彼は、異様


「その心臓。おれに捧げろ」

「できません。ごめんなさい」


スペッキオにとっては予想だにしていなかった言葉のはずなのに、呆れを含んだ憔悴の表情を見せる眼下の男に、ルッチは思慮をめぐらせる。

「──────……意味を、正しく理解してるのか?」
「意味……?ん?わっ」

話し合いは、スパンダムの象によって中断させられた。邪魔をされたのだ。象はスペッキオをルッチから鼻で奪い取ると、背中に乗せ、そのまま屋内へ。不穏な空気を感じて助けたつもりなのかもしれない。すぐさま取り返してもよかったが、仮にも上司スパンダムの得物ということもあり、ルッチは面倒を避けてスペッキオの部屋で待ち伏せすることにした。

「(奴の部屋……?そういえば、何処に……)」

ルッチは見かけた使用人や警備員を呼び止めては尋ねてみるが、誰もが畏まり、頭をさげていく。『知りません』と。答えられないのではなく、本気で知らない様子の者たちばかりだった為、訊いた相手が10人に達した頃、いよいよおかしいと考え込んだ。洗濯物の収納、部屋の清掃、ベッドメイクなど、各個人の部屋に関わっている者は一定数いるはずだ。直接関わらずとも、出入りを見かけている者や、この塔全体の地図を把握している者がいたっていい。誰も知らないとはどういうことか。廊下の吹き抜けを見下ろしたとき、ちょうど噂好きのフクロウがなにか言いふらしているのを発見し、呼び寄せた。

「スペッキオの部屋?『開かずの間』と呼ばれる場所がそうらしいぞー、チャパパパ」

開かずの──それは果たして居住空間と呼べるのか?なにはともあれ、確かめてみる価値はある。早速その場所へ向かうことにした。



成程な、と思った。成程、これが開かずの間──。鍵穴が上下2つに、カンヌキ錠が4つ。計6つの鍵。多少錆びついてはいたが、どれもホコリはなく現在も開け閉めされている気配がある。ルッチ達の私室と同じく、扉はファンクフリードでも余裕で通れるほどのおおきさがあり、厳重に閉められたそこは中にモンスターでも飼っているかの様だった。
これを開けるのはさすがに骨が折れる。外の窓から侵入することに決めたルッチは、しかし目的の場所へたどり着き、眉を顰めた。──窓の内側に、中が一切見えない様に木の板が打ち付けられている。

「……ハットリ、すこし離れてろ」

ハットリが肩から離れると、ルッチは板ごと窓を蹴り割った。開放された窓枠に足をかけ、中に入ってガラスの破片を踏みつぶす。

「これは……──────」





「先日の会話で、気になったことがある」
「あ?」

ブルーノがつくっていたミルクシェイクをマイカップに分けてもらいながら、ジャブラは何の話だと眉をつり上げた。先日ってどの先日だ、と尋ねることで、一応話を聞く姿勢を示す。

「カクがスペッキオさんに謝っていた日だ。カリファが初恋だったと告白した……」
「ああ、ありゃ衝撃的だったな」
「みんなそれぞれスペッキオさんの印象について語ってただろ?」
「あー……よく覚えてねェな。というかブルーノ、お前あいつのこと“さん”付けで呼んでんのか?聞き慣れなくてぞわぞわするぜ」
「そういえば、呼ばれ方も様々だったな」

先にもらうぞ、と告げてただの液体のときよりもとろみの増したミルクに口をつけるジャブラ。ブルーノはこういった細かいものを作るのが得意だ。飲み物だけでなく、酒のつまみなんかも旨い。殺し屋でなければ料理屋の店主でもやってたかもな、なんてつまらないことを考えながら、ジャブラは何を言いたいのかさっぱり分からないブルーノに「で、何が気になってることなんだ?」と結論を促した。ようやく自分のミルクシェイクを一口ふくんだブルーノは、「あのとき」と口火を切る。

「スペッキオさんに対する印象は、一人一人バラバラだった……」
「ま、そういうこともあるだろうな」
「────語っている『本人の話』にすら聞こえた」

ん──?と首をひねるジャブラ。盲目男に対する印象が本人を表している、とブルーノは告げたのだ。だからどうしたと思ってしまうのだが──……はて。あのとき自分は、なんと言ったのだったか?


『大人の色っぽさかしら……。それに、完璧すぎるよりすこし抜けてるところがあった方が可愛いわ』

「カリファは昔から大人びていたし、仕事もできる優秀な諜報部員だ。だが時々……たとえば、手にメガネを持ちながら“メガネがない”と探していたりする様な、すこし天然なところがあるだろう」


『わしにはこどもみたいな人に思えたがのう。油断ならん面もあるが』

「たしかにカクの奴はガキだけどよ、ぎゃははは!言うなァブルーノ!」


「前にルッチからも印象を聞いたことがある」
「化け猫が?何て言ってやがった」




──────戦闘狂いのサディスト≠セと。




「ぎゃははははは!ひーッ」

腹を抱えて笑いころげるジャブラを見て、ブルーノはジャブラが自分の発言を忘れていることを確信した。その念波でも受け取った様に、突然ぴたりと静止して我に返った表情をするジャブラ。

「おい待て……!おれが“作り話に振り回されるバカ”ってどういうことだブルーノ!?」
「ようやく思い出したか……いろいろと、巷の噂に振り回されがちだろ?」
「そんなことねェわ!そういうお前はたしかっ──……冷静沈着みたいなことじゃなかったか……?あ!?自分は良い様に言ってたからそんなことが言い出せたんだなてめェ!」
「“物事に動じることのない、周りを注意深く見ている人”だと言った」
「真面目くさって何を言い出すかと思えば!くだらねェ!」

本当にくだらないことなのだろうか。ブルーノは思案する。べつに実害が及ぶ何かがあるとも思えないが、本質を見抜かねばならない諜報部員として未熟さを突きつけられている様な──。釈然としないものが、胸につっかえていた。





ルッチは「暗闇」を見つめていた。

不夜島のエニエス・ロビーではなかなか見かけることのできない暗闇だ。光源は、今さっきルッチが蹴破った窓から差し込む日光のみ。ここはスペッキオの部屋。独居房ではないはずだ。はじめて入った部屋ではあったが、間取りはどこも似通っている為、照明のスイッチをさがして点灯させた。

ひろがったのは、がらんどうの空間。

隅にモップが1本、ぽつんと立てかけられていた。テーブルや椅子どころか、此処にはベッドすら見当たらない。スペッキオはこの部屋で暮らしているはずだが、最低限の生活臭すらただよっていなかった。
生活感を見つけられる唯一の手掛かりとなりそうなクローゼットを開け放つ。まず目についたのは、キャスター付きのハンガーラックが2台。ワイシャツ専用のものと、スーツ上下専用のもの。どちらも同じデザインの服が複数ならんでいた。
視線を脇へと落とせば、引出し式のおおきなアクリルケースが置かれてある。中にはベロア調のトレイが7つ、横一列になってきっちり納められていた。トレイには畳まれた靴下と下着がセットになって置かれてあり、5箇所を埋めている。空いた2箇所は、現在着ている分と、洗濯に出している分だろう。さきほどのハンガーラックにあった服も5つずつかけられていた。そしてゆかに同じ靴が6足。ベルトハンガーに同じベルトが6本。
あとは、何もない。およそ一切の生活臭というものが感じられなかった。暗殺者とはいえ、一人ずつ趣味嗜好もあれば、部屋には個性が出てくるもの。だのに、これはあまりにも────。


ガチャン。


開錠の音が、扉の方から聞こえてきた。
ガチャン。これは。ガチャン。カンヌキ錠がはずされていく音。ガチャン──。次いで、カチリと小気味良い音がした。鍵穴の中が回された音だ。もうひとつ、カチリ。これで扉を封じるものはなくなった。

キィィィィ……──────。

軋んだ音を立てて、扉にすき間がつくられる。ハットリが首を縮めてルッチの顔へ身を寄せた。暗がりにのびた光の筋を割り、中へ入ってこようとした、足が、止まる。


「──────そこにいるのは、誰だい」


顔に影を落として、スペッキオが佇んでいた。


  
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