スカーレット・レディ


オーロが、タナカさんに代わり泥酔している彼女を迎えにいったのは、その意思を確認しておく為だ。


「バカラ。下船を望むなら、テゾーロにバレないよう協力してやることも出来る」

カウンター席に美女がひとり。従業員を離れた位置へ追いやればバーのなかに切り取られた空間ができあがる。隣に並べなかったオーロは車椅子のまま斜め後ろから声をかけた。バカラは気だるげに髪を掻きあげ、焦点のしっかりしない目でオーロを一瞥し、何がおかしいのか愉快そうに笑う。

「優しいんですね。フフ、あなたのことを、消してしまおうと思っていた様な、女なのに」

オーロは何も言わなかった。大理石の滑らかなカウンターに体重を預けていたバカラは、おもむろに身を起こし、目の前の色鮮やかなカクテルを呷る。

「テゾーロ様の、心を乱す人でしたから、あなたの言動ひとつで王の機嫌が変わり、無駄な犠牲が増えることは、この国の為にならないと……。いえ……そうじゃない、ちがう……わたしが、テゾーロ様に、いつも笑顔でいていただきたかっただけ」
「…………」

オーロは言われたことを飲み下す様にひとつ瞬きをした。

「誉めるわけにはいかないが、咎める気持ちもない」

項垂れていたバカラが頭をあげる。その目はぼんやりとしているが、しかし注意深くオーロの様子を窺っていた。

「テゾーロに対する思いが発端なら、俺も他人にどうこう言えた立場ではない。それに俺の存在がテゾーロの邪魔になっているなら排除されようと構わない。それがこの国と――あいつの為になるのなら」

本気だと、わかった。この人は本当にしんでしまってもいいと思っている。バカラの全身がぞわりと粟立ったのは冷房の所為などではない。そこまでテゾーロに我が身を捧げられるオーロに畏怖の念を抱いたのだ。
「それで――」普段の調子で先をつづけるオーロは、酒に酔っても、頭を打ってさえもいない。

「これからも、グラン・テゾーロで働き続けるつもりなのか?」
「もちろんですわ」
「出来るのか」
「何をです?」

なにかを言いかけてくちびるを閉ざすオーロ。それを見て、バカラは小首を傾げながら微笑した。

「フフ、何を心配なさってるんです?べつに、テゾーロ様を逆恨みして、どうにかしてやりたいなんて、そんなやましい考えは持ってませんわ。これっぽっちも」
「わかっている」
「……じゃあ、わたくしの心配をしてくださっているんですの?アハハ!――ノープロブレム。わたしがそんな弱い女に見えます?」
「あァ」

バカラの上がっていた口角が固まる。

「弱さを見せられることも強さのうちだ。君は武装を剥がせないでいる、好きな相手の前でこそ泣けない、プライドの高い女だろう」
「――…………」
「俺はきらいじゃないがな」

口説くつもりもない癖に、そんな台詞――。

「だからこそ君には、生きたい様に生きてほしい」

とうとうバカラの目から熱い涙がはじき出された。すぐさま指先で拭い、バカラは顔を隠す様にからだの向きをカウンターへ戻す。

「ご心配、ありがとうございます。でも本当に、此処を、やめたくはないんです」

誰か一人でも、心底嫌うことができればよかったのに。そんな呟きを、誰にも聞こえない声でこぼす。かおをつくる余裕を取り戻したバカラは、肩越しに振り向いて笑った。


「だって――天職、ですから」


  
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