09.I want you.


「で?どうなのよ、最近は」
「どう、って、」

そこで口ごもる私。

どう?もなにも、普通にやってますよ。だから普通ってなによ。やってるって、なにをよ。なんて不毛な攻防戦。だって私が寝てる間に襲われました、とか、意外と愛されているようです、とか恥ずかしすぎて口が裂けても言えないもの。あれはなかなかに激しい夜だった。彼があんな風に私を求めてくれるなんて思ってもみなかったから。だけどそれは別に他人に言うことでもないし、言いたくないし。と言うわけで、私が目の前の友人に話せるのは「普通に仲良くしています」が限度。
それでも腑に落ちない彼女はつまらなそうな顔をして、ま、上手くいってんなら良いけど。って吐き捨てた。はい、お陰さまで。と冷たいミルクティーを流し込んだと同時にぶるぶると震える携帯。ディスプレイに光るのは彼の名前だった。

「なにー、土曜に呼び出し?私と会ってるの知らないの?」
「や、今日は出掛けるって伝えてある…」
「まーとりあえず出なさいよ、」
「ごめんね」

ニヤニヤと笑みを称える彼女に一礼して応答ボタンを押し、携帯を耳に宛てる。もしもし、どうしたんですか?と問えば、申し訳なさそうに謝る彼。電話の向こうでトラの鳴き声が休みなく聞こえた。

「…猫が」
「え?トラ?」
「ああ…トラが、おかしい」
「え?」
「ここ2週間ぐらい全然鳴き止まないし、餌もあまり食べない。」
「えっ」
「なにか知ってるか?」
「いえ、なにも…、とにかく病院に連れて行かないと!」
「ああ…そうだよな…」

先々週私がイタチさんの家から帰るときは元気いっぱいだったのに、どうしたんだろう。原因を考えてもなにも出てこない。体調不良にしても、2週間、って。
心配そうな表情を浮かべる私に、友人が行ってきたら?と口パクで告げた。でも。躊躇う私に、いいからいいから、と両手でぱっぱっと払われて。今から行きますね、と言うと彼は安堵の溜め息を漏らした。通話を切った瞬間、怒るどころか笑い出す友人には頭が上がらない。

「へぇ、彼も可愛いところあるのねぇ」
「そ、そんなんじゃないよ」
「ふーん?ま、いいよ、今回のはどっかでまた埋め合わせして!」
「本当にごめん、また連絡する!」
「はーい」

お互いに仕事が忙しくてなかなか会えなかったこの2週間、トラになにがあったんだろう。そんな不安を抱きながら大急ぎで彼のマンションに向かう。エントランスでカメラ越しに話したあと、小走りで辿り着いた部屋の鍵はもう開いていた。

「お邪魔します」
「悪かったな、今日は予定があったんだろう?」
「大丈夫、彼女が快く行ってきなさい、って言ってくれましたから。それより、トラはなにが?」

私を見つけた瞬間素早く足に絡み付いてきたトラは見る限りものすごく元気。試しにおやつをやったら勢いよくかじりついたし、どう見ても異常は感じられない。電話の向こうではあんなにみゃあみゃあ鳴き喚いていたのに、今は私の膝の上で大人しく丸くなっている。

「…火芽が来た途端、元気になった」
「え?」
「さっきまで落ち着かなかったんだ、トイレの砂とか散らかすし」

そんなまさか、と玄関の方に置いてあるトラのトイレを見に行くと、確かにトイレの入り口から猫砂がこぼれ床を汚していた。その間もトラは私の足にまとわりついている。そんなトラと困った顔のイタチさんを交互に見ていたら、なんだか無性に申し訳なくなった。

「ごめんなさい、そもそも私が拾ったのに…連れて帰りますね?」
「いや、いいんだ、いつもこうなわけではないし、夜はちゃんと俺の隣で寝る」
「でも、そうじゃないときもあるんでしょう?イタチさん、隈ができてる」
「…」
「…迷惑かけてごめんなさい、」

深々と頭を下げれば、顎を掴まれて降ったのは口付け。え、なんで、と思う暇なく抱き締められた私は大混乱。そのまま首元に顔を埋められたら身動きすら取れないよ、イタチさん。

「…このタイミングで言うのは、あれだが」

彼が、きゅっ、と腕に入れる力を込める。
吐息が首にかかってくすぐったい。

「火芽がいないと、トラが落ち着かないし」
「はい…なのでやっぱり私のマンションで飼いましょ」
「俺も、落ち着かない。」
「…え?」
「最近は仕事も忙しくて土日もなかなか会えなかったし、徹夜もあった」
「え?徹夜!?そんなこと一言も、」
「心配かけるから言わなかった。でも、もう限界」
「なにが、」
「だから、ここに住んでほしい」
「…私、が?」
「少しでも一緒にいたいし、その方が安心する」
「…」
「…嫌か?」

ぎゅうぎゅうと隙間なく密着する身体。
嫌か?って、そりゃあ嫌か嫌じゃないかと聞かれたら、嫌じゃ、ない。トラにとっても、やっと住み慣れたこのマンションを離れるよりは、こうして私が来た方がストレスもなく、良いのかもしれない。
胸を少し押して離れた彼は珍しく眉尻を下げて不安そうにねだるような顔。あんなにSっ気のある人がこんな風になるなんて、この2週間はよっぽど大変なことがあったのだろうか。
私がここに来ることで彼のストレスが少しでも減るなら、と言うか、減らしてあげたい。

そう思ったら、答えはひとつだ。

「じゃぁ、少しずつ荷物持ってきますね」

まさにぱあっ!と顔を輝かせたイタチさんに再び力いっぱい抱き締められて身体がぐらりと揺れる。あまりにも突然の話だから色々と考えたいことはあるけれど、こんなに彼が手放しで喜んでくれているならまぁいっか、と開き直って私も彼を抱き締め返した。


「とりあえず、車で運べるものは今日明日のうちにでも運んでおくか」
「え!?」

少し落ち着いたあと、車の鍵を片手にぽつりと呟いたイタチさんを驚きのあまりに見開いた目で凝視する。けれど、彼は至極当然かのように私の腕を引っ張ってソファから立ち上がらせた。ま、まじですか。

「今日からここで暮らすんだぞ、ないと不便なものが色々とあるだろう?」

その言葉に、そうか、一緒に住むってそういうことか、と冷静に考える私。
ああ、でもそれなら流石に親に言っておいた方が良いのかな、いやだけどあのマンションを引き払うわけではないし、

「そのうち火芽の両親に挨拶をして、ちゃんと引っ越し完了させよう」
「…ん?」
「今から大家に言っておかないと契約解除するとき多目に取られるぞ」
「んん?」
「ほら、合鍵」

ぽん、と投げられた銀色のそれは1回も使われたことがないような新品で。
これから私はこの鍵でこの部屋のドアを開けてここにこうして帰るのか、と考えるとなんとも感慨深い。正直この展開に頭がついていかないけれど、でもイタチさんとならこんなのも悪くないかな、って思うあたり私もなかなかに彼のことを愛しているんだろう。

自分のキーケースに真新しいそれをつけて、ありがとう、と呟いたら、また口付けが降った。



(20130808)


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