彼は、冷酷


気に食わない。

「では、打ち合わせは以上で」

素知らぬ顔で事務的な対応に終始する、目の前の男が気に食わない。

「──おい」
「なんでしょう?」

かつて養成施設で何度も半殺しの目に遭った。ひとりの男相手に、手も足もでなかった。男の顔は忘れもしない。特に、なにか見据えている様な振りをしてなにも見ていないがらんどうの眼────それがすぐそこにあった。しかしふりかえった男には、なにかを懸念する緊張感もなければ、高を括っている気配もない。通りがかりに道を尋ねられただけの様に、縁もゆかりもない人間の面をして立っていた。

「……いい。行け」

去っていく背中を睨みながら、同じ時期に訓練をしていた隣の男に話しかける。

「ブルーノ、あれは演技だと思うか?」
「……どうだろうな。忘れてるだけの様にも見えたが……まァ、あっちは子供の頃の姿しか知らねェんだ。気づかなくとも無理はないだろう」

あれから10年近くが経つ。今やCP9史上最強と謳われるようになっていたが、幼い頃に植えつけられた敗北の記憶はいつまでも消えることなく、今日まで腹の奥底で燻りつづけてきた。




「────おや、CP9の方。どうされました?」

本気で気づいていないと確信した。すんなり部屋へ招き入れた、その態度に。

「……グアンハオで、特別講師をしていたな」
「! よくご存知で」

断定で述べているにもかかわらず、当時その場にいた子供とすら推察できないのだろうか。勘が鈍いにも程がある。かつて相手にしたのはこんなぼんくらではなかったはず。否、こういう男だっただろうか?腹の中の燻りが、火の粉をちらつかせ始めていた。

「──ロブ・ルッチだ」

名乗れば答えを言っているも同然だと思っていた。事前に書類か口頭で確認しているはずだが、改めて咀嚼させれば、昔の記憶とも結びつくだろうと。だが一度聞かせても男の顔面は変わらないまま。

「おれの名は、ロブ・ルッチだ」

もう一度言って聞かせれば考える素振りはあったものの、ピンとくるものはなかったらしい──。愕然とした。ここまで言ってもまだ辿り着かないのか、バカなのかと。一方で、それとも、と言葉がつづく。それとももしや──その先は考えたくもなかった。が、可能性はきわめて高い。そしてそれは正解だった。

「すみません、人の顔と名前を覚えるのは苦手で……いえ、仕事で覚えたターゲットの顔は忘れないんですが」

路傍の石。あるいは通りすがりの風景。あるいは踏み潰された蟻、もしくは雑草。男にとっては気に留めるような事柄でもなかったという事実。こめかみのあたりがピリピリとひきつった。歯痒さに奥歯を噛みしめ、苛立ちをおさえる。そう、苛立っていた。一方的に焦がれていたのだと思い知らされたことに、どうしようもなく──。
プルプル、と電伝虫が沈黙を割る。「すみません、すこしの間、そこに掛けてお待ちいただけますか?」狭い部屋では大して意味もないというのに、奴は電伝虫を手に持ち受話器を取ると、窓に向かって話しはじめた。相手はスパンダムという男からだった。

「──主官代理、上手くやれてるよ。スパンダムがいなくても今のところ順調だ」
『なんだと!?まさかおれのポスト狙ってんじゃねェだろうな!』
「ハハ、そんなナンセンスなこと考えるはずもないだろ。電伝虫越しだけど、いつものキスを送ろうか?」
『誤解招く言い方すんじゃねェ!』
「今さらだろ」

────急に胸が重くなるのを感じた。淀んだ空気が出口を見つけられず鬱積していく様に、なにかが内側で膨らんでいく。


「早くもどってきてくれ、スパンダム」


やわらかい、甘やかす様な声が────





「君のいない日々はつまらない」





鉤爪となって、臓腑に食い込んでいく。

────気がつけば、通話を切らせていた。自分でもまったく無意識のうちにやったことであり、頭の理解が追いつかず、電伝虫を押さえた姿勢でしばし固まる。「……何するんですか」非難めいた響きをもつ声に、さっきまでの甘さはなかった。

「屋上に出ろ────。勝負だ……お前を──殺す」

いつか言う予定ではあったが、それは今ではなかったはずの台詞が口をついて出ていた。おかしい。考える前に体の方がうごくなど、まるでなにか、べつの意思が働いているかの様な────。

靄の中、腹底の火が生きもののように蠢きはじめていた。






「なぜ反撃しない?」
「受ける理由がない」

どうすればあの眼はふりむくのか。この姿を飛び込ませることができるのか。かつての、人間を人間とも思わないあの非情さを以て、強者として、一対一で、死力を尽くして戦わせ、血の海に沈める。そうすればようやく────、


『あの人ならいなくなったあとよ。ルッチが眠っている間に去ったの。元々、一ヶ月だけの予定だったって……』


────……ようやく、奴の勝ち逃げを終わらせられる。あの日からずっと疼いて仕方がない腹底の“熱”も鎮められるはず。
屋上から屋上へ飛び移り、ひたすら逃げの一手をうつ背中を獣の足で追った。いくら攻撃をしても奴は躱すのみ。応戦してこようとする気配などない。

なぜだ。どうしてこっちを見ない。

「────スパンダム≠ニいう男を殺せば、お前の怒りを誘えるか?」




奴の足が止まった。




止まりやがった──────。


「……彼は関係ないだろ」

一度も笑ったことなどないという様な厳粛な顔をしてふりむく男に、わずかに面食らい、しかしすぐに平静に帰っていく。

「そんなにも大切か、その男は」
「なおさら君には関係ない」
「……よほど価値があるらしいな」

風にゆれる柳の様だった男が、うってかわって、静かな闘気を滾らせはじめていた。

「そこまでお望みなら……僭越ながらお相手しようか。命を落とすことになっても構わないね?」

長年待ち望んだ瞬間のはずだった。腹底の炎はいまや全身を燃え立たせ、筋肉にあつまる血を沸騰させている。口元はこれからおとずれる強烈な刺戟を期待して薄笑いの形となり、痙攣まで起こしていた。なのに──胸の内側で渦巻く、「歓喜」と「苛立ち」。相背馳する溶け合わない感情。集中させるべき意識が、奴の心臓を止める一点に向かわないのはなぜなのか──?



靄の正体がわかったのは、血の海に沈む奴を見下ろしたときだった。



「──…………どういうつもりだ」

振りむきざま目にした、奴が瞼をとじ、手足を放りなげ、戦いを放棄する姿。敗北を認めて受け入れた?無益な争いに嫌気がさして身を投げだした?ちがう。はじめからまともに戦う気などなかった。スパンダムという男の為に勝負を受けただけで、育てた憎悪に応えるつもりなど、奴には毛頭。

そのとき気づいた。おれは、こいつを殺したかったのではない。
こいつの『心』が慾しかったのだと。


「──スペッキオ主官代理!」
「こりゃひでェ……早く病院へ!」

騒々しい。喘ぐ様に呼吸をしている奴を、有象無象が取囲む。窓の割れる音に気がつき上司の消失を確認、あわててさがしにきたのだろう。

「ルッチさん、これは一体……」
「………………」

顔に布を覆って止血された奴の許まであるき、かかえあげた。

「おれが連れていく。お前達は明日に備えろ」
「し、しかし……っ」


「────聞こえねェのか。散れ」


コンクリートを蹴り、静まりかえる場をあとにした。
さっきまで息の根を止めようとしていた男の瀕死体を、重傷を負わせた張本人が、生き永らえさせる為に、最短ルートで運んでいく。なんともおかしな話だ。

「よく聴け、スペッキオ……」

口の中にひろがる苦みが、舌をつき刺す。


「これで逃げられたと思うな────っ」




腹を灼けつかせる熱が、いつまで経っても消えやしない。


  
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