病室と渇慾4


もう必要もなくなったというのに、気づけばルッチは、三通目に着手していた。

パラパラと高速でページが捲られていく。ルッチはすべての『参考書』に目を通していた。
──君と出会えたことは幸運。
──君は喜び。
──君は美しい。
──世界が輝く。
──あなたなしでは生きられない。
手紙にして綴られたという言葉はどれもこれも大げさにして綺麗だった。しかし面白いことに、名言として語り継がれる恋や愛そのものを語った言葉には、病に例えるものや体の不調を訴えるものが多い。不安が増大し、苦痛を感じる者があとを絶たないでいた。それでも愛を知らない者は幸福を知らないなどとのたまってくるのだから、ルッチは紙面に向かって鼻で笑ってやりたくなった。実際に笑った。ルッチは己の胸に問い、彼らの言葉と照らし合わせてみる。
──あいつと出会ったことは不運。
──あいつは憎しみ。
──あいつは醜い。
──世界は変わらない。
──あいつなしでも生きられる。


それでも、慾しいと思う。


ルッチには、自身が抱く慾が恋≠ニ呼ばれるものであるのか、判別がついていなかった。なんせ初めてのことなのだ。血とは異なるなにかを求めるのは。こんなにも強い感情が働くのは。すべては手に入れてみないことには分からない。手に入れた先、どうなるのかも──分からない。そこで満足して終わるならば最良だ。終われば、どうにもならない他人の意思というものに、もどかしさを覚える必要もなくなるのだから。


『身体を細切れにすれば気が済む、そんな単純さがあれば楽だったのに君のプライドが良しとしないんだね、生きづらそう……バカみたいだね?』

まったくだ。血を見るだけで、気が済んでいたなら。

『君……ハレンチの流れに持っていこうとしてないかい?』

体を組み伏せ、自由を奪うだけで気が済んでいたならどれほど簡単だったことか。楽であったか──。しかしそれでは果たされない。実現することはないのだ。
どうしても、呼ばれたい≠ニ、願ってやまない。


『早くもどってきてくれ、スパンダム……君のいない日々は、つまらない』


あの、やわらかく、甘やかす様な声で。

己の名を。







「──────おいルッチ=I」

わめくという表現が似合う騒がしい声。呼ばれた方に目を向ければ、前方を歩くパウリーがルッチを振り返っていた。ブルーノの店へ行き、飲んできたあと。今は帰路についている。

「どうした、いつにも増して気難しい顔して。便所か?」
『……黙れパウリー。おれの名を呼ぶな』
「あんだって!?」

参考書を読み終えたルッチは、あれから何度か筆を手に取っては、言葉が出てこずにいた。その苛立ちの原因を知らないパウリーは、理不尽な物言いに応酬してしまう。けれどもそんなやりとりは日常茶飯事だったので、すぐにまた二人で並んで歩きだしていた。

「今日は暗ェなー。新月か」
『…………』

パウリーに倣い、ルッチも空を見上げる。雲もなければ月もない暗やみには、豆電球の様な星明かりが瞬くだけだった。そのとき、ルッチの脳裡にアイスバーグの声がよみがえってくる。

『ンマー……日常の中のちいさな発見だとか……相手が見聞きしてそうな日常風景について触れてみるとか────……』

「…………」


ルッチはウォーターセブンへやって来た最初の日──久々に夜≠迎えたときのことを思い出していた。あの日もちょうど新月だった。街灯もない道から、墨を流した様な真っ暗やみを見上げ、一瞬、柄にもなく考えたのだ。
────『あいつ』の視界も、こんなふうなのだろうかと。

習得能力の高いルッチの直感が、それこそ手紙に書くにふさわしい内容だと告げてきた。けれども一方で、情緒というものを解せない元々のルッチが“そんなものを書いてなんになる?”と眉を顰めだす。ハットリの好物を書いた手紙は、くだらない話と思いながら書いたからいいのだ。しかし今回はちがう。本当の手紙≠ニして送ろうとしている。
まさか、あの男に退屈だと思われることを恐れてるのか……?とルッチが自問したとき。参考書にあった、顔も知らない人物の文字が思い起こされた。

真の恋の最初にあらわれる症状は、『臆病』である>氛氛氛氛氛氈B


『うるさい』
「なんも言ってねェだろ!?」



霧の夜空は高くて黒い。お前の閉ざされた世界を想像する


  
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