13.Vision goes blurry


道中で横目に映ったぺしゃんこに潰れた車とけたたましいサイレンの音は知らん振りをして、とりあえずなるべく急いでくださいとタクシーの運転手に告げる。
やっとの思いで着いた病院の前には既にカカシさんが待っていてくれた。息を切らして駆け寄れば今までに見たことのないくらいの真面目な顔で腕を引っ張られ、その余裕のなさに冷や汗が流れる。そんなに、容態が悪いのだろうか。

「とにかく早く連れてこいって言われてるから、」

それは、誰に。
本人なのか、それとも、医者なのか。
緊迫した状況に、ある程度は心の準備をしなければと範囲内で出来る限り最悪な事態を想定してみるけど酷く残酷な事態しか弾き出せなくて愚かな私は後悔の念に駆られる。なにに後悔しているのかと問われたら上手く答えられやしないけれど、とにかく私は今この状況を物凄く悔やんでいた。
もう、涙で視界が滲んでよく分からない。

「イタチ!火芽ちゃん来たから!」

カカシさんが呼んだ彼の名で一瞬覚醒した脳が私の目をこれでもかとばかりに開かせた。目の前の大きなガラスの向こうに居たのは、間違いなく彼だった。2つの目は固く閉じられぴくりともせず、ただ無機質な機械音だけが響く空間にショックのあまり膝が折れる。
集中治療室と書かれた札、頭上に光る赤いランプが意地悪く私の頭をがんがんと揺らした。

「イ、タチ、さ、」
「事故起こされてからずっとこの調子、目を覚まさなくてね。」

外傷は左足の骨折のみ、事故相手は飲酒運転、即死だったよ、と。そう言われ私は何て反応すれば良いんだろうか。カカシさんがしゃがみこんでしまった私の腕を引っ張り上げ、支えてくれたけど正直今痛々しい彼の姿を見たくない。
それに、こんな悲劇が目の前で2回も起こればそれはつまりそう言うことなんだと思わざるを得ない。

私は疫病神なんだと。

「…火芽ちゃん、ほら、この中に入って声かけてあげて」
「でも、私は」
「良いから!」

無理矢理背を押され、看護師の説明もそこそこに身支度を整えゆっくり扉を開く。
イタチさんの心拍が規則正しく鼓動して、その音すらも私の涙腺をことごとくだめにした。隣に立って手を握ればそれは思っていたより恐ろしく冷たくて思わず強く握り直す。お願いだから、お願いだから目を開けて、こっちを見て。そうどんなに強く願っても彼が目を覚ますことはなくて、やっぱり私では無意味だったと、まるで冷たい氷の中に独り閉じ込められたような感覚に陥った。

「…私なんかと一緒に居るから、こんなことに…っ」

ごめんなさい、ごめんなさいと口に出せば出すほど溢れる涙は止まらなくて、それは彼の顔の上に容赦なく滴っては頬を滑り落ち、徐々に枕を濡らしていく。その染みが手のひらほどの大きさにまでじわじわと広がった頃、私の涙も少し落ち着き、冷静な思考が戻り始めていた。そうなるとその冷静な思考がこれまた冷酷な結論を導き出す。
心はもう、疲れ果てていた。

「私は…もう、あなたと一緒に居られない。」

握っていた左手の力を緩め、する、とそれを引き抜こうとした、瞬間、突然こもった力に一瞬怯む。もう一度手を引いてみたけれどやはりそれは適わなくて、半信半疑、視界に映した目の前の自分の左手は間違いなく彼の左手に握られている。思わずそこに視線を集中させていると、耳から掠れた声が流れ込んだ。

「行くな」

至極掠れていた、けれどはっきりと、そう聞こえた声。
彼は私の左手を握ったままゆっくり肘を曲げ、そのまま私は彼の身体に引き寄せられるようにして上半身が折り重なった。怪我人だというのに意外と強い力で思い切り抱き締められて最早息苦しくて、でも抵抗するだけ無駄で。諦めて彼の右肩に顔を乗せたとき、耳元でまた声が聞こえた。その口の動きに合わせて酸素マスクが上下する。

「俺は、事故に遭っても死んでない…」
「…っイタチさ、」
「火芽を残して死ぬつもりもない」
「……」
「火芽と離れる気も、ない。」

一言一言ゆっくり吐き出された彼の言葉は私の涙腺を再び崩壊させるのには充分すぎるほどで。彼の言葉を聞いて、涙が滲んだ顔を見て、自分が何に後悔していたのか、自分が今誰を一番大切に思っているのかがようやく解った。
昔事故で失くした彼のことは一生忘れないし、忘れられないと思う、それは仕方のないことだ。だけど、今私が一番愛しているのはイタチさんで、これから一生を懸けて愛するのも、イタチさんだけだ。

ここまでの結論に辿り着くのに一体どれだけの時間をかけ、どれだけの人を巻き込み、どれほど迷惑をかけてきただろう。そしてなによりここまでの窮地に立たされなければ彼の大切さに気付けなかった自分自身の愚かさが憎い。
でも、こんなだめな私を黙って待っていてくれて、ここまで広い心で包んでくれるのは、きっとイタチさんしかいないだろうから。だから、私も彼の傍にいよう。
ほんの少し前まで抱いていた邪念が嘘のように晴れたのも、イタチさんのお陰に違いない。

私の髪を撫でる彼の手が、今は暖かい。
ガラスを叩く音に振り向けばいつの間にやら集まった面々がずらりと並んで、カカシさんは柄にもなく目に涙を溜めていたりして。

そんな暖かな人たちに囲まれて、私は、今日初めて笑った。

「火芽は…笑っている顔が一番可愛い。」

そう言われてイタチさんのほうへ向き直れば、酸素マスクを取った彼にまた引き寄せられて、あっという間に唇が重なる。途端に分厚いガラスを1枚挟んでいてもこちらまで聞こえる歓声。
こんなところで一体なにをしてくれるんだと顔を真っ赤にして胸元を叩いても嬉しそうに微笑む彼は思いのほか元気そうだ。
そうして笑い合ってまた2人で見つめ合って、少しの沈黙のあと、私たちはもう一度ゆっくりキスをした。



(20130827)

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