諸行無常の響き有り


「宿で休みましょう、イタチさん」
「あぁ…」

木ノ葉の里から少し外れたところにある歓楽街、そこでイタチが足を止めた瞬間、一緒にいた男、鬼鮫の顔が少し曇った。たったさっき木ノ葉の忍と戦ってきたばかりだと言うのに、外れとは言えこんなに近くで宿をとるのは…それに、見たところ風俗店が軒を連ねているようだし。怪訝な眼差しでイタチを覗き見たけれど、彼としては特になんの抵抗もないようだ。

「まさか、この町の宿に泊まるおつもりですか?」
「ここなら安全だ、忍など滅多に来ない。」
「まぁ…良いですけど」
「それに、ここには少し用がある。」
「えっ、あ、あぁ、まぁイタチさんも男ですしねぇ、ハハハ」
「…その考えはナンセンスだ、鬼鮫」
「…」

とりあえず宿を二部屋取ったあと、直ぐ様布団へ体を横たえる。動くのは夜になってからで充分、それまで身体を少し休めておかねば。

数年前の約束、あの日の言葉、再会したときの彼女の涙、その他。
諸々を加味した上でも、もう期は熟した筈。

廻る思考もそのままに、くらくらと瞼を下ろした。



「…やはりこれは…妊娠なんし、」

かき集めた医学書に穴が開くほどそれを見つめながら、なんとも言えぬ表情を浮かべる。たぶん、嬉しい。この子のためなら遊廓を出ることに躊躇いなどない、けれど、何も知らない女手ひとつでなんとかなるものなんだろうか。身体的に、よりも、精神的に。

いやいやいや、弱気になってはいけない。母の気持ちは子にも影響すると聞く。それにこの子はイタチの子。それだけで充分ではないか。はぁ、と一息ついて本を閉じる。もう少し腹が大きくなって人目につくようになる前にここを出なくては。大丈夫、貯金はたくさんしてきた。

「姐様、またお勉強?」
「あ、あぁ、少し気になることが、」
「お医者にでも?」
「知らぬよりは、知っていた方が良いこともありんしょう?」
「姐様はお勉強熱心でありんす」
「あんたも花魁になりたいならしっかり勉強しなんし、」

禿を部屋から追い出して、姿見の前でそろそろと着物をはだける。まだ腹は出ていないけれど、心なしか浮腫んだ気がする。体重も増えたのかもしれない。
つわりが少しおさまったと思った矢先にやってきた、過剰な食欲。みんなは私の体調が戻った反動だと思っているけれど、絶対に違う。医学書によれば、あと二月か三月ほどで腹が出てくるとあった。もしかしたら、薄々感付く者も出てくるやもしれぬ。どちらにせよ、もう、あまり時間がない。

「姐様、姐様、今日は忍のお客が入りんす」
「忍?」
「はい、白い髪の毛の…五十くらいのお方で、是非姐様の御目にかかりたいと」
「お断り致しんす、」
「…でも、大金をはたくと」
「金など要らん、後生だから御下がりくださいましと。」
「はい…、」

忍と聞いただけで期待するなんて、馬鹿みたい。どうせ彼はもう来ない、だからあんな夜這い紛いのことをしたんだ。だからあの夜何も言わずに出て行ったんだ。良いんだ、それで。彼の子を身籠れたと言うだけで幸せ、せめてこの子が五体満足で産まれてきてくれれば良い、それ以上の事は望まない。

「それくらい望んだって…罰は当たらんしょう…?」

涙が流れる理由なんて、知りたくもない。私はこれで良い。

行燈に火を灯し、そよそよと窓から流れ込む風に目を閉じる。どこからか聞こえてくる鈴の音が心地良い。まるであの日の夜のように彼が現れるような気がして、あれから鈴の音を聞くだけで胸が跳ねるようになった。ふと目を開けると、目の前の屋根に三毛猫がいる。さっきの鈴の音はきっと、あれの首輪だ。

「お前さんかい?"あの人"の正体は…」
「いつ、俺が猫になった?」
「え、」

両肩を掴まれてぐらりと動く視界、押し倒されて何をされるのかも分からず咄嗟に両手で腹を隠すと、声の主は「火芽に乱暴なことはしない」と言って小さく笑った。まさか、まさか、

「主様…?」
「お前が言っているのはどの主様だ」
「い、イタチ…また…会いに、」

言葉を遮られ、塞がった唇。彼の手は躊躇いなく着物の帯を抜き取り、私の胸に触れる。私は反射的に甘い声を漏らすけれど、いけない、今は気軽にそんなことができる状態ではないのだ。必死に彼の腕を掴んで止めるけれど、嫌よ嫌よもなんとやらだと思っている彼はなかなか手を離そうとはせず、今度は乳頭に舌を這わした。

「や、やめておくんなし、」
「こんなに濡れているのに?」
「そんなことをしたら、死んでしまいんす」
「…大袈裟な、」
「やっ!」

ぱしん!と乾いた音が響いた直後、はっとじんじん痛む手のひらを押さえる。目の前には、悲しい顔をした彼の姿。すまない、と呟いた声は今にも消え入りそうなほど弱々しかった。違う。彼が悪いんじゃない、ちゃんと説明しなくては、

「イタチ、これにはちゃんとした理由が、」
「男でもできたか?」
「…それはまだ分かりんせん、医者には行ってないのでありんす」
「医者?」
「は、はい、なんし…まだ性別ははっきりとは…」

随分と長い間沈黙だけが流れていたけれど、冷やすとあまり良くないから着物を着ますと言って腹を抱えながら着物を着る私を見て、彼はだんだんと状況を理解したようだった。まだ着替え途中の私を抱き締めて小さな溜め息を吐く。やはり彼は子など要らなかっただろうか。言ったらいけないことだっただろうか。言うべきでは、なかったのだろうか。

「…身請け、されるのか」
「そ、そんな、誰に?」
「そいつの子なんじゃないのか」
「何を仰いんす、この子はわっちと主様の子。」
「…主様とは」
「イタチに決まっているでありんしょう?」


嗚呼、俺はとんだ馬鹿者だ。あの夜身勝手に火芽を抱き、この籠から出したい一心で彼女の中に悪戯に精を放ったのは、他の誰でもない俺なのに。なのに彼女を疑うなんて。


「遊廓を出る方法を、教えてはくれないか。」


いつの日か彼女に聞いた台詞を、ぼんやりと思い返す。長年の夢が、やっと叶うのか。
微笑みながら、些か不安そうに俺の顔を見上げてくる火芽に深く口付ける。
今宵は、綺麗な満月だ。




(20130709)


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