彼は、薄情 ──────覚悟をきめて受けた攻撃だったとはいえ、かろうじて意識がのこってしまった所為で、二度とこんなのはごめんだと思うひどい激痛に襲われた。高熱になったのか、逃げられない苦しさに延々と魘された記憶もある。
直後の状況はあまりおぼえていない。なにかロブ・ルッチが叫んでいた気もするが。
次に意識が浮上したとき、スペッキオは病室で点滴につながれていた。作戦が成功したことをぼんやりとした意識の中、悟る。生きている。それこそ成功の証だった。
────逃げ続ければ、いつかスパンダムに危害が及ぶかもしれない。かといってまともに闘り合えばどちらかが息絶えるまで勝負は続く、そして倒れるのはスペッキオの方だとわかっていた。実力差は自然と測れるもの。乗り越えようという気概も熱量もスペッキオには毛頭なかったものだから、結果は確定しているも同然だった。
では、ほかに生き残れる道は────?
ロブ・ルッチの目的がスペッキオを殺すことだけであれば、わざわざ相手が警戒する様な宣戦布告など必要がなかったはず。恐らくは『過去の雪辱を果たす』こと、しかもしつこく挑発までしてきたとなれば、スペッキオの本気を引き出すことで『真っ向からの全力勝負』を望んでいると導き出せた。
ならば、と思った。
ならばロブ・ルッチの望む条件を欠くことで、闘いを永久的に中断させられるのではないか。真っ向勝負を否定≠オ、永遠に全力を出せない状態にする=B
────意図的に体のどこかを壊してもらえばいい≠フではないか、と。
単に攻撃を受けたのではそのままとどめを刺されてしまうかもしれない。そこで一撃で止めさせる為にいちかばちか、“戦意喪失”を装った。その行動がロブ・ルッチに対する最大の侮辱になるとわかっていても──否、わかっているからこそ願うことはひとつだけ。
嗚呼どうか、勝利を求めるに値しない木偶だと気がついてくれ。
仕方がないのだ。スペッキオにとって優先されるべきはスパンダムとの約束だった。
『しぬならおれの為にしね!』
特別講師として、ホープを育てる為に良かれと思い独断で設けた“スペッキオをころせばCP9に入れる”というルール。(独断とはいえ、少年の罪科にならないよう正式な書式の書類を、当時の司令長官であるスパンダインに送付していた)これを聞いたスパンダムはカンカンに怒っていた。スペッキオとしては最初の手合わせで実力がわかり、これなら大丈夫と確信した上で用意した、ホープの全力を引き出しそれを挫くことでプライドをズタズタにする──その為の材料に過ぎなかったのだが。けれどもスパンダムの剣幕に嬉しさがこみ上げたので、弁明は割愛。以降、自分の命を賭けるのはスパンダムの為と誓っていた。
『僕がこの世を去るのは、スパンダムを守った時だ』
いちかばちかと言いつつ、不思議としぬとは思わなかった。体が丈夫だと過信していたのかもしれない。
失明するとは想定外だった。すぐ部下に見つけてもらえるからと楽観視しすぎていたのかもしれない。
目をあけたつもりなのに視界がひらけないことにびっくりしたおぼえがある。暗闇なのは包帯を巻かれていた所為だったが、それを解いても、もう見えない状態になっていた。角膜の表面が抉りとられてしまっていたのだ。消毒液を傷口にたらされた様な沁みる痛みと、剥き出しの神経を針でつつかれつづける様な痛みに苦しめられた。
(もしやこれは……“処分”ということになるのでは……?)
諜報部員どころか、指南役としても役立たずなことは明白。早すぎる余生を過ごさせてもらうには様々な機密をかかえすぎた身だった。第一、そんな人権など取替のきくネジに存在するのだろうか?この世から消される未来しか考えられない。お尋ね者になったわけではないので、安楽死くらいはさせてもらえるはずという点だけ救いといえそうだった。痛すぎる思いは、二度と御免だ。
「(せっかく生き延びたのに処分も仕方ないかと思ってる……スパンダムだったらきっと、さいごまで、しんで堪るかって騒ぎ立てるのに……。僕がいなくなったあと、彼は悲しんでくれる……?)」
「────こんの世話の焼ける奴め!」
幻聴かと思った。勢いよく病室の扉をあけた人物は、今後どうするかについてを知らせる伝達係ではなく、べつの病院にいるはずの幼馴染──スパンダムだったのだ。
「おい!スペッキオ!生きてるか!?事故って聞いたがどんな事故だ!ったく、お前一人だけって……!おれがいねェとぼやぼやしやがって!」
「……スパンダム……?」
「あァそうだ、スパンダム様だ。早く治しておれの元にもどってこい。これからもっと忙しくなるぞ」
「でも僕は……」
「CP9へ行くことになった!親父から司令長官の座を引き継いだんだ。お前の席はある、ずっとおれの傍だ。ファンクフリードの世話とか、その、なんだ……おれのコーヒーでもいれつづけてりゃあいい。わかったか!?」
────ふふ、とスペッキオが笑う。下方にいるロブ・ルッチに怪訝な思いを抱かせたと思い、「ごめんね」と一人で笑いだしたことを謝った。
「ちょっと、思い出したことがあって」
「……長官殿か」
「! 人の頭を覗いてはいけないよ」
「覗くもなにも」
ああ、それで。ええっと。何の用だっけ?ファンクフリードのうごきに合わせて体の向きを器用に微調整するスペッキオ。その肩に一羽の鳥が降り立った。ポッポーとひかえめに鳴くそれは、ロブ・ルッチの肩によくいるあのハトだと理解する。主人以外の肩にも止まるんだ、君がちいさい生き物に好かれるって似合わないよね──そんな言葉を発しようとしていたスペッキオの耳を、ハトの嘴がかぷりと銜えた。
「ん?痛っ……え、ちょ、ちょっと、待ってひっぱら──」
ないでえ、と情けない声をあげながらスペッキオが象の肌をずり落ちていく。両足で着地したので年長者としての沽券は守られた気がするが、壁に衝突でもしたのかというポーズで固まっていたので、いずれにせよ格好はついていなかった。シャツの襟や袖を正し、ロブ・ルッチに向きなおるスペッキオ。
「……そのハトは賢いね。きっと僕がなにか言おうとしたことを察したんだ」
ハトが定位置にもどる頃、ロブ・ルッチがスペッキオの方へ近づいてきた。ずっと、無言のままであることが不吉な予感をふくらませていく。一定の距離を保ちたくて同じ歩数分さがろうとしたものの、背中がファンクフリードのかたい皮膚にぶつかった。フォークダンスでもはじめるつもりかという距離で、ようやくロブ・ルッチが停止する。
「あんな男のどこがいい」
鉄塊の準備をしつつ対峙したのに、投げかけられた質問は、意味を咀嚼するのに時間を要するものだった。
「……あんな男、とは?」
「命を賭ける価値もないだろう。自ら戦う力も持たない私慾にまみれた小物だ。なのになぜ、そんなにも信奉する?」
スパンダムを指しているみたいだとわかった。が、スペッキオにはなぜ、今、このタイミングで彼の話が出てくるのか、いささか不思議でならない。
スパンダムが部下達から慕われていないことは知っていた。表向き従っている様に見えても、腹の内では上司の器ではないと見下げられている。それでもスペッキオにとっては────。信奉というのは大げさすぎるだろうと思いながら、スペッキオはスパンダムと出会ったときの光景を脳裡に浮かべていた。薄明かりの地下牢に、イチジクの鼻────。
「あんなにも人間らしいヒト……めったにいないと思わないか?」
「………………」
ロブ・ルッチからの返事はなかった。
育った環境もあるのかもしれない。血縁者も、養成施設で同じ時間を過ごした者達も、この世の面白さを味わおうとしている生き物ではなかった。その温度と平坦な灰色の世界に慣れていたものだから、スパンダムとの出会いは鮮烈にかがやいて見えたのだ。彼には慾がある。ヒトに関わろうとしていく意思がある。正直な心が美しいなら彼は並はずれて美しい。スペッキオにはないものをたくさん持っていた。
「はじめて会ったときは衝撃だった。“とにかく慾しい!”って感情が自然にわく、こんなにもエネルギーに溢れた奴がこの世にいるのかって。あいつといると、自分も生き生きとした時間を過ごせている気になる。スパンダムは、空っぽの僕を人間らしくしてくれる存在だ」
熱弁を清聴してくれたロブ・ルッチの反応や、いかに。どうせ鼻で笑われておわりだろうと予想していたスペッキオだったが、
「────順番の問題だ」
彼からの第一声は、ちがうものだった。
「……順番?」
どういう意味かすぐにはわからなかった。すこし経ってもわからなくて、順番とはなんなのか、尋ねる前にロブ・ルッチが畳みかけてくる。
「──卵から孵化したヒナは最初に見たうごくものに付き従う。はじめての経験は記憶にのこるが、二回目以降は印象にすらのこらない。思い出は時間の経過とともに美化され過大評価されていく、記憶とは不完全なものだからだ。────……先に会っていれば、お前はおれを信奉したはずだ」
話が見えてこなかった。「よく、意味がわからないな」スペッキオが口を挟めば、ロブ・ルッチの腕が素早くうごく気配がする。反射的に構えたスペッキオだったが、彼がしかけてきたのは攻撃ではなく、どういうわけなのか────……抱擁であった。
「──…………これは、いったい……?」
二人の間にスペッキオが腕を押しはさんだ為、腰を引き寄せられたところでとどまっていた。ロブ・ルッチの拘束をはずそうと彼の腕に指をかける。その手も手首をつかんで捕らえられ、スペッキオは全身を緊張させた。腰にまわされた腕の力もつよく、容易にほどけそうにもない。なにが起こっているのか飲み込めず、ロブ・ルッチの意図にも見当がつかず、スペッキオは次の行動を決めかねた。その耳に、滝の音にまぎれることなく、声の粒がはっきりと聴こえてくる。
「その心臓。おれに捧げろ」
────スペッキオの胸がとどろいた。真剣な声のひびきに、血が熱く脈打ち、心臓がただ事ではない音を立てはじめる。感覚が無言のうちに冴えていく。
振り払おうとしたロブ・ルッチの腕はびくともせず、頑なに放そうとしない力はスペッキオの反応を見越していたかの様だ。足を内側から掛けようとすれば先に払われ、バランスをうしなった体を地面に押さえつけられる。馬乗りに跨がられたあとも拳や指銃で抵抗したが、結局、胸の前で手をクロスさせられる形でうごきを完全に封じられてしまった。滝のマイナスイオンなどあてにならない張りつめた空気の中、スペッキオが遅まきながらもルッチの言葉に答える。
「できません。ごめんなさい」
────改めて殺害予告をされたと思っているスペッキオは、ロブ・ルッチの執着に心底困り果てていた。
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