ。先程の天使像が羽ばたきながらこちらに向かって降りようとしているのが分かり、恐怖を通り越した言いようのない絶望感に身が竦んだ。魂を失った人形のように、二人はなすすべなく笑顔で舞い降りてくる天使――いや、悪魔だろうか。それとも死神だろうか。とにかく自分達の命を刈り取る為だけに訪れたその存在を、唖然と眺めるだけであった。
 それから、先程の顔の潰れたゾンビを思い出した。数分後の自分の姿のように感じて、強烈なまでの吐き気を覚えた。

(終わった、だめだ。もう駄目だ……俺もあんな風にして殺されるのか……グチャグチャになって――)

 その瞬間はやけにスローモーションに思えて、ひどく緩慢なスピードであった。実際にはもっと素早い動きをしていたのだろうけれども、脳味噌の把握能力が現実に追いついていない。迫りくる死への恐怖が、周囲の騒音をもかき消していた……。

「……っ」

 ああ、俺は死んだんだ。すっかりそう思い込んでいた。――しかし、状況は大きく違っていた。前田の叫び声に目を見開いて真上を見上げると、しなやかに翻る四肢と、それから風を切って、逆光を浴びながら靡く黒髪。その髪と同じ色合いの、喪服を思わせる漆黒のスーツ。
 ロッキンロビンが鮮やかな飛び後ろ回し蹴りを食らわせていた。天使像の羽がその一撃により砕け、空中に破片となり飛散するのが見えた。

「あ……あ……っ! う、うわぁあー……」

 すっげぇ、と感嘆の声を漏らしている矢先にも、ロッキンロビンは地面へと滑り込みながら着地し、片手で受け身を取りつつ振り返った。同時にその痛みの目立たない綺麗な黒髪がそれに従って揺れた。

「ま、まだ! まだ生きてる!」

 雄叫びと共に前田が斧を引っこ抜いていた。翼を叩き折られ、羽でも毟られたトンボのように地にひれ伏す天使像に焦点を定めるが、いかんせん肥満体型の彼は足が遅いらしい。勇んだ矢先に天使像が素早く起き上がり、やはり張り付いた笑顔のままで前田の方を見据えた。

「うひっ……」

 やはり自分の記憶内に存在しない未知なる化け物というのは、恐怖に拍車がかかった。そしてその恐怖が、前田の動きをすっかり止めてしまった。斧を持ったまま何も出来なくなってしまった前田であったが、すぐさまその頭部――顔面の右半分が破壊され、粉々に砕け散った。
 ロッキンロビンが背後からまたもや蹴りを浴びせたのだろう。

「ッ……、お、おおお〜……す、すごい頭部破壊だぁ〜……」

 圧倒されたように前田が零すと、ロッキンロビンはトドメとしてその場から再び追撃を食らわせる。いわゆるカカト落としというやつだろうか、その靴底の踵部位はもろに命中すると砕けかけていた石膏を更に削り落とした。……女性でこの細身と言えどもやはり人間じゃない彼女の持つ筋力というのは我々人間のそれを遥かに凌ぐのだろう……、イヤ、恐ろしい……。
 相変わらず冷静沈着な面持ちのままで、ロッキンロビンは天使像が活動を止めたのを目視すると、業務的作業をこなしようにしてスッとその場から背を向けてしまった。
 まるで殺す事だけをインプットされた殺人アンドロイド。そんな例えがしっくりとくる、一連の動作であった。

「い、イケメンかよ」

 前田がスタスタと立ち去るその黒髪を見つめながらぼやくのが分かった。

「……いや、えっと……女性だから」
「違う、彼女はイケ女(メ)ンだ!……畜生、やられたぜ……俺は今までてっきり妹キャラやロリッ娘にしか反応しないと思っていたのに年上属性もアリだったなんて……いやっ、いやっ、むしろ三次元にときめくって事自体が驚きだった……」
「と、ときめいたんだ? ふーん」
「……童貞守ってて正解だった……」
 
 一体誰から守ってたんだよ、と心の中で蹴っておいて七瀬はその場から離れつつ少し背後を振り返る。ひくひくと痙攣する天使像の周囲に、ゾンビ達が集まってきたかと思うとその破片を掴んで口に運び始めたのが分かった。結局硬くてどうにもならないのか口に入れたはいいが吐き出しているところまでを見て、気持ち悪くなってそれ以上見るのをやめておいた。

――何だよ……共食いか?

 考えれば考える程気持ち悪くなりそうであった。けど、これ以上吐いている場合でもない。




前やんすげー和むww
一応繋がり? のあるナイトメア・クライシスは
こう、おちゃらけたキャラがいなかったよね。
だから終始とげとげしてた。
大半のゾンビ映画ってそんな感じで殺伐とした
人間関係を楽しむってのもあるので、
あれはあれで王道だったよなぁ。

14、おめーら全員エサだかんな

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