乞われて壊れた満月


ゆるり、目を覚ます。ぼんやり、隣に男が映る。しかしそれは私が思い描いた"彼"ではなかった。

「…夢?」

でも、腰の鈍痛が現実だと思わせてくれる。重い身体を両腕で支えながら起こすと、やはり腰が重く言うことを聞かず、仕方なしに禿を呼んで不寝番の若衆に隣で寝ている男を退かすように言いつけた。どうせもうこの男に会うことはないだろう。
暫く後、やっとの思いで身体を引き摺りながら歩き湯殿に入って鏡を見れば、身体のあらゆる箇所に散らばった紅い痕が目立つ。それに驚きながらも笑ってしまうのはなんでだろう。これではまるで痕をつけられて喜んでいるようではないか。

「…イタチ…」

ぽつり名を呼んでみたけれど、誰が応答するわけでもなく私の声は空に消える。あんなに愛の言葉を囁き合ったと言うのに、一晩で消えるとは思わなんだ。考えれば考えるほどに悩ましく額を押さえる。せめて、せめてもう一度会えたらその時は、もう離れることのないよう結びつけてやろう、そんなことを呟きながら彼の姿を思い浮かべる。数年前より更に逞しく鍛え抜かれた身体、大人びた顔立ち、その逸物も大層立派であった。遊廓の護衛を全て殺ったと言うことは、忍としての力も相当上げたのであろう。彼を思うほどに疼く身体を制しながら、深いため息を吐いた。

それから幾日か経っても、彼が私のもとへ現れることはなかった。紅い痕も疾うに消え、そして私は再び男と交わる気をなくし、また茶会だけで客を払う日々。楼主はその内また私の気分が変われば男に抱かれるようになるだろうと目を瞑っていたが、一度私を抱いた客はそうも行かず訪楼を増やし、そもそも男の客と会う気もなくなっていた私は相当頭を悩まされた。


「う、うぇっ、っぐ、」
「火芽花魁!どないしんした!」

そんな月日が続いたある日、積もり積もった心労からか私は遂に身体を壊し病に伏せる。迫り来る吐瀉感、突然襲う眠気と目眩、微熱はなかなか冷めることがない。それなのに一丁前に空腹感はやってくるのだから相当に参った。しかし食べてはまた吐いてしまう。どうしようもない吐き気と気だるさに水分をちみりちみりと摂取しながら窓際を見上げれば、机上の花挿しに飾ったきらきら煌めく簪が目に入る。そう言えば、あの彼は今どこで何をしているのだろうか。また、来てはくれぬのだろうか。私はこのまま得も知れぬ病に臥せったまま彼に会うことも叶わず朽ちてゆくのだろうか。むくむく沸き上がる不安に、摂取したばかりの水分を全て吐き出す。もう水分さえも満足に受け付けない身体など、なんの意味があるのか。休む暇なく襲い来る吐き気に耐えかね、壁づたいに厠へと歩く途中、ふと気付いた。ここ暫く血を見ていない。最後に月経が来たのは、一体いつだっただろうか。

「…まさか、」

いつの間にか消えた吐き気に急いで自室に戻り、これまた数年前に以前大名に嫁いだ花魁が送ってくれた文を漁る。確か彼女が子を身籠ったときのことが綴られていたはず、

「…なにやら眠気が酷くて一日の大半を寝て過ごし、気分が優れず嘔吐ばかり繰り返し胃液までもが込み上がる、でも腹のやや子のためには毎食しっかり食事を摂らねばなりんせん…この苦しみに負けてはならぬのです…」

目を丸くさせてそれを読み切ったあと、私は柄にもなく大声で禿を呼びつけた。

「い、今すぐ!今すぐに食事を!!」





「やはり…故郷には未練がありますか?アナタにも…」
「いいや…まるで無いよ」


ちりん、



(2013/07/06)


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