鈴の音と私と貴方と


ちりん、


「今なにか、音が」
「そんなもの気にするな、」
「でも…」
「どうせ猫かなにかだろう?」


ちりん、


「…近付いているような…」
「お前は気にせず黙って抱かれていれば良い」
「ひ、人影が、」


ちりん、

少しずつ近づいた鈴音は気のせいでもなんでもなく衝立のすぐ向こうで鳴り、そこにはぼんやり、しかしはっきりと人影が映っていた。間者か?それとも、金目当ての輩だろうか。最近は本当にわざわざ忍を雇い私を狙いに来る者たちが増えた。今そこにいるのが何者かは分からなかったけれど、少しの殺気が放たれているのを感じたところ、どうやら穏やかではなさそうで、私とこれからさぁ身体を交えようとしていた男は身の危険を感じたのかようやく着物を正し身構えた。こうしてみると銭を待っているとは言え、なんとも役に立たぬ滑稽な男である。私がそんな男に更に幻滅している間にも沈黙は続き、小さくため息をついたところで衝立の向こうから声がした。

「お楽しみのところ申し訳ないが…その女から離れてもらおう」
「…遊廓の護衛はどうしんした、忍を雇っていたはず」
「さぁな…」
「それより、お前は何者だ」

男が勢いよくがたんと衝立を倒せば、それは斬られ呆気なく真っ二つに割れる。割れたそれの間から見えたのは、黒地に朱色の模様が入った外套を纏い、目深に笠をかぶった忍、なのだろうか。月明かりの逆光で全く顔が見えないが、彼が笠を右手でくいと上げた瞬間、紅い眼がちかりと光った気がした。

「ぐっ、あ!」
「?…お前さん、この男に何を?」
「少し眠らせただけだ、命に別状はない。」

その言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。先程まで渦巻いていた殺気もどうやら消えたようだった。万が一自分の部屋から死人が出たとあれば大騒ぎになりかねない、今この町の一番の話題は私自身だ。今度は安堵のため息を吐きながら、着物の帯をきゅっと締め直す。残念だが、生憎、私は忍などには興味がない。殺されるかもしれないとは思ったが、殺されるならそれはそれでその方が良いとさえ思っていた。

「何の用でお越しなすったか知らんけんど、出て行っておくんなし、」
「…変わったな」
「…え?」

変わった、と言うことは、昔から私を知っている人なのだろうか、この人は。だけど、もうかれこれ10年ほどこの遊廓から外へ出ていない私に、こんなことをするような忍の知り合いなど居ないはず。
忍の、知り合いなど。

ふと、数年前の出来事が脳裏を過る。まだ世の中のことをほとんど知らぬ新造のときの私が夢見た、平凡で幸せな日々。何年経っても手放せない簪。度々蘇る、今までの人生で一番愛した人の笑顔は最早霞む。夢を見ることは愚か、"もしかしたら"と淡い期待を抱くことすらなくなって、一体あれから何年経つだろう?

でも、今の私は明らかに"もしかしたら"を期待していた。

「…お前さん、名は?」

そう問うた私の言葉を受けて笠を落とすその動作がやけにゆっくりと流れる。笠が床に落ち、また鈴がちりんと鳴った。落ちた笠に合わせていた焦点をはっと人物に移せば、即座に固まる視線。止まる息。今すぐにでも駆け寄りたいが硬直した脳は身体へ何の信号も出せず、聞きたいことは山ほどある、話したいことも山ほどあるのに、見開かれた私の二つの目からは何故か涙がぽろりぽろりと溢れるばかりであった。


「うちは イタチ」




(20130703)


- 6 -


 



- ナノ -